第21話 ポーター対決
日曜日の午前7時。
早朝の練馬ダンジョン前広場は、普段なら一番乗りの探索者たちが静かに装備の点検をしている時間帯だが、今日だけは異様な熱気とざわめきに包まれていた。
「おい、マジかよ……あれ、『鋼鉄の女王』だろ?」
「すげぇ、何キロ背負ってるんだ?」
「向かい合ってるの、あの動画のおっさんじゃね?」
野次馬たちが遠巻きに見守る中心で、俺としずかは対峙していた。
しずかの背中には、昨日から背負いっぱなしの冷蔵庫サイズの鋼鉄コンテナに加え、ダンジョン入り口付近にあった装飾用の巨岩が極太のロープで括り付けられている。
合計重量、およそ1トン。
彼女の足元を中心に、重圧に耐えきれなくなったアスファルトが蜘蛛の巣状にひび割れを起こしていた。
「……待っていたわ、鈴木悠作」
しずかが腕を組み、仁王立ちで俺を見下ろす。
その額には汗一つない。1トンを背負っているとは微塵も感じさせない涼しい顔だ。
「約束通り来たな。逃げ出さなかったことだけは褒めてあげる」
「朝飯が美味かったからな。腹ごなしの散歩代わりに来てやったんだ」
俺はあくびを噛み殺しながら答えた。
体の中では朝食のカロリーが燃焼し、コンディションは悪くない。適当に手を抜いて負けて、さっさと帰って二度寝したい。
「あらあら、お二人ともやる気満々ですわね」
殺気立つ二人の間に割って入ったのは、和服に割烹着姿の加藤茜だ。
彼女の手には、拡声器と集金箱が握られている。
「それでは、本日のメインイベント『第一回・チキチキ猛レース! どっちが上手く運べるかな選手権』のルールを説明いたしますわ」
「……タイトルがダサいぞ茜」
「黙りなさい。スポンサー兼、賭けの胴元は私です」
茜は俺のツッコミを冷たく無視して続ける。
「コースはここから、ダンジョン第5階層にある『水晶の湖』まで。往復ではなく、湖畔に設置したゴール地点までのタイムと、『荷物の状態』を競います」
「荷物だと?」
茜が指を鳴らすと、黒服の従業員たちが恭しく二つの箱を運んできた。
透明なケースに入ったそれは、朝日に照らされて虹色の輝きを放っていた。
「今回の運搬対象は、こちら。『エンジェル・グラスの彫刻』ですわ」
野次馬からどよめきが起こる。
エンジェル・グラス。ダンジョン深層で稀に産出される、世界で最も美しいと言われるクリスタル素材だ。
しかし、その最大の特徴は美しさではない。
『音に反応して共鳴し、わずかな衝撃で砂のように崩壊する』という、悪夢のような脆さにある。
別名、『運び屋殺し』。
「今回は特別に、国立魔法大学からお借りしてきました。これを、ゴールまで『ヒビ一つ入れずに』運んだ方の勝ちとします」
茜が悪魔のような笑顔で宣言した。
「なるほど。繊細なコントロールが求められるわけね。望むところよ」
しずかは不敵に笑い、背中の1トンの荷物の上に、さらにエンジェル・グラスのケースを固定した。
狂気だ。超重量物の上に超・壊れ物を乗せるなど、重心制御の難易度が跳ね上がる。
「ハンデよ。貴方はその風呂敷だけでいいわ」
「……随分と余裕だな」
俺は五右衛門にケースを飲み込ませた。
五右衛門の内部は亜空間になっており、物理的な干渉を受けない――はずだが、今回は違う。
『旦那ァ、こいつは厄介でヤンスよ。亜空間に入れても、旦那の足音が魔力の振動として伝わるタイプのアーティファクトでヤンス。俺っちの緩衝機能じゃ完全にショックを殺しきれねえ』
「わかってる。俺の体使いでカバーする」
俺は靴紐を締め直した。
ポチが「ワフッ!(頑張れ!)」と俺の頬を舐める。
ポチは起きている間は魔力で自身の質量を極限まで軽くしているため、重さ自体のペナルティはない。しかし、五右衛門の亜空間に収納できない生身のコイツを肩に乗せたまま、一切の重心のブレなく走らなければならないのは最大の枷となる。とはいえ、家に置いていけば何をしでかすかわからない以上、連れて行くしかなかった。
「それでは、位置について……ヨーイ、ドンッ!」
茜がスターターピストルを鳴らした。
決戦の火蓋が切られる。
ズシン、ズシン、ズシン!
