幼馴染みの願い事
――ああ、畜生。
砲台としての役目を終えた右腕はすでに力尽きてだらりと垂れ下がっている。タクティスは立っている事さえ不思議なくらいに憔悴しきっていた。それでも眼前の光景を見届けるように前を向いて、今にも閉じてしまいそうな眦を吊り上げる。
全てを削り、掻き消し進む光の砲撃は地面にその軌跡を残しながら突き進む。そしてその光は徐々に軌道を上方に変えていき、ローレンス達の頭上を通り過ぎていった。
「少しだけ斜めに向けて撃ちやがったのか……。でも、何でだ?」
「……どういう、つもりだ? 貴様には、我々を殺す動機があるだろう」
疑問を表情に表しながらゼニスとローレンスはタクティスを見た。
タクティスは二人の視線に気付いて喋るのが億劫そうに、それでいて喋らずにはいられなかったように口を開いた。
「……お前らは自分の国を守る為に俺を捕まえようとして、俺に正義や責任だとか勝手に押し付けやがる。なぁ、この状況は俺だけの責任か? 冗談じゃねぇぞ。しかも勝手に人を平和の為の生贄みたいな扱いしやがって、挙句の果てに負けたら殺せってか? ハッ! 俺はそんなくだらねぇ命のやり取りをする為に戦ってんじゃねえんだよ。上から勝手な理屈を押し付けんな馬鹿野郎!」
そこまで捲し上げた後、タクティスは吐血して膝を付いた。もうタクティスの周りには小さな血溜まりが出来ている。その弱りきった姿は意識を保つどころか、生きていることさえ限界が近いと思われた。
だがタクティスは荒い呼吸を続けて、眼光炯炯とした漆黒の視線をローレンス達に向けた。
「ここであんたらを殺したら……俺はお前らと同じになっちまう。それだけは絶対に嫌だ」
タクティスは鞄から回復薬を取り出し、何度か咳き込みながらも無理矢理喉に流し込んだ。ほんの少しだけ体力が体に戻ってくる。そして気怠そうに立ち上がり、ローレンスの元に歩み寄った。
ローレンスの傍にはさっきの転倒で取り落としたのか緋色の剣が転がっている。それは子供の頃、一度だけタクティスも振るったことがある炎属性の魔剣、『緋星王剣』だった。タクティスは懐かしさを感じながらそれを掴み取って己のベルトの内に差し込んだ。
「悪いがこの剣は貰っとくぜ。親父なら子供の自立に祝い品をくれるもんだろ? それと、この杖はあのジジイに返しといてくれ」
「……はははっ! 勝手にしろ、俺はもう疲れた。二度と追いかけたりしねぇよ。それと、あのジジイってどのジジイだ?」
ローレンスは愉快そうに笑い、そして首を傾げた。タクティスもきちんと相手のことを伝えたいのだが、残念ながら名前を知らないので適当に受け流す。
「知るかよ。それとゼニス。足、悪いな。確か回復専門の賢者がいるんだろ? そいつに治してもらってくれ」
「安心しろ……これくらいは自分で治せる。それよりお前は……回復魔法が効かないのだったな。傷付けておいて言いにくいが、その怪我のまま出て行く気か?」
「ああ。ここにいたら他の賢者に見つかる。流石にもう『白紙閃光』は使えねぇからな。……どうする? 今なら俺を捕まえられるかもしれないぜ? そん時は俺も遠慮なくあんたを殺すけどな」
杖をローレンスの前に放り投げて、タクティスは挑発するように笑みを浮かべた。しかしその瞳は笑っていない。冗談めかして言っているが恐らく冗談ではないのだろう。
ゼニスは「やめておくよ」を苦笑した。そう言わなければ今度無くなるのは足ではなく首になりそうだ。
タクティスは今度こそ本当に笑って、ローレンス達を通り越した。その先にあるのは延々と続く抉れた地面と何も無い平原だ。
「走るのは、ちょっときついか」
タクティスは溜息を吐いて、ゆっくりと平原を歩いていく。方角は当然南だ。このまま南下すれば、港町に辿り着く。タクティスはそこで船に乗り、この大陸を脱出つもりだった。大陸を出て何処に向かうのかは……まだ決めてない。
タクティスは眠らないように、必死に頭を働かせた。もし考えることをやめたら、その瞬間に崩れ落ちてしまいそうだった。
アストラルに出回っている回復薬は基本的に魔力しか回復しない。何故なら魔術師は魔法によって自らの体力を回復させることができるからだ。タクティスが僅かに体力を取り戻したのは、ローレンスの部屋に置いてあったものがそういう効力を持った高級品だったからでしかない。しかも体力が少し回復するというだけで、体に受けた傷が癒えるわけではないだ。
折角回復した体力も、受けた傷のせいですぐに無くなっていく。時々回復薬を飲んで誤魔化してはいるものの、痛みが精神力を削り、疲れが思考力を奪い去るのは時間の問題だ。第一、タクティスの肉体は限界をすでに超えてしまっている。
「…………」
すっかり口数が減ったタクティスは、血の臭いに誘われたモンスターの姿に顔を顰める。幸いこの辺りのモンスターは火を怖がるので、地面に『緋星王剣』を叩きつけて爆発を起こすだけで追い払えた。しかしこの方法は悪手だ。
『緋星王剣』は火炎系と爆発系の魔具を組み込んだ剣で、緋色の刀身で付けた傷口に火傷を付与し、爆発を起こす効果をもたらす。その威力は確かに強力なのだが、爆発の振動、衝撃は僅かながら持ち主にも返ってくるのだ。故に体力が少ない者が使うと自滅する恐れがある。
