第41話 少し早い夏の足音
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五月も終わりに差しかかっていた。
今年は例年以上に暑い。
ニュースでは連日のように猛暑日予想が報じられ、日本各地で真夏日を記録する地域も増え始めていた。
まだ六月にもなっていないというのに、街路樹の葉は強い日差しを受けて青々と輝き、アスファルトからはじわりと熱気が立ち上る。
そして気の早いセミたちは、季節を先取りするように鳴き始めていた。
まだ五月なのに?
そう驚く人も多かった。
そんな暑さに包まれた休日。
都内某所の競艇場。
観客席には多くの人が集まり、レース開始前から熱気に包まれていた。
その中でもひときわ目を引く男がいる。
高身長。
パーマを当てたような栗色の髪。
長い前髪からちらりと覗く色素の薄い瞳。
黒いシャツは上から二つ目までボタンが開いており、首元にはシルバーのネックレスが揺れている。
長い足を組み、座席に腰掛けているだけで妙に絵になる。
何の変哲もない競艇場の観客席。
なのにまるで、彼の周りだけ別世界のようだった。
その競艇場ではちょっとした名物になっている人物。
ターニッシュ海斗である。
「あちー……」
海斗は購入した舟券をパタパタと動かしながら、シャツの中へ風を送り込む。
首筋に流れる汗を指先で拭った。
「日本の四季さぁ」
独り言のように呟く。
「春と秋短すぎなんだよなー」
ついこの前まで桜が咲いていた気がする。
それなのに今はもう真夏寸前の暑さだった。
「海斗さーん!」
後方から元気な声が飛んでくる。
海斗が振り返ると、人混みをかき分けながら一人の青年が駆け寄ってきた。
短くツーブロックに刈り上げられた黒い髪。
人懐っこい笑顔。
そして特徴的な八重歯。
肩までまくり上げたTシャツから覗く腕は程よく日焼けしており、袖口との境目にはうっすらと日焼け跡ができ始めていた。
「おー、トラちゃん」
海斗が軽く手を上げる。
「遅刻寸前じゃん」
トラと呼ばれた青年――新里虎太はニヒッと笑った。
「間に合えばいいんすよ、間に合えば」
「っていうか、待ち合わせ高確率で遅刻してくる海斗さんには言われたくないっすね」
「おーおー言ってくれるねぇ」
海斗が笑いながら虎太の舟券をのぞき込む
「癖の強い掛け方したなぁ」
「恥ずかしいから見ないでください!初心者なんで」
「えーなにその反応。なんか可愛いな」
「男に対してもタラシ……??」
「違う」
即否定。
そんなやり取りをしているうちに、場内アナウンスが流れた。
レース開始の合図だった。
観客席の空気が変わる。
水面に並ぶ六艇。
エンジン音。
独特の緊張感。
スタートラインへ向かうボートたちを見つめながら、海斗は静かに腕を組んだ。
やがてスタート。
白い水しぶきを上げながらボートが加速する。
「よし」
海斗が小さく呟く。
第一ターンマーク。
先頭艇が綺麗に旋回する。
その後ろを追う二艇。
さらに外側から、まくり差しを狙う艇。
観客席から歓声が上がる。
虎太は身を乗り出していた。
「うおおお!」
レースはそのまま終盤へ。
最後の直線。
そして――
ゴール。
電光掲示板に結果が表示される。
それを見た瞬間。
海斗が拳を握った。
「おっしゃー!」
見事的中。
対して虎太は頭を抱えた。
「だぁぁぁーーーっ!!」
「くっそぉぉぉ!!」
大袈裟なほど悔しがる。
「外したぁぁ!!」
「まあ競艇歴の違いだな」
海斗が余裕の表情で言う。
「マウント取られた」
虎太はぷくっと頬を膨らませた。
完全に不貞腐れている。
そんな様子を見て海斗は笑った。
「昼飯奢ってやるから」
「おっしゃ!」
一瞬で復活した。
「ラーメンでお願いします!」
「切り替え早すぎだろ」
「人生ポジティブが一番っす」
先程まで悔しがっていたとは思えない。
虎太は勢いよく立ち上がった。
「予定詰まってるし、出口混む前に早めに出ましょ!」
