第一章23話 『ミハルとミハル』
一方、その頃ミハル達は──
「はぁはぁひぃ……やっと……着い……た」
片膝をつき、息を整えるミハル。
ここまでノンストップで走ってきたため、呼吸が苦しい。
肺は張り裂けるように痛いし、頭蓋に心臓の波打つ音が響き、クラクラする。
なぜ、彼がここまで疲弊しているのか?
ミハルの背にもたれている少年がその原因だ。
エミリがおぶっていた彼は未だ目を覚ますことなく、黒装束に黒フード(おまけに包帯つき)の顔は見えない。
が、ミハルにはわざわざ見ようという気も起きなかった。いや、見たくないという気持ちの方が大きいのかもしれない。彼の身体のあちこちには痛々しい傷跡があり、もしかしたら顔も無残な状態になっているのではないか、と思ったからだ。
──いつになってたら目を覚ますんだ? この人? 死んでねぇよな?
若干の冷や汗を垂らしながら、ミハルはちらりと横を見た。
そこにはポケ〜と斜め上を見上げる少女が三人。
「ここが例の……」
「はい。今は廃墟になっています。人が住んでいるかどうかは知りませんけど」
「いかにも教会って感じね。ボロいけど」
桃、赤、白の髪の少女が三人揃って、古びた教会を見上げている。
改めて彼女たちの横顔を見ると、それぞれが目鼻だちの整った美人であることに気付かされる。
大人びた雰囲気のエミリが長女で少し幼い顔立ちのアリスが次女、そして顔も雰囲気も庇護欲が唆られるアインが三女の美少女三姉妹といったところだろうか。
「とにかく中に入ろうぜ。足と腰が限界で」
「ああ、ごめんごめん!! 君が一番疲れているよね」
「あ、この扉開く」
重々しい扉はアリスの片手により、思いの外,簡単に開いた。老朽化も相まっていろいろとガタがきていたのだろう。
隙間に溜まっていた埃が頭に降りかかり、アリスはコホコホと咳き込んだ。
その様子をたまたま見ていたミハルは、知らぬ振りをするアクションへ移るのにワンテンポ遅れたわけで、
「ど、鈍臭くて悪かったわね!」
アリスと視線がぶつかってしまった。
「うん、肩にもかかってる」
「知ってるもん!」
ほっぺをプクっと膨らませるアリス。
白いほっぺは少し赤みががっていて白桃の様だった。この可愛さは反則ではなかろうか?
「ほらほら、二人とも。さっさと入って休みましょ」
いつの間にかお姉さんキャラのポジションを確立させつつあるエミリにはなぜか二人は逆らえない。
出会ってから半日も経過していないというのに、ミハル達の今の距離感はこんな感じなのだ。
「へいへい」
「ふんっだ」
和むひと時もこの辺にして、ミハルは再び腰を上げた。
空を見上げれば、夕日が雲を照らしていて、随分と時間が経っていることに気づかされる。
──しかし、よくここまで来れたもんだ
エミリと二度目の再開を果たしたミハルは突如何者かの攻撃を受けるも、エミリの機転とアリスの魔術のお陰でなんとか難を逃れることに成功。
その後の逃走劇は意外にも上手くいき、ミハル一行はなんとか目的地である貧民街の教会に無事到着したのだった。
これは奇跡と言っても過言ではない──のだが……
思い返してみれば色々不可解なことがある──気がするのだ。
謎の襲撃者の攻撃を免れた後に聞こえた不気味な音。
ミハルには音というよりは声に近い感じがしたのだが、あれは本当になんだったのだろうかと思う。ヒトが出せる声でもないし、機械で出せるような音でもない。
──謎の襲撃者、不気味な叫び声、時計塔の屋根上……正体は一体なんだ?
