プロローグ ヘカトンケイル
不死鳥は人間と共に暮らしました。
皆は不死鳥が好きでした。ですが、その中の一人は不死鳥よりも大好きなものがありました。
それは『世界』です。
「貴方の心は世界に惹かれているのですね」
「ああ、私はこの世界が大好きだ」
その人間は屈託なく笑いました。不死鳥も曖昧に頷きました。
そうして不死鳥の傍から人間が一人、世界の旅に出て行きました。
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冒険者達は砂漠の上を必死に走っていた。その全員が後ろから追い掛けてくるモンスターに怯えている。誰もがそのモンスターの強さを知っているからだ。
基本的にモンスターには名前がない。何故ならモンスターの正体は魔魂石を核にした魔力の塊であり、その姿が統一されていないからだ。しかしそのモンスターだけは定期的に砂漠のど真ん中で発生する為、知らず知らずの内に名前が付けられていた。そのモンスターは百の腕を持ち、五十の頭を持つ巨人の姿をしていることから誰もが恐怖を込めてこう呼んでいる。
――ヘカトンケイル。
「畜生! ヘカトンケイルが生まれて来るまで一ヶ月前後あるんじゃ無かったのかよ!?」
「今更そんなことを言っても仕方が無いだろう! とにかく奴には勝てん! 守護結界が張ってある帝都まで何とか逃げ切るんだ!」
殿を務める人狼族のアッシュが怒気を孕みながら愚痴を零し、その後ろで弓を構えるレイジが冷静に仲間全員に指示を送った。
しかしヘカトンケイルはそんな彼らを容赦なく追い詰める。レイジの放った矢は命中しているものの、ダメージを与えられていないのかヘカトンケイルの足を止めるには至らない。寧ろ怒りを買ってしまったようで、丸太よりも太い巨人の腕がレイジ目掛けて振り下ろされた。
「がぁあ!?」
「レイジ!」
「リーダー!」
砂漠の上で地震が起こり、冒険者達は一度足を止めて後ろを振り返った。そこには殿を務めていた筈のアッシュとレイジの姿が何処にも見当たらない。全員は最悪の展開を想像し、顔を青ざめていく。しかしそんな彼らを叱咤するように、頭上からアッシュの怒声が降って来た。
「てめーら! こんな所で馬鹿みたいに突っ立ってんじゃねーよ!」
「アッシュさん!」
「リーダー!」
どうやらヘカトンケイルの一撃を喰らう前に、人狼族特有の俊敏さでアッシュはレイジを抱えて上に跳躍していたらしい。ついでにレイジも空中から狙える利点を活かして爆炎の魔法を掛けてある特別製の矢を、ヘカトンケイルの頭に目掛けて放っていた。やはり大したダメージを与えられなかったようだが、爆炎が広範囲に広がったおかげでヘカトンケイルの視界を完全に塞いだ。
その間に皆はヘカトンケイルから距離を離していく。
「よし! いいぞ! 今のうちに逃げろ逃げろ!」
「「「おお!」」」
帝都はもうすぐそこまで見えている。一度門を越えてしまえば守護結界の力により、圧倒的強さを誇るヘカトンケイルですら侵入する事は出来ない。
だからこそ冒険者達全員に油断が生まれたのだろう。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
ヘカトンケイルは百本の腕を一斉に振り下ろし、砂漠一帯に強烈な衝撃波を作り出した。砂の津波が巨人の足下を中心に広がっていき、巨大な砂壁となって冒険者達を飲み込んだ。どうやら回避できたのは跳躍力に自信があったアッシュだけらしい。他の仲間達は砂に埋もれて動けないでいる。
アッシュが仲間達を掘り起こして助けている間に、最凶の巨人が足を進める。アッシュは唇を噛み切る程力んで仲間を引っ張り上げた。だが全員を助けるには時間が足りなさ過ぎる。アッシュは射殺さんばかりの鋭い目付きで悪魔のような巨人を睨み付けた。
「この野郎! ちょっと図体がでかいからって調子に乗りやがって!」
『オオオオオオオオ』
まるで会話が通じない。巨人の目的はただ自分達虫けらを殺すことだけだ。その五十もある頭が全てアッシュに向いている。
――上等だ。
アッシュは足に魔力を込めると、弾丸のようにヘカトンケイルに向かって跳躍した。百本の腕が障害として立ちはだかるが、アッシュはそれを軽々と躱し、巨人の胸部を蹴りつけた。どんなモンスターも魔魂石を核としている。ならばそこを先に壊してしまえばモンスターの肉体も崩壊する筈だ。
理屈としては間違っていないのだが、魔力で強化したアッシュの蹴りを受け止めたヘカトンケイルは無傷のままだ。鋼鉄のようなその巨体には攻撃が通じない。
移動エネルギーを全て蹴りの一撃に消費したアッシュは一瞬だがその動きを止める。そこをすかさずヘカトンケイルが捕まえ、思い切り砂に叩き付けた。
「ぐはぁあああああああああああああああ!?」
「アッシュ!」
「アッシュさん!」
自力で砂の山から抜け出したレイジと、先程アッシュに助けられた治癒師のエミリアが同時にアッシュの下に駆け寄る。アッシュは口から血を吐き、一部の骨が折れていた。エミリアは咄嗟に回復魔法をアッシュに掛けようとする。
だがヘカトンケイルはそれすらも許さない。拳を堅く握り締めた巨人の鉄槌が、エミリア達を纏めて叩き潰そうと追い討ちを掛けた。
そんな時、一条の光がエミリア達の頭上を通り過ぎた。
「ったく。本当に強者ってのは糞みたいな連中ばっかだよな」
気が付けばエミリア達の前には一人の少年が立っており、その先には体の上半身を失ったヘカトンケイルが倒れていた。
レイジはその光景に瞠目した。何が起きたのか理解できない。ただ一つ分かる事は、自分達は目の前にいる少年に命を救われたという事だけだ。
レイジは無意識の内に少年に声を掛けていた。
「……助かったよ。君の名前を聞かせてもらえるか? お礼がしたい」
「別にお礼なんていらねぇよ。あんた達を助けられたのも運が良かっただけだしな」
「それでも、お礼がしたい。俺の名前はレイジだ。君の名前も教えてくれないか?」
「……名乗ってもらったのに、こっちが名乗らないのも失礼だよな」
少年は少し面倒臭そうに溜息を吐いて、やがて自嘲するように笑いながらその名を語った。
「――俺の名前は……タクトだ」