「あぁ」
海斗も立ち上がる。
「スケジュール管理助かる」
「まあ仕事なんで」
ニヒッと笑う虎太。
そして続けた。
「あとラーメンゆっくり食べたいし」
「自分のためかよ」
思わず海斗も吹き出した。
二人は競艇場を後にした。
向かった先は近くのラーメン屋。
昔から二人が通っている行きつけの店だった。
カウンター席に並んで腰掛ける。
注文を終え、料理を待つ時間。
海斗はスマホを取り出した。
慣れた手付きでスマホを横向きにし、アプリを起動する。
画面に映るのは――
Last Chronicle Online 。
「あ、またそのゲームっすか?」
虎太が横から覗き込む。
「まあねー」
海斗は当然のように答えた。
「今勝った分課金しないと」
「ゲーム課金のための競艇なんすか……」
若干引き気味である。
しかし海斗は気にしない。
「そんなとこだね」
「ダメな大人の見本みたいなこと言ってますよ」
「誉め言葉?」
「あー、違いますね」
海斗は笑った。
「結構長いことやってますよね、そのゲーム」
「おもろいんすか?」
「面白いよ」
海斗は即答した。
「トラちゃんも始めたらいいのに」
「えー、俺MMOあんまやらないんすよね」
「操作覚えるの面倒だし、知らない人と話すのだるいし……」
「銃士ならいくらでも教えるぞ?」
海斗は胸を張る。
「こう見えて一応、銃士トップランカーだからなー」
高い鼻をフンッと鳴らした。
完全にドヤ顔だった。
普通の人がやると腹立たしい。
しかし海斗がやると妙に様になってしまう。
欧州の絵画から抜け出してきたような整った顔立ち。
虎太は悔しさと妬ましさで複雑な気持ちになる。
「ハーフ顔イケメンが銃握ってモテ活っすかー?」
「褒めても何も出ない」
「別に褒めてないっす」
虎太は水を飲む。
カラン。
氷が鳴った。
「そういや」
ふと思い出したように口を開く。
「片思いの子とはどうなったんすか?」
海斗の指が止まる。
「ハルさんでしたっけ?」
「ん?」
「あー……」
虎太は知っている。
ラスクロ五周年イベント。
期間限定カフェ。
その辺の話は全部聞かされていた。
「なんかねー」
海斗は苦笑する。
「思ってたより手強そうだった」
「へぇー」
虎太の顔がニヤニヤし始める。
「こんな国宝級イケメンでも苦戦することあるんすねぇ」
「……あー」
海斗は視線を逸らした。
「昼飯割り勘にしようかな」
「すんません冗談す」
即土下座レベルの謝罪。
その変わり身の早さに海斗は笑った。
「でも手こずってんのは事実かもな」
連絡先交換もした。
通話しながらゲームもした。
距離は近づいている……はず。
それなのに。
五人で出会う以前よりも、なぜか距離がある。
そんな感覚があった。
そこへラーメンが運ばれてくる。
二人は手を合わせた。
「いただきます」
湯気が立ち上る。
虎太が一口すすった。
「「うまー」」
二人同時だった。
クスッと笑いながら虎太が言う。
「そんな海斗さんに朗報っすよ」
「え?」
「ほら」
虎太が店内の掲示板を指差した。
海斗もそちらを見る。
そこには一枚のポスター。
夜空いっぱいに咲く大輪の花火。
「……花火?」
「地域の祭りっぽいっす」
「でも結構デカいらしいですよ」
「屋台も出るし、都内だし」
「行きやすそうじゃないですか?」
海斗はポスターを見つめる。
夜空。
花火。
夏祭り。
「どうです?」
虎太がニヤリと笑う。
「ハルさん誘ってみるのは」
海斗はしばらく考えた。
そして。
「祭りか……」
小さく呟く。
悪くない。
むしろ――かなりいい。
そう思った。
海斗はスマホを取り出す。
掲示板のポスターを撮影した。
「まあ」
口元が少しだけ緩む。
「それもありだな」
ポスターの写真を送るために開いたLIME画面。
表示されたのは――
『ラスクロいつメン』
五人のグループだった。
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