第23話 コンビニの守護天使
月曜日の夜。
しずかへのカレー振る舞いから一夜明け、仕事を終えてアパート『ひまわり荘』の前まで戻ってきた俺、鈴木悠作は、深いため息をついた。
精神的な疲れがどっと出ている。
早く部屋に入って、ポチの顔を見て癒やされたい。そして泥のように眠りたい。
だが、俺の安息の地は、またしても占拠されていた。
「あ! 帰ってきた! 師匠〜!」
アパートの階段に座り込んでいた派手な影が、バネのように飛び起きて駆け寄ってくる。
ギャル探索者、山本ゆき子だ。
露出度の高いストリートファッションに、ジャラジャラとしたアクセサリー。
夜の住宅街にはあまりに不釣り合いな極彩色だ。
「……ゆき子か。何してるんだ、こんなところで」
「何してるじゃないっしょ! 待ち伏せだよ、待ち伏せ!」
ゆき子は頬を膨らませ、俺の腕に抱きついた。
「昨日はしずかパイセンに先越されたし、その前はメガネちゃんが張り付いてたし! アタシのターンが全然ないじゃん!」
「ターン制だったのか……」
「そうだよ! だから今日はアタシの番! これから夜のデート行くよ! 拒否権ナシ!」
ゆき子が強引に俺の腕を引く。
その力はB級探索者らしく、万力のように強い。
「おい待て、俺は疲れてるんだ。明日にしてくれ」
「ダメ! 今日のモヤモヤは今日のうちに晴らすの! ほら行くよ!」
「……ポチの飯はどうするんだ」
「あー、それなら大丈夫。さっきすずパイセンが食材持ってきてたから、『師匠はアタシが連れ出すんで、ポチの世話よろしくっす!』って頼んどいた!」
いつの間にそんな連携が取れているんだ。
俺は抵抗を試みたが、ゆき子の熱量に押し切られ、夜の街へと連れ出されることになった。
連れてこられたのは、隣町の繁華街だった。
ネオンサインが煌めき、若者たちが溢れる夜の街。
普段の俺なら絶対に近づかないエリアだ。
「いぇーい! テンション上げてこー!」
「……帰りたい」
「ダメだってば! ほら、まずはあそこ!」
ゆき子に引きずり込まれたのは、爆音が鳴り響くゲームセンターだった。
UFOキャッチャー、格闘ゲーム、レースゲーム。
極彩色と電子音の洪水に、俺はめまいを覚える。
「師匠、これやろ! ダンスゲー!」
彼女が選んだのは、画面の指示に合わせてステップを踏むリズムゲームだ。
ゆき子は上着を脱ぎ捨て、本気モードのタンクトップ姿になった。
コインを投入する。
「見ててよ師匠! アタシのグルーヴ!」
曲が始まる。
アップテンポなユーロビート。
ゆき子の足が動く。
タタッ、タタンッ、ターン!
画面の矢印など見ていないかのように、彼女は自由奔放に、しかし正確にパネルを踏み抜いていく。
その動きは、ゲームというよりは舞踏だった。
長い手足がしなり、カーリーヘアが踊る。
周囲の客たちが足を止め、歓声を上げ始める。
「すごい……」
「プロか?」
「あの動き、探索者の足捌きじゃね?」
ギャラリーが集まってくる。
ゆき子は注目を浴びてさらに輝きを増し、最後は華麗なスピンを決めてフィニッシュした。
画面には『PERFECT』の文字。
「どや! 師匠、どうよ!」
「……ああ。悪くない」
俺は素直に認めた。
彼女の動きには、無駄がない。
一見派手に見えるが、重心は常に安定しており、次の動作への予備動作が極限まで省略されている。
あれが、彼女の言う「リズム」の本質なのだろう。
「へへっ、師匠に褒められた! 今日はこれだけでご飯三杯いけるわー!」
ゆき子は汗を拭いながら、満面の笑みを見せた。
「次はあれ! プリクラ撮ろ!」
「……それは勘弁してくれ」
「ダメ! 証拠残さないと!」
結局、狭いボックスに押し込まれ、謎のポーズを取らされ、目が異様に大きく加工されたシールを撮る羽目になった。
その後も、クレープを食べさせられたり、服屋に連れ回されたりと、俺は完全に彼女のペースに巻き込まれた。
日付が変わる頃。
俺たちは少し離れた公園のベンチに座っていた。
遊び疲れたゆき子は、缶チューハイを片手に、夜空を見上げている。
「……あー、楽しかった」
「俺は疲れたよ」
「またまたー。師匠も結構ノリノリだったじゃん。クレープ食べる時、鼻にクリームつけてたし」
「うるさい」
俺は缶コーヒーを啜った。
確かに、悪くない時間だった。
ダンジョンでの緊張感も、借金のプレッシャーも、彼女の底抜けの明るさが吹き飛ばしてくれた気がする。
「ねえ師匠」
ゆき子が少し真面目な声で言った。
「アタシさ、探索者やってるけど、本当はダンスだけで食っていきたかったんだよね」
