第56話 嫌味な京都ギルド
新幹線のドアが開き、プラットホームに降り立った瞬間、ねっとりとした重い熱気が俺たちの全身に纏わりついた。
時刻は午前10時半を回ったところ。
「……暑い。なんだこの湿気は」
俺は、作業着の襟元をパタパタと仰ぎながら顔をしかめた。
初夏とはいえ、盆地特有の熱が逃げない京都の気候は、東京のそれとは比べ物にならないほど不快指数が高い。
足元のキャリーバッグから出たばかりのポチも、「ハァハァ」と舌を出して暑そうにしている。
「師匠〜、マジ暑いっしょ……。サウナの中にいるみたい……」
山本ゆき子が、持参したハンディファンを顔に当てながらへたり込んでいる。
「私の氷魔法で少し周囲の気温を下げましょうか?」
高橋すずが指先から微かな冷気を漂わせるが、焼け石に水だ。
「お疲れ様です、東京本部の皆様」
そこへ、涼しげな、だがどこか見下すような声が響いた。
振り返ると、パリッとした純白の探索者用スーツに身を包んだ、切れ長の目を持つ男が数人の部下を引き連れて立っていた。
胸元には、京都ギルド所属のS級探索者であることを示す『桔梗』のバッジが輝いている。
「京都ギルド、特務部隊隊長の一条と申します。……おや?」
一条と名乗った男は、俺たち一行――S級剣士のジーク、S級ポーターのしずか、A級のすず、B級のゆき子、そして研究員の瞳とメイドのクロエ――を値踏みするように見回し、最後に、最もみすぼらしい格好をしている俺で視線を止めた。
「東京からの応援というのは、ずいぶんと……大所帯で、しかも華やかですね。それに、そちらのヨレヨレの作業着の方は? まさか、ただの『ポーター』まで連れてくるとは。東京のS級様は、ご自分の荷物も持てないお嬢様方ばかりなのですか?」
一条が、口元を扇子で隠しながらフッと鼻で嗤った。
あからさまな嫌味だ。プライドの高い京都のエリートからすれば、ぽっと出の東京組、しかも大所帯でぞろぞろとやってきたのが気に入らないのだろう。
「……なっ! なんですって!?」
伊藤みのりが柳眉を吊り上げ、一歩前に出ようとした。
屋根の影からは、山口純子のライフルの銃口が一条の眉間をピタリと捉える気配がした。ジークも「マスターを愚弄するか」と剣の柄に手をかけている。
一触即発の空気。
だが、俺はみのりの肩をポンと叩いて制止した。
「一条さんだったか。ええ、お察しの通り、俺はただの荷物持ちの鈴木です。今回は彼女たちの裏方として荷物管理や食事の世話をするために来ました。足手まといにはならないよう、後ろで大人しくしていますので」
「……ほう。まあ、身の程を弁えているなら結構です。我々としても、東京の皆様には『安全な後方』で、せいぜい見学でもしていただこうと思っていましたから」
一条は満足げに頷き、背を向けた。
「宿舎として、ギルド所有の町家を手配しております。明日は朝六時に『百鬼夜行ダンジョン』へ突入します。……ポーター君は、皆さんの足を引っ張らないよう、せいぜい早起きすることですね」
そう言い残し、一条たちは去っていった。
彼らの姿が見えなくなると同時に、仲間たちの不満が爆発した。
「ムカつく! なんなのあいつ! 師匠をポーター呼ばわりとか、眼科行った方がいいっしょ!」
「害虫ですね。……今夜のうちに、彼の社会的地位と関節をいくつか破壊しておきましょうか?」
「純子ちゃん、ダメよ。協会間の問題になるわ」
純子の物騒な提案を、みのりが胃元を押さえながら却下する。
「まあいいさ。俺にとっては好都合だ」
俺はキャリーバッグを持ち上げながら、ニヤリと笑った。
「前線に出なくていい。後方支援だけでいい。……つまり、定時に帰って飯が食える『完全なホワイト労働』の許可を得たってことだからな」
「……悠作様。転んでもただでは起きませんわね。その図太さ、見習いたいですわ」
加藤茜が呆れたように扇子を鳴らした。
★★★★★★★★★★★
京都ギルドが用意した宿舎は、鴨川に近い閑静な路地裏に建つ、歴史を感じさせる立派な京町家だった。