今のタクティスは港町まで歩く事しか頭になく、己の体の状態を考えることができなくなっていた。戦いの中で一番の支えとなっていた怒りもすでに消えてしまっている。
そうして次にモンスターを追い払った時、タクティスは力尽きて倒れてしまった。
(……あれ……なんで俺、倒れてんだ? あれ、くそ……力が)
体に力が入らない。立ち上がろうとしても体が言うことを聞いてくれない。タクティスの思考力は完全に無くなってしまっている。今の自分がどうなっているのかも理解できず、何度も立ち上がろうとしては失敗していた。
そんなタクティスに、再びモンスターの姿が忍び寄る。それは虎のようなモンスターで、その口から生えている鋭い牙ならば人間一人くらい平気で喰らうことができそうだ。
タクティスは気付かない。その瀕死の体はすでに何も感じられず、何も見えなくなっていた。
だからタクティスは気付かない。
虎のようなモンスターがタクティスに牙を突き刺そうとした瞬間、紫電の光がモンスターの体を丸焦げにしたことも。よく見知った少女がその後ろにいたことも、タクティスは気付かずに意識を失った。
***************
ティナは息を小刻みに続けながら、倒れているタクティスに駆け寄った。すっかり弱りきったタクティスはなんとか呼吸はしているが、今にも死にそうである。
何があったのかは街の門前で倒れていたローレンス達から聞いていた。そして話を聞き終えた後、彼らには怒りの雷を叩き落した。それは決して比喩ではない。
「タクティス! タクティス!」
ティナは蒼い瞳に涙を溜めながら、必死にタクティスを起こそうと体を揺さぶる。しかしいつもの朝のように、タクティスが不満そうな顔をして目を覚ますことはない。
ティナは悔しくなった。
ティナはグレイ達の囮作戦に引っ掛かり、検討違いの場所に誘導されてしまった。そして不意打ちで賢者達を麻痺させることに成功したものの、賢者達を縛り上げ、グレイ達から事情を聞くことに無駄な時間を消費してしまった。
その結果、タクティスが一人で苦しんでいた時に助けることができなかった。そして間に合わなかった。タクティスを辛い目に遭わせてしまった。
ティナは唇を震わせ、愚鈍で間抜けな自分自身を憎んだ。
「私……全然守れてないじゃない! 『何が大賢者に最も近い学徒』よ! 私、この力を全然役立てられてない! 助けたい人が傷付いている時に、何もできなかった……!」
悔しすぎて涙が出てくる。先程から必死に回復魔法を掛けているのに、タクティスの体が癒えることはない。むしろ少しずつ氷のように冷たくなっていく。まるで、命の炎が尽きてしまうかのように。
どうして自分はこんなにも無力なのだろう。どうして大切な人を助けることができないのだろう。どうして、どうして、どうして――!
ティナの手からタクティスの温もりが全く伝わってこない。ティナは延々と回復魔法を掛け続けるが、その努力は全く報われない。蒼い瞳に絶望が浮かんだ。ティナの頬に一滴の涙が伝わり、タクティスの右腕に落ちていく。
その瞬間……タクティスの腕に刻まれた文字の羅列が淡く光った。
――君の願いは何?
「っ!?」
ティナはタクティスの右腕に――『白の本』に目を向けた。
ローレンスやゼニスから『白の本』の力はすでに聞いている。『白の本』は願いを叶える魔導書だと。
所有者であるタクティスが瀕死だからだろうか、それともティナの想いが届いたのか、それは分からない。だが『白の本』は間違いなくティナに語りかけたのだ。そして、願いを尋ねた。
咄嗟にティナはタクティスの右腕を掴んで叫んだ。心の底から己の願いをぶちまける。
「助けて! タクティスを……私の大切な人を助けてください! お願いします! お願い……タクティスを、こんな所で失いたくないの!」
それは真っ直ぐな程に純粋な願い。タクティスと同様に心の底にある願いを望む、穢れの無い真っ白な意思。彼女の心に『白の本』は応えた。何故ならそれこそが『白の本』が望み、叶えたいと思う願いなのだから。
ティナの脳裏に真っ白な世界で孤独に佇む少女の後ろ姿が過ぎる。そして彼女は少しだけ振り返って、微笑みながらこう言ったのだ。
『その願い――聞き届けた』
その声を聞いた瞬間、ティナの中から大量の魔力が失われていく。そしてタクティスの右腕に刻まれた文字が眩く輝き出し、その光がタクティスの体を優しく包み込んでいく。
『白聖光』。それはティナが『白の本』に与えられ、発動させた魔法。『白の本』の捕食対象に当てはまらない世界で唯一の回復魔法だ。
この魔法は状態異常、部位欠損、病気、精神異常……タクティスを傷付けるもの全てを退け、体力と魔力と精神力を完全回復させる絶対無比の聖なる光である。故にこの魔法は『白の本』の所有者であるタクティスと術者である自分のみしか効かない。
かなり限定的な力であるが、今この状況においてはなによりも絶大な効果を発揮した。
「う……ん……」
「タクティス!」
タクティスの体に温もりが戻り、その閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げたのだ。




