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名無しの手紙  作者: 山本良磨
第1話 リリアーヌ編
7/72

メールが、いない

 円い月が夜空に光る真夜中、メールは動き出した。気づかれないように静かに扉を開けて部屋の中へ入る。抜き足、差し足、忍び足。足に全神経を集中する。

 部屋の中でフーリエは熟睡していた。寝ているのが不思議で仕方ないくらい、大きないびきをかいている。いったいどうやったのか、かけ布団を部屋の隅に吹っ飛ばし、だらしなくお腹を出している。

そんな姉の姿を見て、メールはがっくりとうなだれた。

(お姉ちゃん……。もう十九歳でお年頃なんだから、もっとこう……。まあ、いいや)

 フーリエの枕元に目的のものが置いてあった。手紙や小包がこれでもかというくらい詰まった郵便カバンだ。これこそ彼女が手紙屋であることの象徴と言えるもの。無論フーリエにとっても大切なもののはずだ。

 カバンの肩掛けの部分をそっと持ち、ゆっくりと持ち上げる。物音をたてないよう、どこまでも慎重に。持ち上げた体勢のままくるりと逆を向き、来た道を戻っていった。

「うーん……メールぅ」

 扉まで残り一メートルというところで、あれだけうるさかったフーリエのいびきがピタリと止まった。続いてメールの動きもギクリと固まった。

(お、起きちゃった?)

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。中途半端な姿勢のメールの体へ徐々に疲労がたまり、足がプルプルと震えだしていた。

「パンツ大盛り、お願ぁい……」

(ぱ、パンツ、大盛り……?)

 やがて寝返りをうって、メールに背を向けた。背中をポリポリ搔きながら、またいびきをかき始めた。

(なんだ、寝言か)

 そう気づいたとき、メールの体中から汗がぶわっと噴き出した。

 廊下で床が軋む音に散々ビクビクしながらも、ようやく家を飛び出したとき、メールはずっと張りつめていた緊張を、大きなため息にして吐き出した。

 リリアーヌから一番近いのはル・ベージュ。フーリエは確かにそう言っていた。これからル・ベージュにも手紙を届ける予定だとも言っていた。

 ――メール! あんた手紙屋をなめてんじゃないわよ!

 メールは夜、怒鳴られたことをかなり根にもっていた。確かにフーリエに比べるとメールはとても弱い。でも、だからといってなんにも出来やしない、なんて言い方はあんまりじゃないか。

 この一連の行動も、つまりはそれに対する反抗だった。一人でル・ベージュにたどり着いて手紙を届けてみせたら、フーリエだって少しは考え直してくれるかもしれない。

 しかし、メールも簡単に届けられると思っているわけではない。何よりもまず障害となるのは凶暴な魔物だ。その対策に、メールは家の台所から包丁を持ち出していた。こんなものでは倒すことはできないだろうが、威嚇をすることくらいはできるだろうと考えていた。その隙に切り抜けられたらいい。

 体に不釣り合いな大きいカバンを引っ提げ、片手に包丁を握りしめながら夜の村を闊歩する彼女の姿は、なかなかに狂気的な光景だった。おそらく村の子どもがうっかり見ようものなら失禁くらいしてしまうかもしれない。幸か不幸か、夜なので彼女をとがめる人は誰もいなかった。

 村の出入り口に近づいたとき、メールはハッとして近くの家の陰に隠れた。顔を半分出しながら詰所の様子をうかがう。

 リリアーヌでは村に魔物が侵入しないように、夜間は出入り口を交代制で見張っている。メールが村を出ようとするにあたって、一番の壁となるところであった。

(……あれ?)

