二十四冊目<水源>
私の住む村には、川がある。大きいな川が。しかし、私の記憶がある限り、水が流れたことは一度もない。じゃあどうしているかって?山の頂上までバケツをを持っていき、わずかに流れる滝から水を汲んで家にある貯水タンクにためる。かなり重労働だし、水も自由には使えない。母が決めた1日の量を守って使わなければならない。守らなかった場合、水を汲みに行かされる。それが嫌で、何が何でも使用量は守っていた。それなのに、
「水雫。今日学校休みでしょ?水を汲んできてくれない?」
「はあ?使う量守っているよね?何で私なの?お父さんとか、水星も学校休みじゃん」
「お父さんはいつも仕事で忙しいし、水星もテストで疲れて……」
「私もテストだったの!水星は中学のテスト、私は高校のテスト。どっちが大変とか考えれば分かるじゃん!」
「でも……」
どうせ水汲みが嫌になったのだろう。だからと言って、娘に押し付けるとかありえない。母は、水星が生まれた時から私を放って、水星ばかり可愛がっていた。この時、平等など、無償の愛など存在しないと思った。結局、可愛がられた方が勝ちなのだ。家も、社会も。少なくとも私はそう思っている。
「私は嫌だからね!」
わざとらしい大きな足音を立てながら部屋に戻った。しかし、すぐにノックの音がした。
「水雫。その、お父さんが話をしたいって……」
「どーせ、お母さんが言ったんでしょ?私が家の手伝いもしない非道な娘だって。いーよ別に。そう思ってくれて。育てた恩とか言うならさ、贔屓しないで見てよ。水星ばかり可愛がって、何が育てた恩よ。馬鹿にしないで!私だって、お金があればこんな不自由な町、出て行ってやるわよ!」
図星だったのか、2人は黙り込んでしまった。ふん。性格が悪いのだって私のせいじゃない。環境がよかったらきっと、子供はいい子に育つと思う。子供を優秀に育てるも、ひねくれた子に育てるも、親の技量。そして環境。私は何1つ悪くないのだ。
ふて寝をしてしまい、気がづくと窓の外は暗かった。
「こんな時間まで寝てたの……ふわあ……」
本当は顔も見たくないけれど、空腹には抗えない。扉を少し開けて廊下の様子を見る。扉の前に食事がないし、なんだか家中が暗い気がする。節電だろうか?
足音を立てずにキッチンまで来ると、物陰から様子をうかがった。すると、暗がりの中、体育座りをする母がいた。料理はしていないようだ。
「何してるの?」
「水雫……どうして朝、あんなこと言ったの?」
月明かりに照らされた母の顔は、泣いてボロボロの顔だった。しかも頬が赤く腫れている。
「水雫さえいい子だったら、お父さんは怒らなかった!私、贔屓なんてしてないのに……」
おおよその話は分かった。反抗した私の教育が悪いと、父が母を殴ったのだろう。母も母だが、父も父だ。私は村の環境にも、家庭環境にも恵まれなかったらしい。高校生活は後2年。1人暮らしには長い道のりだ。
「そう。でも、私は間違っていないし、悪くない。贔屓してないって言いきるけど、客観視したらしてるよ。自分では分からないだけだよ。後2年我慢してよ。そしたらこの家から出ていくから。2人にとって、水星がいればいいんでしょ?」
「そんなこと、言ってない……」
「態度が言っているの。私は人間で、子供で、物じゃない。操り人形になるのは嫌だわ。水汲みには行くから、ご飯くらいは作ってよね。じゃ」
「うぅ……」
母はまだ泣いていた。しかし、私は振り返ることなくバケツを持って家を出た。満月がとても綺麗だった。
外に出ると、夏とはいえ、少し肌寒かった。あーあ。結局行かなければならないのなら、朝のうちに済ませておけばよかった。まあ、後悔する時は、大体手遅れの時なんだけどね。
「だるいなぁ……いいなぁ……蛇口を捻ったら水が出る家って。ドラマとかで見る家は全部豪邸に見えるわ。はあ……この村から出たい……思う存分シャワーを浴びたい。湯船につかりたい。そうだ。夏だし、プールもいいなあ……はあ」
欲望を独り言に乗せていると、山の頂上に辿り着いていた。だが、何やら人がたくさん集まっているようだ。見知った顔があったので、声をかけてみることにした。
「中沢さん。何かあったんですか?」
「妃さんところの娘さんか……水を汲みにきたのかい?」
「はい。母に頼まれて」
「うーん。今日は帰ったほうがいい」
「どうしてですか?理由が分からないと、母に叱られるのは私なので、教えて頂けませんか?」
「そうかい。実は、この滝を占領しようとしている村人が出てきていてね。やはり、毎回汲みに来ないといけない水源なんて、大変だし、使える量に限りがある。不満が出るのは当然だが、だからといって、独り占めをしてしまえば、他の村人たちが困ってしまう。それで、そんなことを言い出した村人を、秘密裏に排除しているんだ」
「それはつまり、人を殺しているってことですか?」