「……そうなのか?」
「うん。でも、才能ないって言われてさ。悔しくて、見返してやりたくて……気づいたらダンジョンでモンスター相手に踊ってた」
彼女は自嘲気味に笑う。
「邪道だって言われるよ。チャラチャラしてるって。……でも、アタシはこれが一番しっくりくるの。リズムに乗ってると、無敵になれる気がするから」
「……いいんじゃないか」
俺は言った。
「戦い方に正解なんてない。生き残った奴が強いんだ。お前の動きは、理に適ってるよ」
「……!」
ゆき子が目を見開く。
「重心移動も、脱力も、俺が見てきた中じゃ上位に入る。……自信持っていいレベルだ」
「……師匠」
彼女の目が潤む。
そして、ガバッと俺に抱きついてきた。
「うわぁぁぁん! 師匠大好きー! 一生ついてくー!」
「おい、酒臭い! 離れろ!」
「やだ! 今日は帰りたくない! 師匠ん家泊まる!」
「却下だ。ポチが待ってる」
俺は泥酔しかけたゆき子を引き剥がし、タクシーを拾って彼女を押し込んだ。
「じゃあな。また明日」
「むぅ……絶対またデートしてよね! 約束だよ!」
タクシーが走り去る。
俺は静かになった夜道を、一人歩き出した。
疲れたが、心地よい疲れだ。
だが、俺はこの時、自分の身に迫る「本物の危機」に気づいていなかった。
★★★★★★★★★★★
深夜2時。
悠作が帰宅し、部屋の明かりが消えてから数十分後。
『ひまわり荘』の周辺は、異様な殺気に包まれていた。
「……ここか。ターゲットの住処は」
「ああ。情報の通りだ。警備はザルだな」
闇に紛れて現れたのは、全身黒ずくめの男たち。
その数、およそ20人。
彼らは海外の犯罪組織『ブラック・ハウンド』の構成員だ。
ネットで話題になった「S級の実力を持つF級探索者」である悠作を拉致し、自国の兵器として洗脳・利用するために送り込まれたプロフェッショナル集団である。
「カイトとかいう馬鹿が騒ぎを起こしてくれたおかげで、住所の特定は容易だったな」
「中には女や魔獣もいるようだが、構わん。全員処理しろ。ターゲットは鈴木悠作のみだ」
リーダー格の男がハンドサインを送る。
音もなく散開し、アパートを包囲していく男たち。
手には消音器付きの銃器や、麻痺ガス弾が握られている。
彼らは熟練の手際で、外階段や排水管を登り始めた。
悠作は気づいていない。
先ほどまでのデートと、日頃の激務で熟睡している。
絶体絶命の危機。
――しかし。
彼らは知らなかった。
このアパートが、ある一人の「守護天使」の監視下にあることを。
★★★★★★★★★★★
アパートから1キロメートル離れた、高層マンションの屋上。
夜風が冷たく吹き抜ける中、スコープ越しの赤い瞳が光った。
「……害虫が、湧いていますね」
山口純子は、愛用の対物魔導ライフル『ブラック・ウィドウ』を構え、冷徹に呟いた。
彼女は今夜、シフトが入っていない。
悠作の動画が拡散されて以来、彼の身辺に危険が及ぶことを予期し、こうして毎晩のように自主的な警備を行っていたのだ。
「武装した集団……20名。殺気からしてプロですね。カイトたちのような雑魚とは違います」
純子の指が、トリガーにかかる。
彼女の脳内で、風速、湿度、重力、そして標的の動きが瞬時に計算される。
「でも、関係ありません。悠作さんの安眠を妨げる者は、すべて駆除対象です」
ヒュッ。
サイレンサーによって抑制された、わずかな破裂音。
次の瞬間、アパートの屋根に足をかけた男の肩が弾け飛んだ。
「グッ……!?」
男が声もなく落下する。
仲間たちが異変に気づく前に、第二射、第三射が放たれる。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
正確無比。神業としか言いようのない狙撃。
純子の弾丸は、殺さない程度に、しかし二度と戦闘不能になる箇所をピンポイントで貫いていく。
「な、なんだ!? どこから撃ってきやがる!」
「スナイパーだ! 遮蔽物を探せ!」
『ブラック・ハウンド』の構成員たちがパニックに陥る。
彼らはプロだ。だが、1キロ先から暗視スコープなしで正確に急所を狙ってくるスナイパーの存在など、想定外だった。
「ひ、退却だ! 状況が不利すぎる!」
リーダーが叫ぶ。
だが、純子は逃がさない。
「逃がしませんよ。……悠作さんの情報を持ち帰られては困りますから」
彼女は弾倉を交換した。
装填するのは、特殊弾頭『メモリー・イレイザー』。
物理的なダメージと共に、直近数時間の記憶を混濁させる魔導弾だ。
パンッ!
