第57話 百鬼夜行ダンジョン突入
火曜日の早朝。午前5時半。
京都の西に位置する、山と森に囲まれた封鎖エリア。
早朝特有の冷たい霧が立ち込める中、巨大な赤い鳥居が不気味な魔力光を放ってそびえ立っている。ここが『百鬼夜行ダンジョン』の入り口だ。
東京から新幹線でやってきた俺たち一行は、すでに戦闘態勢を整えている。
だが、張り詰めた緊張感というものは、うちのパーティには皆無だった。
「ワフッ! ワフワフッ!」
「ああっ……! ポチちゃん、なんて可愛いんですか……!」
「尊い……。この愛らしさは、間違いなく国の重要文化財に指定すべきですわ……!」
俺の足元の石畳で、高橋すずとクロエが地面に這いつくばって悶絶していた。
彼女たちの視線の先には、質量操作で小型モードに圧縮されたフェンリル――ポチがいる。
ポチは今、すずや山本ゆき子たちが昨夜の自由時間に、京都の土産物屋でこっそり買ってきた『新撰組のダンダラ羽織』を着せられていた。
鮮やかな浅葱色の生地に、裾にはお馴染みの白い山形の模様。
そして背中には、本来なら『誠』と入るべき場所に、金糸でデカデカと『肉』という見事な刺繍が施されている。
短い手足が羽織の袖からちょこんと出ており、ポチが動くたびに袴の裾がパタパタと小気味よい音を立てて揺れる。
ポチ本人は、新しい服を着せられたのが嬉しいのか、それとも早朝の散歩気分でただテンションが上がっているのか、羽織の袖を翻しながら「服着てぴょんぴょん♪」と、まるでスーパーボールのようにその場で跳ね回っていた。
「ワフゥーッ!」(ぴょーん)
「あああっ! 宙に浮く新撰組……! 可愛さの暴力です! マイ・ロード、鼻血が出そうですわ!」
「クロエさん、ハンカチです! ああ、ポチちゃんこっち向いて! 連写しますから!」
平和だ。これから高難易度ダンジョンに突入するというのに、うちの女子たちは愛犬の撮影会に夢中である。
俺が呆れてため息をつこうとした、その時。
「……随分と呑気なことですね。遠足にでも来たつもりですか」
背後から、冷ややかな咳払いが聞こえた。
振り返ると、純白の探索者スーツに身を包んだ、京都ギルド特務部隊隊長の一条だった。
その後ろには、同じく純白の制服で統一された10名ほどのエリート探索者たちが、一糸乱れぬ隊列を組んで整列している。
「いえいえ、ただの愛犬の散歩ですよ」
俺が適当に答えると、一条はピクリと眉間に皺を寄せ、扇子で口元を隠した。
「ポーター君。その犬がいくら可愛くとも、ダンジョン内では足手まといになります。しっかりとケージに入れて背負っておきなさい。……我々京都の『雅』な戦いに、泥を塗らないでいただきたい」
チクリと刺すような嫌味。
だが、言っていることは正論だ。遊びに来たわけではないのだから。
「ええ、重々承知しています」
俺は素直に頷き、傍らに置いてあった中型犬用の魔導キャリーバッグを開けた。
「ほら、ポチ。中に入れ。しばらく我慢しろよ」
「クゥ〜ン……」
ポチは不満そうに耳を垂れさせたが、渋々といった様子でキャリーバッグの中に潜り込んだ。
俺はジッパーをしっかりと閉め、バッグを背中に背負い直す。五右衛門は腰に括り付けてある。
「……結構。では、行きましょうか」
一条が満足げに頷いた。
午前6時。
一条の合図とともに、俺たちは連なる鳥居をくぐり、百鬼夜行ダンジョンへと足を踏み入れた。
★★★★★★★★★★★
ゲートを抜けた瞬間、空が『永遠の夜』に変わった。
外界の朝の光は完全に遮断され、周囲には鬱蒼とした竹林が広がっている。