「村のためだ。いいかい。このことは内緒にしてくれ。お母さんには、中沢が帰れと言ったと言えばいい。水は後日持っていくから。ね?」
「分かりまし……」
了解して帰ろうと思ったその時だった。
「中沢!悪い!仕留めそこなった!」
大声と共に、人混みの中から飛び出してきた、片腕のない人間。獣のように歯をむき出しにし、残った腕に握りしめた包丁で中沢さんを殺そうと走ってきた。
「中沢あああ!許さねえぞおお!」
「中沢さん!危な……!」
危険を知らせようとしたが、その必要はなかった。中沢さんは、咄嗟に振り替えると、的確に心臓のあたりを包丁で突き刺した。片腕のない人は、貫かれた包丁にぶら下がっていた。なんとも惨たらしい光景だ。まるでモズの早贄のようだった。
「大丈夫かい?」
血塗れの中沢さんは、優しく微笑んだ。地面に転がる死体を、集まった村人たちは、大きな刃物でバラバラにしていた。初めてとは思えない、手際の良さだった。
「中沢さん。どうして、この村の川は乾いたままなんですか?こんなことしなくてもいいように、川を元に戻すことはできないんですか?」
「それは難しいよ。川は、水は、自然の恵みだ。人間は生み出せるものではないんだよ。だから僕たちは協力し合っていかないといけないんだ。独り占めなんてことはあってはならない」
「じゃあなんで、さっきの人は、中沢さんを許さないと言ったのですか?」
「……」
中沢さんは答えなかった。おそらく、このシステムを作ったのは中沢さんなのだろう。独り占めをする人が現れた場合、容赦なく排除するようにという。きっと、バラバラにされた死体は見つからないだろう。明日のニュースにだって出ない。こんな小さな村での殺人など、誰の興味も引かないだろうから。それに、これだけの人数が口裏を合わせてしまえば、捜査は難航するに違いない。そんなことに頭を使わないで、水源をどうするかに頭を使ってほしかったが。
「はあ。答えられないのならいいです。このことは誰にも言いませんのでご安心を。その代わり、水は約束通り届けてくださいね。では、おやすみなさい」
「ああ。分かったよ。おやすみなさい」
血塗れの中沢さんや、その仲間たち。その血を洗い流す水がどれほどもったいないか、もう1度考えてもらいたい。恐怖というより、怒りがこみあげていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。水は?」
家の明かりがいつも通りに灯っていた。夕飯のいい匂いがする。
「中沢さんが、今日は汲めないから、明日うちに届けてくれるんだってさ」
「もう水はほとんどないのよ?明日なんて……」
「無理なものは無理だったの。嘘だと思うなら、中沢さんに電話でもして確認してみればいい」
「そう。仕方ないわね。夕飯、できているわよ」
「ありがとう。いただきます」
テーブルには、1人分の食事。ごはんに味噌汁、そして卵焼き。夜ご飯にハンバーグなど、夢物語だ。
「みんなは、もう食べたんだ」
「え?ええ……」
「あっそ」
やっぱり、家族は3人だと思っているじゃない。待っていようと声を出すものはきっといなかったに違いない。冷めた食事をさっさと済ますと、部屋に戻った。
部屋に入ると、目を疑った。なんと、いつもの部屋はなく、本がびっしり詰まった本棚が並ぶ図書館のような場所になっていたのだ。間違えたのかと思い、部屋を出ようとしたが、扉が消えていた。
「なんなのよ……」
「ようこそ。伝承者の館へ。私は伝承者・葉月史乃。歓迎するぞ、選ばれし者・妃水雫よ」
後ろから声がしたと思い振り返ると、目の前に、淡い水色のフリルがたくさんついたワンピースを着た少女が立っていた。目は少し吊り目で、肌も綺麗だ。黒い髪も美しく、光る赤い瞳はまるでルビーのようだった。まさしく美人というやつだ。
「え!ええと、こんばんわ?」
「なぜ疑問形だ?まあいい。座るがいい」
少女は踵を返し奥に見えるカウンターに歩いていく。女王様の座るような椅子の前には、机を挟んで普通の木の椅子が置かれている。たぶん、私はあそこに座るのだろう。
予想通りの席に招かれると、温かい紅茶を出された。お茶が飲めるというのも、水があってのこと。ここには、蛇口があるのだろう。ペットボトルのお茶を1日1本などという馬鹿げた制限がある我が家とは違って。
「飲んでもいいの?」
「もちろんだ。君のために淹れたのだからね。紅茶は苦手だったかな?」
「いえ。その、私の村では、温かい紅茶なんて飲む機会ないから。水は嗜好品に使うんじゃなくて、衣食住の必要なもののみにしか使えないから。だから、飲むのは初めてなの」
「そうだったのか。随分と苦労しているのだな。ここでは遠慮せずに飲むといい」
「はは。言ってみたいわね。そんなセリフ。いただきます」
初めての紅茶は、今まで飲んだ飲み物よりも美味しく、身体中が潤っていくようだった。
