第一章25話 『狩場』
死繋人の絶叫が轟く。
どす黒い剛腕は肘の部分で綺麗に切断されていた。
黒い肉が詰まった切断面から止めどなく赤い体液が流れた。
木の床に赤いカーペットがじわじわと広がる。
怪物と言えど、やはり痛覚はあるのか苦痛に悶えている。
ビチャ!
赤髪の少女が一歩前に踏み出した。
薄く開いた口から白い呼気が漏れる。
「遊ぼっか」
エミリは蹲る怪物を睨みながら吐き捨てた。
RLB(Red Lotus Blood)──死繋人の体内に流れている血液。人工RLBはそれを模して造られた上位互換。
エミリは体内に流れているナノマシンを使い強制的にRLB値をフレームAに上げた。爆発的に回復力・再生能力、筋力、動体視力を底上げさせる荒技である。
今までに受けた切り傷、擦り傷が瞬く間に塞がっていく。
凄まじい回復力が高熱を発し、血が蒸発して赤い蒸気が立ち上っていた。
頰にべっとりと付着した怪物の返り血をペロリと舐めた。
このフレームAでの戦闘は長続きしない。自分の命を削りながら戦う、諸刃の戦闘術だ。
RLB許容量を越えれば体内を蝕み、命を吸い取っていく死の血液。
強過ぎる出力が生身の体に大きな負担をかけるため、活動限界まで数分といったところか。
「頼むから、もってよ私の身体」
死繋人の頭部が赤く染まった。
突き出た砲身から白い蒸気が立ち上る。
エミリは姿勢を低くして、踏み込みの予備動作をとる。
紅蓮の弾丸が射出された。
エミリは横に飛んでかわした。弾丸といえど目視で追えないほどのスピードではない。
教会の壁に横向きに着地する。エミリはさらに全身をバネにして三角跳躍し、天井を支えている柱頭の出っ張りに手をかけた。そしてさらに跳躍する。
──あの女の攻撃よりはまだ反応できる
このような屋内戦では、飛び道具を使った攻撃は不利だ。機動力のあるこちらに利あると判断。
空中を舞うエミリに追いつこうと敵も跳躍する。
ガキィッ!!
振り上げられた拳を、エミリは左手のブレードで受けた。
焔を灯した鋭い爪と黒い刃が、お互いを噛み破ろうと火花を散らす。
「手だけは硬い──よねっ!」
左の肘は切断することができたが、怪物の拳にはブレードが通らない。
このまま握り潰されたら刃が破壊されてしまう。
エミリは腰を捻り、重心を動かすと、逆上がりのように相手の頭上を飛び越えた。
敵の背後に回る。
しかし、怪物はエミリの動きに追従してくる。
腰を屈め、エミリの一撃を回避する。
ヒュッと切り裂くような音を立てながらブレードは獲物を逃す。
「……チッ!」
そのまま地面に着地。
一呼吸おく間も無く、鉄球のような拳が飛んでくる。
左脚を引き、すれすれで躱すが、頰に擦り傷ができる。鋭い熱が神経をよぎるが、いちいち構っていられない。
敵の連撃はまだ続く。
ゴウッッッ!!
脇腹を禍々しい爪が掠める。
豪腕をなぞるように烈風が巻き起こり、近くの長椅子が吹き飛ばされる。
一抹の攻防に『恐怖』が寄り添い、後退するのではなく踏み込むことで、迫る『恐怖』を薙ぎ払う。
衝撃音と擦過音が重なり、刃と拳が火花を散らす。
敵の膂力に全身で拮抗する。
全身を駆使して回避行動と攻撃を取らなければならない。
迫りくる『死』を防ぎ、踏み込み捌き、また迫る。
迫りくる『死』を避け、いなしながら、また迫る。
迫りくる『死』を受け流し、反動をつけ、また迫る。
迫りくる『死』を掻い潜り、弾きながら、また迫る。
迫りくる『死』を叩き潰し、再び相打つ──。
そして、
ギュィイン!! ────チィンッ!!
