十八冊目<道>
私は小さい頃から動物が大好きだ。理由はわからないが、両親の話だと、家族旅行の行き先を聞くたびに動物園と答えていたそうだ。父が犬猫アレルギーで、ペットは禁止と言われ、一晩中泣いていたこともあったらしい。恥ずかしながら覚えてはいないが、23歳になった今でも、動物が好きだ。
「シロー!ただいま。ぎゅー!」
私は働き始めてからは1人暮らしだ。そのため、ペットと暮らしてもいいアパートに引っ越し、実家では飼えなかった猫を飼うことにした。だから今の家族は猫のシロだけ。ふわふわの真っ白な体に、くりっとした青い瞳の下には黒子のような黒点が1つついている。まるで泣きぼくろだ。
「シロ。お前は触り心地もよくて、お出迎えもできて、本当に優秀な猫だよー」
シロのお腹に、頭を擦り付ける。嫌がる様子はないが、姿勢を変えずにこちらを睨み、わずかだが、尻尾を振り出した。ご不満のようだ。
「ごめんごめん。つい気持ちよくて。じゃあご飯にしようか」
シロは床に降りると、尻尾をピンと真っ直ぐ立てて擦り寄ってきた。言葉を直接は交わせないが、伝わっているのではと、時々思う。今だってご飯だと言ったら、微かに揺らしていた尻尾を止めた。私の機嫌を取るかのように寄ってきた。習慣だからだと言われるだろうが、私は猫と対話ができるのである。
それなのにー
翌日、私はいつものように仕事に出かけた。本当は動物と関わる仕事をしたかったが、叶わなかったので、OLとして働いている。
「あ!」
私はうっかりして、窓の鍵をかけ忘れてしまった。通勤中だし、戻ればいい話だが、始業時間も迫っていたし、まあいいかと思ってやめてしまった。
「おはようございます」
「おはよー。どした?何か浮かない顔だね」
話しかけてきたのは、隣のデスクで仕事をする山名さん。黒い髪をいつもポニーテールにしている。でも、髪をまとめるシュシュは毎日違うところに、可愛らしさとオシャレさを感じる。彼女は、先輩なのにも関わらず、親しみやすさがあって話しやすい。
「大したことではないのですが、窓の鍵をかけ忘れてしまって……窓自体は閉まっているんですけど心配で」
「あちゃー。一旦帰る?朝礼の後なら少し抜けてもわからないでしょ」
「いえ!そんなことできませんよ!大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
山名さんに頭を下げると、仕事をする準備をした。
「あー、疲れたー」
「お疲れ様。今日は一段と忙しかったね」
今日は特に忙しく、休憩時間もまともに取れなかった。そのため、窓のことなどすっかり忘れてしまっていた。
「山名さん、この後ご飯でも行きませんか?もうお腹ペコペコで……」
「んー、じゃあさ、お弁当屋さん行こうよ」
「ええ!?」
「だって兎美、急いで帰らないとじゃん?」
「そんなこと……あ」
「思い出した?ってことで、さっさと買っちゃおう。私、頑張ったから幕の内弁当にするー」
「すみません、気を遣わせてしまって……」
「いいのいいの。行こ行こ」
山名さんは、人のことをよく見ているし、話もしっかり聞いている。私も見習わなくてはと思った。
私は唐揚げ弁当を買うと、山名さんと別れ、急いでアパートに帰った。だが、アパート前の道に差し掛かった途端、言葉を失った。
「嘘……」
街灯が夜道を照らしていたその先に、赤色の混ざった、真っ白な何かがあった。私は、近づかずとも、それが何かを知っていた。
「シロ!」
弁当も鞄も投げ捨て、シロに駆け寄った。たくさんの血を流し、尻尾はペシャンコに潰れていた。
「は、早く病院に……」
シロを抱える手は震え、汗が止まらない。一刻を争うのに足が思うように進まない。気持ちだけが焦っていた。私は鞄だけを拾うと、夜間診療も行っている、かかりつけの動物病院に急いだ。
「恐らく車に轢かれてしまったのでしょう。残念ですが……もう……」
「そ……うで……す……」
言葉が上手く話せない。シロが死んだなんて受け入れたくない。でも、頭の片隅ではわかっていた。助からないって。倒れていた地面に流れた血は乾いていたからだ。時間が経ちすぎてしまったのだ。もしかしたら、轢かれてすぐに病院に行ったのなら、助かったかもしれないが、過ぎてしまったこと。もうどうにもならない。
「あり……が……」
「お礼なんていりません。助けられませんでしたから。診察料も必要ありませんので、ゆっくり休んでください」
「は、い」
獣医さんは箱の中にシロを入れると、宝物を扱うように渡してくれた。箱の上には、葬儀のチラシが乗っていた。
アパートに着くと、道に投げ捨てた弁当が、無残な形になっていた。
シロが死んで、数日が経った。まだ葬式はできていない。腐敗を防ぐために、部屋の中は真冬のように寒くした。シロの亡骸を眺め、鍵を閉め忘れたことを後悔した。それと同時に、命を奪っておいて放置してあったことに腹がたった。人間ならひき逃げ事件だの、交通事故だの騒がれるくせに、シロは何のニュースにもならない。殺した人がいるのに、罪にも問われない。理不尽すぎると思った。逆恨みかもしれないし、自分のミスを、誤魔化そうとしているのかもしれない。でも、動物だって、自分で呼吸をして歩いて食べて、私たちと何ら変わらない生活をしているのだ。それなのに……