「気に入ったようだな」
「もちろんよ!こんなに美味しいものを飲んだのは初めてだわ!ペットボトルのお茶が悪いわけじゃないけど、制限付きで飲む飲み物は、味があまりしなくて。これで1日持たせないとってしか考えてないし」
「しかし、君の村の水不足は深刻な問題だな」
「うん。暮らせないわけじゃないけど、毎日辛いわ。それに……」
話そうとして、慌てて口を覆った。夜のことは黙っていないと何をされるか。
「それにの先は、殺人も起こっていると言いたかったのだろう?」
「え……なんでそれを……」
「私に分からないことは、感情のみだよ。実際に起きたことについては、分からないことはないよ」
「すごい……って、感心してる場合じゃない!えっと、知ってるなら、どうにかならないの?確かに独り占めは良くない。でも、殺す必要ってある?しかも、犯人は、水がないから怒っているというよりも、中沢さんに怒っているようだったのよ。おかしくない?あなた、何でも分かるって言ったわよね?なら、中沢さんが何を隠しているのかを教えて!」
今のままでは、村人の犠牲は増えていきそうだ。現状を変えない限り、水不足で困った人が独り占めしにくるのも時間の問題。なるべくなら、話し合いがいい。村を守る大人なら、それくらいしてほしい。
「ふむ。中沢という人間は、水源を独り占めしているようだ。それも仲間たちと」
「独り占めって……どうやって?」
「滝の近くに住む者たちをまず殺す。住居を乗っ取り、家の中に水を引く。家は一軒ではないから、残りは仲間を住まわせ、そこにも水を引く。これで、水を汲みにきた人にも怪しまれることなく暮らしてきたのだろうな。許さないという言葉の答えは、家を奪い、家族の命を奪ったお前を許さないといったところかな」
「そんな……」
じゃあ、水源の近くには一体どれだけの血が流れ、どれだけの死体が埋まっているのだろう。そこには、水を汲みに行くことでしか通らないから、誰が住んでいたのかも分からない。狭い村なのに、何も知らなかった。
「最悪な村だわ……水さえあれば、こんなことには……」
何かが枯渇するというのは、人間にとっては悪影響だ。だって、人だって簡単に殺せてしまうのだから。
「ところで、私は何でここに来たの?部屋に戻ったら景色が変わっていて驚いたわ」
「驚きが薄いし切り替えが早いな……まあいいだろう。こほん。君は、選ばれし者で、私の伝える伝承を世の中に伝える役目を持っているから、ここに呼ばれたんだ」
「ふーん。でも私、影響力ないよ?」
「そこは心配ない。だから、君は私の話を聞き、指示したことをやってくれればいいのだ」
「わかった。私にしかできないことっていうのは、引き受けてもいいわ。誰でもできるのに頼まれるのは嫌だけど」
「そうか。では、紅茶を淹れ直すから、それ飲みながら話を聞いてくれたまえ」
ツインテール美少女がティーカップごと新しいものにしてくれた。湯気と共にただよう香りは、より一層いい匂いがした。
「さて、まずはこれを見てもらおう」
史乃は結婚指輪の入っていそうな小さな箱を取り出し蓋を開けた。中には、光り輝く水色の宝石が1つ入っていた。大きさは、スーパーボールくらいといったところだろうか。
「これは何?」
「凪の結晶というものだ。川1つ分の水が封じ込められたものだ」
「川1つ!?」
「ああ。昔、川の水を独り占めした人間がいた。自分の田んぼにしか川の水が流れないようにしてな。もちろん揉めたよ。そして、その人間を殺した。これで元通りになるかと思われたが、1人、また1人と、消しては独り占めする人間が現れるということが続き、キリがないと感じたこの村の水の神は、この結晶に川の水を閉じ込めてしまったそうだ。随分人口も減ってしまった村だったから、水不足で困り果て、そのまま亡くなった人間も少なかったらしい。まあ、今も昔も、己のことだけを考える者もいるし、解決策が排除というのも、あまり変わっていないようだな」
その通りだ。私の村だって、同じことが起きている。繰り返すべきではないことだって、人は繰り返す。頭で理解したことと、行動は比例しないのかもしれない。
「ねえ、その、凪の結晶だっけ?それ、譲ってくれない?私の村の川に放てば、村は救われる。殺し合いだってなくなる。だから……」
「もちろん譲るつもりだ」
「本当!?ありがとう!!」
「ただ、凪の結晶から得られる水は、血塗られた者や己のことのみしか考えていない人間には毒なんだ。そうじゃないと、簡単に放たれ、水の恵みを得てしまうからね」
「つまり、もし私の村で凪の結晶を放ったら……」
「恐らく上流に住む中沢たちは死ぬだろうな」
「……」
あれ?そもそも、あの村を救ってどうするというのか。私は出て行くつもりだし、滅びようが関係ないはずだ。むしろその方がいいのではないか?
