アルバとアイリ
メールは名無しと一緒に手紙を配って回る。同時に両親の足跡を追う。今まででいくつもの町を回っていたので、手慣れたものだったが、慣れてしまっていることになんともいえない寂しさを感じる。
「だいたいはこんなものだが、あと一通くらい配るか」
夕方。ある家の手紙を配った名無しがそう呟いた。
「じゃあ、これからは宿を探しながら、ですね」
名無しは無言で頷く。
「で、名無しさん。アルバ君はどうするんですか?」
「別に。俺がこれ以上できることは何もない。天国に手紙は届けられない。あいつが風船で届きもしない手紙を送るというなら、それも自由だ。それに対してどうこう言うのは俺の仕事じゃない」
「…………」
ほんと、その言葉、よく本人の面前では抑えてたなあ、とメールは感心する。
「じゃあハルモニアでは、手紙を全部配ったら出発ですか」
名無しは再び無言で頷いた。
* * *
「宛先はアイリ・コレット。送り主はアナスタシア・リーリャ……か」
名無しは本日最後の手紙を見て、必要な情報を確認していた。メールはその姿を横から覗き込みながら、アルバのことも少し考えながら一緒に歩く。
「ここだ」
名無しが足を止めた。メールも合わせて止まる。程よくツタに覆われた塀の先には、花の咲く庭と、石造りの一軒家があった。周囲の家も同じような見た目をしており、これがハルモニアでは普通の家のようだ。
名無しは家の扉を右手で数回叩く。
はぁい、と家の中から元気な声が聞こえて、ほどなく一人の少女が姿を見せた。
彼女を見るなり、メールは、
「あ、あのときの子!」
目の前の女の子は、ハルモニアに入った直後、アルバに話しかけていた女の子だった。
「……?」
女の子は、メールの声に驚きながら、首を傾げる。
「アイリ・コレットだな」
「は、はい」
「手紙屋だ。手紙を届けにきた」
* * *
「あ、返事……。返ってきたんだ」
手紙に目を通したアイリは、驚いたような声を上げた。
一通り読み終えた頃合いを見計らって、メールは声をかけた。
「私たち、実は初対面じゃないんだよ。知ってた?」
「え、本当?」
「やっぱ覚えてないか。今日、アルバ君に声かけてたでしょ? 私すぐ近くで見てたんだ」
そうなんだ。と率直に漏らし、目を伏せる。そのときのアルバとのやりとりを思い出したのだろうか。
「アルバ君のこと、心配?」
アイリはこくんと頷いた。
「お母さんが亡くなっちゃってから、アルバ君、人が変わったみたいに落ち込んじゃって……。お父さんとか、大人の人とかは時間が解決してくれる。アルバ君の生活はある程度サポートするから気にする必要はない、って言ってたけど、やっぱり心配。最近はようやく外に出られるようになってきたんけど、私たちとは話してくれない」
メールはアルバとの一日を思い出す。外に出ている分、回復には向かっているみたいだが、まだ立ち直れているわけではないらしい。
「私、結構前になるんだけど、霊媒師さんに手紙を出したんだ」
「霊媒師?」メールは首をかしげる。
「あ、霊媒師っていうのは、不思議な力をもっている人で、天国にいる死んだ人と意識をつなげることができるんだって。だからその霊媒師を介して、死んだ人とお話しできるんだ」
「天、国、ねえ……」
メールはちらりと名無しを盗み見た。名無しは無表情を貫いていた。とりあえず小馬鹿にするようではないので一安心する。
(まさか、また天国の話が出てくるとは思わなかった……。ホントにあるの?)
