第33話 愛が弾いた精神魔法と、浮かび上がる真の黒幕
地下訓練場へと続く、重厚な隠し扉の前。
伝説の魔法の真実や、魂が重なるという世界の禁忌。そして、一周目の悲劇の裏にあった大人たちの『優しすぎる嘘』の存在に気づき、私が一人で静かに、けれど強く未来への決意を固めていたその時だった。
重苦しい沈黙を破るように、リフレットさんが自身の長い青髪を指先で弄びながら、少し不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、皇帝はこんな発動条件も言ってたわ。『あいつは、その魔法をお前には使わんだろう。お前には強さへの執着も、罪悪感や無力感なんてないだろうからな』って」
「それに『まぁ、これは言う必要がないかもしれないけど一応言っておくと、そいつは愛が強すぎる人間には絶対に使わない』とも言っていたわ。確かに私、強くなりたいって思った事ないわ。今で十分強いし、無力感や罪悪感なんてないしね.……あぁ、でも『愛が強すぎる』ってどういう意味だろうね?」
(……強さへの執着。罪悪感。無力感。……そして、愛が強すぎる人間には使わない……?)
その発動条件を聞いて、私の心臓が激しく跳ねた。
(待って。お姉様には……確かに、私に薬を飲ませたことへの深い『罪悪感』があった。そして、私を守るために完璧な姉を演じ続け、自分の弱さを一切許さないという、悲痛な『強さへの執着』があったはず……!)
だとしたら、どうしてお姉様はあの『とっておきの魔法』の標的にならなかったの?
(……あ。そうか。思い出した……!)
あの日、アイツは苛立ったように言っていた。
『僕の洗脳魔法に心を完全に支配されていた時でさえ……君への愛が、無意識に僕の絶対的な魔法に抗って、君を殺すのを踏みとどまらせていた』と。
(……お姉様の、私への愛が強すぎたんだわ。だから弾かれた……)
(……いや、待って。それだけじゃないわ!)
一周目の地下階段で、あいつは私にむき出しの憎悪を向けてこう吐き捨てていた。
『俺は、君たち姉妹が嫌いなんだよ』
『無償の愛なんていう気持ち悪い絆……俺のこの手で徹底的に壊してやりたくなったんだよ』と。
(あいつは、自分を庇って親が死んだせいで家族が壊れたトラウマから……私とお姉様の『無償の愛』を心の底から憎み、否定したがっていた)
(だからこそ、あいつはお姉様をただの感情のない人形にするんじゃなくて……あえて悪意を増幅させる『洗脳魔法』を使うことで、私を疎み、見下し、拒絶する冷酷な姉に仕立て上げようとしたんだわ!)
(そうやって私たちの絆を内側から腐らせることで、「ほら見ろ、お前たちの愛なんてその程度のまやかしだ」と、自分の歪んだ劣等感を満たすために証明したかったのよ……!)
(……でも、あいつのその醜い目論見は完全に外れた。あいつの想定すら超えて洗脳の悪意が暴走し、私に魔法が向きそうになったあの『極限の瞬間』でさえ……お姉様の私への愛は、あいつの絶対的な魔法すらも凌駕して、自傷してまで私を守り抜いてくれたんだから!)
(……けど、時間を巻き戻した二周目の『今』のお姉様はどうだろう?)
(……いや、今も変わらず一緒よ。お姉様がアイツの『とっておきの魔法』の標的になるはずがないわ)
(だって、今のお姉様の心には、私に薬を飲ませたという『罪悪感』や、どうしようもできないという『無力感』なんてないもの)
(私を守るための『強さへの執着』はあるかもしれないけれど……それは絶望や後悔から来る狂気じゃなくて、純粋な私への愛情だわ。アイツがつけ込むような、歪んだ感情とは根本的に違う!)
(……でも、だからといって完全に安心できるわけじゃない)
(アイツのもう一つの手札……『孤独』と『心の闇』につけ込む、あの黒い炎の『洗脳魔法』の脅威が消えたわけじゃないんだわ)
(もしこの二周目でも、私がシャリアの陰謀を防ぎきれず、お姉様が一周目と同じように孤立して絶望に追い込まれてしまったら……その時は再び、あの洗脳魔法の標的にされてしまう!)
(だから、私が絶対にお姉様を孤独になんてさせない。洗脳の餌になるような心の隙間なんて、絶対に一ミリも作らせないわ)
お姉様の心は、私が絶対に守り抜く。
そう固く決意した直後――私はサッと血の気を引かせた。もう一人の親友の顔を思い浮かべたのだ。
(……じゃあ、アメリアさんは?)