「ねえ、水がなくて困っている村は、他にないの?」
「どうしたんだ?」
「私、村を出て行くつもりなの。2年後に。だから、村を救う意味はないっていうか」
「ふむ。ないわけじゃない。しかし、影響力があまり見込めなくてな。君の村のなら、それがありそうなのだが。まあ、村を救うなどと考えずに、残りの生活を快適に過ごすためにという風に考えてはどうだろうか?水不足が改善されれば、水汲みをさせられることもないぞ」
ものは考えようだと感じた。その通りだ。村を救うのはおまけ程度に考えよう。
「分かったわ。それならいいかも」
「ならば、凪の結晶を君に託す。村に戻ったら、川のどこでもいいから結晶を置いてくれ。その瞬間、水で満たされた川ができあがるだろう」
「ええ。ありがとう。早く出ていきたいって思っていたけど、少しはマシになったわ。それじゃあ、もう帰ればいいの?」
「ああ。それではな」
史乃に手を振りながら扉サイズの光に向かって行った。
光を抜けると、家の外にいた。外は相変わらず暗い。そんなに時間は経っていないようだ。
「よし」
握りしめられた凪の結晶を近くの川まで運ぶ。街灯に照らされた川は枯れ果て、ひび割れた土がよく目立つ。
「これで、水を争わなくていい……」
やがて、凪の結晶は弾け、枯れた川を潤した。その光景はとても美しく、一生忘れることはないだろう。
翌日から、川に水が戻ったと村中は大騒ぎ。喜ぶのと同時に、水汲みをしなくてもいいように、水道に関する工事で慌ただしくなった。
そして、あっという間に日々は過ぎて、村中の家の蛇口を捻れば水が出るようになった。しかし事件は起きた。
私が学校から帰ると、キッチンにぼんやりと佇む水星がいた。
「ただいま。何してんの?」
「姉貴。母さんと父さんが倒れた。病院に連れてったけど、手遅れだって。他の家でも似たようなことが起きてる」
「なんで……何が起こっているの!?」
「分からないけど、死んだ人の共通点なら分かるよ」
「は?何言って……」
「姉貴は、俺が両親に可愛いがられて羨ましそうだったけど、あれはただの罪滅ぼしみたいなものなんだよ」
「え?」
「姉貴の上には、もう1人兄貴がいたらしい。でも、夜泣きに耐えられなくて叩きつけて殺したんだって。しかも、出生届も出してなかったらしいし。自宅で勝手に産んで、勝手に殺したんだ。だから、男子が生まれたら、兄貴の分も可愛いがろうって決めてたって。俺の頭を撫でる母さんは口癖みたいに言っていたよ」
「そんなの、聞いたことない!」
「姉貴は男じゃないから、兄貴の代わりとして育てられなかっただけのことだよ。それはそうと、他に死んだ人といえば中沢さん。あの人、上流に住んでいた人皆殺しにしたらしいじゃん。1番早く死んだらしいよ」
「ちょ、ちょっと待って。何であんたがそんなこと知っているのよ」
「見てきたから。兄貴の話は聞いた話だけど、中沢さんの犯行は見ていたから。俺は何回か水汲みに行ってる。知ってる?人の肉を切る音って独特でさ、山を登っている最中でもわかるんだ。聞こえるたび、俺は草むらに身を隠して、いなくなるのを待っていた」
「なんなの……」
水星はこんなにも不気味な奴だっただろうか。
「誰なの!?水星はこんなこと言わない!」
「姉貴が見てきた水星はそうだろうな。でも、俺は元々こんな人間なんだよ。代わりだと言われて、いい子を演じてきたに過ぎない」
「じゃあ、あんたが言う共通点って……」
「人殺しかどうかじゃないかと思うんだ」
ー血塗られた者や己のことのみしか考えていない人間には
毒なんだ
私は誰の言葉かも知らないが、確かに聞いたその言葉を1人で思い出していた。
以降、大半の大人たちが消え、若者しか残っていなかった。村としては珍しいとされた。




