第二十一話 無意識な褒め言葉
「…よし、準備はこんなもんでいいか」
学校が終わってから自宅へと戻った彰人は、それまで身に纏っていた制服から私服へと着替えて現在はリビングの掃除に取り組んでいる真っ最中だった。
そうしているのはひとえにこれからの予定のこと……航生たちがやってきて勉強会を行うからこそであり、絶対に掃除をする必要があるというわけではないのだが一応は女子も訪ねてくるわけなので少しくらいは綺麗にしておいた方がいいだろうと思い、軽く片付けをしていたのだ。
元々そこまで酷く汚れていたというわけでも無いので、パッと掃除機をかければ他人を招いても問題ないくらいには仕上がったと言えるだろう。
「もう少しで来るはずだけど……っと、来たみたいだな」
事前に聞いた通りであれば他の者達は各々の家に戻った後で彰人の家に向かうという手筈のはずだ。
それを頭の中で振り返りながら息を吐き、それまでどのように過ごそうかと考えていればまさにベストとも言えるタイミングで家のインターホンが鳴らされた。
この時間帯でやってくる相手となれば答えは一択。
家に併設されているモニターにてチラリと確認してみればその予想も確信に変わったので、廊下へと出て家の扉に近づいていけば鍵を開く硬質な音と共に出迎えをしてやる。
「おいーっす! お邪魔するぜ!」
「結構早かったな。とりあえず上がれよ」
「おうよ! …やっぱ久しぶりに来たけど、彰人の家も変わらないな。相変わらず広いし居心地が良いって感じだわ」
玄関にて立っていたのは相も変わらずやかましい声量でこちらに挨拶を送ってきた航生。
何気にこいつが一番乗りであったことにも少し驚かされたが、たまにはそんなこともあるだろうと考えてひとまずは友を家に上げておいた。
そうこうしている間に航生もそちらはそちらで彰人の家を見回し感想を口にしていたが、日頃からここで過ごしている身からすればそれほど珍しいものがあるわけでもないだろうと思う。
彰人の家は住宅街にある二階建ての一軒家であり、広さとしてはそれなりのものは確保されているとは思うが特筆するほどのことではない。
日常生活で家が狭いと感じたことは無いので航生の感想も間違ってはいないと思うが…広いと言われれば首を傾げてしまうといったところだ。
「そういえば航生お前、一人で来たんだな。てっきり優奈と一緒になって来るもんだとばかり思ってたが」
「あー……そのことな。実は俺も最初は優奈と合流してから来ようとしてたんだが…色々とあって途中から分かれて来ることになったんだよ」
「分かれて? 何か忘れ物でもしたのかあいつは」
航生をリビングまで案内し終え、一息ついている友の姿を見て不意に引っ掛かったのは今来たのが航生一人であったこと。
いつもの航生ならばどこかで優奈と合流し、それから彰人の家までやってくるものだとばかり思っていたので思い返してみれば彼一人でしかいないというのは少し不思議な点でもあった。
その疑問があったからこそ航生に質問してみたのだが、返ってきた答えとしてはまた意外なものである。
「そういうわけじゃなくてな。…ほら、優奈が今日の勉強会に間宮さんのことを誘ってただろ」
「あぁそうだな。本当に来るのかどうかは正直まだ疑ってるけど」
航生が言うのは数時間前の学校で朱音に対して優奈が取り付けることに成功した約束であり、彼女が彰人の家にやってくるということだった。
素直なところを口にしてしまえば本当に朱音が我が家までやってくるのだろうかと半信半疑な面があることも否定できないのだが、どうやら優奈と航生が別行動になった理由はそこにあるらしい。
「俺たちも来る途中で気づいたことなんだけどさ……多分間宮さんって、彰人の家の場所知らないよな? だから誰かが迎えに行った方が良いんじゃないかって話になって優奈が一緒に行くことになったんだよ」
「………あっ、確かに朱音に教えてなかったな…」
「やっぱりか。だったら気づいて正解だったな」
言われたことで初めて思い至ったが、確かに彰人は朱音に自分の家がある場所を教えることを失念してしまっていた。
彼女を誘うまでの展開が早すぎたことと優奈の高すぎる行動力に呆れていたことも相まってうっかりしてしまっていたが……これは真っ先に彰人が考え付かなければならなかったことだろう。
何せ今までに朱音が彰人の家を訪れたような経験などあるはずもなく、これが初めての来訪となるのだからこちらの住所など知る由もない。むしろ知っていたら怖いくらいだ。
そんな状態にある彼女に何も知らせることなく、勝手な思い込みで普通に来れるだろうなんて考えていた自分の怠慢さには嫌気が差してきそうだった。
「今からでも場所だけ送っておくか……いや、もう間に合わないか」
「多分もう少しで優奈たちも来ると思うぞ。待ち合わせ場所もそう遠くない場所だって言ってたかな。……お、噂をすれば来たんじゃないか?」
「みたいだな。ちょっと行ってくる」
するとそうこうしている間に再び家のインターホンが鳴らされたので、おそらくその先に立っているのは彼女たちだろうと当たりを付けて出迎えに行く。
腰を持ち上げて立ち上がり、先ほどと同様の動きで玄関へと向かい扉を開けばそこには見知った顔が……そして、見慣れない彼女たちが立っている。
「あーやっと着いたよ! 彰人、朱音ちゃんに家の場所を教えてないとか何やってんの!」
「…それに関しては悪かったよ。もう航生も来てるからとりあえず上がってくれ」
