第44話 計画更新と私なりの愛
自室に秘密の品々を隠し終えた私は、お姉様と合流して食堂へと向かった。
重厚な扉を開け、広々とした夕食のテーブルを囲む。そこには、すでに上座で『彼女』が待っていた。
「おかえりなさい、二人とも。図書室での勉強はどうだった?」
いつものように、完璧で優雅な微笑みを浮かべて尋ねてくるシャリア。
私は、隣に座るお姉様の横顔をそっと窺った。
お姉様の視線の先にあるのは、自分を愛してくれていると信じていた『母親』の顔だ。
――十一年前、実の父(ジェック様)の死に関わり、つい三日前に実の娘たちを魔獣の餌食にしようとしたのかもしれない。
ハーヴェー様の言葉が本当なら、今目の前で優雅にワインを飲むこの人は、血の通っていない『恐ろしい化け物』の仮面を被っていることになる。
(……信じたい気持ちと、疑わなければならない恐怖……。お姉様の心は今、悲鳴を上げているはずだわ)
ふと視線を横にやると、部屋の隅には無表情なメイド長・マリアベルが静かに控えている。対象に触れるだけで記憶を読むという、帝国が放った狂気の工作員。
(絶対に、この二人に少しでも隙を見せちゃいけない)
娘としてのすがりたい思いと、湧き上がる底知れない疑惑と恐怖。お姉様のスカートを握る手が白く、微かに震えているのが隣にいる私には痛いほど分かった。
それでも、お姉様は決して目を逸らさなかった。地下訓練場でハーヴェー様と交わした『絶対に秘密にする』という約束を守るため。そして何より、隣にいる私を守り抜くため。
お姉様は震える手をテーブルの下で固く握りしめ、ふわりと、完璧な公爵令嬢の笑みを作ってみせた。
「とても有意義でしたわ、お母様。図書室は静かで、本を読むのに最適でした。ね、アミア」
「……はい! 色々な本が読めて、楽しかったです!」
私も慌てて無邪気な子供の顔を取り繕う。
「そう。それは良かったわね」
シャリアは満足げに頷き、赤ワインのグラスを傾けた。私たちの嘘には全く気づいていない。
(……すごい、お姉様。完全に『何も知らない娘』を演じ切っている……!)
お姉様はもう、ただ守られるだけの子供じゃない。真実を暴くために、自分を殺そうとした恐ろしい敵の懐で、自らも仮面を被って戦う覚悟を決めたのだ。
その後、カーフェーン家(メリア様)から早速届いたお茶会の立派な招待状をシャリアに見せた。
(地下図書室で私の名乗りを聞いたメリア様は、夫の過去の想い人に嫉妬するどころか、『アミィエルの忘れ形見』として私を抱きしめ、大歓迎してくれた上に、この招待状まで持たせてくれたのだ)
大臣家との繋がりに気を良くしたシャリアから、私たちはあっさりと明日の外出許可を得ることができた。
***
息の詰まるような義母との夕食を終え、お風呂で地下訓練場の埃と汗を流した私は、自室に戻ってベッドに倒れ込んだ。
「……今日は、本当に色々ありすぎたわ……」
私は天井を見上げながら、今日一日の出来事を整理する。
母アミィエルが平民であり、幻級の治癒魔法の『代償(命)』を払って亡くなったこと。
平和を願う若きグレンド皇帝の真意と、シャドウが彼の弟であるという確信。
メイド長マリアベルが、記憶を読み取り分身を作る幻級魔法『ファントム』の使い手であること。
そして――アセレリア帝国には、魔法学の常識を完全に破壊する『幻級魔法使い』があまりにも多すぎるという、絶望的な事実。
(……距離の概念を無視してどこへでも現れる『転移』を使う、策略家キャサリーヌ。あの狂気の完璧主義者がすべての黒幕だった)
(さらに、制約なしで他人の心を読めるという『暴走女リオナ』に、平和を願うグレンド皇帝自身もまた幻級魔法の使い手……!)
