安住桜 3-3
チャイムの音に目を覚ます。まだ午前7時を過ぎたばかりだ。
一瞬、それがチャイムの音と気づかずに、ベッドのなかでゆっくり頭が覚醒するのを待っていると再びチャイムが鳴り響いた。鍵を持つ美鈴がチャイムを鳴らすことは考えられない。これほどせわしなくチャイムを鳴らすということは倉田かもしれない。
(また何かあったのか?)
嫌な胸騒ぎがしている。
浅川は慌ててベッドを降りると、パジャマ姿のまま急いで玄関のドアを開けた。
てっきり倉田がいるものと予想していた浅川は目の前に立つ女性の姿に驚いた。紺のブレザーにグレイのスカート。その制服は浅川が勤めていた高校のものだ。
「君は……安住さん」
そこに立っているのは安住早苗の姿だった。意外な人物の訪問に浅川は夢から覚めようとするように右手で目を擦った。
「先生――」
安住早苗は真剣な表情で一歩進み出た。「お願いがあります」
「え……いったいどうしたの?」
「姉を捜してもらえませんか?」
浅川はわけがわからず首を傾げた。だが、早苗の表情から決して浅川をからかっているわけではないのはよくわかる。
「とにかく上がりなさい」
浅川は早苗を招きいれた。
早苗をソファに座らせると、浅川は一度奥の部屋に戻りジーンズとセーターに着替えてから再びリビングに顔を出した。
「よくここがわかったね」
そう言いながら浅川は冷蔵庫から缶コーヒーを2本持ってきてテーブルの上に置いた。何よりも浅川自身、頭を覚醒させるために必要だった。
「北島先生から教えてもらいました」
北島美佐子は今年教師になったばかりの音楽教師だ。女子生徒からはわりと慕われている。
「それで……お姉さんを捜して欲しいっていうのはどういうこと?」
浅川はそう聞いてから缶コーヒーに口をつけた。冷たく苦いコーヒーの味が口のなかいっぱいに広がる。
「三日前から姉と連絡が取れないんです」
訴えるような目で早苗は浅川を見た。
「三日? お姉さんはどこに住んでるの?」
「2年前から北仙台のアパートに住んでます」
「アパートには行ってみたの?」
「はい。私も合鍵はもらってますから。けど、姉はいませんでした」
「どこか友達のところは? 旅行に行ったってことはないの?」
早苗は大きく首を振った。
「思い当たるところはみんな確認しました」
「それで?」
「みんな知らないって……大学を辞めてからはあまり友達とも連絡を取り合っていなかったみたいです。でも、姉が私に黙ってどこか行ってしまうなんて考えられません」
「お姉さんっていくつ?」
「22歳です」
浅川は小さくため息をついた。
「もういい大人じゃないか。まだ連絡が取れなくなって三日でしょ? そんなに心配することはないんじゃないかな?」
「……警察の人にもそう言われました」
「それじゃ警察にはもう届けを出したの?」
「届けを出そうと思って行ったら、『三日くらい連絡取れないからって何かあったとは限らないだろう』って言われたんです。だから頭にきてそのまま帰って来ました。でも、これまで毎日私がメールすると必ず返信してくれていたんです。それなのにどんなにメールを送っても返事は来ないし、電話だって繋がらないんです。きっと何かあったんです。私にはわかるんです」
早苗は視線を落とし、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めた。その真剣な表情に浅川はどう答えればいいか迷った。
「そう……それにしてもどうしてそれを僕のところへ?」
「先生から警察の人に頼んでもらえませんか?」
早苗は再び視線を浅川に向けた。
「なぜ?」
「先生、警察の人と知り合いでしょ? この前、ファミレスで警察の人と話しているところを見ました」
「ああ……」
おそらく倉田と会った時のことを言っているのだろう。「どうして彼が刑事だってわかったの?」
「実は……前にちょっと補導されたことがあって……」
「補導? 君が?」
浅川は少し驚いた。早苗は特別にマジメな生徒ではなかったが、決して非行に走るような生徒ではなかったからだ。
「違います。ちょっと街で知り合った友達がバイクの盗難で捕まって、偶然私もその場にいたからで、私が捕まったわけじゃありませんよ」
早苗は慌てたように弁解した。「その時に警察署であの人のことを見て憶えていたんです」
「そうだったのか」
「先生、お願いです。姉を捜してくれるように警察に頼んでもらえませんか?」
早苗はそう言って頭を下げた。
「困ったな」