中に入ると、畳のい草の香りと、打ち水がされた中庭の涼やかな空気が迎えてくれた。
「わぁ……! 素敵な和室です!」
「中庭にししおどしがあるでヤンス! 風流でヤンスねぇ」
すずと五右衛門がはしゃいでいる。
明日の早朝から始まる作戦に備え、俺たちはこの町家で英気を養うことになった。
それぞれの部屋割りを決め、荷物を解く。新幹線での移動や京都駅でのやり取りで生じた精神的な疲労もあり、皆しばらくは畳の上で昼寝をしたり、各々のペースで休息を取ったりして昼間の時間を過ごした。
そして、日が落ちて夕闇が迫る頃。
冷房の効いていない古い町家は、夜の帳が下りてきてもやはり蒸し暑かった。
長旅の疲労と、盆地特有のまとわりつくような不快な熱気で、全員の顔にうっすらと疲れの色が見える。
「よし。明日のダンジョン攻略に向けて、まずはこの『暑気』を払うとするか」
俺は町家の広々とした台所に立ち、五右衛門の保冷庫を開いた。
京都といえば湯豆腐や雅な和食が定番だが、今はそんなお上品なものを食べている場合ではない。
この息苦しいほどの湿気と熱気に打ち勝つには、もっと南の、太陽と潮風を感じる力強い料理が必要だ。
「クロエ、アシスタントを頼む。今日は沖縄料理のフルコースだ」
「イエス、マイ・ロード! このクロエ、いかなる調理も完璧に補佐いたしますわ!」
メイド服に割烹着を重ねたクロエが、包丁を手に完璧な姿勢で控える。
俺が五右衛門から取り出したのは、深層で仕留めた『エンシェント・ボア』の極上スペアリブと、分厚い三枚肉。
そして、ダンジョン産のマイルドな苦味を持つ『エメラルド・ゴーヤ』、新鮮な『海ぶどう』、粘り気の強い『田芋』、肉厚な『切り昆布』、そして沖縄から独自ルートで仕入れた大豆の味が濃い『亀山豆腐』だ。
「まずは『ラフテー』の仕込みだ」
三枚肉の表面をフライパンで香ばしく焼き固め、余分な脂を落とす。
それを厚切りにし、鍋に並べる。そこに注ぐのは水ではない。沖縄の強い蒸留酒、『泡盛』だ。
泡盛と黒糖、そして醤油ベースのタレで、肉が箸で切れるほどトロトロになるまで、五右衛門の『内部時間加速・圧力鍋モード』を使って一気に煮込む。
甘く、深く、そしてどこかアルコールのツンとした香りが混じった魅惑的な匂いが、台所に立ち込める。
「マイ・ロード! ゴーヤのワタ取りと、昆布の千切り、完了いたしました!」
「見事な手際だ。次は『ドゥル天』のタネを作れ」
クロエが蒸した田芋をマッシュし、そこに細かく刻んだ豚肉と椎茸、かまぼこを混ぜ合わせて練り上げる。
俺はそれを小判型に丸め、高温の油へ投入した。
ジュワァァァァァッ!!
油の弾ける小気味よい音が響く。外はサクッと、中はねっとりとした『ドゥル天』だ。
隣のコンロでは、『昆布のイリチー』を炒める。
千切りにした昆布と豚肉を、カツオ出汁と醤油で炒め煮にする。昆布の磯の香りと豚の脂が融合し、強烈なご飯泥棒となる。
「メインの肉を焼くぞ」
エンシェント・ボアのスペアリブを、塩と『ピパーチ』だけでシンプルに味付けし、直火の網で豪快に焼き上げる。
滴り落ちた脂が炭火に触れ、モクモクと香ばしい煙が上がる。
『ソーキの塩焼き』だ。スパイシーで野性味溢れる香りが、食欲の中枢を直接殴りつけてくる。
「仕上げだ」
エメラルド・ゴーヤを輪切りにし、中に豚ミンチを詰めて両面をこんがりと焼いた『ゴーヤの肉詰め』。
氷水でキュッと締めて、プチプチ感を極限まで引き出した『海ぶどう』。
そして、大豆の甘みがギュッと詰まった『亀山豆腐』を大振りに切り分け、粗塩だけを振った冷奴。
「飲み物はこれだ」
俺はキンキンに冷やしたジョッキに、沖縄の太陽を思わせる『オリオン生ビール』を注いだ。
さらに、年代物の甕から、熟成された泡盛の古酒を琉球ガラスのロックグラスに注ぐ。芳醇でバニラのような甘い香りが漂う。
「「「いただきます!!」」」
縁側の広い座敷に並べられた南国料理のフルコース。
汗ばんだ仲間たちが、一斉にジョッキをぶつけ合う。
カチンッ!
ゴクゴクゴクッ……ぷはぁぁぁっ!!