リフレットさんの『鏡』、マリアベルの『幻』、シャドウの『影』。
もしこれだけのバケモノたちが一斉にこの国に牙を剥けば、王国なんて一瞬で蹂躙されてしまうだろう。
(……でも、皇帝が戦争を嫌っていること。そして、心を読むリオナが『シャドウを毛嫌いして殴り飛ばしたがっている』という事実……。この二つは、絶望的な盤上における、わずかな希望の糸になるかもしれない)
そして――もう一つ。私が絶対に目を背けてはいけない、恐ろしい真実がある。
(リフレットさんが言っていた、古い文献に記された世界の絶対ルール。『無魔法も幻級魔法も、一人一つまで』)
(それを破って複数持つ者がもしいたとすれば……強大すぎる力に耐えきれず『魂が崩壊している』か、あるいは『魂が二つ重なっている』か)
シャドウは、幻級魔法である『影』の力に加えて、未知の無魔法を三つ(洗脳・催眠・とっておき)も併せ持つ、完全に世界の理から外れたバケモノだ。
……けれど、私も同じだ。
(時を巻き戻したあの奇跡と、お母様から受け継いだ『治癒魔法』。もしその両方が幻級魔法なのだとしたら……私もまた、絶対に破ってはいけない理を外れた『二つ持ち』のバケモノということになる)
(でも、強大すぎる力に私の魂が崩壊しないのは……)
私の中には、何も知らなかった十一歳の私と、一度死んで過去に戻ってきた十六歳の私の『二つの魂』が確かに重なって存在しているのだから。
(たとえ世界の理から外れ、魔法の歴史が私をバケモノだと呼ぼうとも……もう構わない。この絶望的な盤上をひっくり返し、大好きな人たちを守り抜けるのなら、私はどんな因果だって受け入れてみせる)
私はふと思い立ち、ベッドから起き上がった。
勉強机に向かい、引き出しを完全に引き抜く。昨日、マリアベルの鋭い捜索の目をギリギリで欺いてくれたあの死角――天板の裏側。
そこに封蝋でガッチリと貼り付けておいた『作戦計画書』だけを、蝋を割らないように慎重に剥がして取り出した。
インク瓶の蓋を開け、羽根ペンを手に取る。
『1. 魔獣襲撃事件』の横には、『被害回避・お姉様との秘密の共有完了』と書き込んだ。
『2. シャリアの調査』には、『マリアベルの監視により潜入失敗。真の黒幕は別にいる可能性』と追記。
そして、その項目の中に書いていた『十一年前のジェック様失踪事件』の部分に、『レイフェ殿と四日後接触し、真相を調査予定』と力強く書き足す。
『3. お父様の救出』には、『対抗策(治癒魔法の教本)入手! 特訓開始』と力強く書く。
『4. レオニス王子との婚約阻止』の横には、『明日、アメリアさんに協力を仰ぐ』。
そして、『5. 帝国の暗殺者シャドウ』の項目には、今日新たに得た帝国の絶望的な情報を整理して書き加える。
『追記:奴の幻級魔法(影)の制約は「本来の闇魔法が一切使えないこと」。物理攻撃も魔法反射(鏡)も通じないため、対抗手段は私の「光」のみ。』
『さらに一人一つの理を無視した3つの無魔法(洗脳・催眠・女に限定した未知の精神魔法)に極大警戒。お姉様への「愛」が精神操作への対抗策になる可能性あり』
そして新たに『9. 帝国の幻級魔法使い』の項目を追加し、ペンを走らせる。
『真の黒幕は策略家キャサリーヌ(転移)。さらに暴走女リオナ(読心・シャドウを嫌悪)。彼女らの動向に注意』
そして最後に。私は羊皮紙の余白に、今日の昼間、図書室で頭の中に思い描いていた「新しい項目」を、ペンで力強く書き足した。
『10. 王城奥深くの王立図書館への潜入と、禁書の解読』
今日手に入れた母さんのノートは、一番肝心な「蘇生魔法とその代償」のページが破り取られていた。それに、私自身の「二つの魂」の謎や、シャドウの持つ「複数の無魔法」という理不尽を打ち破る対抗手段を知るためにも……どうしても、王族だけが立ち入れるという禁書庫の文献へ辿り着かなければならない。
