記憶の断片、大切な約束
タクティスは白い世界に佇んでいた。前にも来た事がある、全てが白いだけの何も無い世界。ただ一つだけ前と違うのは、目の前に少女の後姿が立っているということだろう。
その少女も全てが真っ白だった。肌はきちんと色を持っているのだが、腰まで伸びた髪や身に纏うワンピースは周りの風景と同じ白だ。半ば周囲と同化していると言ってもいいだろう。
タクティスは不思議とその少女が『白の本』の意思であると理解していた。
「今度は俺の前に現れたな。でもなんで後姿?」
「まぁ、私は顔がないからね。仕方ない処置だよ」
「ふーん。それにしてもお前って女だったのか」
「前にも言ったけど、私は所有者によって変わるんだ。声も見た目も性格も……全部ね。だからこの姿も仮初さ」
淡々とした口調で『白の本』はタクティスに言葉を返し、そして前に歩き出した。タクティスはなんとなくその後ろをついていく。
何処まで歩いても全てが白く染まった景色のままだ。黙っていると退屈であり、心細くもあったのでタクティスは積極的に『白の本』に話しかけた。幸いにも『白の本』はそれらにきちんと応対してくれる。
「お前は一体何なんだ? なんで親父達がお前をあんなに警戒してたんだよ?」
「私は私だよ。それ以下でもそれ以上でもない存在さ。……ああ、そういえば私の呼び方は決めてくれたのかな?」
「シロ」
「……安直だね」
「嫌か?」
「嫌じゃない。どんな名前でも所有者が決めた名前だ。嫌だなんて感じるもんか」
それは恐らく本心から言っているのだろう。しかし一度も振り返って話してくれない為、タクティスは何処か冷たい印象を持ってしまう。その淡々とした口調からは感情の色が一切感じられない。
少しだけ寂しい気持ちになって、タクティスはふと尋ねてしまった。
「お前は、シロは何で俺の中に宿った……俺を所有者にしたんだ?」
「君は真っ白だったから」
動かし続けていた足を止めて、シロは何かを思い耽るように上を見上げた。彼女が何を考えているのか、その後姿だけでは分からない。タクティスは黙って言葉の続きを待つ。
「君は願いに頼らないようにしていた。だけど、心の中では誰よりも純粋な願いを求めていたんだ。目的も意図も持ち合わせていない……ただ愚直なまでに自由を求める、邪な意思に縛られない真っ白な願いをね。そして君なら決して歩みを止めないと思った。何処に向かうか分からないけど、だけど君なら最後まで歩き続けられる。そんな君を見届けたいと思った」
「……悪い。お前が何を言いたいのかよく分かんねえ」
「つまり、私は君にマスターになって貰いたかったんだよ」
「本当に俺で良かったのか?」
「君が良かったんだ」
相変わらず振り向いてくれないのだが、その声には今までには無い暖かさが含まれていたように感じられる。タクティスにはシロの表情が見えないのだが、それでもシロが微笑んでいるような気がした。そして自然と唇が綻ぶ。
シロが再び歩き出したので、タクティスも同様に歩き出す。果たしてこの先に何があるのだろうか。タクティスは疑問に思ったが、それを口にする前に今度はシロの方から話しかけてきた。
「君は真実を知る覚悟はあるかい?」
「? どういう意味だ?」
「さっきの答えだよ。どうして『大賢者』やその相棒が……“竜王戦争の経験者達”が私を警戒するのか。その理由さ」
「――――!」
シロがそこまで話し終えると、世界に歪みが生じた。白かった地面は肌色の砂漠に変わり、空は淀んだ赤に染まっている。そして周りの風景にはたくさんの人が現れ始めた。
そしてその人の群れの中に良く見知った姿をタクティスは見つける。
「あれは、親父?」
「そう。これは今から約二十年前に起こった竜王戦争の記録映像だ」
「記録? これはお前の記憶なのか?」
「その認識で間違ってはいないよ。そして……あれが世界を滅ぼしかけた人類の敵、『邪竜』だ」