「おーい、どしたの? 中に入りなよ」
先に教会に入ったエミリが扉から顔を出して、手招きするのが目に入った。
どうやら少し考えごとをしている間にミハルは取り残されていたらしい。
「ま! シリアスなことは後回しでいいや」
「え?! ……大丈夫?」
唐突なミハルの発言に首をかしげるエミリに構わず、ミハルも扉をくぐるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
教会といえばミハルの知識ではキリスト教の教義を説き広めたり、また礼拝するための建物という認識があるのだが、今、ミハルが入った教会と呼ばれる建物はまさしくそれと似た作りをしていた。
「まんまそれじゃん」
ミハルがこう言ってしまうのも仕方なかった。
玄関から入ると、真っ直ぐ奥まで続くスペースがあり、一番奥には祭壇と、十字架のオブジェが吊り下げられている。
その背後には色とりどりのステンドグラスが散りばめられていて、夕日が透き通る様は幻想的で美しい。
建物の敷地面先はテニスコート二つ分。構造的には上から見てちょうど十字架の形をした造りで、古びれたと言えど立派な建物だった。
「その子はここに下ろしましょ」
“その子”というのはもちろんミハルがおぶっている少年のことである。
今も目を覚まさない彼は横にして安静にしておくのが得策か。
エミリが指定した場所は横に長い椅子だった。横に5メートルくらいで10席あり、等間隔に並べられている。
集会などで参拝者が座るために使われていたのだろう。
この世界での宗教と概念の存在は知らないが、少年の元いたであろう世界のものとたいして変わらないのかもしれない。
「ここがいいか」
老朽化が進んでいることもあり、腐敗がまだ進んでいない長椅子の上におぶっていた少年をゆっくりと寝かせた。
呼吸しているのかと思うほど静かな少年の手は冷たく生の気が感じられない。
そんな不安に囚われていると、ミハルを押しのける様にして横たわった少年の手を握る者がいた。
「……よかった。本当に……よかった」
桃髪が特徴的な少女──アインである。
出会ってこのかたアインとはあまり話していない。というより一言も会話していなかったことにミハルはいまさらながら気づく。
──なんつーか、避けられている感じがするんだよなぁ……
彼女はやっと落ち着くことができたのかほっと息を吐くと、
「あの……ありがとございます。ミハ……ッ」
が、しかし、何を思ったのかアインはミハルの顔を見ると困惑した顔になり、唇をキュっと引き締めると顔を伏せた。
一連の不可解な彼女の仕草に動揺するも、顔には出さずコミュ二ケーションを図ろうとする。
「……!? あの、どうかした? 大丈夫?」
「いえ、なんでもありません。その、気にしないでください」
「でも……その……なんかあるんだろ? 遠慮なんかしないでいいって」
「……」
ミハルの口から思わず愛想笑いが出る。
──き、気まずい
このどうしようもない空気に耐えかねていると、エミリに肩を叩かれた。
振り向けば整った顔立ちが首元にあるわけで、思わず耳が赤くなってしまう。
美人がそこで話すと耳がこしょばいのは言うまでもない。
「ね、ミハル君。ちょっといいかな? 少し君と話しておきたいことがあるんだけど」
「え? …… あぁ、うん。えっと、何だっけ?」
「ほら例の件」
──あぁ、そういえば。
とミハルは相槌をうつ。
思い返せば、襲撃にあった時にエミリとお互いのことについて話し合おうと約束していたではないか。
この世界に来てまだ一日も経っていないというのに、色々な出来事が起こり過ぎて頭がパンクしそうではあるのが現状。
…そのため、ミハルが今最も優先すべきは情報の取得であるというのは間違いない。
確かに彼女が何か訳知り顔であったことは覚えている。
「ごめんね二人とも。ちょっと確かめたいことがあって、二人だけにしてもらえると助かるんだけど……いいかな?」
と申し訳ない感を出しつつ、ミハルの首元をグイグイ引っ張るエミリ。
対してアインは無言で会釈し、アリスはというと腰に手を当てるとドヤ顔をしながら、
「ええ、もちろん。私って空気を読める女だから」
「それ自分で言っちゃまずくないか?」
「なにか言った?」
「いや何も」
とのミハルだが、アリスの気遣いには感謝していた。
三度目の世界ではアリスとの再会を果たした際に、ミハルは探している人──つまりエミリ本人に『どうしても伝えなければならないことがある』という目的を話していた。
アリスはそのことを覚えてくれていたらしい。
アリスの気遣いに口元を綻ばせながら、ミハルは近くの椅子に腰かけた。
ようやく一息つけたことに全身の緊張が解けていくのを感じる。
腰に違和感があり、ショルダーバッグの存在に気づく。となると、自動的に例の喋る右腕のことを思い出すわけで、
