第12話 みのりの隠蔽工作
火曜日。
探索者協会本部、ダンジョン管理課。
そのオフィスは、戦場のような喧騒に包まれていた。
「はい、広報課です! ……いえ、ですから『パジャマの英雄』に関する公式発表はまだです!」
「あ、もしもし? D-Tube運営局ですか? 例の動画の拡散状況についてですが……」
「課長! 大手新聞社から取材申し込みが来てます! 『謎のF級探索者の正体について』だそうです!」
電話の呼び出し音が鳴り止まない。
職員たちが右往左往し、書類の山が雪崩を起こしている。
その全ての元凶である人物の担当者、伊藤みのりは、デスクに突っ伏して死にかけていた。
「……帰りたい」
みのりは呻いた。
目の前には、未処理の報告書と、稟議書のタワーがそびえ立っている。
その全てが、鈴木悠作に関するものだ。
日曜日の夜、カイトたちの悪事が露見し、彼らが社会的に抹殺されたことまでは良かった。
問題は、その後だ。
悠作の潔白が証明されたことで、世間の関心は「可哀想な被害者」から「正体不明の実力者」へと完全にシフトしてしまった。
月曜日の朝から今まで、ひっきりなしに問い合わせが続いている。
一昨日の日曜の夜、悠作を捕まえて居酒屋で事情聴取をした時は、「これで一件落着ね」なんて笑って酒を飲んでいたが、甘かった。
あの時はまだ、ネットの熱狂がここまでの実害をもたらすとは予想できていなかったのだ。
――あんな動きができるF級がいるわけがない。
――協会はS級の実力者を隠蔽しているのではないか?
――国家の秘密兵器説。
上層部からは「なんとか世間を納得させつつ、悠作の意向を汲んで穏便に処理しろ」という、無茶振りにも程がある命令が下されていた。
「無理よ……どう考えても無理ゲーよ……」
みのりは涙目でキーボードを叩く。
作成しているのは『第19階層におけるミノタウロス討伐に関する調査報告書』だ。
『当該探索者の戦闘行動において、ボスモンスターの討伐が確認されたが、これはモンスター側の突発的な体調不良による自滅の可能性が高く……』
「……苦しい。苦しすぎる」
自分で書いていて虚しくなる。
動画であれだけ鮮やかに切り刻んでいるのに、「心筋梗塞で自滅」なんて誰が信じるというのか。
昨日は一日中、電話対応で同じ言い訳を繰り返し、喉が枯れるほど喋った。今日もその延長戦だ。
「そもそも、なんで私がこんな苦労しなきゃいけないのよ! あのバカ、今頃のんきに鼻歌交じりで料理でもしてるんでしょうね!」
みのりはギリリと歯を食いしばる。
一昨日の居酒屋で「最後まで面倒見る」なんてカッコいいことを言ってしまったが、現実は甘くなかった。
今の状況は、決壊寸前のダムを指一本で押さえているようなものだ。
「伊藤主任、お疲れ様です。……顔色が土気色ですよ?」
後輩の女性職員が、怯えたように声をかけてくる。
「大丈夫よ……まだ生きてるわ。ちょっと休憩してくる……」
みのりはよろよろと立ち上がり、リフレッシュのためにオフィスを出た。
外の空気を吸わないと、インクと紙の匂いで窒息しそうだった。
協会本部の近くにあるコンビニエンスストア『ダンジョンマート』。
みのりは重い足取りで入店した。
今の彼女に必要なのは、糖分とカフェイン、そしてタウリンだ。
栄養ドリンクの棚の前で、一番高い『極・皇帝液』を手に取るか迷っていた時だった。
「いらっしゃいませー♡ あら、伊藤さんじゃないですか?」
鈴を転がすような明るい声。
振り返ると、そこには天使のような笑顔を浮かべた店員、山口純子が立っていた。
彼女は悠作の行きつけのコンビニ店員であり、みのりも顔見知りだ。
「あ、どうも……純子ちゃん。今日もお仕事?」
「はいっ! ……伊藤さん、すごい顔してますよ? クマがひどいです」
「うるさいわね……。誰かのせいで激務なのよ」
みのりは自虐的に笑い、栄養ドリンクをカゴに入れた。
さらに、激辛スナックとチョコレートを追加する。ストレス発散セットだ。
レジに向かうと、純子が手際よく商品をスキャンしていく。
そして、袋詰めをしながら、ふと小声で囁いた。
「大変ですねぇ、協会の『隠蔽工作』も」
「……え?」
みのりはドキリとして顔を上げた。
純子はニコニコと笑っているが、その瞳の奥には、すべてを見透かすような光が宿っている気がした。
「い、いや、隠蔽っていうか……事務処理が立て込んでるだけで……」
「ふふ、わかってますよ。悠作さん絡みでしょう?」
「っ!?」
なぜバレている?
