第10話 逆転と破滅
嘘というものは、精巧に積み上げたジェンガのようなものだ。
高く積み上げるほど崩れた時の被害は大きくなり、そして崩壊はたった一つのピースが抜けるだけで始まる。
『閃光の剣』リーダー・カイトにとって、そのピースは「捨てたはずのドローン」だった。
★★★★★★★★★★★
「……あ、あ……あぁ……」
渋谷の会員制ラウンジ『ヴァルハラ』のVIPルーム。
カイトは、震える手でスマートフォンを握りしめていた。
画面に映っているのは、先ほどまで彼らが「捏造だ」と糾弾していた悠作の配信枠だ。
しかし、そこに映っているのは悠作の料理風景ではない。
画面の隅に表示されたワイプ画面。
そこに、数日前の自分たちの姿が、残酷なほど鮮明に映し出されていた。
『お前、今日でクビな』
『その魔法鞄を置いて消えろっつってんだよ』
『途中でオークの餌になるのがオチだろうけどな!』
自分自身の声。自分自身の悪意に満ちた表情。
言い逃れのしようがない「真実」が、数万人の視聴者の前でリピート再生されている。
コメント欄の流れは、もはや濁流と化していた。
『うわぁ……ドン引き』
『完全に強盗じゃん』
『被害者ヅラして嘘泣きしてたの? 役者になれば?』
『サイコパスすぎて怖い』
『おっさん、よく生きて帰ってこれたな』
『閃光の剣? 泥棒の剣に改名しろよ』
通知音が鳴り止まない。
SNSのリプライ、ダイレクトメッセージ、そして個人の連絡先に至るまで、罵詈雑言の嵐が押し寄せている。
さっきまで「カイトくんかわいそう」と擁護してくれていた信者たちすら、手のひらを返して「騙された」「最低」と石を投げ始めていた。
「嘘だ……こんなの、嘘だ……」
カイトは現実を受け入れられず、うわ言のように呟く。
隣では、タクマとリナが青ざめた顔で互いを責め合っていた。
「お前のせいだぞカイト! お前があの時ドローンなんか捨てるから!」
「はあ!? リナだって『おっさんキモい』って笑ってたじゃん!」
「やめてよ! 私の人生どうなんの!? もう外歩けないよ!」
醜い仲間割れ。
しかし、彼らの破滅はまだ序章に過ぎなかった。
★★★★★★★★★★★
午後8時。
東京都内のコンビニエンスストア『ダンジョンマート』。
レジカウンターの中で、山口純子はスマホを操作していた。
彼女の指先は、ピアニストのように軽やかに、そしてスナイパーのように正確に画面をタップしていく。
開いているのは、国内最大級の匿名掲示板『ダンジョンちゃんねる』の特定スレッドだ。
「ふふっ。火力が足りませんね。もっと薪をくべてあげましょうか」
彼女は天使のような微笑みを浮かべながら、手元に用意していた「とある画像データ」をアップロードした。
それは、先日彼女がダンジョン探索のついでに撮影していた、カイトたちがドローンを投げ捨てて転移する瞬間の遠距離写真だった。
もちろん、Exif情報は完璧に残してある。
【悲報】カイトさん、ドローン投棄現場を激写される
1: 名無しの目撃者(純子)
たまたま近くで探索してたんだけど、これカイトたちだよね?
笑いながらドローン投げてたよ。
[画像.jpg]
投下ボタンをポチッとな。
その瞬間、掲示板はお祭り騒ぎとなった。
『うおおおおお! 確定証拠キター!』
『日時も場所も悠作のログと一致!』
『笑いながら捨ててるとかガチ屑じゃん』
『これで「捏造だ」とか言ってたのかよ……神経疑うわ』
『探索者資格剥奪もんだろこれ』
純子は満足げに頷いた。
これで、カイトたちの言い逃げ道は完全に塞がれた。
協会の規定において、ダンジョン内での「装備強奪」および「意図的な置き去り」は重罪だ。
資格剥奪は免れないし、刑事罰の対象にもなるだろう。
「悠作さんを泥棒扱いした罪、一生かけて償ってくださいね♡」
純子はスマホをポケットにしまい、何食わぬ顔で「いらっしゃいませー!」と客を迎えた。
彼女の裏工作によって、カイトたちの社会的抹殺は完了したのである。
★★★★★★★★★★★
一方その頃。
世界の騒乱など知る由もない鈴木悠作は、ポチを肩に乗せてアパートの前に到着していた。
「あー、食った食った。帰って風呂入って寝るか」
今日の晩飯は最高だった。
五右衛門も上等な魔石を食べて静かになっているし、ポチも満腹で大人しい。
平和な夜だ。
悠作がアパートの階段を上がろうとした、その時。
「……鈴木ぃぃぃぃぃっ!!」
暗闇から、地獄の底から響くようなドスの効いた声が聞こえた。
ビクッとして振り返ると、アパートの入り口にある自販機の影に、鬼が立っていた。
いや、鬼ではない。
腕組みをして仁王立ちする、スーツ姿の美女――伊藤みのりだ。
その目は笑っていない。そして、手にはコンビニの袋が握られている。
「げっ、みのりちゃん」
「『げっ』じゃないわよ! あんた、今日一日どこほっつき歩いてたの! 電話何回したと思ってるの!?」