──これは今出したらマズイよな……たぶんつーか絶対
この右腕をここで出すことは彼女達の信頼を地に落とすと判断。こんな常軌を逸した代物だ。一人になるタイミングを見計らって放棄しようと決めた。
「とにかくここは任せて。彼のことも私の方でなんとか回復できるように頑張ってみます」
とアリスは長椅子に寝かせられている少年を指差す。
「もしかしてルフ操術?」
「うん、見たところ衰弱はしていないけれど、ルフの動きがおかしいからまだなんとかできると……思う。あ、でも回復術に関しては専門外だからあまり期待はしないでね」
ミハルも一度目の世界で経験しているアリスの回復術。
魔法か魔術か、どちらの類に分類されるかは知らないが、『ルフ操術』というのがひとつの呼び方らしい。
『ルフ』という概念は少年の知識にはないので、おそらくこの世界特有の力、またはエネルギーのようなものだとミハルは推測している。
実際にミハル自身も彼女の『ルフ操術』を使った回復術により、体が元の調子を取り戻せたのは事実であることだし、ここは彼女に任せるのがベストなのだろう。
「ありがとう。気遣い感謝するわ。じゃあ二人を頼める? アリスさん」
「さん付けじゃなくて、アリスと呼んで」
唇を尖らせ、どこか拗ねた顔のエミリ。
どうやら彼女は堅苦しい呼び方は苦手のようである。
そんな彼女に対し、エミリははにかみながら少女の名を呼んだ。
「じゃあ、アリス。よろしくね」
「うん!」
そこには出会って数十分とは思えない程の信頼関係があった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アインと黒装束の少年はアリスに任せ、ミハルはエミリと二人きりに。
こうして落ち着いて彼女と面と向かって話すのは初めてである。というわけで少しばかりミハルは緊張していた。
一方、エミリの方はこめかみに人差し指を当て、何か考えごとをしているかのように佇んでいた。
これは何の時間だろうか、自分は試されているのだろうかとミハルが怪訝に思うこと数秒後。
「送信完了っと」エミリは口ずさみながらこちらに視線を移した。
「ミハル君」
「お、おぅ……じゃなくて、はい」
「ここって教会でしょ。ということは懺悔室みたいな小部屋があると思うの」
「なるほど、確かに」
別にここで話してもいいのではないかとミハルは思ったが、エミリなりの思惑があるのだろう。ということで、ミハルはエミリの後に素直に続く。
おっかなびっくりミハルは改めて辺りを見渡す。塵や埃、蜘蛛の巣の絡まった固まりなどがあちこちに溜まっていて衛生状態の悪い場所であることは明らかだ。ここにあまり長居はしたくない。
「で、たぶんだけどこの奥の扉あたりがその部屋に通じんているんじゃない」
そう言いながらエミリが埃を被ったドアノブを捻ると、
「ビンゴ──ほら、あった」
扉の奥には六畳一間ほどの小部屋が一つ。長いこと使われていないことがあちらこちらに張り巡らされている蜘蛛の巣の数で分かる。部屋の中央には簡素な椅子二つと机が一つ置かれており、そこに座ることにした。
椅子の上に積もった埃を軽くはらい、互いに面する形で座ると早速エミリの方から話しかけてきた。
「えっと何から話そう?」
「最初に俺から一ついいか?」
「ん、何? なんでも言って」
「これだけは聞いておかないと安心できないというか、その……確認みたいなものなんだけど」
ミハルは最初に聞くべきことを考えていた。
頭を捻って、思い出して、思考しろと自分に言い聞かせながら絞り出した結果。
──ここが肝心だからな
ミハルはエミリの瞳をまっすぐ見つめた。
聞きたいことは山ほどある。が、大前提としてこれだけは聞いておかなければならないことが一つ。もしこの推測が間違っていたとしたらこの後の話し合いの意味が無い。
──だから、まずは
ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る口を動かした。
「エミリさんってこの世界の人間じゃないよな」
『この世界の人間ではない』つまり、ここが異世界とエミリが自覚していて、ミハルがいたはずの元の世界からこの世界にやってきたのではと言いたいのだ。
何故、ミハルがこう推測したのかは理由がある。
遡ること数十分前。謎の襲撃に遭い、彼女と会話した時のこと。
あの時は命が危うい状態でそれどころではなかっのだが、落ち着いて思い返してみればおかしな点がいくつかある。
一つ目は襲撃時、一命をとりとめたミハルにエミリは確かにこう言っていた。
「状況は最悪ね。狙撃手の攻撃は見ての通り殺傷力が高い。炸裂弾頭かな? それにしては硝煙の臭いがしないのが気になるけど。腕にかするだけで吹き飛ぶことはまず間違いないわ」と。
──『炸裂弾頭』『硝煙の臭い』なぜ、こんな単語を知っている?