(国の厳重な魔道具の目をごまかすためには、国の中枢を担うハーヴェー様や、元・魔法兵団副団長であるレイフェさんのような……『国や兵団の内情に精通している大人たち』の協力があれば確実だわ)
(でも、出会って間もない彼らに、いきなり『国の儀式を欺く不正に加担して』だなんて頼めない。下手にお願いすれば、国家反逆の企てだと思われて警戒されてしまう)
(……でも、大丈夫。私が十五歳の春に受けるあの儀式までは、まだ約四年の時間(猶予)がある。今は焦る必要はないわ)
(これから特訓や行動を通じて、シャリア打倒という共通の目的で彼らと絶対的な信頼関係を築き上げていけば……きっとこの四年の間に、協力してもらえるチャンスは必ず巡ってくるはずよ)
「……よし」
私はキャンドルに火を灯して再び封蝋を溶かし、新たな情報を書き加えた計画書を、天板の裏側へと貼り付け直した。
天板の裏に並んで固定された計画書、スターリーフ、そして帝国の通信手鏡。さらに、机の奥の木枠の隙間に潜ませた母さんのノート。
そこには今、私の命綱がすべて揃っている。
不安はある。でも、道筋は見えている。
(……あの時、私が地下図書室へ向かった当初の目的は、シャドウや運命に対抗するための『本(知識)』を探すことだった)
(強力な火魔法や、精神を守る光の加護。そして、お父様を救うための治癒魔法の文献……。結局、お目当ての本は一つも手に入らなかった。……けれど)
私は、天板の裏に隠された、反逆の切り札をじっと見つめた。
(代わりに手に入れたのは、母さんが遺してくれた真実。強大な帝国へと繋がる手鏡。そして、レイフェさんという最高峰の師匠との繋がり……)
(本という形ではないけれど、私は間違いなく、当初の目的だった知識以上の『運命をひっくり返すための本物の武器』を手に入れたんだわ)
――コンコン。
その時だった。静まり返った部屋に、不意に控えめなノックの音が響いた。
(……っ! 誰!?)
まさか、メイド長のマリアベル? それとも、シャリア義母様……!?
作戦計画書や反逆の切り札を机の天板の裏にすべて隠し終えた直後の、最悪のタイミング。
私は心臓が跳ね上がるのを必死に押さえ込み、息を殺して、固く閉ざされた扉を睨みつけた。
「アミア、起きている?」
扉の向こうから聞こえたのは、ネフェリアお姉様の声だった。
私は全身の力を抜いて安堵の息を吐き、慌てて机から離れ、鍵を開けた。
「お姉様? どうしたんですか、こんな夜遅くに……」
部屋に入ってきたお姉様は、薄手の寝間着姿で、どこか思い詰めたような表情をしていた。彼女は私の前に立つと、申し訳なさそうに、けれど真っ直ぐな瞳で私を見つめた。
「アミア。……私、馬車の中で『あなたの盾や剣になる』なんて、あんな偉そうな誓いを立てて、あなたに『妹にしてくれてありがとう』なんて嬉しい言葉まで貰ったけれど……。思い返せば今日、いざあのゴーレムが暴走した時、私は結局あなたに庇われてしまった。森の時と同じように……私はただ、怯えていただけだったわ」
お姉様は、悔しそうに唇を噛み締めた。地下訓練場でリフレットさんに「妹に守られてばかりいるね」と指摘されたことが、ずっと胸に引っかかっていたのだ。
「あの訓練の直前……上の図書室で、帝国にもう一人、恐ろしい闇魔法使いがいるって聞いたでしょう? ……私、それを聞いて心の底から怖くなってしまったの。もしこのまま闇の力を解放し続けたら、私もあの暗殺者のように、誰かを傷つけるだけの化け物になってしまうんじゃないかって……」
「……だから今日、ゴーレムが襲ってきた時も、無意識のうちに魔力を抑え込んでしまって……逃げることすらできなかったの」
