手紙屋を舐めてんじゃない
すっかり夕日は沈み、暗い空には無数の星が瞬いている。夕食はメールがいつにも増して力を入れて作った。
「はあー、食った食った。相変わらずの料理の腕前ね、メール」
「もうお姉ちゃん、ご飯食べたあとにすぐ横になったらだめだよ」
食べ終わったフーリエが広間の畳の上で大の字で寝転がる。名無しは隅で腕を組んで壁にもたれかかっていた。フーリエはもちろん、名無しも料理をたくさん食べてくれたので、メールは嬉しかった。料理人冥利に尽きるというものだ。
食事中に、メールはたくさんの話を聞いた。フーリエの土産話は数少ない楽しみのひとつだった。リリアーヌ以外の村や町の話、出会った人たちの話。リリアーヌから外に出たことがない彼女にとって、それはおとぎ話のように面白かった。
名無しは先立って話をすることはせず、終始不愛想だった。たまにフーリエのちょっかいに反応するくらいだ。
楽しくないのだろうか、とメールは不安になったが、フーリエ曰く、これが普通だという。
「お姉ちゃん、そんな格好で寝たら風邪引くよ」
あー、と生返事をしたが、一向に動く気配がない。そんな姉の女性としてはやや下品な姿を見ながら、メールは目をつむって考えを巡らせた。
(どうしよう。言ってみようかな)
フーリエのそばでに立つ。胸に手をあてた、手を握りしめる。
(大丈夫、きっと大丈夫)
目を開けて意を決した。「お姉ちゃん、話があるの」
フーリエは相変わらず、んーと気の抜けた返事をした。視界の外で名無しが顔を動かさずにこちらを見た気がしたが、メールは気にしなかった。
「私ね、手紙屋になりたいの。お願い、首都のアールザードに連れて――」
「ダメよ」
いって、まで言い切ることができなかった。フーリエは先ほどまでの適当な返事とは打って変わって、はっきりと否定した。今までにない真剣な雰囲気を感じた。メールは身を引き締める。
「私、お父さんとお母さんに会いたい。この村で帰りを待ってるだけじゃダメな気がするの。だから――」
「だからダメだって」
そう言って、フーリエは体を起こし、メールの腕を握りしめてきた。ギリギリと徐々に力をこめてくる。
「い、痛い痛い!」
たまらずメールは悲鳴を上げてしまった。
「ねえ、こんなか細い腕で何ができるっていうの? 知ってるわよね、村の外には危険な魔物がいるって。あんたが行ったら間違いなく食い殺されるわよ」
それと、とフーリエは続けた。腕の力は緩めない。
「ここから隣町のル・ベージュまでどのくらい離れているか知ってるの? そんな細い足で行けるって思ってるの? 断言するけど、今のあなたじゃきっとル・ベージュにすらたどり着けない。道の真ん中で倒れても誰も助けてくれないのよ」
「くう……。つ、強くなるよ。私だって」
痛みを必死にこらえながら、負けじとメールは反論した。
「強く?」フーリエは軽く笑い飛ばし、握りしめているメールの腕を見やった。「私の手からまったく抜け出せずに、ただ悲鳴あげるだけのあんたがどう強くなるっていうの? 百歩譲って私がメールをアールザードに連れていったとしても、手紙屋の試験に合格出来るわけがないわね」
ひっく。張りつめた雰囲気と静かな怒声に、メールは思わず小さくしゃくりあげてしまった。
(ダメだ、ここで泣いたら負けになる)
それでも必死に瞳からこみ上げてくるものをこらえ、フーリエの目を見る。
「だ、大丈夫だよ。なんたって私、お父さんとお母さんの子どもだし。きっとうまくやっていけると思うの。だからね、お姉ちゃんお願い――」
「メール! あんた手紙屋を舐めてんじゃないわよ!」
フーリエの一喝に、とうとうメールの何かが決壊した。瞳から一気に涙があふれ、頬から流れ落ちていった。フーリエは締めつけていたメールの腕をそっと離す。
「お、お母さんとお父さんを探すためだけじゃないよ。手紙屋ってすごくいい仕事だって思うの。村の外に出られない人に、他の人からの思いのこもった手紙を届ける。とっても素敵だな、って思うんだよ。だから、私は手紙屋になりたいんだよ。だから……だからね――」
メールは涙で視界がにじんでしまっていた。フーリエの顔も表情はわからず、ぼんやりと輪郭しか見えない。しかし、そのぼやけたフーリエははっきりと顔を左右に振った。
メールは反射的に名無しの方を見た。もしかしたら名無しなら賛同してくれるかもしれない、そう考えた。最悪、フーリエでなくても、名無しにアールザードへ連れて行ってもらったらいいのだ。
「村の外に出られない人に、他の人からの思いのこもった手紙を届ける、素敵な仕事、か……」
メールが口を開く前に、名無しはつい先ほどメールが言った言葉を繰り返した。
「……もしお前が本当にそう思っているなら、手紙屋にはならない方がいい」
ガツンと頭を思いっきりぶたれたような感覚がした。フーリエから否定されるのはある程度覚悟していた。でも、初対面の名無しに否定されるのは、メールにとって相当な衝撃だった。
涙が止まらない。手で拭っても全然止まらない。
「お、お姉ちゃんの――」
息を大きく吸い込もうとするが、しゃくりあげてしまい、うまく吸い込めなかった。
「――ばかぁ」
それだけを言い残し、メールはくるりと踵を返し、居間を飛び出して、自分の部屋へと走った。
部屋に入るや否や、押し入れから力任せに布団を引きずり出し、乱暴に床に敷く。そして先ほどまでに溜まった怒りを込めて、頭から思いっきり飛び込み、顔を深く埋めた。
「(バカバカバカ! お姉ちゃんのバカ! 分からず屋! 筋肉バカ!)」
口から吐いた愚痴は、布団がバリアとなって、メール以外の誰にも聞こえなかった。
それからしばらくの間、メールは思いつく限りの罵詈雑言を、その場にいないフーリエへ浴びせかけた。しかし、メールがあまり愚痴を吐くことがなく、そちら方面の語彙があまりないため、ほとんどが『バカ』を使った言葉であった。
「お姉ちゃんのばか。……私だって、やれば手紙の一つや二つ、届けられるもん」
少し平静を取り戻し、そう静かにつぶやいたとき、メールの頭に一つの考えが閃いた。
* * *
「バカ呼ばわりされるのはあたしだけかい」
メールが広間からいなくなった直後、フーリエはぼそりと不満を垂れた。
「容赦ないな」名無しは率直な感想を述べる。
「あんたの言葉が決定打になった気がしたけどね」
フーリエは大きくため息をついた。
「正直、心が痛んだわ。でも、残念だけど、あれくらいしないとあの子は諦めないわ。手紙屋の世界は本当に厳しい。少し気を抜いたら、あっさり死んでしまう。メールは手紙屋に向いてない。村で暮らしている方が、あの子にとっても幸せよ」
さて、とつぶやきながら、フーリエは大きく伸びをした。
「あたしももう寝るとするわ。あんたももう用がないなら寝なさい」
自分の部屋に向かっているのであろうフーリエに、名無しは釘を刺した。
「……もう寝込みを襲うなよ」
「それってさ、普通女であるあたしのセリフだと思うんだけど」
「…………」
もう反論するつもりにも慣れなかったので、名無しは部屋に戻る準備をはじめた。
「はいはい、さすがにメールにこれ以上泣かれたら困るから、襲わないわよ」
ひらひらと手を振ってフーリエは広間を出ていった。
そして、その場に一人残された名無しも、間もなく客間へと向かった。