二つ目は小麦粉という単語にエミリが何の疑問も持たなかったこと。
そして、三つ目。極め付けはこれだった。
「小麦粉……だよな?」というミハルの問いに対し、彼女はこう言った。
「この世界ではそれに近いものね」と。
──『この世界では』……これじゃあ、まるでもう一つ世界を知っていると言っているようなものだろ。そしてここから導き出されることは一つしかない。
目の前にいるエミリは『もとの世界』つまり『地球(といえば最適か)』出身であること。
以上がミハルが頭を振り絞って出した推測の思考過程であった。
──さぁ、どうだ?
次はエミリの回答である。
余程緊張しているのか、口内が渇いていた。気分を落ち着かせるように舌を転がし、潤す。
緊張な面持ちのミハルであったが、
「え、うん。まぁ、そうだよね。そりゃ気づくか」
「へ?!」
エミリのフラットな回答によって、ぶっ壊された。
「うん、正解。おめでとう! 中々鋭いね、ミハル君。まぁ、流石に引っ掛かるか」
確かにミハルの推測は完璧だった。
しかし、エミリのこの予想の斜め上の反応に思わずずっこけた。
体も心も、なにもかも。
「いや、その……なんというか……もっとこうあるじゃん! これじゃあまるで俺だけが一人熱くなっているというか、無駄にエナジーを消費したというか! なんというか、思ってたのと違う……っ!!」
机に突っ伏しワナワナ震えるミハルであった。
ということは最初からエミリは試していたというわけか。と今さらながらに気づく。
本来であれば自分が元いたはずの世界の人間と出会えたことに喜ぶべきだが、ミハルの引っかかるポイントは少しずれていた。
そんなミハルに対して、エミリは意地の悪い笑みを浮かべながら、
「じゃあ、次は」
「あ、それなんだけど──」
「──次からはエミリさんが俺に質問してくれた方がいいかなって」
とミハルは言葉を慎重に選びながらエミリの顔を伺った。自分でも変なことを言っているのは分かりきっている。しかし、ミハルには現状、これが最適な答えだと思った。
こういう場合は一人が質問し、もう一人が答えるという形式をとった方がスムーズに話が進むのではないかとミハルなりに考えた結果なのだが……
そんなミハルの緊張した様を楽しむかのように微笑んだ。
そして、ミハルの視線の先の彼女は足を組み直すと、
「うん、だね。その方がいいかも。たぶん……私が今から話すことはぶっ飛んだ内容になるけど、毎回反応していたら進まないからその間の質問は無しね。その後は君が質問する番ということで」
「なるほど」
意外にもエミリの回答はあっさりしたものだった。ここで不審に思われて、ややこしいことになればどうしたものかと内心ヒヤヒヤしっぱなしのミハルであったが、第一関門を突破できたことにホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、始めよっか」
「あの、ちょっと楽しんでる?」
「いやぁ、何というか自分に後輩ができた感じがしていい気分でさ」
にかっと笑うエミリの笑顔は可愛いというよりカッコかわいいだった。
「……は、はぁ」
「えっと、何から話すべきかな? こっちとしては君に聞きたいことはたくさんあるし、確認しなければならないこともあるし……うーん困った。監察対象であるミハル君にはこちら側のことは後々名乗る予定だけど。なぜか二人いるんだよね。どっちが本物? あ──っもうっ!! 先輩のバカバカッ。こんなのどうすりゃいいのよ。私今日が初めての新米なのにっ!」
とか後半は愚痴のようなことを呟く彼女だったが、ミハルの若干ひいた視線に気づいたようで、先程の態度とは一変、コホンと咳払いを一つすると、
「質問の前にまずは私の自己紹介から」
エミリは自分の右手首を突き出した。
そして、
次の瞬間、ミハルの目は大きく見開かれた。
ミハルがそう反応してしまうのも無理はない。
まさかのまさか、彼女の手首数センチ上のところに一枚の画像が映ったからである。
何もない空中に、立体的に。空間ホログラムという表現が適切か。
SF界隈でよく出てくる架空のテクノロジー。そうとしか言いようがない。
そこにはエミリの顔とバッジのような模様が浮かび上がっていた。
「ナニ……コレ?」
この時点でミハルはすでに追いつけてはいなかった。
ミハルが落ち着いて適応しようとする間もなく、エミリは次々と情報を開示してくる。
「私の名は焔・イリアス・エミリ。異間公安特異九課所属、一等監察官よ。新米だけど」
「は、はぁ。そりゃどうも」
と間抜けな反応しかできないわけで。
──いかん……公安ってなんだ? 公安ってことは警察? それよか、いかんってなんぞ? かんさつ官って?
