第八十二話 マッチ売りの二人の少女
「カトレア、なぜ貴女がここにいるのかしら?」
「それはこちらのセリフよ、イザベラ。わたくしも寒さに震える民たちを救済しに来たのだけれど……まさか貴女も『マッチ売りの少女』を思いつくなんてね。しかも冬の寒さを表現するのに、赤などという暖色を選ぶなんて三流の極みだわ! 冬の美学とは透明感のある青。わたくしこそが、真の『マッチ売りの少女』よ!」
つぎはぎだらけのブルーの高級ドレスを纏い、極寒の荒れ狂う激流の一瞬を仕立て上げた『氷の彫刻』のような帽子を被ったカトレア様が、高らかに言い放つ。
おまけに路地裏からは、青いケープを羽織った『太鼓持ち軍団』が流れるように現れた。
「ご覧ください! カトレア様の頭上に輝く渦巻く極寒の激流を!」(太鼓持ちB・C・D)
「煤けたドレス姿すら氷河を漂う高貴な白鳥!」(太鼓持ちE・F・G)
「絶望の中でこそ、マッチの青き炎は尊さを増しますの!」(太鼓持ちH・I・J・K)
相変わらず意味不明な賛美。
寒波に震える貧民街において、カトレア様の放つ冷気はもはや公害に近い。
「笑わせないで、カトレア! そのような氷河のような帽子など、見ただけで哀れな平民たちがさらに凍えてしまうわ! 暗い絶望の淵にあるからこそ、希望の炎は、私のパッションと同じ赤く燃え上がってこそなのよ!」
イザベラ様が高らかに言い放つと、負けじと『取り巻き軍団』が、一糸乱れぬ連携でさえずり始める。
「あのような寒色など、マッチ売りの風上にも置けませんわ!」(取り巻きB・C・D)
「雪に映えるお姿こそ、まさに炎の女神ですわ!」(取り巻きE・F・G)
「世界一の薄幸ですの!」(取り巻きH・I・J・K)
悲惨な貧困状況にも関わらず、路地裏は二つの陣営による権力闘争の舞台と化した。
「リリアナ、これはどういう状況なのだ?」
「お二人は、どちらがより薄幸のマッチ売りの少女として優れているかを、自らの自己肯定感をもって証明しようとしているのです」
殿下が眉間を押さえて呟く中、私は淡々と事実を告げた。
「ふふん。口でなら何とでも言えるわ、カトレア! どちらが先に凍える民たちを救えるか、勝負よ!」
「ふっふん。望むところよ、イザベラ! わたくしの青き炎こそが至高の救済だと、証明してあげるわ!」
カトレア様の背後で分厚い防寒コートを着込んだエステナが、「カトレア様、お待ちください。この環境下での長時間の滞在は、あまりに非合理的で……」と制止するのも聞かず、二人は震えている老人の部屋へズカズカと入って行った。
◇
「お言葉ですが、この備え付けの暖炉は、グレース子爵様から買う『専用炭』がないと火が点かない仕組みで……」
老人が止めるのも聞かず、イザベラ様とカトレア様はそれぞれ特注のマッチを手に取る。
「ご心配なく。私の『特製パッション・マッチ』の炎ならば、いかなる暖炉にも希望を灯しますわ」
「わたくしの『特製ロイヤルブルー・マッチ』の青き炎こそが至高の熱量になるわ」
二人は同時にマッチを擦り、暖炉の中に入れる。
赤と青の炎がゆっくりと燃え上がる。
粗悪な専用炭などお構いなしに、高濃度の燃焼剤が燃え上がり、部屋の温度が上昇していく――が、ここで問題が起きた。
極度の乾燥と冷気で凍りついていた室内が、急激に熱気に晒されたことで、部屋全体から異様に軋む音が鳴り始める。
「……この音は、なんだ?」
殿下が周囲を見渡す。
私とエステナ様は互いの顔を見合わせ、同時に謎の現象の正体に気付いた。
「イザベラ様、殿下、すぐに壁から離れてください」
「カトレア様、いけません。その質量の化学発火剤を、この極低温の密閉空間で燃焼させれば、急激な熱膨張による『ヒートショック』現象が起きます」
私とエステナがそれぞれ主君を庇うべく声を上げた時だ。破裂音と共に、部屋の外壁が内側から剥がれ落ちていく。
レンガ造りに見せていたのは、表面に塗装された粗悪なベニヤ板。急激な熱膨張と収縮に耐えきれず、釘ごと弾け飛ぶ。
