10 どこか、行かない?
「アンデのシャツ、ちょーだい」
アンデにそう言うと、彼はすごく変な顔をした。
「おれ一人で寝るのめっちゃ嫌いじゃん?
でもアンデの匂いがしたら寝れる気がする」
「……気のせいだろ」
「いや、寝れる気がする!
おねがいおねがい」
アンデに後ろから抱きついて請うと、アンデは呆れたようにため息をついた。
「あー……分かった、持ってきてやる」
「やったあ」
「やったじゃない、まったく……」
「一日着たやつを置いていってよ。ぎゅってして寝るから」
「汚いだろ」
「アンデの匂いが、落ち着くの」
「俺の香水いるか」
「んー、アンデの体臭がイイ」
まったく、とアンデはまたため息をつく。
でも、なんだかんだ結局おれの望みをいつも叶えてくれる。
「パンツでもいーよ」
「やめろ、変態か」
「あははは!冗談だって」
いや、冗談ってわけでもなく、なんなら本当にパンツでもいい。
ガチで言ったら引かれそうだけど、アンデならひょっとそれさえも許容してくれそうな気もしている。
ツアーに向けて、ちょっとずつ生活改善に取り組もうと頑張っているのだ。
朝までスタジオにいないとか、ちゃんと帰宅して眠るとか、缶詰でもいいからごはんを食べるとか。
前よりもちょっとだけ体が軽い気はしている。
それに、男漁りが激減した。
アンデと出会った頃は、しょっちゅう男漁りに行っていた。
アパートに帰って眠る虚無感に耐えられなかったから。
でも今は、アンデの匂いが微かに残るシーツに顔を埋めていると、前ほど虚無感がない気がしている。
どうしても人肌恋しくてつらいときだけは、まだ行ってしまうけど。
アンデには、ちょっと悪いと思っている。
まだ付き合っているわけではないけど、アンデはまっすぐ向き合ってくれている気がする。
でも、なかなか会えなくて。
ずっといてくれるなら、他の男は必要ないのに。
キスをするのは、アンデだけと決めている。
言い訳でしかないけれど、自分のけじめのつもり。
アンデがもし、愛を告げてくれるなら――そのときは、アンデにだけ向き合おうと思っている。
✶⋆∘༓∘⋆✶
「アンデ、最近どうした?」
同僚ヘイゼに聞かれた。
「なんかさ、前より明るくなったよな」
「そうか……?」
「これはあれか?彼女でもできたとか?」
「いや、そうじゃない」
「おまえ、本当のところ言ってみろよ、実はいるんだろ?」
「……違う」
ライブハウス外でヴァイラと一緒にいるのがバレたのかと一瞬思ったが、相手が女性だと思われているので、それはなさそうで一安心した。
「ミルジェなんかさ、最近彼女できたらしいぞ。ヴァイラ・ツェーリのライブで出会った子らしい。俺もそっちから紹介してもらおうかな……おまえもライブ通ってんなら声かけてみろよ」
ミルジェの話は初耳である。とはいえ他人の恋愛事情については興味もない。幸せにやってくれればいいだけだ。
ただ、自分はここでヴァイラのことを“相手がいる”と表明できないことが、少しだけ引っかかる。
ヴァイラも他にも男がいるとしても、会うごとに親しみが強くなるのも事実。
遊びと思うにはもはや無理があるほど、ヴァイラの距離感は近くなってきている。
本当は少しだけ、ヴァイラに好意を告げられることを、恐れている自覚がある。
もし好きと言われたら、きっと受け入れるだろう。
だが、誰にも明かせない状況で受け入れるのは、逆に無責任だ。
今のアンデは、ヴァイラに何も約束してやれない。
かといって、軍に所属している以上、何か手立てを講じることはできない。
ヴァイラに頼られたときだけ、と割り切ったはずなのに。
もっとヴァイラに関わりたい思いと、これ以上の深入りに躊躇する思いがアンデのなかでせめぎ合う。
それならせめて、ヴァイラの頼みに精一杯応えてやりたい――
それがますますヴァイラへの踏み込みに拍車をかけることに、アンデは気が付かない。
✶⋆∘༓∘⋆✶
仕事を終えて外出許可をもらい、アンデはヴァイラのいるスタジオへと車を走らせた。
少し前からヴァイラの希望を受けて、非番でない日もちょっとだけ顔を合わせるようになっていた。
スタジオのスタッフとは顔見知りになり、アンデが現れるとヴァイラを呼んでくれる。
「今日の夜食だ」
「わぁお。ありがとう」
ヴァイラへの差し入れである。
作り置きの料理を容器に詰めて、パンを添えれば夜食には十分。
果物の缶詰も一緒に入れておく。
すぐ戻らなければならないし、ヴァイラも作業中なので、長くは話せない。
それでも、顔を見れば安心するし、気持ちは満たされる。
「じゃあ、がんばれよ」
「あ、アンデ」
ヴァイラが呼び止めた。
「はい、今度の初日のチケット」
「おまえ、これ」
「“関係者枠”だから」
ヴァイラが茶目っ気たっぷりのウィンクをする。
ヴァイラにチケット代を渡し、どう頑張っても買いにさえ行けなかったツアー初日のチケットを、少しの間眺めていた。
メインアーティストの側に、小さい文字で、“前座:ヴァイラ・ツェーリ”の名。
「ふふん。
ついにおれもプレイガイド販売のチケットに名前が乗ったぁ。
まー、とはいってもおれはエルメトのファンにとっては早く終わってほしい余計な出し物に過ぎないからねぇ。
一応わきまえてるし、それでもがんばる」
「俺が、観てる」
「うん。だから大丈夫」
互いに見つめて微笑み合う時間が、こんなにも愛しい。
「そういえばさ。
ツアー前なのに、バカンスの時期だから、何日間かスタジオが休み入っちゃうんだよね。アンデはバカンスの予定は?」
「特に、ない」
「もしかしてずっと働くの?」
「飛び飛びで、休みはある。多少日にちの融通もきくし」
「休み合わせて、どこか、行かない?」
ヴァイラの上目遣いに、答える言葉はただ一つ。
「車、出すぞ」
「最高」
「行きたいところは?」
「うん……それがよくわかんない」
「俺も、考えておく」
アンデは受付でメモ用紙をもらうと、自宅の電話番号を書き込んだ。
「ここに、連絡してくれ。
用がないときでもいい。夜勤以外だったら、大体夜はいるから」
「……!」
アンデの電話番号をもらったヴァイラの瞳が、輝きを増す。
「えー……ありがとう。おれめっちゃ電話しちゃうかも」
「出れるときは、出る。
……電話代に気をつけろよ」
「また、もう」
もう戻らなければいけない時間。
ヴァイラを片腕で抱き寄せる動作は、傍目には友人同士のハグ。
夜食の袋と電話番号の紙をしっかり抱えたヴァイラが、ぎゅっと片腕で抱き返してきた。