地下牢へ向かう道で、彼女は涙を堪えるように語ってくれた。
流行り病で亡くなった妹を救えなかったという、消えない『無力感』と『罪悪感』。
だからこそ、今度こそ誰かに手を差し伸べ、一人で泣いている人を守り抜ける自分になりたいという……痛切な願い。あれは紛れもなく、彼女なりの『強さへの執着』だ。
(……待って。シャドウがお姉様に使ったあの『黒い炎の洗脳魔法』の標的条件は、『孤独』や『心の闇』につけ込むことだった)
(アメリアさんは妹さんを亡くすという辛い過去を背負っているけれど……さっき目の前で私たちを庇おうとしてくれたあのお父様(ハーヴェー様)の姿を見る限り、彼女はご家族から大切に愛されて育っているはず。お姉様のように、家の中に味方が誰もいなくて周囲から完全に孤立していたわけじゃない。だから、彼女の心には洗脳の餌になるような『絶対的な孤独』はないはずよ)
(とはいえ、だからといって安心なんて絶対にできないわ。問題は、アイツがもう一つ隠し持っている『とっておきの魔法』の方よ!)
(さっきリフレットさんは条件として『強さへの執着』『無力感』『罪悪感』を挙げたけれど……魔法の発動にその三つが『全部揃っていなければならない』とは言っていなかった)
(人の心を弄ぶあいつの歪んだ性格を考えれば、容易に想像がつくわ。一つでも当てはまれば標的にされるかもしれないのに、もしその三つの闇をすべて同時に抱え込んでいる人間を見つけたら……!)
(あいつは絶対に『完璧な素材を見つけた』と歓喜して、迷わず飛びつくはずよ!)
(そしてアメリアさんは……残酷なまでに、その三つの条件を完全に満たしてしまっている!)
(……って、よく考えたら。一周目で二人を救えなかった『無力感』と『罪悪感』を抱えて、今度こそ絶対に力で全員を守り抜くと誓っている私自身も……完全にその三つの条件を満たしているじゃない!)
(十一歳の未覚醒の今の私では、魂を守る『光の加護』が完全に機能するかどうかは分からない。……けれど、さっきリフレットさんは『愛が強すぎる人間には絶対に使わない』と言っていたわ)
(自分で言うのもなんだけど、私のお姉様への愛は、アイツの最悪の精神魔法なんかじゃ絶対に焼き尽くせないくらい重くて強固だもの。だから私は、絶対にアイツの標的にはなり得ないわ)
(問題は、アメリアさんよ……!)
(いったい、どうして一周目では使われなかったの?)
(……あ。一周目の死の直前、シャドウはアメリアさんのことをこう見下していたわ。『あの大臣の娘には、僕の洗脳の餌になるような孤独なんて無さそうに見えたからね。わざわざ右の魔眼で覗く前に、君のお姉さんという最高の玩具を見つけてしまったから見る必要がなかった』って)
(……そうか! アメリアさんは、一周目ではただ『シャドウの勝手な思い込み』と『お姉様に標的が移ったこと』によって、偶然にも右の魔眼の観測を免れていたから、もう一つの条件を満たしていることに気づかれず、最悪の精神魔法を使われずに済んだだけだったんだわ……!)
(もし、この二周目で歴史が変わって……あいつが再びアメリアさんに出会い、今度こそ『右の魔眼』で彼女の過去のトラウマを覗き見してしまったら?)
お姉様のような「愛による抵抗」がないと判断され、アメリアさんの持つ無力感の深さがアイツの好みに完全に合致してしまったら。
アイツは歓喜と共に、お姉様に使った洗脳魔法なんかよりも遥かに残酷でえげつない『最悪の精神支配』を、アメリアさんに向けて使うに違いない。
アメリアさんのその優しさと正義感を根本からへし折り、二度と自我が戻らない「完璧な操り人形」として、一生手駒にするために。
(……守らないと……お姉様と一緒になってしまう……!)
(そんなこと、絶対にさせない。アメリアさんは、私に初めてできた大切な親友だもの。絶対に守り抜いてみせる。……お姉様と同じ絶望なんて、絶対に味わわせないわ……!)