 どうにかして突破の糸口を探ろうと目を眇めていたが、ふとメールはある違和感に襲われた。それを確かめるべく、隠れることをやめ、一直線に詰所に近づいていった。

 詰所にたどり着くと、一応しゃがみこんで窓の下に潜りこみ、下から顔をひょこっと出しながらメールは詰所の中を覗き込んだ。

(やっぱり、詰所に誰もいない)

 詰所の外の壁に掛けてある松明は今もパチパチと燃えている。しかし、中はもぬけの殻だった。駐屯兵も村の若い男の人も、誰もいない。

(なんかよくわからないけど、ラッキー!)

 メールは今がチャンスとばかりに門を抜けて村の外へと繰り出していったのだった


 このとき、もしもメールがなぜ詰所に誰もいなかったのかを考えることができていれば、村を飛び出そうとせず、家へ回れ右をしていただろう。しかし、村を出られた達成感と、悪いことをしたときに感じる特有の興奮のせいで、それは叶わなかった。


          *     *     *


 もう真夜中だというのに、名無しはまだ起きていた。客間の壁にもたれかかり、眠ることなくぼうっと部屋の入り口を眺めていた。

 とはいっても、彼も人である以上、睡魔に逆らうことは難しい。頭がゆっくりと舟を漕ぎ、目は開いているが何も見ていない状態になっていた。そうして間もなく意識が落ちていこうとしていた、そのときだった。

 ドタドタと乱暴に床を走る音が部屋中に響き渡る。その音はだんだんと近づいてきて、

「ちょっとあんた!」

 フーリエが客間のふすまを開け放ち、一直線に名無しのもとへ猛然と迫ってきた。肩で荒い息をしている。

 名無しは特に驚くそぶりもせず、黙って銃をフーリエに突きつけた。

「寝込みを襲うなと言ったはずだが?」

「そんなこと、言ってる場合じゃないっての!」

 ひどく興奮した口調で語るフーリエからはただ事ならぬ事態を感じさせた。名無しは銃を構えたままで問う。

「何があった?」

「メールが、いないのよ」

 メール? 名無しが少女の名を口にすると、フーリエがうなずいた。

「あいつの部屋で寝ているんじゃないのか」

「だったらここに来るかっての!」

 もっともな意見が返ってきた。名無しは黙って話の続きを待った。

「あたし、ちょっと目が覚めちゃって。そのとき、ふとメールにあんなこと言っちゃったあとだから、あの子がちゃんと眠れたか心配になって。そっと様子を見に行ったの。そしたら部屋にいなかった。慌てて家中捜したわ。でも台所にも広間にも風呂にもトイレにもいない。そしてここにもいなかった」

