白の魔導書使い
ローレンスが去っていった後、タクティスはずっと拳に力を込めていた。
――落ち着け。
ふつふつと煮え滾る怒りを必死に抑えて、現状を冷静に捉えようと努めるが上手くいかない。
タクティスは良くも悪くも現実を受け入れることに慣れている。故に、今自分の立場がどのようなものになっているのかも容易に想像がついてしまうのだ。
(――落ち着いて考えれば……親父の言い分も分かる。『白の本』はどんな願いも叶える力があるって言ってたな。どうやらこの国が脅かされてるらしいし、多分この国を滅ぼすくらいは余裕でできるんだろ。確かにそんなもんが他人の手の中にあるなんて事実は許すわけにはいかねぇよな。親父の言うとおり所有者以外にとっては悪夢だ。俺だって親父達の立場なら、似たような決断を出すかもしれねぇ。監禁なんかせずにぶっ殺した方が安全だろう、とかも考える筈だ。親父は何も言わなかったけど、今の俺ってきっと犯罪者扱いされてるんだよな)
それは分かる。事実、それが正しいことだと認めている自分がいる。
だけど、納得はしていない。何故なら自分は何もしてないからだ。何か被害を出したのなら、誰かを傷つけたりしてしまったのなら、自分が悪いと素直に認めることもできた。だけど自分は何もやっていないのだ。
思えば昔からそうだった。
自分は何もやっていないのに『大賢者の息子』だと期待され、魔力が無い事が分かると『無能』だと失望された。ただそこにいるだけで疎まれ、時には攻撃さえもされる日々。
世界はいつだってタクティスを孤独に仕立て上げた。何をしていても、何もしていなくても、世界の認識は変わらない。
――いつだって俺が間違っていて、いつだって周りが正しい。
魔力が無いというだけで、タクティスの存在は否定され続けてきた。
勿論タクティスの本質を理解し、寄り添ってくれる者もいた。しかし彼らには決して分からないだろう。魔力を持たない者の孤独は、弱者としての扱いは、同じ境遇の者にしか分からない。
周りが普通で、自分だけが異常な人間。世界はいつも安定を求めて、いつだって歪んだ自分を排除しようと企んでいる。
だから何だ? この理不尽な「現実」を受け入れろ? 冗談じゃない!
ただ罵られるだけなら構わない。笑われるだけなら気にしない。嘲られても貶されても我慢する事はできる。
だが、流石に心までは譲れない。ただ黙って先に待つ理不尽を受け入れるなんてことはしない。何も悪く無いのに「自分が悪かったです」などと認めてたまるか。
今までタクティスの中に溜め込まれていた感情が、一気に溢れ出した。
――もういい。疲れた。認めてやるよ。悔しいけど、お前が正しかった。
タクティスは自嘲するように唇を吊り上げて、己の内に住まう者に語りかけた。
自分は現実を受け入れているふりをしていたのだと、そう語った。そして我慢することを止めると心の中で宣言した。
「俺の声に応えろ。俺の最初で最後の我儘だ、光栄に思え」
タクティスが我慢を止めて最初に行ったこと。それは自分から“頼る”という行いだった。そしてその意思に呼応するかのように、いつかの夢に出てきた声が頭の中に語りかけてきた。
『君の願いは……何?』
タクティスは頭に響く声を聞いて、一度目を閉じて考える。
決して昇れなかった高み、追い抜かれるだけの道、絶対に手を伸ばすことがなかったもの。心の何処かでずっと思っていた憧れ。そして憎しみ。
少年は力を願った。
「俺は……もう我慢しねぇ。この理不尽な現実に抗えるような、この糞みたいな世界を否定できるような……そんな力が欲しい。俺の道に転がる障害を、全て消し去ることができるような力が!」
声の主は願いに応えた。
その声を聞いて、タクティスは白い空間の中で誰かが微笑んでいる姿を幻視する。
『その願い……確かに聞き届けた』
その瞬間、タクティスの右腕に『白の本』の“中身”が浮かびあがった。意味を成さない記号の羅列が一種の紋章のように右腕全体を侵蝕し、たった一つの『意味』を作り上げる。
それは触れた物全てを消し去る絶対的な光。苦難という物語を白紙にしてしまう力。
魔力を持たないという制約すらも無視するその名前を、タクティスは吼えるように叫んだ。
「『イレイザァァァァァァァァァァ!』」
直後。タクティスを中心とした白色の光が柱のように迸り、部屋そのものを消し去って夜空に高く立ち昇った。
タクティスが『白の本』から手にした唯一の魔法、イレイザー。それは物質であろうが、魔法であろうが、触れた物全てを消滅させてしまう究極の光。例外は術者であるタクティスのみ。
故にタクティス自身は無傷だが、今までタクティスを拘束していた手枷は完全に消失しており、上を見上げれば天井の代わりに夜空が見える。あまりの威力にタクティスは呆れたような声を漏らした。
「見た感じ、性質は極大の光線魔法ってところか。使う場所が限られそうだな」
あくまでもこの国の安全を考えれば、という話だが。
タクティスは自由になったことから気持ち良さそうに背伸びをし、やがて何かを決心したように前を向いた。
「よし……この国を出よう」
それは前から考えていた目的だった。魔法学院を卒業したらいつか金を溜めて、この国を出る。実際はまだ学院を卒業してもいないし、金もそんなに溜めていないが、どうせ早いか遅いかの違いだ。タクティスに迷いは無い。
恐らくタクティスが放ったイレイザーの光を追って、もうすぐ誰かがここに来るだろう。その前にこの場を離れる必要があった。そう思って自分が閉じ込められていた――最早部屋とは呼べないほど消し飛んだ――場所からタクティスは離れることにした。