悠作の担当がみのりであることは、一般には公表されていないはずだ。
みのりが狼狽えていると、純子は袋の中に一本の瓶を追加した。
「これ、サービスです♡」
それは、店内でも最高級の栄養ドリンク『神気・タウリン3000mg配合』だった。
「え、ちょっと、これ高いやつじゃ……」
「いいんです。伊藤さんには頑張ってもらわないといけませんから。……悠作さんの平穏を守るための防波堤として」
純子は意味深に微笑む。
その笑顔は可愛らしいが、どこか背筋が寒くなるような圧があった。
彼女は悠作のファンであり、独自の情報網を持っている。
みのりが悠作のために奔走していることを評価し、あくまで「味方」として支援してくれているのだ。
(この子……ただのバイト店員じゃないわね)
みのりは探索者としての勘でそう察したが、今は深く追求する元気もなかった。
ありがたく受け取ることにする。
「ありがとう、純子ちゃん。……生き返るわ」
「いえいえ! あ、悠作さんによろしく伝えてくださいね。『またお弁当の差し入れ待ってます』って♡」
「……はいはい」
みのりは苦笑いしながら店を出た。
背中で、純子の独り言が聞こえた気がした。
「この人も苦労人ですねぇ……。まあ、悠作さんに近づく『害虫』ではないので、保護対象でいいでしょう」
……聞かなかったことにしよう。
みのりは栄養ドリンクを一気に飲み干し、空き瓶をゴミ箱に投げ入れた。
カッと体が熱くなる。
「よし、もうひと踏ん張り……って言いたいところだけど」
みのりは腕時計を見た。午後6時半。
これ以上、根を詰めても効率が悪い。
それに、脳が休息を求めている。もっと具体的で、温かくて、美味しい癒やしを。
「……行くか」
彼女はスマホを取り出し、とある人物へメッセージを送った。
『今から行く。拒否権なし。飯食わせろ』
送信完了。
彼女は協会へ戻る道を外れ、練馬区方面への電車に飛び乗った。
★★★★★★★★★★★
午後7時半。
鈴木悠作のアパート『ひまわり荘』。
チャイムを鳴らすと、すぐに鍵が開く音がした。
「……いらっしゃい。仕事早かったな」
エプロン姿の悠作が顔を出す。
みのりは「お邪魔するわよ」と言って靴を脱ぎ、部屋に足を踏み入れ――そして、絶句した。
「……なにこれ」
みのりの視線の先。
薄暗い廊下の左右の壁に、ぽっかりと巨大な穴が開いていた。
直径30センチほどの風穴が、見事な左右対称で並んでいる。
破断面からは石膏ボードが砕け散り、中の断熱材がむき出しになっていた。
「風通しを良くするためにリノベーションでもしたの? 大家さんに殺されるわよ」
「俺がやったんじゃない。そこの新入りだ」
悠作が顎でしゃくった先には、白い毛玉のような子犬――ポチが、瓦礫の上でお座りをして尻尾を振っていた。
キュルンとした瞳で「ボクいい子でしょ?」とアピールしている。
「……犬? いや、この魔力……フェンリル?」
「当たり。一昨日拾った。元気すぎて困る」
「拾ったってあんたねぇ……。魔獣の無断飼育は禁止よ。あとで書類書かせるからね」
みのりは頭を抱えた。
壁の大穴に、災害級魔獣の幼体。
日曜の夜に居酒屋で飲んだ時は「ケージに入れたペット」程度にしか思っていなかったが、まさかこんな怪獣だったとは。
昨日の今日で壁を破壊するとは、将来が思いやられる。
「はぁ……もういいわ。座る場所さえあれば文句言わない」
みのりは壁の穴を見なかったことにして、リビングの座布団に崩れ落ちた。
「疲れたぁぁぁぁ……! もう無理! 悠作あんたのせいで私の寿命が縮んだ!」
「はいはい、お疲れさん。とりあえずビールでいいか?」
「当たり前でしょ! 濃いやつお願い!」
悠作は冷蔵庫から、冷えた缶ではなく、お洒落な瓶ビールを取り出した。
今日は特別な料理に合わせて、ペアリングにもこだわっているのだ。
「今日はこれだ。『ヨナヨナ・エール』。柑橘系の香りが強いアメリカン・ペールエールだ」
「あら、いいじゃない。グラスで飲むわよ」
薄はりのグラスに注ぐと、琥珀色の液体がきめ細やかな泡を作る。
グレープフルーツのような華やかな香りが広がる。
乾杯もそこそこに、みのりは一口飲んだ。
「んん〜っ! フルーティ! でも苦味もしっかりあって美味しい!」
「だろ? 今日の料理は出汁と香りが命だからな。喉越しだけのビールじゃ負けるんだ」
悠作はキッチンから、次々と料理を運んでくる。
ちゃぶ台の上に並べられたのは、まさに「春の味覚」のフルコースだった。
「うわぁ……! すごい!」
みのりの目が輝く。壁の穴のことなど一瞬で忘れた。
まず目を引くのは、土鍋で炊き上げられた『たけのこご飯』だ。
蓋を開けた瞬間、木の芽の爽やかな香りと、出汁の上品な匂いが部屋中に充満する。