「いや、今日はちょっと埼玉の方へ……」
「埼玉!? なんでそんな電波の悪いとこ行くのよ! おかげでこっちは対応に追われて……!」
みのりが詰め寄ってくる。
彼女からはほのかに酒の匂いがした。どうやら、待ち伏せしている間に一本空けたらしい。
「まあまあ、落ち着けって。何かあったのか?」
「何かあったのか、じゃないわよ! あんた、自分が今ネットでどうなってるか知らないの!?」
「ネット? ああ、なんかバズってるらしいな。風呂敷が言ってた」
「バズってるどころじゃないわよ! 炎上して、鎮火して、今は英雄扱いよ! ジェットコースターより乱高下してるのよ!」
みのりは頭を抱えた。
悠作のあまりの無関心さに、怒る気力も失せたらしい。
「はぁ……もういいわ。ここで立ち話もなんだし、ついてきなさい」
「え、どこへ?」
「事情聴取よ。……あと、私の残業の慰労会」
みのりは強引に悠作の腕を掴み、歩き出した。
抵抗しようと思ったが、彼女の目が「断ったら殺す」と語っていたので、悠作は大人しく従うことにした。
連れてこられたのは、駅前にある個室居酒屋だった。
少し照明を落とした落ち着いた雰囲気の店で、二人は向かい合って座った。
ポチは「ペット可」という屁理屈で、ケージに入れて足元に置かせてもらった。
「とりあえず、生二つ」
「かしこまりました」
店員が去ると、みのりはすぐにタブレットを取り出し、これまでの経緯を説明し始めた。
カイトの告発、ネットの炎上、そして先ほどの「真実のログ」流出による大逆転劇。
「……なるほど。そんなことになってたのか」
悠作は出されたお通しをつまみながら、他人事のように頷いた。
「反応薄いわね。もっと怒るとか、喜ぶとかないの?」
「いやあ、カイトたちが自滅したのは予想外だったけど……。まあ、俺としては誤解が解けたならそれでいいよ。面倒なのは嫌いだし」
「あんたって本当に……」
みのりは呆れたように溜め息をつき、運ばれてきたビールを一気に半分まで飲み干した。
「ぷはぁっ! ……まあ、いいわ。結果的にあんたの嫌疑は晴れたし、協会としてもカイトたちを処分する口実ができたから」
「処分?」
「ええ。虚偽報告、窃盗、名誉毀損……余罪もボロボロ出てきてるわ。探索者ライセンスは剥奪、最悪の場合は逮捕ね。もう二度と、あんたの前に現れることはないわよ」
みのりの口調は事務的だが、そこには確かな安堵が含まれていた。
彼女はずっと、悠作を守るために奔走してくれていたのだ。
「……悪かったな、迷惑かけて」
「ほんとよ! 今日一日、問い合わせの電話対応で喉が枯れたわよ! 請求書回すからね!」
「わかったわかった。今日は俺が奢るよ」
「言ったわね? 高い焼酎頼むから覚悟しなさいよ」
みのりが悪戯っぽく笑う。
その笑顔を見て、悠作も自然と表情を緩めた。
知り合いの女性たちの中で、唯一「ありのままの自分」で接することができる相手。
色気のあるモデルでも、強烈なギャルでもない、等身大の30代女性。
悠作にとって、彼女との時間は何よりも落ち着くものだった。
「ねえ、悠作さん」
みのりが頬杖をつき、少し潤んだ瞳でこちらを見つめてきた。
「ん?」
「あんた、これからもっと忙しくなるわよ。有名になりすぎちゃったから」
「勘弁してくれよ。俺は静かに暮らしたいだけなんだ」
「無理ね。S級昇格の話も、もう断れないわよ。世間が許さないもの」
みのりはグラスの縁を指でなぞる。
「……でも、まあ。あんたがどれだけ遠くに行っても、こうやって一緒に飲む時間くらいは作ってよね」
「……」
「私、あんたの担当なんだから。管理責任? そういうのがあるんだからね」
少し頬を赤らめて言う彼女の言葉は、仕事の延長なのか、それとも別の感情なのか。
悠作には判別がつかなかったが、悪い気はしなかった。
「ああ、わかってるよ。……みのりちゃんこそ、俺みたいな面倒な奴の担当でいいのか?」
「バカね。あんた以上に面白い……じゃなくて、手のかかる探索者なんていないわよ。最後まで面倒見てあげるわ」
二人はグラスを軽く合わせた。
カチン、と澄んだ音が響く。
外ではカイトたちの破滅がニュースになり、ネットでは悠作を称える声が溢れ、他の厄介な連中たちが悠作を探して動き回っている。
だが、この個室の中だけは、穏やかな時間が流れていた。
「あ、そうだ悠作さん。この『だし巻き卵』美味しいわよ。あんたの作るやつには負けるけど」
「どれ……うん、出汁がちょっと薄いな。今度俺が作ってやるよ」
「やった! 約束ね!」
逆転と破滅の嵐が吹き荒れる夜。
実力S級の男は、腐れ縁の美女と酒を酌み交わし、つかの間の平和を噛み締めていた。
明日から始まる、さらなるカオスな日々を予感しながらも、今夜だけは酔いに身を任せることにしたのだった。