そして自分が今まで何処にいたのかようやくタクティスは理解する。
「ここって……アストラル学園の裏手!?」
「そうだよ。よく分からないけど、ここにあった倉庫は君が消したと考えていいのかな?」
「ッ!? ……って、クーリス!? どうしてここに?」
いつの間にタクティスの傍に立っていたのか、クーリスは面白そうに微笑んで話しかけてきた。
同時に、タクティスはクーリスの存在に驚きながらも自分が捕らえられていた場所に納得していた。
ゼニスとローレンスはどうやら自分を守ろうとしているようだった。その為、自分の権限が強い学院の中にタクティスを連れて来たのだろう。思えばタクティスを拘束していた鎖は壁に打ち込まれていた。あれは元々そこに備え付けられていたのではなく、後から取り付けられた証明だったのではないか。ただの倉庫を監禁所にする為に。
まあ、結局タクティスはゼニス達を信用できずにこうして脱出したわけだが。
「そりゃあ、こんな夜中にあんな眩しい光が出てきたら調べに来たくもなるさ。なにせ僕は研究者だからね」
「そっか。……あのさ、もしここに誰か来て俺のことを尋ねたら」
「僕は何も見てないし聞いてない。だからタクティス君が何処に行ったかなんて分からない……だろ?」
「流石クーリス、相変わらず察しが良いな」
得意げに片目を瞑って微笑むクーリスに頼もしさを覚えながら、タクティスはここから何処に逃げるのかを一瞬の間に考えた。
(まさか『白の本』を探し回っていた時に考えてたことを実践する羽目になるとか……どんな皮肉だよ)
タクティスは都市を出た後に南へ向かうことを考えていた。この大陸は基本的に南へ向かう程大きな港町があるからだ。これは安全性を考えれば、国だけじゃなくスプリング大陸から離れた方が良いと判断した結果である。
「なんなら僕が囮になってあげようか?」
「はぁ? 止めとけって。下手すりゃ殺されるぞ」
「へぇ……。誰かに追われてるってことは察していたけど、そこまで危険な状況なのかい? ますます面白そうじゃないか。せっかくだしグレイ君も誘おうかな?」
クーリスの発言にタクティスは呆れたような顔になり、肩を竦ませながら溜息を吐いた。
「……お前、頭大丈夫か? それとも研究者ってのは危険と分かってて面白がる馬鹿が多いのか? そこまでする必要はどこにもねぇんだよ。危ない事はやめとけ」
「友達を助ける為だ。なんでもするさ」
「――――!」
タクティスは思わずクーリスの顔を見つめた。そこには面白がる笑みなど何処にもなく、真剣さを訴える紅い瞳が力強くタクティスを見つめ返している。
タクティスは自分の胸の中で、何か熱いものが揺れ動くのを実感した。
そうだ。こんな世界にも自分を認めてくれる人はいる。何故そのことを忘れてたのだろうか。
怒りによって隠されていた大切なことを思い出したタクティスは、友達の好意を素直に受け取る事にした。
「……“頼む”。無理はしないでくれ」
「勿論だとも。僕は君と一緒に話したいことが山ほどあるからね。自分の命は最優先にするよ」
「ああ、俺もお前とはまだまだ話し合いたいことがあるんだ。だから全部終わったら必ず戻ってくる」
二人は固く握手を交わし、それからすぐに別れた。タクティスは迷わず学院の外へと駆け出していく。
タクティスの脳裏には一番長く時間を共にした幼馴染みの姿がちらつくが、クーリスのように別れの挨拶を言う時間などないだろう。それが少し残念に思えて、タクティスは困ったように笑った。
(こんな時でも他人のことを考えてるとか……俺って意外と余裕があるんだな)
本来ならば自分を追ってくるであろう国の魔術師達に気を付けなければならないのだが、気の良い友達と出会ったおかげだろうか。ついさっきまでは国を出ることに躊躇いなど無かったというのに、今では名残惜しいと思えることがたくさん思い浮かんだ。
だが、タクティスが国を出るという意思は決して変わらない。自分の命を危険に晒してまで、この国に留まる価値などないのだから。
ゼニスが『白の本』をどうにかする方法を探していると言われたが、どう考えても今の事態はゼニスにとって想定外の筈だ。でなければ『白の本』を回収した後のゼニスの態度があんなにおかしかったわけがない。きっと『白の本』が所有者の体内に宿るという事態は前例がないか、解決法が未だに見つかっていないのだ。
それなのに今から必死に考えたところで、タクティスから『白の本』を取り出す方法など都合よく見つかる筈が無い。そうなるとやはりローレンスの言葉を信じるわけにはいかない。
人の姿が見えない夜の都市で、タクティスは一人大通りを走る。
しかし大広場が目に見えた時に、タクティスは駆けていた足を止めた。
「……あんたは、賢者だな?」
「貴様こそ……白の魔導書使いで間違いないな?」
大広場の中心に備え付けられた噴水の傍に立つ人物は、タクティスを前にして被っていたフードを取った。その人物はゼニスよりも歳をとっているようで顔にはいくつも深い皺が刻み込まれている。しかし身に纏う純白のローブには火の粉をばら撒く不死鳥の模様が刺繍されており、手に持っている宝石が嵌った長杖は恐らく魔法を強化する類の魔具だ。
老人とはいえ、そこに立っているのは間違いなく国で最高峰の実力を兼ね備えた賢者であった。
「ふむ……どうやら他の者はまだ到着していないようだな。仕方ない、手柄は全て私が頂くとしようか」
「勝手なことベラベラ喋ってんじゃねーぞ糞ジジイ! 邪魔だからそこどけ!」
タクティスは吐き捨てるように叫び、賢者に向かって駆け出した。