今よりもずっと若いローレンス達が睥睨する先、そしてシロが指差した先には巨大な生物が佇んでいた。全身が黒い鱗に包まれ、悪魔を彷彿させる三対二翼の羽を持ち、天に向かって伸びた双角を生やした巨大な化け物。それは学院で習った竜の絵図よりも遥かに強大で、そして禍々しい存在だった。
だがなによりもタクティスが驚いたのは、その竜の胸のあたりに人が埋まっているのだ。大切そうに、一冊の真っ黒な本を抱えた状態で。
「白き願いも、邪な意思によっていつかは黒き欲望に変わってしまう」
シロはまるで他人事のように呟いた。まるで興味がないと言わんばかりの冷たい一言。
タクティスがその言葉に気を引かれている間も、映像の戦況は目まぐるしく変わっていく。
『グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
「――術式兵装!」
邪竜が闇のような黒い息吹を吐き出し戦士達を飲み込もうとする。だが突如人の群れから現れたゼニスが拳の先から暴風を放出し、これを相殺させた。黒い力の奔流が風の渦に呑み込まれて散っていく。
だがそれで終わりではなく、邪竜は息吹を吐き終えた直後に尻尾を鞭のように振るって近くの人々を吹っ飛ばした。触れただけで人々の体は千切れ飛び、赤い鮮血が霧のように舞っていく。
その様子を見て今まで武器を構えていた人々は恐怖にあまりに体が硬直し、逃げ出す者も現れる。それを制したのは今まで詠唱に時間を割いていたローレンスの魔法だった。
「てめえら! 簡単に諦めんじゃねぇよ! 俺達はこれくらいで負けるわけにはいかねぇんだ……『星塵』!」
「おお! 星が、降って来る!?」
ローレンスの固有魔法によって禍々しい赤い空を切り裂き、白く輝く流星が大量に降り注ぐ。それらは全て邪竜に向かい、鋼のような鱗を砕き、その下の筋肉を削ぎ落とした。羽にも無数の穴が空いてボロボロになっている。
ローレンスは間髪入れずに邪竜に近付き、手に持っていた『緋星王剣』で何度も邪竜の体を切り裂いていく。そんな彼の勢いに引っ張られて、逃げ腰だった他の人々も武器を構えて次々と邪竜に駆け寄った。
タクティスはその光景を見て息を呑んだ。自分がどれだけ手加減されていたのかよく分かる。見ただけで勝ち目がないと思わせるような化け物に少しずつだが手傷を負わせていくのだ。
化け物は化け物にしか倒せない。タクティスはふとそんな言葉が浮かんだ。
「あれはローレンスの『オリジナル』だね。古代魔法にも似たような魔法はあるけれど、それよりも威力が格段に上だ。だけど一番凄いのはあれだけの魔力を消費してまだ余裕を見せていることだね。正直人間かどうか疑わしいよ」
「あれが……世界の英雄の力か」
シロは呆れるように溜息を吐き、タクティスはローレンスの勇姿に瞠目した。
「ま、この活躍のおかげで魔法学院が作られるわけだよね。だけど、果たして彼のような化け物が育てられるものなのかな?」
シロのそんな言葉を最後に映像は途切れ、辺りの景色は真っ白に染められていく。
何故だろうか。シロは今までどおりの淡々とした口調であるにも関わらず、何処か怒っているような気がした。彼女の背中から不機嫌そうなオーラを感じてタクティスは恐る恐る声を掛ける。
「なぁ、結局この後はどうなったんだ」
「邪竜はローレンスに倒され、召喚者は殺された。そしてこの戦争の当事者達は召喚者が持っていた魔導書を禁書として世に出すことを禁じ、皆でこの戦争の詳細を封印することにしたんだ」
「……やっぱり」
「そうさ。あの黒い本が私で、邪竜を呼び出した元凶。人は願いを叶えられる手段を知ると、それに頼らずにはいられない。そして欲望に取り付かれ、自分の望みの為に周囲を傷つけ、破壊し……邪竜を呼び出す。どれだけ気をつけていても無駄さ。人は必ず同じことを繰り返す」