ダンジョン内を、地響きが駆け抜ける。
先頭を行くのは、山田しずかだ。彼女の歩法は、豪快にして繊細だった。
1トンを超える荷物を背負いながら、競歩選手のような速度で突き進む。地面を踏みしめる足には凄まじい負荷がかかっているはずだが、彼女の上半身は微動だにしない。
まるで、腰から下が戦車で、上が精密機械であるかのような分離制御。
「邪魔よ! どきなさい!」
前方に出現したゴブリンの群れを、彼女は減速することなく蹴散らした。
魔力で強化された蹴りではない。純粋な質量による暴力だ。ゴブリンがボウリングのピンのように吹き飛ぶ。
その衝撃の中でも、背中のエンジェル・グラスは一切揺れていない。
「……化け物だな、あいつ」
数メートル後方を走る俺は、素直に舌を巻いた。
彼女のスキル『超重量運搬』。それは単に重いものを持てるだけではない。荷物と自己を一体化させ、あらゆる慣性を筋力でねじ伏せる力技の極致だ。
「だが、スマートじゃない」
俺は音もなく走る。
『忍び足』ではない。ダンジョンの地形、地面の凹凸、風の流れ。それら全てに合わせて、水が流れるように体を運ぶ歩法だ。
膝を究極のサスペンションとして使い、足裏全体で着地する。背中の五右衛門には、1ミリの上下動も伝えない。
『旦那、右からコボルトでヤンス!』
「わかってる」
死角から飛びかかってきたコボルト。
俺は立ち止まらず、上半身をわずかに捻った。紙一重で爪をかわし、すれ違いざまにナイフで頸動脈を撫でる。
血飛沫すら上がらない、静かな解体。コボルトが崩れ落ちる頃には、俺はもう数メートル先を走っていた。
「ワフッ!」
肩の上のポチが、別のコボルトに向かって小さな火球を吐いた。
ボッ、とコボルトの顔面が燃える。
ナイスサポートだ。だが、反動で俺の肩が揺れるのは勘弁してほしい。
「ポチ、暴れるな。重心がブレる」
「クゥ〜ン(ごめん)」
俺たちは第1階層から第3階層までを一気に駆け抜けた。
ここまでは互角。
だが、勝負の分かれ目は第4階層にある『風の谷』だ。
そこは、断崖絶壁に架けられた古い吊り橋を渡らなければならない難所。下からは強烈な吹き上げ風が吹き荒れ、足場は不安定に揺れ動く。
荷運び人にとって、最大の鬼門だ。
「ふん、小細工無用!」
しずかは吊り橋の前で立ち止まることなく、そのまま突っ込んだ。
彼女の体重+荷物の重さで、吊り橋がギシギシと悲鳴を上げる。強風がコンテナを煽る。普通の人間なら吹き飛ばされるところだが、彼女は違った。
「重さこそが、安定よ!」
彼女はさらに筋肉を膨張させ、自らの強大な質量をアンカーにして橋に食らいついた。風に逆らわず、風を受け止め、その圧力すらも推進力に変えて進む。
まさに「歩く要塞」。揺れを筋力で押し殺す、圧倒的なパワープレイだ。
「……なるほど。脳筋も極めれば物理法則を超えるか」
俺も吊り橋に足をかけた。
五右衛門がビビって震える。
『旦那ァ! 落ちたら死ぬでヤンスよ! 揺れてる! めっちゃ揺れてるでヤンス!』
「黙ってろ。お前の震えが一番の障害だ」
俺は目を閉じ、風を感じた。
風速、風向、橋の固有振動数。それらを瞬時に計算する。
逆らう必要はない。風と一体になればいい。
俺はスッ、と足を踏み出した。
橋が揺れるタイミングに合わせて、逆位相の動きで踏み込む。揺れを完全に打ち消す歩法。
傍から見れば、俺の体だけが空中に固定され、周りの景色だけが動いているように見えるだろう。
「なっ……!?」
先行していたしずかが、振り返って驚愕の表情を浮かべた。
俺は音もなく彼女に追いつき、並走する。
「道具に頼るなんて邪道よ! 自分の肉体だけで運んでこそ、真のポーターでしょ!」