私が戦慄に身を震わせていると、リフレットさんがクスリと笑って私たちを見つめた。
「でも、君達の愛も強固よね。見た感じ、血は繋がっていないみたいだけど」
その言葉に、お姉様は私の肩を優しく引き寄せ、毅然と言い放った。
「……血の繋がりなんて関係ありません。アミアは、私が命に代えても守りたい、大切な妹です」
「お姉様……。はい! 私たちは、誰よりも深い絆で結ばれた、本当の家族です!」
私が胸を張って答えると、リフレットさんはニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「ふふっ、まぁそうだろうけど。……それにしても、いくら魔獣から逃げ延びた後だからって、あんな暗い洞窟の中であそこまで強く長く抱き合うなんて普通ないわよ?」
「「……えっ?」」
「私、木の上から見てて『おや?』って思っちゃった。君達の愛って、ただの姉妹の愛だけじゃなくて、一人の『女としての愛』があるんじゃないかってね」
「「み、見てたんですか!?」」
私とお姉様は、顔をカッと真っ赤にして同時に叫んだ。
森での魔獣との戦闘を見られていたことは分かっていたけれど、まさか、あの洞窟での二人きりの誓いの時間まで、ずっと覗き見されていたなんて!
お姉様は恥ずかしさのあまり、真っ赤になった顔を両手で覆ってぷいっとそっぽを向いてしまった。
(お、女としての……愛!?)
私は、顔が茹だるように熱くなるのを感じた。
(た、確かに……血の繋がらない姉妹とはいえ、私の『一番の愛はお姉様だけに捧げる』っていう感情は、普通じゃないくらい重い執着かもしれない。……でも! 恋人としてお付き合いしたいとか、そういう意味で思ったことなんて一度も……!)
私はぐるぐると自分の感情を分析しようとして――完全に思考が停止した。
ダメだ。精神年齢は十六歳とはいえ、前の人生を含めても『恋愛経験』なんてただの一度もない私に、急にこんな高度な感情を突きつけられても、処理しきれるわけがない!
(……と、とりあえず考えるのはやめよう! 恥ずかしくてお姉様の顔が見れなくなっちゃう!)
知恵熱が出そうに火照った頭で私がパニックになっていると、見かねたミリアナさんが呆れたように眼鏡を押し上げ、リフレットさんに抗議した。
「ちょっとリフレットさん! 十代のうら若き令嬢たちに向かって、なんてことを吹き込んでいるんですか!」
「えー、だって事実じゃーん」
「事実でもです! ……それに、アミア様、ネフェリア様」
ミリアナさんは小さく一つ咳払いをして、顔を真っ赤にしている私たちの方へ向き直った。
「貴族の令嬢として、いくらリフレットさんの言う通りだとしても、そこまで強く長く抱き合うのは……さすがの私と姉でもしませんよ。……ですが、あの極限状態を生き延びた直後なのですから、仕方がなかったのですよね?」
「「は、はいっ!」」
私とお姉様は、これ幸いとばかりに勢いよく、ぶんぶんと首を縦に振った。
ミリアナさんは一つ深いため息をつき、隣に立つ上司をちらりと見上げた。
「……わかりました。じゃあ、今の話は『私とハーヴェー様』は聞かなかったことにしておきます」
水を向けられたハーヴェー様も、十代の少女たちの重すぎる愛情という話題にどう反応していいか分からなかったのか、ひどく気まずそうに視線を泳がせ、そっぽを向いてしまった。
「「ありがとうございます……!」」
私とお姉様がハモって安堵の声を漏らすと、リフレットさんは心底楽しそうに目を細め、どこか優しい声で呟いた。
「ふふっ、本当にいい姉妹ね。……私達、敵にはなりたくないわ」
私はまだ火照っている顔の熱を必死に抑え込みながら、小さく、深く息を吐き出した。
(……落ち着きなさい、私。今は恥ずかしがっている場合じゃないわ。さっきリフレットさんが言っていた帝国の暗躍……あいつらがこの国にいる『本当の目的』を聞き出さなきゃ!)
私はショートしていた頭に冷水を浴びせるように、強制的に元の『盤上』の思考へと意識を切り替える。
そして、照れ隠しも兼ねてわざとらしく喉を鳴らして、まだ気まずそうにそっぽを向いているハーヴェー様の袖を軽く引いた。
「あ、あの……ハーヴェー様。話題を変えるようで恐縮なんですけど……」
すると、ハーヴェー様は待ってましたとばかりに、コホンと一つ大きく咳払いをして、慌てて大国の大臣としての威厳を取り繕った。
「あ、ああ。……それで、リフレットと言ったか。シャドウのことや幻級魔法のこと……先ほどから色々と有益な情報を教えてくれたことには礼を言うが、一体何のためだ? お前は敵国である帝国の人間だろう」
先ほどまでの気まずさを誤魔化すように、ハーヴェー様がことさら重々しい声で尋ねると、リフレットさんは気だるげに自分の青い髪を弄りながら、ふっと笑った。
「なんとなくよ」
「なんとなく、だと?」
「そう、気まぐれ。……なんか、君たち姉妹の姿を見てたら、ちょっと柄にもなく教えたくなっちゃったのよ」
(なんとなく? 柄にもなく教えたくなった……?)