(……ッ。まただわ)
私の脳裏に、再びシャドウの言葉がよぎる。
一周目の最期、あの男がお姉様を『呪われた凶器』だと嘲笑った、あの悪魔の言葉が。
「……お姉様。その言葉は、使わないでください」
私は、お姉様の言葉を遮って、その両手を自分の手でぎゅっと強く握りしめた。
「あなたは化け物なんかじゃありません。あの暗い洞窟の中でも言ったでしょう? どんな力を持っていようと、お姉様は私を守ってくれた英雄なんです」
「……アミア」
「だから、そんな風にご自分を蔑むのは、絶対にやめてください」
私の強い眼差しと手の温もりに、お姉様はハッとして目を瞬かせ……それから、自嘲するような笑みを引っ込めて、憑き物が落ちたようにふわりと優しく微笑んだ。
「……そうだったわね。ごめんなさい、アミア。そして……ありがとう」
お姉様は私の手を握り返し、真っ直ぐな赤い瞳で私を見つめた。
「だからね、アミア。私、四日後からの特訓……死ぬ気でやるわ」
「お姉様……」
「この闇魔法がどれほど恐ろしい災厄の力だとしても……あなたの言う通り、私は絶対に、心を失った存在になんてならないわ。……馬車で誓った時は、不安を隠すための口先だけの強がりだったかもしれない。でも、次にあんな理不尽な悪意が迫った時は、絶対に私の背中の後ろにあなたを隠して、一歩も退かずに守り抜く……本当の意味での、あなたの『剣』と『盾』になってみせるから」
(……お姉様……)
私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
実の母が自分を殺そうとしたかもしれないという恐ろしい疑惑に心を痛め、自分と同じ力を持つ暗殺者の存在に怯えながらも。それでも彼女は、悲劇に怯えて立ち止まるのではなく、自身の弱さと真っ直ぐに向き合い、前に進もうとしている。
(……やっぱり、もう自分の力を呪い、ただ闇に怯えて過ごしていた一周目のお姉様じゃないんだわ)
「……はい! 私もお姉様に負けないくらい、もっともっと頑張ります」
私の弾むような返事を聞いて、お姉様は嬉しそうに目を細めた後、少しだけ声のトーンを落とし、私の手を握る力を強めた。
「それにね、アミア。あの暗殺者が持っているという、女の人にしか使えない『精神を操る魔法』のことだけど……」
「はい……」
「リフレットさんも言っていたわ。『愛が強すぎる人間には使わない』って。私たちには、お互いを想い合う確かな愛があるから……きっと弾ける。多分、大丈夫よ」
お姉様は、不安をかき消すように優しく微笑んだ。
「でも……もし万が一、私やあなたがそんな恐ろしい魔法の標的にされたとしても……絶対に負けないわ。私たちのこの絆は、どんな悪意にも屈しないもの」
「……はい! 私も、お姉様も。どんな魔法にも絶対に負けません!」
お姉様の真っ直ぐな言葉に、私も力強く頷いて見せた。
だが――。
(……でも)
笑顔で頷きながらも、私の胸の奥は、どす黒い冷たさでギリリと締め付けられていた。
(お姉様は、今日初めて知ったあの『女限定の魔法』について、愛があるから多分大丈夫と言ってくれた。……でも。あの悪魔が隠し持っている精神魔法は、それ一つじゃない)
(一周目のあの日。お姉様はあいつのもう一つの手札である『洗脳魔法』によって心を完全に支配され、さらには『催眠魔法』によって、私たちを助けようとした記憶すらも奪われてしまった)
(それに、あいつの恐ろしさは精神魔法だけじゃないわ。……対象の過去の記憶を強制的に覗き見て心の弱点を探り出す『右の魔眼』と、どんなに隠した魔法の属性の深淵も見抜いてしまう『左の魔眼』)
(この二つの魔眼で標的のトラウマや秘密を完全に丸裸にし、その心の隙間に悪意の精神魔法を流し込んで徹底的に壊しにくる……!)
