ポーセリン学園
白馬が森を裂くように駆け抜ける。
赤い乗馬服の裾が翻り、黒髪が風を切る。
枝の先端が頬をかすめ、一筋の赤がにじむ。
「待て…っ!止まれ…っ!」
手綱を引く。だが、まったく効かない。
(おかしい…制御できない!)
呼吸が荒くなり、鼓動が速くなる。
パッと視界が開け、巨大な屋敷の門が現れた、その瞬間――
―――ぐんっ!
馬の前足が突っ張り、身体が宙に浮いた。
「うわっ!!」
空と地面がひっくり返る。
頭に衝撃。激痛が走る。
「…っ、う……」
指先一つ動かせない。
世界が白く弾けて、音が遠ざかっていく。
(…まずい…)
意識が霧に包まれていく―――そのとき、
「……コールポート……」
誰かが名前を呼んだ。
霧が裂けた。
覗き込んでいたのは、見知らぬ少年だった。
光を撒く金髪。雪のように白い肌に、整った顔立ち。白地に金糸で花綱を刺繍した服。
逆光の中で、白と金が眩しいほど輝いていた。
(誰だ?…王子様か…?)
「コールポート!大丈夫か?聞こえるか?」
「……お前、誰?」
少年の表情が、一瞬、揺らいだ。
「僕はコールドン……君の昔の友人だ」
「え?」
頭の中にあるはずの何かが、掴み取れない。
「悪い……思い出せない」
「……大丈夫。すぐに、ニューホール先生が来る」
「ニューホール先生……?」
「コールポート!」
別の声が聞こえた。
振り向くと、眼鏡の青年がしゃがみ込んでいた。コールドンがそっと耳打ちすると、落ち着いた目つきで、手際よく頭部を確認する。
「ヒビは入っていないようです。安静にすれば問題ないでしょう」
コールドンから安堵の息が漏れた。
「……ここは、どこだ?」
「学園の入り口です。君は入学許可証を持っているはずですよ」
「え……?」
起き上がり、内ポケットを探る。
『入学許可証―――ポーセリン学園』
「なんだ…これ?」
すると、眼鏡の青年―――ニューホール先生は穏やかに言った。
「ここは、ポーセリン学園……役目を終えた名窯の精霊たちが集い、人々の記憶に戻るために、日々学んでいます」
「名窯…の…精霊?」
先生は静かに頷いた。
「私たちは皆、陶磁器工場を見守ってきた精霊です」
記憶の欠片に映る、煉瓦と土と炎―――俺も、そうだった―――
「君は、コールポートという有名な窯にいた精霊ですよ。我々は、名前を与えられていないので、便宜上、ここでは窯の名前で呼び合っています」
「僕と君は昔から、そうしてたんだ」
コールドンが少し寂しそうに笑った。
「そっか……」
「では、コールドン、彼を案内してあげなさい」
「はい、先生。……コールポート、行くよ」
コールドンが俺の手を掴んで引っ張り起こした。
「この学園には、出身地で振り分けられた四つの寮がある。僕と君はイングランド出身だから、同じイングリッシュ・ローズ寮だよ」
門をくぐると、左手に白亜の荘厳な館があり、中庭を挟んで重厚な煉瓦造りの建物が立っていた。その屋根にはワインボトルの上半分のような奇妙な煙突が突き出ていた。
「僕らの寮はここ。左が生活棟、右が教室棟だよ」
芝生の前庭を抜け、左の館に入る。長い廊下には、名札がかかった小部屋のドアが続いていた。
(ダヴェンポート……H&Rダニエル……)
「彼らも精霊?」
「ああ」
「精霊って、たくさんいるのか?」
「いた、と言った方が正しいね。……この国には何千という陶磁器の会社があったけど、時代の流れで廃業して、今はもう僅かしか残っていないんだ。精霊たちも、皆が皆、ここに来れるわけじゃない」
「え、じゃあ…」
「完全に忘れられたら、存在すらできない」
コールドンの声から憤りが消えた。
「僕らはまだ、人の記憶に残っている側なんだ」
背筋に冷たいものが走った。
*
「ここが僕たちの部屋だよ。下級生は相部屋だ」
コールドンは自分のネームプレートの隣に「コールポート」と書かれた札を掛けた。
ドアを開けると、レースのカーテン越しに木立が見えた。ゆったりとした寝室は、きちんと整理整頓され、左右に大きめのベッド、真ん中にテーブルと椅子が数客、壁際にクローゼットと本棚が置かれていた。
「左のベッドを使って。一通り、必要なものは何でも揃ってるけど、足りないものがあったら僕に言って」
「ああ。ありがとう」
「じゃあ…まずは、その泥のついた乗馬服からかな?」
「俺、服なんて持って来てないけど」
「ふふ、クローゼットの中を見てみなよ」
クローゼットをそっと開くと、ハンガーに掛けられた服がきっちりと並んでいた。どの服も不思議と見覚えがある。
「え、これって…俺の?」
