第一章24話 『死繋人』
コォオオオオオオオオオオオ!!!
轟く咆哮が響き、ステンドグラスの割れる音がした。色とりどりのガラスが祭壇の上に散った。割れた穴から夕日が差し込み、眼前の怪物の存在を露わにする。赤く揺らめく炎が五つはっきり見えた。
───これはマズい
エミリは思わず歯噛みする。
───マズすぎる
不気味なオーラを放ち、頭部に砲身のようなものを生やした巨大な影──異形の怪物の存在。誰であれこんな常軌を逸した存在を前に平静心を保てるはずがない。
だが、その怪物の存在はエミリには異なる大きな意味を持っていた。ただのエミリとしてではなく、異間公安特異九課・一等監察官としてではあるが──エミリにとってはそうだった。
「脅威判定C とかウソじゃない、支部のクソ野郎」
信じ難い事実を突きつけられ、エミリの口からは絶望と焦りが交ざった独り言が溢れでた。刹那エミリの心中を占めるのは行き場のない激情と混乱の嵐。
───クソクソクソクソ!! ───なぜ、コイツが出現するの? ───キリエ・ミハルの脅威判定はCだったはず───CだよC! せいぜい要監察程度でしょ───何故、この怪物が? ───何故、このタイミングで? ───何故、こうなった? ───何故、予想できなかった? ───何故、こんな目に? ───何故、何故、何故、何故、何故、何故、何故───
そして、
エミリが最もこの状況で理解し難い存在の呼び名。
その忌々しき単語を呟いた。
「なぜ、死繋人が!?」
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【死繋人】
〈description〉死繋人(英/Death Connect Human)。略称DCH。外見はヒト型に近いが、生殖器官は持ち合わせていない異形の怪物。
特徴的な点は高い再生能力を有し、銃弾や刃物などの一般武器では傷一つ付かないほど耐久性があること、コアであるBh器官を破壊しない限り活動を止めることはない、などがある。
出現した際にはRL粒子の濃度が濃くなり、その濃度値で個体の脅威が判定される。
近年の研究により、死繋人と化した人間は全て追放者───現世の人間が死人と化した存在であると立証された。
大終焉時、世界を混沌に陥れた元凶の一つとして似たような生命体の存在が記録されているが、現時点では明確な事実は証明されていない。
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手首に灯った炎が赤々と照っていた。
その異形の怪物はぼーーっと佇んでいたが、こちらをぎょろりと睨みつけた。
とてつもない殺気がエミリを射抜く。
「クソッ」
ぐっと奥歯を噛むが、この状況を嘆いても仕方ない。
脳裏に浮かんだ選択肢は二つ。逃げるか、立ち向かうかだ。
───もちろん前者を選びたい
───けど
殺気を隠しながら、エミリは太腿のストッカーに刺していた対DCHブレードに手をかけた。
起動ボタンに親指を添える。
チャキリと。
黒い刃が展開した。
鼓動の音が速まる。
その時だ。
エミリの瞳にキラリと光る光点が映った。
「チッ……‼︎」
咄嗟にエミリは横に立ち尽くして硬直していた少年をなぎ倒す。
ヒュンッ!! と。
風を切るような音と共に『赤い何か』がエミリが立っていた僅か数十センチ上をを通り過ぎた。
刹那、訪れたのは、
破砕。
ステンドグラスが砕け、古びた木枠がへし折れる轟音がブレンドされた衝撃波。
「──────ッ!!」
咄嗟の反射神経で受け身をとるも、数秒意識が混濁する。
───そう簡単に逃してくれそうもないわね
そして、エミリは一つの事実に気づく。
───あの時の攻撃、正体はコイツか
あの時とはどの時か。エミリはすぐに思い出せた。
例の大通りで受けた攻撃。遠距離から獲物を狙うための武器から繰り出せれる一撃。
石畳をえぐり取るほどの威力。そして、着弾時に見える紅蓮の衝撃波。
あれと全く同じだった。
コォオオオオオオオオ!!
異形の怪物──死繋人。その頭部から伸びた筒の先端からは赤い煙が細くたなびいていた。まるでそれは砲身のようで、実際のところ、それは砲身とさほど変わらない作りと機能を備えていた。
『赤い何か』はその砲身の先端から射出された。
『赤い何か』とは銃身から放たれる弾丸そのものっだった。
『赤い何か』とは紅蓮の弾丸だった。
つまり、先刻の大通りでの攻撃の正体はこの怪物の所業だった。
が、そう落ち着いて答え合わせをする暇などない。
すぐさま立ち上がると、足をもたつかせる少年の腕を強引に引っ張り、ひっくり返った長椅子の裏側に彼を投げ飛ばした。続けてエミリも滑りこみ、身を隠すと息を整えながら状況を整理する。
───あの時、あの時だ───あの時からもうすでに始まっていた───でもおかしい───なぜ本体となるはずのキリエ・ミハル本人を攻撃したの? ───まさか、自律型? ───聞いたことがない───キリエ・ミハルと同調していたとでもいうの? ───いや、彼はずっと意識を失っていたはず───そんなことができるはずがないでしょ───そもそもコイツはどこか変だ───通常のタイプとは違う───あの頭は何? ───まさか新種───マズイ、マズい、マズい、マズい、マズすぎる───先輩……助けて───早く帰ってきて───このままじゃ、私───
「エミリっ!!」
衝撃的な事実の連鎖に思考を埋め尽くされているエミリ。そのエミリの名前を叫びながら正気に引き戻したのは傍らにしゃがむ一人の少年だった。
少年らしいがっしりした手で肩を叩かれ、エミリは初めて自分が呼吸を忘れていたことに気付く。
この眼前の怪物の脅威を知っているからこその恐怖。それに呑み込まれていたのだ。
───何をしている! 落ち着け、私! しっかりしろ!!