(……そして最後は、私たちが殺されたという事実を『処刑台』の上で思い出し、残酷な絶望の中で散っていったのよ……!)
私とお姉様の『無償の愛』を心の底から憎み、嫌悪していたあの悪魔によって。私たちの愛をまやかしだと証明するためだけに、お姉様は心を壊されてしまったのだ。
実体験としてその残酷な絶望を知っているのは、この世界で私ただ一人だけ。
(……だからこそ。もう二度と、あんな真似はさせない。あいつの悪意にお姉様の心を弄ばせるようなことだけは……絶対に、この寿命を削ってでも防いでみせる!)
(一周目。あいつが私の過去を覗こうとした『右の魔眼』は謎の光に弾かれ、私を操ろうとした精神支配は『光の加護』が弾き返した)
(今の私はまだ未覚醒で、その二つの光が完全に私を守り切れるのかは分からない。けれど……いつか必ずこの力を引き出して、今度は私が、あの悪魔の精神魔法をすべて弾き返す『絶対の防壁』になってみせるわ!)
(……でも、忘れてはいけない。一周目で痛感した通り、私の『光の加護』は決して万能じゃない。魔法による精神干渉は弾けても、脳の機能を直接奪うシャリアの物理的な『毒(ヒプノ草)』にはあっけなく負けてしまうのだから)
(悪魔の魔法からは私の光で、シャリアの毒からは私が目を光らせて守り抜く。……絶対に、どちらにも隙は見せないわ!)
私が、胸の奥で煮えたぎるような決意と殺意を秘めているとは露知らず、お姉様は安堵したようにふわりと微笑んだ。
「ふふ、ええ。一緒に強くなりましょうね、アミア。……夜遅くにごめんなさい。おやすみなさい」
お姉様は優しく微笑み、私の頭を撫でてから自室へと戻っていった。
一人になった部屋で、私は椅子の背もたれに深く身体を預けた。
窓の外では、静寂の中に星が降っている。
(……私はさっき、お姉様に『化け物という言葉を使わないでください』と強く言った)
(でも、私自身は……自分のことを、二つの魂を持つバケモノだと既に受け入れている。矛盾してるわね)
私は小さく、自嘲気味に笑った。
(……でも、違うんだ。同じ言葉でも、意味が全く違う)
(お姉様の闇魔法は、最初から誰かを守るために存在していた、優しくて気高い力だ。だから、あの力は化け物の証なんかじゃない)
(お姉様には、決してその呪いのような言葉を背負わせない。……業を背負って泥を被るのは、この私一人で十分なんだわ)
私は、深々と息を吐き出した。
今日、地下図書室で見せたハーヴェー様のあの悲痛な表情。そして、あの薄暗い地下室でメリア様が私を「アミィエルの忘れ形見」として、とびきりの笑顔で歓迎してくれた、あの温かい手の感触。
(ハーヴェー様は、本当にお母様を愛していた。そしてメリア様も……。叶わぬ恋だと知りながら、夫がかつて愛した人の娘を、あんなにも純粋に愛おしんでくれるなんて)
そこには、私にはまだ分からない、命さえも惜しくないと思うほどの強い情愛と、それを包み込むような深い慈愛があった。
(……愛、か)
ふと浮かんだその言葉に、私は自嘲気味な笑みを漏らした。
「馬車の中でお姉様に真っ直ぐ『愛している』と言われた時……地下図書室でリフレットさんがからかっていたのを思い出して、また変な勘違いをして一人でパニックになっちゃったわね。……いやいや、だからお姉様の愛は純粋な家族の愛よ! 決まってるじゃない!」