「最高っしょ!! 京都の蒸し暑さが一気に吹っ飛んだ!」
ゆき子がジョッキをテーブルにドンッと置き、真っ先に『ソーキの塩焼き』に齧り付いた。
「うまっ! 骨の周りの肉ってなんでこんなに美味いの!? 島胡椒のピリッとした辛さが、豚の脂の甘さを限界まで引き出してる!」
しずかも、ソーキの肉を豪快に骨から引き剥がして食べている。
「……素晴らしいタンパク質の塊ね。筋肉が、この濃密なアミノ酸を歓喜して吸収しているのがわかるわ。ピパーチの刺激で血行も良くなってきた」
純子は、トロトロに煮込まれた『ラフテー』を箸でスッと割り、口に運んだ。
「……んんっ♡ 舌の上で、お肉が雪みたいに溶けました……。黒糖の深いコクと、泡盛の風味が中までしっかり染み込んでいて……悠作さんの愛情を、細胞の隅々まで感じます……!」
ヤンデレな感想だが、味は間違いないらしい。
ジークは『ラフテー』の厚切りブロックを箸で持ち上げ、豪快に噛み付いた。
「……おおっ! このとろけるような柔らかさ! 豚肉の脂と黒糖の奥深いコクが、泡盛の風味で見事に調和している! これぞまさに武の極意、『柔能く剛を制す』を体現した一品! 疲労した筋肉のみならず、武士の魂まで満たされますぞ、マスター!」
相変わらず何でも武術に結びつける男だが、大口を開けて次々と肉を平らげていくその食べっぷりは見事なものだ。
すずは『ゴーヤの肉詰め』を齧り、ハッと目を見開いた。
「苦い……! けど、その直後に中のお肉から溢れる肉汁が、苦味を『旨味』に変えてくれます! この苦味が、胃袋をスッキリさせてくれて、無限に食べられそうです!」
「プチプチ、プチプチ……。海ぶどうの塩気と食感、まるで口の中で小さな海が弾けているようです。データでは測れない、官能的な美味しさです……!」
瞳が海ぶどうを口に運びながら、タブレットに何やら熱心に記録している。
そして、料理アシスタントを務めたクロエは、古酒のグラスを傾け、『亀山豆腐』を少し口に含んだ。
「……驚愕です。このお豆腐、チーズのように大豆の味が濃密ですわ。そこに、この古酒のバニラのような芳醇な香りを合わせると……和食の枠を超え、まるで高級フレンチの前菜をいただいているような錯覚に陥ります。マイ・ロード……貴方の食の引き出しは、まさに底なしですわ」
サクッ、ねっとり。
俺も『ドゥル天』を齧り、よく冷えたオリオンビールで流し込んだ。
揚げたての衣の香ばしさと、田芋と豚肉の旨味が混ざり合ったねっとりとした食感。
そこに、ビールの爽快な炭酸と軽い苦味が流れ込み、口の中を完璧にリセットしてくれる。
初夏の夕暮れを告げる鳥の声が遠くで聞こえる。
中庭のししおどしが「コーン」と心地よい音を響かせる。
京都の風情ある町家で、沖縄料理の豪快な味と酒を楽しむ。
このアンバランスさが、旅の醍醐味であり、残業(出張)の最大の報酬だ。
「っかー! ほんと、あの嫌味な一条とかいう男の顔に、このビールぶっかけてやりたいわ!」
みのりがすっかり出来上がり、ネクタイを緩めながらクダを巻き始めた。
「東京のS級舐めんなっての! 明日、あいつらが魔物に手こずってるところを、うちの連中で瞬殺して度肝抜かしてやるんだから!」
「みのり、俺たちはあくまで後方支援だぞ。前には出ない」
俺がたしなめると、みのりは「わかってるわよ」と口を尖らせた。
「でも、悠作。もしあいつらがピンチになったら……見捨てるわけにはいかないでしょ?」
「……まあ、飯の時間が遅れない程度になら、手を貸してやるさ」
俺はラフテーを一口食べ、古酒を舐めた。
明日から始まる『百鬼夜行ダンジョン』の攻略。
プライドの高い京都ギルドのエリートたちと、厄介な妖の魔物たち。
だが、今の俺たちには、この完璧な沖縄料理で満たされた圧倒的な活力がある。
どんなトラブルが起きようと、俺は荷物持ちの仕事を全うし、そして必ず「定時退社」を勝ち取ってみせる。
縁側に吹く夜風が、ほんの少しだけ涼しく感じられた。
俺は空になったグラスを置き、明日からの騒がしい旅路に思いを馳せ、深くため息をつくのだった。