「それでね、私、『アルバ君がお母さんとお話できるようにしてくれませんか』って書いて送ったんだ。半年くらいかかっちゃったけど、今のお手紙がその返事なんだ」
「なんて書いてあったの? いいって?」
アイリは柔らかく微笑み、手にしていた手紙を読み上げはじめた。
『アイリ・コレットさんへ 手紙、拝見しました。ご友人のこと、とても残念に思います。わたくしで良ければ、微力ながらご協力したいと思います。しかし霊媒術は、天国のある空に近いラ・クリマでないとできません。申し訳ありませんが、わたくしがハルモニアに行くことはできません。いつでもラ・クリマにいらしてください。あなたの名前を言ってくだされば、わたくしは霊媒術をやらせていただきます。アナスタシア・リーリャ』
手紙を読み終えるとアイリは、ほうっと一息ついた。メールはまず訊ねた。
「ラ・クリマって?」
「えっとね。ハルモニアの東に大きな山脈があるの。その山を途中まで登ったところにある町のことだよ」
アイリは木の枝を使って地面に小さな地図を書いてメールに説明した。顔を上げて辺りの風景を見渡すと、その地図の示す通り確かに巨大な山脈が遠くに見えた。
「わたし、アルバ君をラ・クリマに連れていきたい。天国のお母さんとお話しできれば、アルバ君も少し立ち直れると思うんだ」
「…………」
メールは悩んだ。この計画を応援すべきか、止めるべきか。
そして、
「……うん。これは絶対、アルバ君を連れていかないといけないね!」
メールは彼女の思いを汲み取ることにした。そもそも天国は本当にあるかもしれない。ないときのことは考えないことにした。
「うん!」
アイリは賛同されたことが嬉しかったようで、満面の笑顔で喜んでいた。
「それで、ラ・クリマへはどうやって行くの?」
「えと……」
アイリは押し黙る。どうやらそこまで考えてはいなかったようだ。まだ幼いから仕方ない気もするが。
「名無しさん」
ほらきた、と言わんばかりに名無しはわざとらしくメールから目をそらした。
「アイリちゃん。ちょっとこっち」
「え?」
メールは名無しから少し離れて、アイリを手招きする。アイリはトコトコとついてきた。
「あのね、魔法の言葉を教えてあげる」
「?」
そして、ひそひそ耳打ちする。
「え、それどういう——?」
「いいからいいから。あの人の前で言ってみなって」
「う、うん……」
メールはアイリの背中に手を置き、不安そうな彼女を後押しした。
アイリは名無しにおそるおそる近づき、
「えーっと……。手紙屋さん、お願いです。アルバ君をラ・クリマの霊媒師さんに届けてください。て、手紙として……?」
先ほど教えられた言葉をたどたどしく口にするアイリに対して、
「あーっと、名無しさん! これはアルバ君を届けないといけませんね! 手紙を届けるのが手紙屋の仕事なんですか——ギャー痛い痛い!」
「仕事を増やすな」
演技のようにわざとらしく驚いていたメールの頭を名無しが右手で掴み、渾身の力で締め付けてきた。メールが名無しの腕を叩き、ギブアップの意を示すが、名無しの力は緩まない。
(なんだかんだこういう無茶なお願いも断らないから、名無しさんは信用できるんだよね)
そう考えたのは、名無しから解放されてひりひりする顔をさすっているときだった。
* * *
「アイリが?」
「そう。ラ・クリマの霊媒師さんから返事が来たんだって」
「あいつ、何やって……」
メールと名無しはアルバの家に報告しに行った。アルバは顎に手を当て、考え込んでいる。
「……できるのか?」
「何?」
「本当に、そこ行けば母さんと話せるのか?」
食いついた。
「私も霊媒術って初めて見るから、よく分からない。でもせっかくアイリちゃんが準備したんだし、行ってもいいんじゃないかな?」
「……もしも行かない、って言ったら?」
「お前がその気でなくても、こっちは仕事だ。届けなくちゃならない。気絶させりゃ抵抗はできないだろ」
名無しはそっと銃を取り出す。アルバの生唾を飲む音が聞こえた。
「じ、冗談! 冗談だよ、アルバ君! ほら名無しさん! アイリちゃんはそんなふうにお願いしてないでしょう? ちゃんと連れていかないと!」
「手紙屋の顔が笑ってないんだけど」アルバの顔は引き攣ったままだ。
「名無しさんは笑わないんだよ! 私もこれまでに名無しさんの笑顔を見たことがないし!」
ギャーギャー喚くアルバを必死になだめるメール。そりゃそうだ、名無しは体も大きく、見るからに強そうなのだから、相当の実力があるか、メールのように長い期間一緒にいない限り、普通はビビる。
「冗談は置いといてだ」
あ、やっぱり冗談だったんだ。アルバだけではなく、メールもほっと胸を撫で下ろす。
「仕事である以上、明日の朝、お前をラ・クリマに届ける。山の上は寒いから準備を怠るな」
名無しは立ち上がり、出口へ向かう。宿屋を探すのだろう。メールも立ち上がり、
「じゃあ明日。ラ・クリマに行こうね」
アルバにさよならを告げた。