確かに女性が行方不明になったと聞くと、最近の連続殺人と関係があるのではないかと考えてしまいがちだが、行方不明者が全て事件に関わっているわけではない。だが、今目の前で頭を下げている早苗を見ていると、知らないと冷たく突き放してしまうのはあまりにもかわいそうに思えてくる。
「わかった。とりあえず話はしておくよ」
浅川は仕方がなく早苗に答えた。
「お願いします」
早苗はもう一度頭を下げた。学校にいるときはこれほどまでに素直な態度を見たことが無い。やはり教師という立場から見る生徒の顔というのはほんの一面に過ぎないのだということを浅川は改めて思った。
「それと僕はもう君の先生ではないから、『先生』と呼ぶ必要は無いよ」
「え……あ……はい」
浅川の言葉に早苗は少し驚いたような顔をした。
「それじゃ少し事情を話してくれるかな?」
浅川は手帳を開くと早苗に訊いた。「お姉さんの名前は?」
「桜です、安住桜」
「今何をしてるの?」
「今は……水商売です。お店は知らないけど、国分町のスナックで働いてるって聞いたことがあります」
「写真はある?」
「はい――」
早苗は学生鞄のなかから写真を一枚取り出して、浅川の前に置いた。どこか部屋のなかで早苗と二人で撮ったものらしい。ピンクのキャミソールに白いカーディガンを着た女性が早苗の隣でVサインをしている。
面長で目元がはっきりとして美人といっても過言ではないだろう。顔立ちがどこか藤枝美月に似ている印象を受ける。
「君と同じくらいの体格かな」
「姉のほうが少し小さいかも……」
「何センチかな?」
「157センチです」
門脇妙子や藤枝美月とほとんど同じくらいだろうか。
「体重も必要ですか?」
「いや……血液型を教えてくれる?」
「AB型です」
門脇妙子、藤枝美月も同じ血液型だった。これは偶然だろうか。
これまで被害者の二人の共通点をなかなか見出すことが出来なかった。唯一の共通点といえば『丸山修』の知人であるということと、これは未確定だが門脇妙子が作っていたホームページで二人が争っていたかもしれないというこの2点だけだ。だが、もし安住桜が3人目の被害者ということになれば、その共通点から外れるかもしれない。むしろ、身体的な特徴こそが3人の最も大きな共通点といえる。
「君がお姉さんに最後に会ったのはいつ?」
「3週間前です。日曜日に買い物に行って夕方に別れました」
「最近、何か変った様子はなかった?」
「いえ……ただ2ヶ月前にカレと別れて……かなり落ち込んでました。もともと家を出たのもカレと一緒になるためだったから」
「その彼氏って君は知ってるの?」
「何回か会ったことありますよ。香田隆文って人で、仙台市内の劇団で役者やってる人です。面白い人だったけど、結局、姉を利用してただけみたい」
早苗は汚いものでも思い出すかのような言い方をした。
「さっきお姉さんと連絡が取れなくなって三日経つって言ってたね」
「ええ、普段は携帯のメールで連絡取り合ってるんです。三日前に仕事が終わってすぐにメールくれたのが最後。その後はメールしても電話してみても、ぜんぜん出てくれなくって……」
「お姉さんの住所教えてくれるかな?」
「これです」
早苗はすでに準備してたらしくポケットから一枚の紙片を取り出した。そこには北仙台のアパート名と住所、そして電話番号が書き込まれていた。
「うん、わかった」
「それと、こっちがお姉さんの部屋にあったアドレス帳です」
早苗はピンクの表紙の可愛らしい手帳を差し出した。中を少し覗いてみると、女性特有の小さな字でまるで日記帳のようにびっしりと書き込まれている。
「警察のほうには僕から連絡してみる」
「お願いします」
早苗は改めて頭を下げた。
「ところで君は門脇妙子って人は知ってる?」
「いいえ」
「それじゃ藤枝美月は?」
「いいえ、知りません。誰なんですか?」
「うん……君のお姉さんと同じように行方不明になってる人がいてね。ちょっと聞いてみたんだ」
浅川は曖昧に答えた。まだ安住桜が他の二つの事件と関わっているとは決まったわけではない。余計なことを言って心配させないほうがいいだろう。
「先生――」
「ん?」
「どうして突然学校を辞めたんですか?」
「……さあ……自分でもよくわからないんだ」
突然の早苗の問いかけに浅川は答えられなかった。「どうしてそんなこと訊くの?」
「どうしてって……あんなふうに急に辞められれば驚くに決まってるでしょう」
「そう。すまなかったね」
「……謝られても困りますけど」
早苗はそっと目をふせた。