しずかが叫ぶ。
彼女の額には脂汗が滲んでいる。圧倒的な筋力による制震は、体力を著しく消耗するのだ。
「道具を使いこなすのも技術だ。それに……」
俺は涼しい顔で、隣を歩く彼女を見据えた。
「ポーターの仕事は『苦労して運ぶこと』じゃない。『荷物を無事に届けること』だ。手段なんてどうでもいい。荷物を揺らさないことが最優先だろ」
「ぐっ……!」
正論パンチ。
しずかは反論できず、さらにペースを上げようとする。
だが、その焦りが命取りになった。
バキッ。
老朽化していた吊り橋の床板が、彼女の過重なステップに耐えきれず踏み抜かれたのだ。
「きゃっ!?」
しずかの体が傾く。
背中の1トンの荷物が、彼女を奈落へと引きずり込もうとする。体勢を立て直そうにも、片足がハマって動けない。
絶体絶命。
「しまっ――」
彼女が覚悟を決めた、その時。
「……ったく」
フワッ。
彼女の体が、フワリと浮き上がった。
俺が五右衛門の布を伸ばして彼女のコンテナを包み込み、『重量軽減機能』を極大まで稼働させたのだ。さらに、相手の力を利用する『合気』の体術を応用し、落下する慣性を反転させて引き上げる。
総重量1トンを超える物体を、羽毛のように空中に放り投げた。
「え……?」
しずかは宙を舞い、安全な足場へと着地した。
何が起きたのか理解できていない顔だ。
「借り一つな。あとでカツ丼奢れよ」
俺はそのまま速度を緩めず、彼女を追い抜いてゴールへと走り抜けた。
★★★★★★★★★★★
第5階層、『水晶の湖』。
ゴール地点には、茜が紅茶を飲みながら優雅に待っていた。
「ゴール! 勝者、鈴木悠作様!」
俺がテープを切る。
数秒遅れて、しずかがゴールした。彼女は肩で息をし、全身から湯気を上げている。対照的に、俺は汗ひとつかいていない。
「……タイムは貴方の勝ちよ。でも、勝負はこれからだわ」
しずかは背中の荷物を下ろし、エンジェル・グラスのケースを取り出した。
クリスタルは無事だ。ヒビ一つ入っていない。
さすがはS級。あのトラブルがありながら、荷物は守りきったようだ。
「私の荷物は無傷よ。貴方はどうかしら? あの吊り橋で私を助けた時、無理な体勢をとったはず……」
彼女は俺の失敗を確信していた。
人を助ける余裕などなかったはずだと。
「……見てみろ」
俺は五右衛門からケースを取り出し、茜に渡した。
茜がルーペを取り出し、鑑定を始める。
「……ふむ」
長い沈黙。しずかが固唾を呑んで見守る。
「……パーフェクトですわ」
茜が感嘆の声を漏らした。
「ヒビ割れはおろか、分子レベルでの歪みすらありません。まるで、最初から台座に固定されていたかのような静寂……。悠作様、貴方、運びながら寝ていらしたの?」
「失礼な。ちゃんと起きてたぞ」
しずかが俺のケースを奪い取り、自分の目で確認する。
そして、愕然と膝をついた。
「嘘……。あんな動きをして、どうして……?」
「言っただろ。荷物を揺らさないのが最優先だって」
俺はポチにジャーキーを与えながら言った。
「人を助けるのも、荷物を運ぶのも、俺にとっては同じ『作業』だ。無駄な力みを入れず、流れに逆らわず、あるべき場所に置く。それだけのことだよ」
それは、俺が長年ポーターとして、そして小市民として培ってきたトラブル回避の哲学だった。力を誇示するのではなく、力を制御する技術。
「……完璧な制震制御……」
しずかが震える声で呟く。
彼女の瞳から、対抗心という名の険しい光が消え、代わりに熱っぽい、蕩けるような色が浮かび上がってくる。
「美しいわ……。私の求めていた『剛』の先にある、『柔』の極致……」
彼女は立ち上がり、俺の手を両手で包み込んだ。