リーダーの足元に着弾し、魔法陣が展開される。
紫色の煙が立ち上り、男たちの意識を刈り取っていく。
「……さようなら、害虫さんたち」
数分後。
アパートの周囲には、気絶した黒服の男たちが転がっているだけだった。
翌朝、彼らは「なぜここにいるのか」も思い出せないまま、警察に確保されることになるだろう。
純子はスコープから目を離し、ふぅと息を吐いた。
冷徹なスナイパーの顔が、恋する乙女の顔に戻る。
「悠作さんの寝顔……今日も素敵でした♡」
彼女はスコープ越しに、窓の隙間から見える悠作の寝顔を確認し、満足げに微笑んだ。
「悠作さんの邪魔をする害虫は、すべて私が駆除しますからね。……安心して眠ってください」
彼女はライフルをケースにしまい、闇に溶けるように姿を消した。
誰にも知られることのない、孤独な守護天使の仕事だった。
★★★★★★★★★★★
翌朝、火曜日。
悠作はいつものように、重たい体を起こして出勤の準備をした。
「……ん? なんか外が騒がしいな」
ゴミ出しのために外に出ると、パトカーが数台止まっていた。
近所のおばちゃんたちが噂話をしている。
「集団で酔っ払って寝てたらしいわよ」
「物騒ねぇ」
「……東京も治安が悪くなったもんだな」
悠作はあくびをしながら、他人事のように通り過ぎた。
自分の命が昨晩救われたことなど、知る由もない。
駅に向かう途中、いつものコンビニ『ダンジョンマート』に立ち寄る。
朝食のパンとコーヒーを買うためだ。
「いらっしゃいませー♡」
レジには、いつもの看板娘、山口純子が立っていた。
朝日に照らされた彼女の笑顔は、昨夜の冷徹さなど微塵も感じさせない、天使のような輝きを放っている。
「あ、悠作さん! おはようございます!」
「おう、おはよう純子ちゃん。今日も元気だな」
「はいっ! ……悠作さん、昨日はよく眠れましたか?」
純子が小首をかしげて聞いてくる。
その瞳には、少しだけ悪戯っぽい光が含まれていた。
俺は昨夜のゆき子との騒がしい時間を思い出した。
「ん? ああ、おかげさまで爆睡だったよ。ちょっと遊びすぎて疲れが残ってるけどな」
「ふふっ、それは良かったです! 睡眠は大事ですからね♡」
純子は嬉しそうに商品を袋に詰め、サービスだと言ってミントガムを一つ入れてくれた。
「これ、眠気覚ましにどうぞ。……今日も一日、私が応援してますからね!」
「ありがとうな。純子ちゃんも頑張れよ」
悠作は手を振って店を出た。
背中で「いってらっしゃーい!」という明るい声が響く。
平和な朝。
美味しいコーヒーと、可愛い店員の笑顔。
悠作は伸びをしながら、今日から始まるS級昇格後の手続きに思いを馳せた。
「……まあ、なんとかなるか」
彼がそう思えるのは、見えないところで彼を支え、守っている少女たちがいるからこそだ。
だが、その事実に彼が気づくのは、まだずっと先の話である。