足元は苔生した石畳の古い街道になっており、道の両脇には、ぼんやりと青白い光を放つ石灯籠がどこまでも等間隔に続いていた。
空気はねっとりと湿気を帯び、カビと、鉄錆のような血の匂い、そして古い木材の香りが混ざり合ったような独特の瘴気が漂っている。
「東京の皆さん、我々の戦い方をとくとご覧ください」
先頭を歩いていた一条が、立ち止まって扇子をパチンと広げた。
ガサガサッ、と竹林の奥が揺れる。
現れたのは、牛の頭に巨大な蜘蛛の体を持つ『牛鬼』や、両腕が鋭い鎌になっているイタチの妖怪『鎌鼬』。
どれもこれも、日本古来の妖怪の姿をした、不気味で凶悪な魔物たちだ。
「陣形展開。『桔梗之陣』。……放て!」
一条の号令とともに、京都ギルドの探索者たちが一斉に動いた。
彼らは剣や銃などの野蛮な武器は使わない。特殊な和紙で作られた『呪符』を指先に挟み、魔力を込めた『式神』を召喚して戦う、陰陽師スタイルの探索者だった。
宙を舞う呪符から炎の鳥が実体化して牛鬼を包み込み、見えない風の刃が鎌鼬の進行ルートを切り裂く。
彼らの動きは無駄がなく、流麗でスマートな戦い方だ。
だが。
「……あれ? なんかおかしくない?」
ゆき子が首を傾げた。
「ええ。魔力反応の減衰が遅いです。……敵の耐久力が、データにある基準値の3倍以上に跳ね上がっています」
後方でタブレットを見つめる中村瞳が、冷静に分析する。
百鬼夜行ダンジョンの異常発生。
それは単に魔物の数が増えただけではなく、一体一体の『質』が異常に向上していることを意味していた。
一条たちの放つ呪符の炎では、牛鬼の硬い外殻を焼き切るに至っていない。鎌鼬も風の刃を喰らって体液を流しながら、なおも鋭い爪を振りかざして突進してくる。
「チッ……! 押し返せ! 陣形を崩すな!」
一条が焦った声を上げる。
彼らのスマートな陣形が、魔物たちの圧倒的な暴力と異常な生命力の前に、少しずつ、しかし確実に削られ始めていた。
一方、その後方。
最後尾で安全を確保している俺は、前線で繰り広げられる苦戦などどこ吹く風で、足元に転がってくる「戦利品」をマイペースに吟味していた。
「おい五右衛門。あの牛鬼の脚……ズワイガニみたいに身が詰まってそうだな。後で塩茹でにしてみるか」
『了解でヤンス! 旦那、あっちの空に、ネギを背負った鴨の魔物が飛んでるでヤンスよ!』
「よし、撃ち落とせ。今夜は鴨鍋だ」
俺は足元の石畳から手頃な石ころを拾い上げ、指先で弾いた。
シュンッ! という鋭い風切り音とともに、見えない弾丸となった石が、上空を飛んでいた『鴨妖』の眉間を正確に撃ち抜く。
バサッと落ちてきた鴨肉を、腰の五右衛門が音もなく捕食アームを伸ばして回収する。
さらに竹林の奥から、2本の太い足が生えた巨大な大根の魔物『聖護院化け大根』がドスドスと走ってきた。
俺は、前線の一条たちに気づかれないように足をスッと伸ばし、化け大根の足を引っかけた。
ドゴォッ! と派手に転んだ化け大根を、すかさず五右衛門が風呂敷の中に飲み込む。瑞々しくて、おでんにしたら最高だろう。
ジジッ……。
その時、背負っていたキャリーバッグから、内側からジッパーがこじ開けられる微かな音がした。
「ん?」
俺が振り返るより早く、白い毛玉がポーンと飛び出してきた。
いつの間にか自力で脱出したポチが、新撰組の羽織を着たまま、俺の足元の石畳に降り立っていたのだ。
前線の一条たちは魔物の対処に必死で、後方を振り返る余裕は全くない。
「おいポチ、出たら怒られるぞ」
「ワフッ!(退屈!)」
俺の小言など聞く耳持たず、ポチは羽織の袖をパタパタさせながら、俺の周りをぴょんぴょんと跳ね回り始めた。