ミハルの中では気泡のように次々と疑問と混乱が浮かび上がってくるが、エミリは御構い無しに次々と質問を繰り出してくる。
「いつこの世界に来たの?」
「今日かな」
「ここが元いた世界とは違う世界であることは自覚しているんだよね?」
「ま、まぁ」
「どうやってここに来たのかは覚えている?」
「それが全く覚えてない。気づけばこの世界にいて」
「君に双子の兄弟は?」
「いないと思う……たぶん(というか俺が知りたい)」
「たぶんって……これは重要なことだから真面目に答えて」
「あのっ!!」
「ご、ごめん。強く言い過ぎたわ」
「いや、そうじゃなくて。俺、今まで伏せていたことがあってさ」
「えっと……それは?」
「実は……俺」
「実は?」
声の調子を落としたミハルの雰囲気に、何かを察したのか、唇をキュッと結び、憂い顔に緊張を浮かべながらミハルを見る。
──もういい。全部さらけ出しちまえ! もう嫌だ、こんなこと……俺には荷が重すぎる。いかん公安? 記憶喪失? タイム・リープ? ふざけんな。なんでもかんでも俺に押し付けるな。
この世界に来て起こったことを一から全て語ろう。
何を今まで怖気づいていた?
簡単なことではないか。
ありのままを話せばいい。
そんな自己中心的な自分の浅ましさを自覚する。
時間遡行というような空想上の現象など誰がそう簡単に信じてくれるのか。普通に考えてみれば一笑に付されそうな話であり、冗談と思われる可能性もずっと高い。
でも彼女なら、エミリなら、ミハルの証言を信じてくれるのではないか。
そんな淡い期待がミハルの脳裏をよぎった。
ミハルは唇を噛みしめる。
ゆっくりと口を開き、
「実は俺、記憶喪失でこの世界を──」
キャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
ミハルの真実の告白と少女の悲鳴が重なったのは同時だった。
その直後、懺悔室の壁をぶち抜いて一人の少女の身体が吹っ飛んできた。
さして重くはない彼女の身体は枯れ木のようにすっ飛び、二、三転した後、ようやく止まった。
床に張り付いた埃が宙にまい、部屋中が少し曇る。
一瞬のことで状況整理に数秒かかった。
ふと足下を見れば桃髪の少女が横たわっているわけで、
「おいっ!!」
慌ててミハルは少女の身体を抱き上げる。
アインの体は見るも無残な状態だった。
「アインさんっ!?」
彼女は気を失っていて、エミリの呼びかけに応えない。
腹部に打撃を受けたのか口から吐血し、彼女の左腕はあらぬ方向に曲がっていた。
彼女の口元から溢れ出る赤い液体に突如、過去の記憶のトラウマが蘇る。
──血ィ出てる。ヤバイ、死んじゃう。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイッ!!
「アリスっ!!」
すぐに体を反応させたのはエミリだった。
扉をこじ開け、部屋から勢いよく飛び出した。ミハルも慌てて彼女の後を追う。
ミハルは嫌な予感しかしなかった。
しなかったというより嫌な予感しかできなかった。
明らかな非常事態。
──クソっ!! 何が起こった?