「村の中は?」

「まだ捜してないわ。今から捜しにいくところよ」

 じゃあ時間が惜しいから。そう残して客間を出て行こうとしたフーリエに、

「……村の外に出た可能性はないのか」

 名無しはそう告げた。フーリエの動きがピタリと止まる。

「……どういうこと?」

「飯食ったあとに、お前言ってただろ。『あんたじゃ隣町のル・ベージュにすらたどり着けない』とかなんとか」

「それでメールはル・ベージュに向かったってこと? いや、それはさすがに……」

 口では否定しながらも、顔は煮え切らない表情をしていた。可能性がゼロではないと考えているのだろう。

「でも、万が一にもそれが当たりだったら、村の中にいる場合よりも危険よね。もし捜すなら、村の外を優先的に捜すべきかしら」

 名無しは構えていた銃を戻し、腰を上げた。部屋の隅に置いていたコートを羽織る。フーリエが驚いたような表情を浮かべる。

「捜して、くれるの?」

「……一飯の恩だ」

 いい眠気覚ましにもなる、もう一つの理由は名無し自身の中に留めておくことにした。


          *     *     *


 名無したちは家から中心広場までの緩やかな坂を駆け下りた。

「まずは詰所にいる人に確認よ。ル・ベージュへ向かったのなら、間違いなくそこを通らないといけないから」

 必死にフーリエが走るあとを名無しは追う。松明で照らされた詰所の中には昼に出会った駐屯兵がいた。

「おじさん! 夜ここを見張っている間にメールが来なかった?」

「ん、メールちゃん? ……いや、見ていないが」

「そっか、よかった……」

 駐屯兵の言葉にフーリエはほっと胸を撫で下ろす。

「ただ……」

「ただ?」名無しが先を促す。

「実は、ちょっと前に、村の近くまで魔物が出てきていてね……そいつらを追い払うために門の外で戦ってたんだ。だから、ずっとここで門を見張っていたわけじゃないんだ」

「…………」

 名無しの隣でフーリエが言葉を失っていた。フラフラとした足取りで数歩下がった。その顔は青ざめている。

「じゃあ……メールは――」

「――最悪、村の外。しかも近くに魔物がいる」

 名無しがフーリエのあとを継いで答えた。

「待ってくれ、いったい何の話だい?」

 フーリエはとても喋れそうになかったので、名無しが今の状況を手短に告げた。すべて話し終わったあと、駐屯兵の顔は引きつっていた。

「おいおい、それはまずいんじゃ……。とにかく、最悪の状況を考えながら動かないといけないな。村の外を捜しにいかないといけないが……」

「俺が行く」名無しはそう言った。

「そうだな、きっとそのほうがいい。手紙屋なんだ、きっと私よりは強いだろうから」

「私も行くわ」

 フーリエも名乗り出た。

「大丈夫なのかい、フーリエ? 顔が真っ青じゃないか。無理をせずとも村の中を捜せばいいんだぞ?」

 駐屯兵の提案にフーリエは首を横に振る。

「魔物に襲われているかもしれないメールを想像しながら村の中を捜すほうが、もっと無理!」

「そうか……。手紙屋さんの考えが正しければ、おそらくリリアーヌからル・ベージュの間にいるだろう。手紙屋が二人いれば、ひとまずは大丈夫か。私も村の男たちに声をかけて、村の中を捜してみる。それでもし見つからない場合は、すぐに村の外を捜すようにしよう」

「おじさん、ありがとう! 行ってくるわ」

 名無しは懐の銃を取り出した。フーリエは両手で頬をパンパンと叩き気合いを入れていた。

「ったく、無事でいなさいよ、メール!」


          *     *     *


 いったいどれくらいの時間歩いたのだろうか。メールにわかることは、東の空がわずかに白み始めていることから、夜明けが近い、ということだけだった。

 当然だが、村の外は、村の中とは風景がまったく違った。建物なんてひとつもない。視界いっぱいに草原が広がっていた。草はくるぶしの高さのものがほとんどであったが、中にはメールの体を覆いつくしてしまいそうなものまで生えていた。

目の前は茶色の土が露出しており、一本の道となっていた。人や馬車が何度も歩いたため、草が踏まれてなくなってできたのだろう。

 ふと後ろを振り返ると、もうリリアーヌの村は見えない。しかし前を向いて目を凝らしてもル・ベージュは見えない。どうやら目的地はまだまだ先のようだった。

 しかし、メールの体は徐々に疲労で蝕まれ始めていた。足が重い。カバンを掛けている肩が悲鳴を上げている。息を切らし、口から吐く息は冷たい外気で白くなっていた。

(あとどれくらいかかるんだろう)

 ぼんやりとそんなことを考えたときだった。

 ガサリ、と近くの草が動いた。音につられてそちらを向くと、茂みから獣が姿を現すところだった。

 四足で地面に立つその姿は、村のおじさんが飼っている犬にそっくりだった。しかし、目の前で唸り声をあげる魔物は、その愛らしい姿とはまったく違った。全身の毛を逆立て、白い歯をむき出しにしてこちらを威嚇している。飢えているのか、その口からはダラダラとよだれを垂らしていた。

 そのおぞましい姿を見て、メールは反射的に反対の方向へ走り出そうとした。しかし、そちらにも同じ姿をした魔物が待ち構えていた。

 メールはパニックになり、慌てて周囲に目を向ける。しかし、どこを向いても鋭い眼光を放つ小さな体が目に入った。

(囲まれた……!)