「魔法のクローゼットだからね。目の前の精霊が持つ記憶に反応して、服を用意してくれるんだ」
「すげーな」
紺地に金の縁取りやブドウの蔦模様が施された服を手に取ると、 服のタグには「バットウィング」と記されていた。
「これ…バットウィングって書いてあるけど」
「君の作品のひとつに、そう呼ばれるものがあってね。白地に紺の、こうもりの羽のようなデザインで大流行したんだよ」
「そっか…だから見覚えがあったんだ」
服に袖を通すと、誂えたように体に合った。
(……そんなに人気だったのに、今は、影も形もないなんて……)
「あのさ、さっきの話だけど…陶磁器会社が減ったのって、何が理由?」
コールドンの表情が曇った。
「安くて手軽な食器が選ばれるから。外では使い捨てがほとんどで、家でも手間をかけなくなった。お客さんを招いてパーティーをすることも減ったしね」
「じゃあ……もう俺たちは必要とされていないんじゃないか?」
「そんなことはない!」
コールドンの声が鋭く跳ねた。
「君は、そんな大切な事も忘れてしまったのか?」
「えっ…」
コールドンは、戸惑う俺の手を掴み、部屋を出た。
*
「おい!どこに行くんだよ?」
「図書室。君に見せたいものがある」
細身の体からは想像できない力で引っ張られ、つまずきそうになる。
(……なんで、そんなに怒ってるんだ……)
「わかった。わかったから…離せよ!」
コールドンは止まって振り返り、無言で繋いだ手を離した。
図書室の扉を開くと、部屋の中央に置かれた巨大なガラスケースに、隙間なく陶磁器が並べられていた。
数千点はあるだろうか。
金、白、紺、緑、ピンク。あらゆる色が目に飛び込み、まるで宝石箱の中に放り込まれたようだ。
「ここにある所蔵品のひとつひとつが、職人たちが考え抜いて、高度な技術で作ったものだ。ここに、君の作品もあるよ」
自分の名前が記されたコーナーの前に立った。
息を呑むほど美しい作品たち―――金彩や花々で彩られたカップや花瓶、絵皿の数々が、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いていた。
胸の奥がじわっと熱くなる。
気が付くと涙が一粒、頬を伝っていた。
「もう僕達のことを覚えている人は少ない。けれど、ここで学んだ知識を活かして、人々に知ってもらって、必ずいつか復活させたいんだ」
「……また…人々の暮らしに寄り添っていけたら、いいだろうな…」
俺は涙を拭った。
「希望がないわけじゃない。今も大切にしてくれている人だっている。だから、もっと多くの人に必要とされる日が、きっと来る。」
「…俺も、ここで頑張りたい」
「うん。それでこそ、君だ」
コールドンは柔らかく笑った。
俺たちは、しばらく無言でガラスケースの前に佇んでいた。
こちらに向かって整然と並ぶ作品たちが、何かを語りかけるように光を弾いていた。
「僕はね、君が学園に来るのをずっと待っていたんだ」
コールドンがぽつりと言った。
「え?……なんで?」
「僕らは一緒に同じ窯を見守っていた頃もあったんだよ」
「ええ??」
「うちが君のところを買収したから」
「は!?」
「コールポートの名前はブランドとして残して、ともに頑張ってきたんだ。でも、それぞれ他社に買収されて、やがて僕らの名前は消されてしまった。それで、僕はここに来た。 ……なのに、君はいなかった 」
一瞬の沈黙。
「それは、君の窯のハンティングシーンって言うシリーズが、ついこの間までウェッジウッドで売られていたからなんだ」
ショーケースに飾られた一枚の皿を指さす。
狐狩りの絵皿――さっきの森の疾走が、脳裏にフラッシュバックする。
「これが俺の最後の……」
「でも、動物愛護団体からのクレームで、君の最後のピースも生産中止になってしまった。 それで君はここに来たんだよ」
「嘘だろ?!そんな終わり方……嫌だ」
コールドンは目を伏せて、ぽつりと言った。
「そうだよね」
そして――顔を上げた。
「僕らはまた振り出しに戻って、競争相手だ。よろしく、コールポート」
「よろしく、コールドン」
コールドンがニコっと笑った。
「よし、それじゃ、みんなの所に行こうか!」
ここまでお読みいただきありがとうございます。この小説は、実在した窯の歴史を基に創作したフィクションです。バットウィングもハンティングシーンも実在します。小説に登場する陶磁器は可能な限り挿絵で紹介していきたいと思います。ちなみに、表紙のコールポートが手に持っているのがバットウィングです。コールドンが着ている服の模様も、私の所蔵品のお皿に描かれていた模様をベースにしています。