もう何撃目になるか分からない斜め上からの振り下ろしの一撃。
それをいなそうとした時、疲れた握力の緩みにより、ブレードがエミリの右手から離れた。
一瞬の気の緩みだった。刹那の反応のズレが、一合の好機を相手に与える。
黒い刃は綺麗な放物線を描き、遠く離れた壁に突き刺さった。
「────ッッ!!」
くるくると回転し、後ろに飛びのく。
息を吐き、体勢を整える。
二本の刃の内、片方を失った。身体は内側から燃えるように熱い。活動限界まであと数分。死繋人の攻撃は時間が経つごとに素早く、正確になっている。長引けば長引くほどこちらが不利になる。
エミリは頰の切り傷に触れて、自分の手を見る。
鮮やかな色味を持った液体がついていた。
生々しいというより艶やかだった。
再び眼前の敵に視線を戻す。
──落ちついて
──冷静に対処しろ……
左手のブレードを右手に持ち替える。
──怖い?
当たり前だ。何度も『死』を体感したのだから。『恐怖』という『負の情』がエミリの全身を包み込む。
──落ちつけっ
唇を噛みしめて己を奮い立たせる。薄ピンクの唇から血が滲み出た。
──恐怖に飲み込まれるな
──感情は抑えて理性的に……
──迷いは捨てろ
ダッッッ!!!
刹那、エミリは一直線に駆け出した。
同時に怪物も左脚を突き出し横薙ぎの一撃を繰り出したが、全神経を研ぎ澄ませた今のエミリにはとても遅く見えた。
エミリの鋭い踏み込みにより床が爆ぜ、敵は目の前の獲物を見失う。
シュッ‼︎
直後、鋭い横からの斬撃が怪物の右太腿に直撃する。
怪物の股の下に滑り込みながらの対DCHブレードによる一撃だった。
骨にまでは達しなかったが、その巨躯の体勢を崩すには十分。
「──殺った!」
今がチャンス。次はこちらから仕掛ける番だと。ブレードの柄を強く握りしめる。
死繋人を葬る為には核──つまり、心臓を破壊しなければならない。正確には心臓部にへばりついているBh器官を破壊することだが、核ごと破壊すれば結果は同じだ。
再び背後に回り込んだエミリは怪物の背中にブレードを突き立てるべく、思い切り腕を振り上げ、
──息を吸い込み、血流を整える、必要な部位に適切な力を添えて、正確に、冷静に、
そして、刺した。
ズブリと鈍い感触がエミリの腕に伝わった。
黒いブレードが肉の壁を突き進み、コアに届いて────、
「──はっ?!」
そう間抜けな声が出た時、ようやくエミリは横からの衝撃に気づいた。
「──────ッッッ!!」
あろうことか前しか向けないはずの機械じみた頭部がグルリと回り、エミリの脇腹に直撃したのだ。
砲塔を旋回させるように、梟が首を不気味に回転させるように、その頭部は回った。
超人の域に達したエミリの動体視力が反応できない勢いで。
「か……はっ……?!」
くの字に折れたエミリの身体は祭壇まで一直線に吹き飛ばされた。
天井に吊るされた十字架に激突し、呼吸が止まる。
GRRUGHOAAAAAAAAA!!
狂った咆哮がエミリの思考を混濁させる。
「──。────。────ぁ」
きん、と耳鳴りがして、エミリはゆっくりと目を開ける。
視界が赤く染まっていることから額を切ったのだろう。もしくは頭か? いや、どっちでも変わらないか。エミリは苦笑しながら震える身体を無理矢理起こそうとするが、足に力が入らない。
気管支に詰まったものを吐き出すと、赤黒い塊がボコリと出た。どうやら肺に肋骨が突き刺さっているらしい。道理で呼吸が苦しいわけだ。
「ち……っくしょ……」
全身からの出血のせいで、意識を保つのがやっとだった。
手が冷たく感じ、視界が暗くなる。この状態では、次に来る敵の攻撃を避ける手段などない。敵の背中に突き刺したブレードは飛ばされた時に手を離してしまい、両手は空っぽ。
瞳に映る拡視の文字列に警告マークが見えた。活動限界のアラートが脳内に響いている。
そして、もう一つのベンチマークが動き出し、目の前の怪物に焦点を当てた。
RLB値上昇の警告通知が文字列となって浮かび上がる。
「まさか……第三形態っ」
目の前の怪物──死繋人には明らかな変化があった。
体長は四メートルから三メートルに変わり、小ぶりになっているがいつの間にか腹部からは腕がもう二本突き出ていた。四本の腕を持った怪物。もはやこれはヒト型ではない。
身体がガクガク震え出した。
──これが……死
怪物の機械じみた頭部の筒が赤黒く光り始めた。
紅蓮の弾丸を撃ち出す予備動作。
あともう数秒もしないうちに私は木っ端微塵になるのだろう。
最早視界は暗く、心臓を飛び出しそうな恐怖だけがリアルに脳に突き刺さっている。
もどかしく停滞した世界で、エミリにできることは奥歯を噛みしめることだけ。
──先輩……無事かな……
今日初めて会ったばかりの上司を思い出す。
──アインさんは……アリスは……
目頭が熱くなった。
──ミハルは……
最後に彼と交わした約束を思い出す。約束を破ることになるなと失笑が溢れた。
ガシュッ!!