崩落した壁の奥に広がっていたのは、申請書類にあった高価な断熱材などではなく、何もない空洞。
――一瞬の静寂。
私は懐から小型の記録用カメラを取り出し、シャッターを切る。露呈した手抜き工事の断面を、決定的な証拠としてフィルムに焼き付けていく。
エステナ様もまた、カトレア様の引き起こした崩落現場を書類に書き留めていた。互いに苦労の絶えない事務官同士、見えない連帯感が再び生まれている。
「一体何の騒ぎだ! 私の大切な物件を不当に破壊するとは、ただで済むと思うなよ!」
外からの怒号と共に現れたのは、極上の毛皮のコートに身を包み、大勢の護衛と弁護士を引き連れた恰幅の良い男――渦中のグレース子爵だった。
「器物損壊で直ちに訴えてやる! 貴様ら、賠償金で首を括る準備を……え、王太子殿下!?」
凄まじい剣幕で乗り込んできた子爵だが、殿下の姿を見るや、顔色が一瞬にして青ざめる。
「殿下、これで証拠は揃いました。裁判所の令状など待つ必要はありません。裏で手を回している弁護士団も、この動かぬ証拠の前では無力です。グレース子爵の全資産の差し押さえと、それに伴う慰謝料と事務手数料……そして、私の年末特別ボーナスの上乗せをお願いします」
「ふっ、このような状況下でも、お前のがめつさは相変わらずか……」
殿下が再びこめかみを押さえる中、私は無表情のまま黒縁眼鏡を中指で押し上げる。
「……お待ちください、殿下! これは何かの間違いです! 施工業者が勝手にやったことで……」
「あなた! 私のお陰で建物の外壁が脆弱性によって自然崩落しましたわ!」
「い、いや、お前たちが規格外のマッチを放り込んだせいだろう……!」
「いいえ。たかだかマッチ一本の熱量に耐えきれずに崩壊する外壁など、欠陥建築以外の何物でもありませんわ!」
イザベラ様が、必死に弁解しようとする子爵の言葉を遮って言い放つ。
「これにより、内部に断熱材が使用されていないという明白な証拠が偶然にも露呈しました。これは重過失ではなく、意図的な手抜き工事。すなわち建築基準法違反、及び王国からの冬季補助金の詐取です」
「現行犯です。これで令状を待つまでもなく、グレース子爵を即刻拘束できます」
殿下は静かに頷きながら、ベニヤ板一枚の奥で寒さに震える住民たちと、丸々と太った子爵を見比べる。
「これは痛ましい事故ではあるが、この事故のおかげで王国を蝕む悪行が暴かれたというものだ。……近衛兵」
「はっ!」
「直ちに悪徳子爵の身柄を押さえろ!」
「ひぃっ!? やめないか! は、離せ……!」
喚く子爵を取り押さえ、殿下の号令に応えて凜々しく声を張り上げたのは、カイル君だった。
カイル君は昇格したのか、部下に子爵の連行を指示し終えると、私の元へ駆け寄ってきた。
「壁が崩落したと聞いて肝を冷やしたよ、リリアナ」
「ご苦労様、カイル君。見ての通り無傷だよ。崩落したのは外壁の強度が足りなかっただけだし」
「無事でよかったよ。それにしても、相変わらずリリアナの行く先は嵐ばかりだね……」
カイル君は苦笑しながらも、その瞳にはどこか頼もしい光が宿っている。
「これくらいで音を上げていては、近衛騎士団長への道は遠いよ。私の業務効率化のためにも、今日の働きでしっかり手柄を立てて、もっと出世しないとね」
「……厳しいな。でも……必ず、君の期待に応えてみせるさ」
カイル君はまっすぐな視線を私に向けた後、引き締まった表情に戻り、部隊へと駆けていく。
私は彼の背中を見送りながら、少しだけ緩みそうになる口元を隠す。
悪党が裁かれると知った住民たちから、ようやく安堵の涙と歓声が広がる。
冬の王都を揺るがす非道な貧困ビジネスは、二人の令嬢による想定外の熱量によって、法的な壁ごと打ち砕かれた。
「さすが、イザベラ様! マッチの炎で壁ごと悪の隠れ蓑を炙り出しましたわ!」(取り巻き軍団)
「カトレア様のお帽子が、隠された真実を呼び込みましたのよ!」(太鼓持ち軍団)
外壁の崩落現場で、赤と青の令嬢たちが誇らしげに胸を張っている。
結果的に彼女たちは、この街に一番の温もりをもたらしたのであった。