(……絶対嘘だわ)
(一国の主である皇帝の『右腕』まで務めるような一流の隠密が、ただの気まぐれや感情に流されて、ペラペラと国家機密レベルの情報を教えるなんて絶対にあり得ない!)
(『口が滑った』とか『ただのうっかり』なんて、そんな言い訳が通用する相手じゃないわ。……私たちにこれだけの有益な情報を与えること自体に、間違いなく何か別の恐ろしい『盤上の意図』が隠されているはず……!)
私が冷徹な思考で相手の言葉の裏を探っていると、リフレットさんは照れ隠しのように肩をすくめ、それから緑色の瞳をスッと細め、その声から気だるげな響きを消した。
「……まぁ、それはいいとして。先ほど『後で』と保留にしていた話ね。私たちが一体、何をしにこの国へ来たのか」
私もそれに便乗するように、リフレットさんを真っ直ぐに見据えた。
「……そうよ。シャドウという暗殺者の事もそうだけど、私たちが巻き込まれたあの森の事件に、帝国がどう関わっているんですか?」
私たちが問うと、リフレットさんはやれやれと肩をすくめた。
「あいつ(シャドウ)が何の目的で動いているのかは知らないけど……あなた達に直接的な事はしないと思う。でも、用心はしたほうがいいわよ。……そうそう。だから君は、彼みたいに幻級魔法の制約も受けていない普通の闇魔法使いみたいで、少し安心したよ」
リフレットさんはふわりと微笑んだ後、真剣な眼差しに戻った。
「で、さっきの話の続きだけど。光と闇に会いに来たのもそうだけど、一番の目的はね……皇帝の命令で、魔獣の暴走を起こす連中を止めに来たの」
「魔獣の……暴走!?」
「そう。けど、彼らは失敗したみたいだから、そんな事はもう起きないさ。だが……帝国の『策略家』キャサリーヌと、裏で取り引きをしている人間をこの国で探しているのさ」
(……取り引きをしている人間……?)
衝撃が走る。私はハッとして、頭の中で必死に情報を整理した。
一周目で、シャドウは『右の魔眼』でお姉様の記憶を覗き、そこで初めてシャリアがヒプノ草を密輸していた事実を知ったと言っていた。
そして死の間際に、シャドウは明確に嘲笑っていた。
『君の継母が裏で帝国の毒を密輸していたなんて、僕も、僕を雇った策略家連中も全く知らなかった。あれは偶然だ』
そうだ。これから私を殺そうというあの状況で、あいつが嘘をつく理由はなかった。
つまり、シャリアお母様と、シャドウを雇った策略家の陣営は【一切関わっていない】のだ。シャリアの独自の密輸ルートは、策略家とは別のもの。
(……待って。シャドウは一周目で『学園の魔力選定の儀の後に潜入した』と言っていたわ。つまり、十一歳の『今』、あいつはまだ帝国にいて、この国には来ていない!)
(策略家の目的は『開戦の火種』を作ること。今この国で起きようとしている『スタンピード』が第一の計画で……その数年後、私が十五歳になった時にシャドウを送り込んで実行させる『王子暗殺』が第二の計画なんだわ!)
だとしたら、あの十一歳の魔獣事件の日に起きたことは……。
完璧主義の策略家キャサリーヌが仕組んだ『スタンピードの実験』と、シャリアが私を魔獣に襲わせて殺そうと企んだ『不自然な護衛の少なさ』。
交わるはずのなかった二つの全く無関係な悪意が、ただの偶然で、最悪のタイミングで精霊の森で重なってしまったということ!?
(なんてこと……! じゃあ、その恐ろしい策略家と裏で取引して、『暗殺』や『魔獣事件』をこの国で手引きしている本当の黒幕は、シャリアじゃない別の誰か……!?)
そして私はあることに気づく。一周目でスタンピード計画があったなら、本来起きていたはずだ。
(多分、一周目でも……このリフレットさんが実験の被害を食い止めてくれたんだわ。だからあの時は私を襲った魔獣が一匹だけで済んだんだ……)
交わるはずのなかった悪意と、この国に潜むもう一人の『真の黒幕』。
その恐るべき事実の輪郭に辿り着き、私はごくりと冷たい唾を飲み込んだ。