だから竜王戦争を経験した者達は『白の本』の所有者が現れることを恐れた。再び世界に滅びの危機が訪れないように、所有者の存在を認めるわけにはいかなかった。何故なら人は同じことを繰り返すから。過ぎ去った痛みを忘れ、新たな痛みを生み出し続ける。
だからこそ彼らは『白の本』の存在を隠し、竜王戦争を引き起こしたのがそれを所持していた人間だという事実を封印したのだ。『白の本』の存在を知らなければ、誰もそれに手を出そうとは考えないから。
しかしタクティスが『白の本』の所有者となった以上、世界は常に滅びの危機に晒されることになる。
「でも、だったらどうしてお前は所有者なんて選んだんだ」
「どうして? 道具が使い主を選ぶ事が何かおかしいかな? 世界を滅ぼそうが救おうが、それは全て使い手の責任だよ。だから私は人間達の事情なんか知らない。ただ魔導書としての使命を果たすだけ」
「……魔導書ってことは、やっぱりお前も誰かに作られたんだよな」
「私は自分の生まれる前のことは何も知らない。私のことを知りたいのなら、私が発掘された場所に足を運べばいい」
シロはまるでそれを望んでいるかのようにタクティスに道を示した。
竜王戦争が起こった場所に行くことが、『白の本』の秘密を探ることなのだと。
タクティスは迷わずその提案を受け入れた。
「分かったよ」
当然だ。断る理由がない。
『白の本』の所有者になったことで色々と大変な目に遭ったのは事実だ。だがタクティス自身はそのことについて怒るつもりはないし、結果的には国を出るという目的も果たせたのだから悪いことばかりだとも思っていない。だが、自分の中に宿る物の正体を詳しく知らないというのは酷く気持ち悪い。タクティスも人だ。人はいつか同じことを繰り返す。自分が戦争の発端になるなどご免被りたいのだ。
だからこそ、タクティスは調べなければならない。『白の本』は誰が何の為に作り出したのか。その真実を知らなければならない。そして可能ならば、己の内から『白の本』を取り出したいと思うのだ。
「ありがとう」
それは一体何を思っての感謝なのか、タクティスには分からない。だけどシロは最後にタクティスの方を振り返って微笑みながらそう言ったのだ。
何が顔が無いだ。嘘つきめ。きちんと普通の女の子じゃないか。そう悪態を吐きながらタクティスは眠るように目を閉じる。
目を閉じると、体を優しく包み込むような暖かさを感じた。懐かしい声が、自分を呼んでいる。
そこでタクティスはゆっくりと目を開けた。
「タクティス!」
現実に帰ってきたタクティスにティナは涙を流しながら抱きついた。タクティスは一瞬戸惑ったがティナの体が震えていることに気付き、苦笑しながら優しく抱き返した。
***************
ティナは泣き止むまでの間、ずっとタクティスにしがみ付いたまま離れなかった。そうしなければタクティスが何処か手の届かない所へ去ってしまうと分かっていたからだ。
ティナは知っている。タクティスはその気になればどんなことだって可能にするということを。
実際、タクティスはこうして賢者どころか『大賢者』さえも乗り越えて、都市アストラルから脱出してしまった。恐らく、今更ティナがどう言ったところでタクティスがこのまま国を去る決断を変えることは無い。だがそれでもティナはタクティスと離れたくはなかった。
「タクティスは……このまま何処かに行っちゃうの?」
「ああ」
「どうしても? 考え直す気は無いの?」
「無いな。俺はもう決めたんだ」
ティナは唇を噛んで俯いた。タクティスの気持ちは分かっている。そうした方がタクティスにとって良いことも理解している。
しかし、頭では理解していても心では納得できないのだ。
「何でよ。タクティスは私のことが嫌いなの? そんなに私と離れたいの? 私達、友達じゃなかったの!?」
「馬鹿言うな。お前のことを嫌いになるなんて間違ってもねぇよ。他の連中は知らないけど」
