それぞれの意思、理解されない思い
(くっそ……親父の奴、絶対許さねぇ!)
全身の痛みによって目を覚ましたタクティスは、己の現状を見てローレンスを恨んだ。
現在タクティスがいる場所は壁が石で出来ている立方体のような小さな小部屋だ。窓が無い為今が昼なのか夜なのか全く分からない。自分がどれくらい眠っていたのかも分からないので、もしかしたら一日か二日くらいは過ぎている可能性もある。
一応正面には厳しい鉄の扉が見えるのだが、タクティスは両手首に手枷を嵌められているのでここから出られないでいる。手枷に付いてある鎖の先は石の壁に打ち込んであり、力を込めても壊れる気配はない。
もしも魔力があったなら、身体を強化してこんな鎖など容易に壊す事ができただろう。もしも魔法が使えたなら、この部屋の脱出さえ簡単だったに違いない。しかし、タクティスにはその手段がない。その為の、力が無い。
「はぁ……無いものねだりしても意味無いって分かってるのに」
頭では理解している。しかし、心では納得など出来る筈が無い。自分が何かしたのならともかく、何もしていないのに突然拘束されるなど受け入れられるわけが無い。
思わず腕に力が入り、鎖がギシギシと音を鳴らした。
同時に、正面の扉が軋むような音を漏らしながら、ゆっくりと開かれていく。タクティスは部屋に入って来た人物に射殺さんばかりの鋭い視線を送った。
「よう! なんだ、意外に大丈夫そうじゃねーか」
「ハッ! 息子をぶっ飛ばしておいて言う言葉がそれか? 最低だな、昔から知ってるけど!」
「あれは悪いと思ってるよ。でも、ま、いいじゃねぇか。お前の中にいる奴がお前を守ってくれたわけだし」
「……」
ローレンスは笑みを顔に貼り付けたままタクティスを見つめた。まるで「本当は分かってるんだろう?」と問いたげな漆黒の瞳が、真っ直ぐタクティスに注がれていく。
そう。確かに気付いてはいた。タクティスは魔法こそ使えないものの、魔法学院に一年以上通っていたことで魔法の知識は人並み以上に詳しいのだ。
身体強化の力は侮れない。全く戦い方を知らない者でも、魔力で体を強化させれば達人並の戦闘力を得る事が出来る。しかもその身体の強化具合は魔力量や魔力の質によって変わる。恐らくティナや賢者達がそれを行えば、簡単に人外の力を手にすることが出来るだろう。
それがもしも世界最強とされている『大賢者』の身体強化なら、その力は計り知れない。本来ならばタクティスの体などあの一撃で跡形もなく粉砕されていてもおかしくはなかった。そうならなかったのは、いつの間にかタクティスに宿っていた力が魔力を喰らってローレンスの攻撃を弱体化させていたからだ。そしてタクティスの命を守った魔力を喰らう力こそが、きっと『白の本』なのだろう。
ローレンスは恐らく、あの時点でタクティスの中に『白の本』が宿っていることを把握していたのだ。絶対に死なないことが分かっていたから、ローレンスは容赦なく拳を放ったのだ。
「……だからって、なんの話もせずにいきなりぶっ飛ばす奴がいるかよ……!」
「ここにいるだろう?」
「てめぇ……絶対ぶっ殺す!」
タクティスは無意識でローレンスに殴りかかろうとした。両腕の鎖が引っ張られ、ぎしりと甲高い音が鳴り響く。しかし鎖が千切れることはなく、むしろ手枷が擦れてタクティスの手首の方から血が垂れていた。
「おいおい、無理に引き千切ろうとすんのは止めておけ。今のお前は回復魔法さえ無効化しちまうんだから、自分の体は大切にしろよ」
「だったらこの手枷を外しやがれ! 糞親父! なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだよ!?」
「お前が危険人物だからだ。『白の本』を所有しているお前を、野放しにするわけにはいかない」
「……俺の中に『白の本』が宿ってるから、俺が危険? 何だそれ。意味が分からねぇ!」
タクティスは怒りのままにローレンスに吼える。
ゼニスに渡した魔導書が、今は自分の体に宿っているという話を信じたとして。
それだけで何故自分が危険人物扱いされなければならないのか、タクティスには理解できなかった。何故いつも自分だけが、周りから疎まれなければならないのだろう。
タクティスは腸が煮え繰り返りそうになっていた。全身の血が沸騰しつつある。頭が熱い。タクティスの荒い呼吸に合わせて、鎖がぎしりと引っ張られた。
「お前は『白の本』の力を知らないのか? お前の中にあるそれはな、どんな願いでも叶えちまう夢のような魔導書なんだよ。だがそれは所有者だけに当てはまる話で、それ以外の者にとっちゃ悪夢のような代物だ」
「そんなもん俺には関係ねぇだろうが! 俺は好きで『白の本』を所有してるわけじゃねぇ! てめぇらが勝手にびびってるだけだろうが! 俺はまだ何もしてねぇ! 危険視される覚えはねぇんだよ!」