アリス達がいるのは教会内部の玄関付近。
比較的大きな教会ではあるが、アリスのところに行くまで数秒もかからない。
「──────ッ!?」
しかし、二人の足は不意に止まった。
怖気づいたのではない。
足を挫いたのではない。
目の前に広がる惨状に絶句したからである。
今までずっと気を失い、寝込んでいた少年。
ミハルが死んでいるのではないかと心配するほど重体だった彼は地に足をつけていた。
誰かに支えられる必要もなく、二本の足で立っていたのだ。操り人形のように気味悪く。
そして、白髪の少女の細い首を鷲掴みにし軽々と宙に吊りあげていた。
直後、少年の声が不気味に響いた。
「……ガァ……こ……あ……あぁ……ろせ……あぁぁァァァ──ッ!?」
否それは少年の声ではなかった。
悪魔に取り憑かれたかのような声。
鼓膜に響く不快な声。
人が出せる声ではなかった。
「か、ふ……っ」
足をばたつかせ、アリスが彼の腹や急所を蹴るが、ダメージがない。
予想もしなかった光景だ。
「何してんだっ!? やめろ! アリスから手を離せ!」
ミハルの口から咄嗟に出た一言。
幸か不幸か少年の注意はアリスからこちらに移った。
少年はアリスの身体を乱暴に投げ飛ばし、首をゴキリと鳴らした。
その反動で彼が被っていた黒フードと顔半分を覆っていた包帯が剥がれ落ち、ようやくそいつの顔が露わになった。
「あ!?」
殺意に満ちた瞳がミハルとエミリを睨みつけた。
長くとも短いとも言えないアホ毛。サラサラな前髪。どこぞの誰かに似た髪型だ。
「────」
そして、
運命なのか、偶然なのか、そいつの斜め後ろにあったのは壁に貼り付けられた姿見。
そこで初めてミハルは自分の顔を見る。
次に、視線を横にスライドさせればまたそこに同じ顔があった。
つまり、そういうことだった。
「な…………」
あまりの不可解な現実に声がかすれる。
「な……んで」
──意味が分からない。意味が分からない。意味が分からない。なんで……
渦巻くような言葉が思考の渦に呑み込まれていく。
ミハルは呆然と立ち尽くすことしか出来ない。ただ、混乱する思考が落ち着くまで己の瞳にその存在を写すことしか出来ないわけで、
そして、
ようやく、
口を開けて言葉を紡ぐ。
「なんで……俺がもう一人いる」
ミハルの目の前にはもう一人のミハルが立っていた。
ミハルからすれば目の前にいる少年は異常だった。
理解不能だった。理解の範疇を超えていた。
けれども、もう一つ。
理解不能な現実を目の当たりにする。
少年の体が突如変化した。
腕が、足が、胴体が、頭部が、肥大化し、黒い皮膚に覆われる。
再生、崩壊、再生、崩壊、再生、崩壊。
まるで新しい生命に生まれ変わるように変容していく。
共に聞こえるのは少年の苦痛に悶える悲鳴と叫び。
しかし、それもいつの間にか聞こえなくなっていき、ついにそれは姿を現した。
コォオオオオオオオオオオオオッ!!!
それは人の形をした怪物だった。
あまりに冒涜的な外見の存在だった。
「は…………っ!?」
全体的にどす黒い色の塊で、浮き出た神経がトクントクンと脈うっている。
人の骨格に近い容姿で、体長は4メートル程。
頭部、両肩、両手首には赤々とした炎が灯っていた。
「──────ッ‼︎」
何より異様なのがその頭。
頭部には顔というものがなく、代わりのあるのは長い筒のようなものだった。
『砲塔』と言えばいいのだろうか?
砲弾を飛ばすバレルが無造作にくっつけられたようなそんなデタラメな頭部を持っていた。
「なっ……なんなんだよっ!! これっ!?」
加えて、そいつの周りには赤い粒子が霧のごとく浮遊していた。
分かりきっていることは一つだけ。
本能が告げている……危険だと
焦げた臭いが辺りにたちこめる。
薄暗かった教会の内部が赤々と照らされる。
コォオオオオオオオオオオオオ!!!
その異形の存在から出された音が腹に深く響いた。