タクティスはティナの頭を優しく撫でながら、諭すように言った。
「俺はあの国じゃ立派な犯罪者だ。それは俺が『白の本』の所有者である限り変わらない。どうやったら『白の本』が俺から離れていくのかも分からない。だから俺は『白の本』の秘密を知るまではあの国には戻らないと決めたんだ」
「分からないよ! そんなの、分からない! 私がタクティスを守ってあげるから! ずっとずっと守ってあげるから! だから行かないでよ! 私を一人にしないでよぉ……!」
「……ごめん」
必死にしがみ付いてくるティナをタクティスは無理矢理引き剥がした。その行為にティナは信じられないとばかりに目を見開いた。
ずっと一緒にいてくれるものだと思っていた。自分だけは受け入れてくれると信じていた。それが今、裏切られたのだ。
「……どうして? どうして私を頼ってくれないの? そりゃ、私はタクティスほど器用じゃないし、頭も良くないかもしれないけど……だけど、私だってタクティスの力になりたいの! タクティスが国に戻るつもりが無いんだったら、私もタクティスに付いていくから!」
「馬鹿野郎!」
タクティスの怒鳴り声にティナは体を硬直させ、何も言えなくなった。そんなティナの体をタクティスはしっかりと抱きしめて言葉を続ける。
「俺を守ったら、お前まで犯罪者になっちまうだろうが。……悪者は俺一人で十分なんだよ。俺のせいで、お前に迷惑なんて掛けたくないんだ」
「だけど……私はタクティスのことなら迷惑だなんて思わないよ。頼ってくれれば、どんなことだってしてあげるよ?」
「お前が良くても俺が嫌なんだよ。それにいつもお前は俺を助けてくれたじゃねぇか。もうそれだけで十分だよ。……それにさ、俺だってたまには女の子の前で格好付けたいんだよ」
「格好付けたいから女の子には頼れない」。そう言ってタクティスは照れくさそうに笑った。ティナはその言葉に呆れてもう何も言わない。
それはただ呆れただけでなく、きっともう何を言ってもタクティスを止める事はできないと実感してしまったから。そして、誰よりも自分のことを大切に思ってくれていると分かったから。だからティナは己の勝手な我儘をこれ以上タクティスに押し付けるのはやめようと思った。
だけど一つだけ今はっきりさせたいことがある。それを聞いておかないとタクティスをこのまま見逃す事は出来ない。
ティナは一度深呼吸をして、それから決死の瞳でタクティスを見上げた。そして不自然なほど震えた声でタクティスに尋ねる。
「タ……タクティスは……私のこと……好き?」
その質問にタクティスは面食らったような顔をして、ティナの目を真っ直ぐに見つめ返した。ティナは恥ずかしさで顔を紅潮させ、それでもタクティスから目を逸らさない。
そんなティナの頭を撫でながらタクティスは微笑んだ。
「ああ。お前のことは大好きだ……一番の友達だからな」
「……一言……余計だよ」
「え?」
後半に雑音が入ったせいで折角の嬉しい返答が台無しにされた。ティナは不機嫌そうに頬を膨らます。しかし、タクティスの言葉に自分の望んでいたものが含まれていたのは確かだ。
だからティナも照れくさそうに微笑んで、タクティスの耳元に囁いた。
「私も、タクティスのことが大好き」
果たしてどういう意味で受け取ったのかは分からないが、タクティスは嬉しそうに笑った。それを見てティナは思う。相思相愛とまではいかなくても、少なからずこの鈍感な幼馴染みも自分のことを想ってくれている筈だと。
だからティナはタクティスの道に立ちはだかることは絶対にしない。
「戻ってくるのが遅かったら、こっちから迎えに行ってやるんだからね!」
「安心しろ。俺は絶対に戻ってくる。……約束だ」
「うん……約束だよ」
こうして二人は月だけが照らす夜空の下で、互いに再開の約束を交わしたのだった。
脱走編終了。