(……でも。あの時リフレットさんが教えてくれた『心を読まれないための対策(大好きな別のことを考える)』といい、一周目でシャドウの洗脳を弾いたお姉様の抵抗といい……。この狂った盤上において、誰かへの強烈な『愛』や『執着』は、ただの感情じゃなく、帝国の精神魔法に対する強力な『対抗手段』になるんだわ)
私は、学園に通っていたあの一年間のことを思い出す。
(入学してからのたった一年間。お姉様がいつも取り巻きに囲まれ、王子様の隣で目立っていたのとは対照的に……私は、令息たちから全く声をかけられなかった)
(ただ単に影が薄かったからなのか、それとも私が『火』のほかに、忌避される『光』を持っていたからなのか、今もよくわからない。……でも、そのおかげで他の令嬢たちから嫉妬されたり、陰湿ないじめを受けたりすることは何もなかったから、結果的には好都合だったけれど)
(……それに、思い返せば)
脳裏をよぎるのは、一周目のあの冷酷な光景だ。
地下牢の暗闇。お姉様に死刑を宣告し、私に氷のような視線を向けたレオニス・レイフェルズ王子。
『あれほど弱々しい魔力では話にならん。……王家にとっても学園にとっても、お前をこのまま置いておく価値は皆無だ』
あの時、彼が投げつけてきた言葉は、私の心を鋭く抉った。家族が処刑されるという極限の恐怖の中にいた私に、救いの手どころか、ゴミを掃き出すような冷淡さで「退学」を突きつけたあの男。魔法の質だけで人の価値を測り、邪魔になれば即座に切り捨てる。そんな男が支配するこの国の「王族」を、私は心の底から嫌悪している。
(……あの暗殺者、シャドウ。人の心を弄び、絆を「まやかし」だと嘲笑い、アメリアさんを、お姉様を、そして私を殺した悪魔)
(あんな連中がいる世界で、無防備に隙を見せたら、今度こそ心から壊されてしまうわ)
(それに……私の心の中にある『愛』の容量は、もうとっくに限界まで埋まっているもの)
私の中にある「愛」は、もう、お姉様とお父様。……そして、アメリアさんだけで十分。
(あの日、作戦計画書を書きながらも思ったけれど……私にとって、一番大きくて絶対的な『一番の愛』は、いつだってお姉様なんだから)
レオニス王子の退学宣告に、自分のことよりも私の未来が閉ざされることを嘆き、最期の瞬間まで私を守ろうと泣いてくれた、優しいお姉様。
そして、その王子に逆らう恐怖を押し殺して、『アミアさんは道具ではありません!』と、震える私を強く抱き寄せてくれた、真っ直ぐな瞳のアメリア・カーフェーン。
(……誰にバケモノだと思われてもいい。どんなに冷酷だと罵られてもいい……)
(私がこの命を切り売りしてでも、大好きな家族と親友の未来を絶対に買い戻してみせる。私はただ守られるだけの妹なんかじゃない。お姉様とアメリアさんを守る、絶対の『盾』になるんだから)
(あの子たちの温かい笑顔を守れるなら、悪意に向ける私の心なんて、一生凍りついたままで構わないわ。……絶対に、守り抜いてみせる)
ベッドに入り、シーツを顎まで引き上げる。
胸の奥が、お姉様の温かい言葉と、アメリアさんへの強い想いでいっぱいに満たされている。
(……おやすみなさい、母さん。おやすみなさい、お姉様……。そして、明日、必ず会いに行くからね……私のかけがえのない親友、アメリアさん)
私は静かに目を閉じた。夢の中に、あの冷酷な王子の声も、暗殺者の笑い声も入り込ませないように。
ただ、大好きな人たちの温もりの記憶だけを抱いて、深い眠りへと落ちていった。
明日――運命の歯車が、また大きく動き出す。