「そんなことは分かってる! だがな、禁書ってのは持ってるだけで危険なんだよ。お前がどんな人間かなんて関係ねぇ! どんなに優しい奴だって、禁書を持てば立派な破壊兵器として扱われるだけなんだよ! お前の意思も人格も、たとえ何もしないという宣言も! 国を脅かす“かもしれない”という可能性の前には等しく無価値だ!」
「なん……だよっ! ……そんな話……! どうしていつも、俺は否定されるだけなんだよ!」
タクティスの声には怒りの他に、悔しさや悲しみの感情が混じっていた。ローレンスはそれを黙って聞き入れ、タクティスに優しく語り掛ける。
「俺が言ったのはあくまで国の意思と『大賢者』としての考えだ。だが、『父親』としては俺もこの話に納得してねぇ。今、ゼニスが必死にお前の中から『白の本』を取り出す方法を調べている。俺の方でもなんとかしてみる。だから……俺を信じろ」
それだけ言うと、ローレンスはタクティスに背を向け、部屋の外へ出て行った。
だからローレンスは気付かなかった。
タクティスが全てを諦めきったような笑みを浮かべていたことに。
「……何を信じろって言うんだよ……」
***************
「嘘……でしょ?」
ティナは城から戻ってきたゼニスに、タクティスの処遇を聞かされ絶句していた。
国家第一級犯罪者。それは言外に死刑宣告を意味する、国内で最も重い罪を背負ったということだ。国はタクティスに救いの手を差し伸べることもなく、奈落の底に叩き落そうとしている。
ティナの中で怒りのマグマが噴出しそうになった。
ローレンスの言っていたことはこのことだったのかと、ティナは拳に力を込める。
ローレンスがタクティスを気絶させて何処かに連れ去る前に、ローレンスは一通りティナに事情を明かしていた。故に『白の本』という禁書指定になっている古代魔導書がタクティスに宿ってしまった事で、タクティスは国にとって脅威判定されかねない立場にあるらしいことも知ってはいた。
だが、問答無用に死刑判決されるとは思いもしなかった。自分の暮らしてきたこの国はそこまでタクティスを貶めたいのか。行き場の無いティナの怒りが魔力の奔流となって体外から溢れ出ていく。
ゼニスはその圧倒的な力を前に冷や汗を流しながら、現状の報告を続けた。
「とりあえず、タクティスは我々の元に隔離している。勿論他の賢者達には知らせていない。今頃は偽情報に踊らされている筈だ」
「そんなことして学園長は大丈夫なんですか?」
「ああ、向こうはローレンスに任せている。奴が好き勝手に暴れていれば、タクティスを探す暇もないだろう。その間に我々はタクティスから何とか『白の本』を取り出す方法を探さなければならない」
「分かっています。絶対に、タクティスは私が守ります。誰にも渡すつもりはありませんから!」
国が危険視しているのはあくまで『白の本』だ。『無能』であるタクティスはそのおまけにすぎない。ということはタクティスから『白の本』を取り戻すことができれば、タクティスは無事に罪を取り消してもらえる筈だ。
幸いなことに、国はできるだけこの現状を秘匿しておきたいのかタクティスのことを公表するつもりはないらしい。つまり、原因さえ取り除いてしまえばタクティスは再び日常に戻れる筈なのだ。
それは純粋な善意だったに違いない。大切な家族を、大切な幼馴染みを助けたいと思っていたに違いない。
だが、それは同時にタクティスには何もできないと高を括っていたのかもしれない。『無能』がこの状況で何かをするとは考えていなかったのだ。
父親であるローレンスも、学院長として見守ってきたゼニスも、誰よりもタクティスの可能性を信じていたティナでさえもその事実に気付く事は出来なかった。
今、この国で誰が一番不安に駆られ、この理不尽な「現実」を否定していたのか。
この世界で誰が一番、怒っていたのか。
誰も気付いていなかった。
だからその白き閃光が空に立ち昇った時、誰もその意味を理解することはできなかったのだ。
「なっ……! あの方角は!?」
「……こいつは一番不味いかもな。一番持っちゃいけねぇ奴に、一番持っちゃいけない魔法が発現しちまったのかもしれねぇ」
ゼニスの偽の情報を元に駆けつけた賢者達は、予想外に立ちはだかってきた『大賢者』さえも霞むほどの絶大な力を前にして体を震わせていた。
賢者達相手に遊んでいたローレンスまでもが、その光の柱を見て警戒していた。
光を見つめていた中で、ティナはその意味の答えを必死に探った。
何故? この状況で? 何を思って? ティナは幼馴染みの心を必死に汲み取ろうと光の柱を見つめる。しかしそれを拒むように、光の柱はあっさりとその姿を消してしまった。
まるで、それが少年の答えだと言っているかのように。