お米一粒一粒が立ち上がり、薄茶色に染まっている。そこへ、たっぷりのタケノコと、油揚げが混ざり合っている。
「タケノコは今朝、裏山ダンジョンで掘ってきたやつだ。米ぬかで1時間茹でてアク抜きしたから、えぐみはゼロだぞ」
「ダンジョン産タケノコ……市場価格いくらすると思ってるのよ」
「俺にとってはただの食材だ。さあ、食え」
みのりは茶碗によそい、ハフハフと言いながら口に運ぶ。
シャキッとしたタケノコの歯ごたえ。噛むほどに広がる甘みと、出汁を吸った油揚げのコク。
最後に木の芽の香りが鼻に抜ける。
「……んん〜っ! 美味しい! 優しい味……!」
「だろうな。そこに、こいつを合わせる」
悠作が差し出したのは、『初鰹のたたき』だ。
皮目を香ばしく炙った鰹の厚切り。
その上には、新玉ねぎのスライス、青ネギ、みょうが、大葉、そしてニンニクチップが山のように盛られている。
特製のポン酢ダレがかかっており、宝石のように輝いている。
「本当は藁で焼きたかったんだが、アパートじゃ無理だからな。フライパンで皮目だけ強火で焼いて、すぐに氷水で締めた」
みのりは鰹を一切れ、薬味と一緒に頬張る。
ねっとりとした身の旨味と、炙った皮の香ばしさ。
そこに薬味の爽快感とポン酢の酸味が加わり、口の中が爆発する。
「最高……! お酒が進むわ!」
「そこでペールエールだ」
みのりは言われるがままにビールを飲む。
柑橘系の香りが、ポン酢や薬味の風味と驚くほどマッチする。
魚の生臭さは微塵も感じない。
「合う! 何これ、無限にいける!」
「だろ?」
悠作はニヤリと笑い、自分も箸を進める。
さらに、『若竹煮』。
タケノコの穂先と、生わかめをあっさりとした出汁で煮たものだ。
わかめの磯の香りと、タケノコの甘みが溶け合っている。
シンプルだが、素材の良さがダイレクトに伝わる。
そして締めくくりは、『あさりの味噌汁』。
今が旬の大粒のあさりを使い、白味噌仕立てにしている。
あさりから出たコハク酸の濃厚な旨味が、五臓六腑に染み渡る。
「はぁ……。幸せ……」
みのりは箸を置き、うっとりと天井を仰いだ。
協会での地獄のようなストレスが、嘘のように消えていく。
悠作の手料理には、ポーション以上の回復効果があるのかもしれない。
「ワフッ!」
足元では、ポチが専用の皿に入った「鰹の血合いボイル」をガツガツと食べている。
五右衛門は部屋の隅で、安物の魔石を齧りながら『ケッ、人間ってのは面倒くせえ生き物でヤンスねぇ』と悪態をついている。
奇妙な同居人たちと、美味しい料理。
みのりにとって、ここは唯一、鎧を脱いで安らげる場所だった。
「……ねえ、悠作さん」
みのりは少し酔いの回った瞳で、悠作を見つめた。
「ん? おかわりか?」
「違うわよ。……あのね、言いにくいんだけど」
みのりは姿勢を正した。
美味しい料理で回復したからこそ、現実を直視しなければならない。
彼女は仕事モードの真剣な表情に戻り、告げた。
「もう、限界よ」
「限界? 何がだ?」
「あんたの隠蔽工作よ。……協会としても、これ以上あんたをF級として扱うのは無理。上層部も、世論も、もう誤魔化しきれないわ」
悠作の手が止まる。
彼は静かに味噌汁をすすり、ふぅと息を吐いた。
「……そうか」
「ええ。だから、覚悟して。近いうちに正式な『S級昇格試験』の通達が来るわ。……いや、私が持ってこさせる」
みのりの言葉は、宣告だった。
平穏な日常の終わりと、表舞台への強制連行。
「断れば、あんたはまた『不正受給者』とか言われて叩かれることになる。……だから、受けて。S級になって、堂々と生きてよ。私が全力でサポートするから」
みのりの目は潤んでいた。
彼女なりに、悠作の「静かに暮らしたい」という願いを守れなかったことを悔いているのだろう。
悠作は苦笑し、ビールの残りを飲み干した。
「わかったよ。みのりちゃんがそこまで言うなら、観念する」
「……ほんと?」
「ああ。それに、借金もあるしな。S級になれば報酬も上がるだろ?」
「ええ、桁違いよ。タケノコご飯どころか、毎日松茸が食べられるわよ」
「そいつはいいな」
悠作は笑った。
その笑顔を見て、みのりもようやく心の底から安堵の笑みを浮かべた。
「よし! じゃあ、今日は飲み明かすわよ! 悠作さんの奢りで!」
「おいおい、俺の家だぞ。……まあいいか、今日はタケノコ尽くしだ」
夜は更けていく。
窓の外では、春の風が吹いている。
それは新しい季節の訪れであり、鈴木悠作という男が、ついに世界に見つかってしまう「始まり」の風でもあった。
隠蔽工作は終了した。
ここからは、正真正銘の「実力S級」としての伝説が始まるのだ。