そして、竹林の根元に鼻を近づけたかと思うと、前足で器用に土を掘り返し、小さな口に立派なキノコを咥えて戻ってきた。
「ワッフン!」
服を着てぴょんぴょん跳ねる毛玉が、ドヤ顔で最高級の『魔力松茸』を献上してくる。
「よしよし、でかしたぞポチ。これで茶碗蒸しが作れるな」
俺はポチの頭を撫で、松茸を回収した。
前線では京都ギルドのエリートたちが汗と泥にまみれながら死闘を繰り広げているが、俺の頭の中はすでに「今日のお昼ご飯と夕飯の献立」でいっぱいだった。
「マスター。あの方々、少々手こずっているようです。私が助太刀して、雷光の如く敵陣を切り裂いてまいりましょうか?」
S級剣士のジークが、剣の柄に手をかけ、ウズウズとした顔で聞いてきた。
「私が行こうか? あの程度、重力魔法で一瞬で潰せるけど」
S級ポーターの山田しずかも、首の骨をポキポキと鳴らしている。
だが、俺は首を横に振った。
「やめとけ。一条さんはプライドが高い。今手を出したら『東京の田舎者に情けをかけられた』って逆恨みされるだけだ」
俺がそう答えた直後。
耳元に装着していた小型通信機から、ノイズ混じりの静かな声が響いた。
ダンジョン入り口付近の安全圏に潜伏し、後方支援を行っている山口純子からの通信だ。
『悠作さん、聞こえますか。純子です』
「ああ、聞こえてるぞ。そっちに異常はないか?」
『はい、異常ありません。……それよりも、前線の方々、随分と手こずっているようですね』
純子の声が、一段と冷たく、そして甘く沈んだ。
『このペースだと、悠作さんの大切なお昼ご飯に食い込んでしまいます。彼らの無能のせいで悠作さんのお腹が空くなんて……万死に値します。私が後方から狙撃して、魔物もろとも全て一掃しましょうか?』
ヤンデレ全開の、極めて物騒な提案だった。
「やめとけ、純子。お前の対物ライフルを使ったら、あいつらごと吹き飛ぶだろ」
『ふふっ、冗談ですよ。悠作さんがそう仰るなら、大人しく待機しています♡』
俺は通信を切り、深く眉をひそめた。
純子の言う通りだ。定時退社と美味い飯。俺の人生の二大原則が脅かされるのは見過ごせない。
前線に視線を戻すと、事態はさらに悪化していた。
一条たちが、巨大な『大百足』の群れに完全に包囲され、防戦一方になっているのだ。
彼らの誇る純白のスーツは泥と魔物の体液で汚れ、先ほどのスマートさは見る影もない。
「くそっ……! なぜこんなに数が多い……! 一旦退くぞ!」
ついに一条が、屈辱に顔を歪めながら撤退の指示を出そうとした、その時だった。
「おっと。退かれると、俺たちの昼飯の時間が遅れるんで困るんですよね」
俺は作業着のポケットに両手を突っ込んだまま、一条たちの横をすり抜け、最前線へと歩み出た。
「なっ……!? ポーター君! 何をしている、死ぬ気か!?」
一条が驚愕の声を上げる。
俺の足元では、キャリーバッグから抜け出した新撰組姿のポチが、俺と同じように短い足でぴょんぴょんと跳ねてついてきている。
目の前には、毒の顎をカチカチと鳴らす十数匹の大百足。
「さて、と」
俺は腰から、いつものホームセンターで買った『愛用の安物ナイフ』を抜いた。
刃渡り15センチほどの、飾り気のない実用本位の刃。
「百足の肉は泥臭くて食えたもんじゃないが、この硬い甲殻は、よく洗って天日で干せば、ひょっとすると強烈な旨味を出す『甲殻出汁』の材料になるかもしれない」
俺は独りごちながら、低く身を沈め、呼吸を整えた。
京都の誇り高きエリートたちが震え上がる、異常発生の魔物の群れ。
だが俺にとっては、ただの「ちょっと硬い食材」の山に過ぎなかった。