 まるで何かの儀式のようにメールを中心として魔物の群れが円状に取り囲んでいた。メールははっとして片手に握っていた包丁を目の前に構えた。東の空からわずかに漏れ出す淡い陽光に反射して、刃が光った。

「こ、怖くなんか――」

 ない、と鼓舞の言葉を言いたかったが、それは叶わなかった。言いきる前に魔物が飛びかかってきたのだ。メールは怖気づき、腰が引けてしまった。包丁を持つ腕に食らいつかれる。

「い、やあ!」

 渾身の力で腕を振り回す。魔物はふわりと後ろへ優雅に着地した。しかし、その口にはしっかりと包丁が加えられていた。

 唯一の対抗手段が奪われて、メールは頭の中が真っ白になった。もうどうにもならない。一番魔物の数が少ない場所めがけて走り出した。魔物は吠えながら背中を向けた獲物へと駆け出す。

 リリアーヌからずっと歩いてきて疲労が溜まっていたメールが、四足の魔物の速さに勝てるわけがなかった。どれだけ逃げてもすぐに横に並ばれてしまう。

 再び魔物が飛びついた。

「や、だあ!」

 魔物が噛みついたワンピースの上を握って力任せに引っ張る。ビリ、と嫌な音を立てて裾が食い破られた。反動で転んで、フーリエの手紙が入ったカバンを落としてしまう。しかし、それに構っている余裕などなかった。ひたすら逃げるメールの目にはじわりと涙が浮かんでいた。

魔物は決して一気に襲いかかってはこなかった。まずは獲物の力が尽きるまで陣形を崩さずに待っているのだ。そして抵抗できなくなったところをじっくりといただく。

 メールは決死の力で走り続けていた。服の裾が食い破られながらも、魔物からただ逃げ続けていた。リリアーヌに戻っているのか、ル・ベージュへ向かっているのか、もしくはどちらからも離れていっているのか、まったくわからなくなっていた。次第に勢いがなくなり、足取りが重くなっていく。

 そしてついにメールの動きは完全に止まってしまった。地面にぺたんと座り込み、肩で荒い息をしている。もう動けない、もう逃げられない。

 魔物たちは再び、獲物を中心として円をつくった。メールと同じくらい走ったというのにまったく疲れている様子などない。徐々にその円を狭め、メールとの距離を縮めていった。

(もうダメだ……。私、どうしてお姉ちゃんの言いつけを守らずに村を飛び出しちゃったんだろう?)

 メールは迫りくる恐怖に震えながら、後悔の念に駆られだした。夜にフーリエから言われた言葉が脳裏をよぎる。

――そんな棒きれみたいな足で行けるって思ってるの?

 初めはただの好奇心だった。それと、さんざんバカにされた姉を見返してやりたいという思いがあった。

 ――あんたが行ったら間違いなく食い殺されるわよ。

 メールの瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれだす。しかし、もう遅い。

(あたし、死んじゃうのかな。食い殺されて、魔物の餌にされちゃうのかなあ。もう村のみんなと会えなくなっちゃう)

「……お姉ちゃん」

 もう口から出す声も、泣いているせいで言葉にすらなっていなかった。

「お父さん……、お母さぁん!」

 メールは頭を抱えて小さくうずくまった。その観念した姿を見るや否や、魔物たちは、一気に獲物へと襲いかかる。

 メールは目を閉じた。最後にまぶたの裏に浮かんだのは、無愛想で口数の少ない、出会ったばかりの手紙屋の姿だった。

「名無し……、さん」

 一秒、十秒。どれだけ過ぎたのだろう。しかし、いつまで待っても魔物が噛みついてこなかった。

 腕で涙をぬぐい、恐る恐る顔を上げると、目の前には無愛想で口数の少ない、メールが名前をつけた青年の後ろ姿があった。

 その左腕には魔物の鋭い牙が深く食い込んでいた。

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