焦る思考を落ち着かせるように深々と息を吸って、吐いた。
そして、
「ねぇ、ミハル君」
「な、なんだよ?」
今すべきことは何なのか? 状況の把握、優先事項、応戦か撤退か、考えるべき全てのことを整理する。
───最善策はこれしかない
そして捻り出した最適解。
震える足を拳で叩き、湧き上がる恐怖心を取り払うと、
「女の子二人、抱えて逃げれる?」
傍に立ち竦む少年におもむろに聞いた。
そんな意味不明な提案を彼がすんなりと受け取るはずもなく、
「はぁ? 何言ってんだよ!」
「よく聞いて、ミハル君。私がこいつの注意をできる限り引きつける。その間にアインさんとアリスを抱えてここから全力で逃げて。いい? 分かった?」
「───! いや、だから何言って?!」
「いいから早くっ! 出来るの出来ないの? 返事は?」
「───ッ!! な、んだよそれ……それって自分がしんがりを務めるってことだろ……っ」
エミリの意図を汲み取った少年の顔が悲痛に歪む。その声も震えていた。
そんなことは百も承知だ。自分が今から何をするのか分かっているし、それがどれほど無茶なことかも分かりきっている。
でもだ。
今ここで自分が立ち向かわなければ何も知らないこの少年達に被害が及ぶ。
「ミハル……」
そう、呟いていた。
もう一人のミハルという少年。
この少年は一体何者なのか? キリエ・ミハルとは別人なのか? そんな彼の正体など今のエミリに知る術はない。
しかし、今優先すべきことは知っている。『無事みんなでこの局面を乗り切ること』、それだけだ。ややこしいことは後回し。聞きたいことは山ほどあるから、後でゆっくり聞こう。今はそれでいいじゃないかと、エミリはそう思った。
だから、
「二人をお願い」
「──ッ!! クソッ、分かったよ。二人は俺が必ず……でも……」
「うん?」
「勝手に死んだら……俺が許さないんで」
「わたしを女だからってなめないでよね」
拳を付き合わせ、コツンと合わせる。
ニカッと笑い合うと、すぐさま行動に移る。
エミリとミハル───二人のやるべきことは決まった。
* * *
教会中央部、死繋人はあたりに散らばる長椅子や瓦礫を蹴飛ばしている。
こちらの存在に気づいているのか、無視しているのか、敢えて知らないふりをしているのかは分からない。
何を考えているのか分からないということが、なによりの恐怖だった。
この場からの離脱といってもミハルは二人を抱えて逃げなければならない。
運がいいことに怪物とアリスの間には距離がある。
彼女を助け出すには敵の注意を引いて、その隙を突くことだけ。
エミリはタイミングを見計らってその辺に落ちていた手頃な木片を思い切り投げた。
綺麗な放物線を描いたそれは、敵の後ろに落ちた。
コンッと、音がした。
「──────⁉︎」
機械じみた頭部がぐるんと動いた。
そして、同時に死角ができた。
「今! 行って、ミハル───‼︎」
「───ッ‼︎」
弾かれるように、ミハルは地を蹴り駆け出した。
一直線に仰向けになったアリスの元に駆け寄り、小柄な体を両腕に抱え、すぐさま方向転換。
「ミ……ハル」と、彼女のか弱い声が耳をかすめた。
「良かった。息してる」
まだ怪物の死角に入っていて、気づかれてはいない。
教会の正門とは反対に位置する懺悔室、そこまで一目散に向かう。
小部屋に入ると傷を負い、うつ伏せのアインを左脇に抱える。
「さすがに重っ」
が、なりふり構わずそのまま直進。
そして、「オラァ‼︎」という掛け声とともに勢いに任せ思い切り小部屋の奥の扉を蹴破った。
火事場の馬鹿力なのか、少女二人を抱えたミハルはそんな超人じみたことをやってのけた。
「おっし、外だ」
エミリの予想通りそれは裏口に通じる扉だった。
ただ、走れ。
ミハルの意識はそれだけに執着していた。
後ろは振り返らず、ただ走れと。
ミハルはとにかく走った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「頼むよ、ミハル。とにかく逃げて」
行き当たりばったりの賭けだったが、これで三人の危機は遠のいたはず。
ミハルがこの教会から出ていったのを確認してから完全に意識から外した。
「おい、こっちよ化け物」
手首を返して煽りのジェスチャー。
エミリは改めて目の前の怪物と対峙する。
そもそも異間公安特異九課の仕事とは何か? 監察官の仕事とは何か?