その握力は万力のように強かったが、掌は熱かった。
「負けたわ、鈴木悠作。……貴方こそが、ポーターの王よ」
「王とかいいから。金払えよ」
「いいえ、お金だけじゃ足りないわ。……私の全てで償わせて」
しずかの顔が近い。
整った顔立ちが、上気して艶めかしい。
「決めたわ。今日から私が、貴方の『専属ポーター』として背中を守る。貴方がどこへ行こうと、私のこの背中で貴方の荷物を運んであげるわ!」
「はあ? 何言ってんだ」
勝手に俺を主君扱いし始めた。
俺はこめかみを強く押さえた。
「お断りだ! 俺は一人が好きなんだよ!」
俺が拒否しても、しずかは聞く耳を持たない。
茜が横で「S級の無料ポーター……ふふ、悠作様のダンジョン探索効率が飛躍的に上がりますわね」と、不敵な計算高い顔をしている。
「……帰るぞ」
俺は茜としずかをその場に残し、ポチを抱えて歩き出した。
勝負には勝ったが、精神的な疲労はピークだ。少し静かな場所で休みたい。
ダンジョンからの帰り道。
広場を抜けた先の並木道で、ベンチに座っている人影があった。
スーツ姿の女性、伊藤みのりだ。膝の上には大きなお弁当箱が乗っている。
「……みのりちゃん?」
「あ、悠作さん! お疲れ様!」
みのりは俺を見つけると、パッと表情を明るくして駆け寄ってきた。
「どうしたんだ、こんなところで」
「見学に来たのよ。荷運び勝負、こっそり見てたわ。……凄かったじゃない」
「まあな。疲れただけだ」
「ふふ。でお腹空いたでしょ? はい、これ」
みのりがお弁当箱を差し出した。
蓋を開けると、彩り豊かなおにぎりと、唐揚げ、卵焼きが綺麗に並んでいる。手作りだ。
「……差し入れか?」
「うん。昨日のすき焼きのお礼。……たまには私がご馳走する番かなって」
みのりが少し照れくさそうに笑う。
俺は毒気を抜かれたように肩の力が抜けた。
S級だの借金だのといった騒がしい日常の中で、彼女のこういう気遣いは心に染みる。
「ありがとな。……ちょうど腹が減ってたんだ」
「でしょ? あそこのベンチで食べましょ。天気もいいし」
俺たちは並んでベンチに座った。
ポチも「おこぼれ」を期待して足元でお座りする。
おにぎりを頬張る。塩加減が絶妙だ。具は鮭と梅干し。疲れた体に塩分が染み渡る。
「美味いな」
「よかった。……ねえ、悠作さん」
「ん?」
「あんた、これからもっと大変になると思うけど……たまにはこうやって、息抜きしようね」
みのりは遠くの空を見つめながら言った。
彼女なりに、俺が巻き込まれている騒動を心配してくれているのだろう。
俺は彼女の肩に軽く触れた。
「ああ。頼りにしてるよ、担当さん」
「……任せなさい」
木漏れ日の中、穏やかな時間が流れる。
しずかや茜が追いついてくるまでの、つかの間の休息。
俺はみのりとのこの時間を、大切に噛み締め――。
――ピュンッ!!
俺の箸に挟まれていた唐揚げに、どこからともなく飛んできたBB弾が命中し、肉が粉々に弾け飛んだ。
「……あ?」
俺が目線を上げると、遠くのビルの屋上がキラリと光った。対物ライフルのスコープ特有の反射光だ。
さらに、背後の茂みからはガサリという音と共に、複数の足音と囁き声が近づいてくる。
「……抜け駆けなんて、許しませんよ」
「マジありえないし」
「共同研究者として看過できません」
すず、ゆき子、瞳の声だ。完全に尾行されていた。
「……気のせいか、全方位から凄まじい殺気を感じるんだが」
みのりも唐突に弾け飛んだ唐揚げを見て、顔を引きつらせている。
俺はビルの屋上からの無言の狙撃警告と、背後からじりじりと迫り来る足音に背筋を凍らせながら、手に持っていた残りの鮭おにぎりを無言で口の中に押し込んだ。