死繋人の頭部から白い蒸気が出た。
鋭い音と共に紅蓮の弾丸が射出される。
意識の朧げなエミリの頭が吹き飛ばされる────。
そう見えた直後。
紅蓮の弾丸が弾き飛ばされた。
弾丸はそのまま軌道を大きく変えると、斜め上の支柱にぶつかった。
支柱は爆ぜ、木片が散らばった。
「エミリッ!!」
聞き覚えのある少年の声に突如、意識が引き戻された。
ズザッという音が聞こえた直後、エミリの瞳に人影が映った。
見覚えのある顔に黒髪の少年──ミハルが目の前にいた。
無事ここから逃げたはずの彼が何故ここに? と疑問が芽生える前に状況は進んでいく。
ミハルはエミリを抱え上げると、
「無茶しやがって。ナイスタイミング。グッジョブ! アリス。今のもう一回いけるか?」
「もちろん」
白髪の髪を乱す少女、アリスもいた。
独特な手の組み方をしている彼女の周りには黒い杭のようなものが六つ浮遊していた。
くるくると螺旋を描き、形状を変化させながら防御陣形を展開している。
敵の二撃目の弾丸が射出された。
同時に黒杭の形状が薄い円板に変化し、紅蓮の一撃を易々と弾き返した。
「お返しよ」
アリスの冷たい掛け声と共に、残る五本の杭の連撃が繰り出された。
ドスッ、ドスッ、ドスッ!!!
交差する黒杭の内、三つが死繋人の体に突き刺さり、膝をつかせた。
怪物の体表から赤い蒸気が巻き上がり、視界が赤で埋め尽くされる。
致命傷までは与えられないにしても、怪物の足止めをするには十分な威力だった。
液体の様に滑らかであり、鋼以上の硬さを保つ不思議な黒杭。
攻撃も防御もこなすアリスの技だった。
「なん……で?」
「ん? どこか痛むか?」
エミリはミハルの胸元を強引に引き寄せて、縋るように呟いた。
「なんで……戻ってきたの?」
「女の子一人残して逃げるバカがどこにいやがる。あんな約束、最初から守る気はねーよ。戻ってくるっつの」
かっこつけた台詞をミハルが言った直後、
GRRRUOVOAAA!!
雄叫びと共に赤煙を切り裂く様にして、死繋人が飛び出してきた。
アリスの攻撃はあくまで足止め、敵の猛威は止まらない。
死繋人が半壊した長椅子を蹴り上げた。
質量をもった原始的な砲丸がミハルとエミリに差し迫る。
エミリは反射的に目を瞑ろうとしたが、突如、浮遊感を感じる。
「おっと」と言う余裕を見せながら、ミハルは力の抜けたエミリを抱えたまま大きく跳躍。
そのまま後方で術を展開しているアリスの傍に着地した。
同時に二人を押し潰す筈だった長椅子が砕ける音が響いた。
「すごっ」
エミリの体感で二メートルも飛んでいたように思う。ミハルの常人離れした身のこなしと脚力に目を見張った。人工RLBを体内に流した今のエミリからすれば余裕で出来る芸当だが、
しかし、ミハルは見たところ普通の人間。エミリのようなドーピングをしていない。加えてミハルはエミリというもう一人分の重量を抱えている。生身の人間が易々と出来るはずがないのだ。
理解し難い現実に驚愕するエミリを差し置いて、ミハルは呼吸を乱すこともなく再び口を開いた。
「それにな」
「まだかっこつけるつもり?」
「ちげーよ。マジな話」
「──?」
ごくりと唾を飲み込むミハル。
頰にじんわりとした汗が伝っていた。
「ぶっちゃけ、この怪物から俺たちは逃げられない───」
ミハルは一拍置くと、苦々しい顔で吐き捨てた。
「あいつ、結界みたいなもんをこの教会を中心に張ってやがった。どうやっても出られない。ここは狩場だ、アレを倒さない限り助かる道はねーぞ」
「嘘……でしょ」
絶望する事実が告げられた。