異間公安の者であれば誰であれこう答える。
───死人殺しと。
死繋人───ヒトの姿を借りた怪物。なりそこないの悪魔。地獄から這い上がってきた死者。などなど様々な呼び方があるがその正体は今も謎が多い。
分かりきっている事実はこの怪物は害しかもたらさない、それだけだ。とある過去の記録によれば死繋人単体で都市一つ壊滅させたという目を疑うものもある。
そんな畏怖すべき存在を討伐するのが監察官の仕事。
エミリの初任務の監察対象であるキリエ・ミハル。支部から受け取った情報では彼の脅威判定はC。死人化するのは脅威判定Aから。つまり、脅威判定Cのキリエ・ミハルが死人化するのはありえないのだ。
───追放者の覚醒? 聞いたことがない。でも……
「やるしかないよね」
エミリは目の前の怪物に向き直った。
紅蓮の弾丸を放つ機械めいた頭部。どす黒い体表。命の温かみにかけた冷たい体。
頭部から突き出た砲身からは赤黒い血が垂れている。
───おそらくこの状態は第二形態
キリエ・ミハルが死人化した時点でそれは明らか。
死繋人は活動を停止させられるまで破壊と虐殺の限りを尽くす。
何としてもここで食い止めなければ、最悪の事態にたどり着く。
まだ、運がいいことに、この死繋人は他に注意を向けていない。
だから、
───なおさらコイツはここで倒す。私一人で
キュィイイイイイイィン!!
鋭い音が空気を震わせ、死繋人の視線がエミリに向いた。
底冷えするような殺意がエミリに刺さる。
標的をエミリに変えたのだ。
右手と左手に握るのは対DCHブレード。柄にあるスイッチを入れると刀身が赤黒く染まった。人工RI血液を流し込んだ刃は通常のものとは異なった機能を有する。
呼吸が浅く、額に汗が浮かぶ。
死繋人が跳躍した。
獣のように尖った爪を生やす手が振り上げられた。
「───ッ!!」
最初の振り下ろし攻撃を、エミリは弾丸のように水平跳躍して躱した。
三歩で死繋人の斜め後ろに回り込み、ブレーキをかける。
埃が舞い上がり、足跡の軌跡が浮かび上がる。
死繋人は振り下ろした腕を床に突き刺したまま辺りを見回していた。
エミリの桁外れの機動力に、認識が追いついていない。
───そこまで速くはない、機動力はこっちが有利
エミリの喉から、薄く、浅い呼吸が漏れた。顔色は白く、頰に汗がつたう。
死繋人との実戦はこれが初めてだった。
敵の体長は猫背であるが、3メートルほど。両腕のみやけに長く不恰好な形である。
巨人とは言えないが、その醜い姿は何度見ても足が竦む。
したる汗を乱暴に拭い、目を見開く。
ドッッッゴッッッ!! と。
再びエミリを視界に入れた死繋人が一気に間を詰めた。
次は横薙ぎの大振り。
叩き潰すだけを目的とした一撃を上半身を逸らしてぎりぎり回避する。
そのまま片手を床につくと、胴体を勢いよく捻り、踵を腹部に叩き込んだ。
敵からくぐもった声が聞こえた。
「キモい感触」
ゴムタイヤのような感触に顔をしかめるも、ダメージを入れることができたのはラッキーである。
エミリの伸びきった足を死繋人の手の平が狙う。
エミリはすぐさま膝を畳むと、右足を軸に回転。
対DCHブレードで受け止める。
突き出したブレードに尖った爪が命中し、火花が散る。
機動力ではエミリが上だが、単純な力比べでは敵がはるかに上だった。
「ぐっ…………!!」
上から押さえつけられ、ミリの体勢は徐々に崩れていく。
「くっ…………!!」
ついにこらえきれず、片膝がついた。
腕、足、腰の関節が悲鳴をあげる。
怪物の手首に灯った焔がエミリの顔を照らす。と
───このままじゃ、力負けする。だから……
───アレを使うしかない
奥の手だが、なりふり構っていられない。
〈RLB値 フレームAに移行〉
すぐさまエミリは拡現に命令を下した。
〈了解。使用者の生命維持を優先。フレームAに移行します。RLB注入開始〉
脳内に無機質な声が響いた。
敵はさらに力をかけると、エミリをぺしゃんこにしにかかる。
勝負は目に見えていた。
死繋人から嘲笑うかのようなくぐもった声が聞こえた。
しかし、
変化は突如起きた。
あろうことか力を込めていた腕が徐々に押し上げられ、ブチリという音と共に、怪物の腕が床に落ちた。
「グガァアアアアア!!」
驚愕と苦痛に悶える怪物の咆哮が轟いた。
ぼたぼたと対DCHブレードの刃先から赤黒い液体が滴る。
エミリはゆらりと立ち上がった。
瞳孔が青白く染まった。
白目を剥いたままのエミリの口が開かれ、歪んだ笑みが溢れでた。