「はいはい。それじゃあほら、朱音ちゃんも入って入って!」
「うん……あ、彰人君。学校以外で会うのは初めてだから何だか新鮮な感じだね」
「ん、朱音にも迷惑かけちまったな。このお詫びはしっかり───っ」
「…? 彰人君? どうかしたの?」
──その姿を見た瞬間、本当に一瞬だけ言葉を忘れてしまった。
優奈の背後から顔を覗かせるようにして現れた朱音。考えてみれば当たり前のことだが、彼女はいつも学校で見ているような制服姿ではなく私服姿で佇んでいた。
その服装は上は淡い水色のTシャツに下は白のロングスカートと、言葉にしてみればシンプルな様相だったが朱音が身に纏っていると与えられる印象というのが激変して見えてくる。
どこか可憐でありながら清楚さを保ち、時間的にも眠たげなのは変わっていないのか目元が半開きなところは相変わらずだったが……それすらも朱音の魅力としてさらに昇華されているように思えてくるのだから不思議なものである。
そして手元にはおそらく今日の勉強で使うのであろう荷物が入った鞄を持っており、彰人のいつまで経っても反応しないリアクションに引っ掛かりを覚えたのか朱音が顔を近づけてくるが……そこに対応できるほどの余裕は残っていない。
不意打ち気味に放たれたインパクト溢れる光景に思考停止をしてしまった……端的に言えば見惚れてしまっていたがゆえに、すぐに言葉を返すことが出来なかったのだ。
「…むふふ。やっぱり流石の彰人も朱音ちゃんの私服姿には見とれちゃったか~! まぁそうだよね。ただでさえ可愛い子の私服なんて見せられたらそうなっちゃうよね~」
「…優奈」
「え、そうなの? 私としては出来るだけ楽なものを選んだつもりだったんだけど…」
「朱音ちゃんは素材が良すぎるからね! そりゃあどんな服でも可愛く着こなせるってもんよ! …それで彰人? せっかくお洒落してきた女の子に何か感想はないの?」
この状況を楽しむようにして意味深な笑みを浮かべていた優奈だったが、彼女の言っていることも正しくはある。
向こうが自覚しているかどうかはこの際置いておくとして、朱音は極上とすら言えるだけの容姿を持っているのだからたとえどんなスタイルの服装を着てきたとしても最高の着こなしをしてきたことだろう。
そこに異論はない。彰人自身もそう思ってしまったからだ。
ただあえて言うのであれば……そこから促されるようにして感想を求めてくる優奈のリアクションに腹が立つくらいだ。
「感想って言われてもな……普通に可愛いと思うぞ。色の組み合わせも朱音の雰囲気に合ってて似合ってるし、もちろん素材が良いってのもあると思うけど着こなし方もばっちりしてるし流石って感じだな」
「……おぉ、予想以上にはっきり言ってきたね。もうちょっとこう…言い淀む感じのリアクションをしてくると思ってたんだけど」
「お前の方から促してきたのに何言ってんだ。…確かに照れくさくないって言ったら嘘になるけど、そのせいで相手の良いところを褒めないなんてのはいくら何でも駄目だろ」
「…彰人ってそういうところはしっかりしてるよね」
向こうの方から発破を掛けてきたのに呆れたような表情をしているのには複雑な心境にならざるを得なかったが、それでも彰人の考え方としては自分の羞恥心のせいで女子のいい点を褒めないというのは流石に無し……というか普通にありえないとすら思っている。
これに関しては昔から両親にされてきた教育の賜物でもあるが、彰人の親はどちらかと言えば人との繋がりを大切にする人物だった。
そんな人物を親に持った彰人は物心ついた時から自分に大切な相手が出来た時にはしっかりその人の長所を見つけて褒めてあげることをしてあげなさい、と教えられ続けてきたし、今でもその教えは実践しているつもりだ。
これが正解かどうかは彰人自身にも分かっていないところだが……少なくとも全く褒めないというよりは格段にマシだろう。
「それは普通に良いことだし、全然いいと思うけどさ……とりあえず周りへの被害も考えた方が良いと思うよ? …ほら、朱音ちゃんのこと見てみなよ」
「被害…? 朱音に何があったって……あ」
「……か、可愛いって…そ、そこまで言われるとは思ってなかったな…」
…しかしそこで優奈の方からツッコまれて気が付いたが、半ば無意識の領域で行っていた彰人の褒め殺しは朱音にもばっちり突き刺さっていたらしい。
珍しく顔を赤くしながら手で顔を仰ぎ、恥ずかしがったように顔を背けている彼女の姿がそこにはあった。
「彰人の褒め言葉って良い意味でも悪い意味でも嘘が無いからね。…傍から聞いてる分にも少し気恥ずかしいくらいだったし、直接ぶつけられたらああもなるでしょ」
「……頭には入れておくよ」
自らの意図していない範囲ではあったものの、気が付かない間に威力の高い言葉を放ちまくっていたことによって朱音を照れさせたのは紛れもない彼の言葉だったので反省はしておく。
あまり自分でも意識してやっているところでもないので、抑えることも難しいだろうが……それでも可能な範囲で頭に留めておかなければいずれとんでもない被害を生み出してしまいそうだった。
無意識に相手を照れさせるという意味では彰人も朱音も似た者同士。
ただ、攻撃力という点に着目すれば彰人の方が鋭いかもしれない。
彼、話し相手を褒めようとすれば本心からの言葉を滅茶苦茶ストレートに放ってくるので、誤魔化されようがないとも言う。
…まぁ彰人がそこまでのことを言うのってそれこそ朱音相手くらいにしかありませんけどね。