「あれ?」
急に視界がぐるぐると回り始め、体が床に倒れ込んでしまった。その拍子に、かけていた毛布が脱げてしまい、上半身だけ出てしまった。冷気で冷やされ、体温が奪われていく。このまま死んだら、シロに会えるかな?それもいいかもしれない。私は、そのまま眠った。次に起きたら、天国がいいな。
「う……」
「あ!兎美!」
「え?あ、れ?山名さん?」
「そうよ!よかった……もう、すごく心配したんだから」
目が覚めると、見渡す限り白一色の部屋にいた。腕には点滴の針が刺さっており、ここが病院であると察した。私は死ねなかったのだ。
「私、なんで生きてるの?」
「なんでって、何日も会社に来ないし、連絡しても応答がなかったからアパートを訪ねたの。大家さんに頼んで鍵を開けてもらったら、冬かと思うくらい寒いし、中に入ったら兎美が倒れているし!一体どうしたの?」
「……」
「とにかく先生を呼んでくるわ。話したくなったら話してね」
山名さんは病室を出て行った。私はシロのいない世界に戻ってきてしまったことに絶望した。あのまま死んでいたら、シロのいない現実を、もう1度受け入れる必要もなかったのに。
間も無くして山名さんは先生を連れてきた。診察を終えると、栄養失調とかいろいろなことを言われた。頭には全然入ってこなかったけれど。
「しばらく入院すれば回復するでしょう」
「ありがとうございました」
山吹さんが私に代わって礼を言う。シロだって、こんな風に入院すれば治るって言われたかった。
「兎美、もう1度聞くけど、何があったの?」
「何もありません」
「嘘。何もなかったら会社に来ているわ」
「……」
「はあ。言いたくないけど、飼い猫ちゃんでしょ。兎美がそうなった原因って」
「シロは悪くありません。悪いのは私です。私が、私が鍵を閉め忘れたから……!」
今でも鮮明に思い出せるシロの死んだ顔や体の冷たさ。涙が溢れてきた。
「ごめんなさい。辛い思いをしたのよね。その、泣かせるつもりはなかったんだけど、あまりにも重症だったものだからつい……」
「いえ。ご心配とご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫ですので」
「大丈夫に見えないわ。まあ、その気持ちはわかるのよね。私もね、昔愛犬を事故で亡くしているのよ。そりゃあショックで何日も寝込んだわ。でもね、前に進めって言われている気がして、泣きながらだったけど、気持ちを立て直していったわよ。今でも悲しい。でも、悲しむよりやることがあるって思って、今は頑張っているわ。だから、前を向く気になったらいつでも言ってちょうだい。力になるわ」
「山名さん……」
私の気持ちなんてわかるわけないと思っていた。しかし、同じ経験をしていると初めて知った。私は山名さんのように強くないから、数倍時間がかかるかもしれない。それでも、
「あの、私、まだ悲しいし、お別れなんてとても言えません。だけど、ずっと泣いていたり、死のうとするのはやめます。今日から頑張ってみます」
「そう。じゃあ、気が向いたらここに来て」
そう言って、1枚の名刺を渡してきた。それには、動物を想う会という文字と、住所が書いてあった。
「これは?」
「私が活動している会よ。主に、捨てられた動物を保護したり、ペットのいる家庭に定期的に訪問して、健康かどうかを確かめたりしているわ。その他にも、会員が持ち寄った計画を一緒に行うこともあるの。ちなみに私は、野良の動物用にお墓を作ったわ。事故や争いで死んでしまっても、誰も看取ってくれないなんて寂しいじゃない。そんな感じで、実現したいことを仲間と共に叶えることもできるの。動物が好きで、飼い猫のために涙をたくさん流せる兎美には、とても向いていると思うわ」
そんな所があるなんて知らなかった。だが、ここに所属して、叶えたいことを叶えるというのも、いいかもしれない。それに目標があった方が、立ち直るのも早いかもしれない。
「山名さん、私、入ります。しばらくは参加できませんが、体調と気持ちが戻り次第、やりたいことがあるので」
「わかったわ。焦らなくてもいいから、今はしっかり休んでね」
「ありがとうございます」
山名さんは軽くお辞儀をすると、静かに病室を去っていった。
1ヶ月後。
「今日から新しいメンバーになる、猫又兎美さんです」
「猫又です。よろしくお願いします」
私は退院し、シロの葬式を終えると、動物を想う会を訪れた。立ち直ったかといえば嘘になるが、やりたいことがあった。
「猫又さんは、この会に参加して、何かやりたいことはありますか?」
「はい。私は、動物を轢き殺したり、暴力を振るったりした人間を罰せる法律を作りたいと思っています」
会員たちは一気にざわつき始めた。だが、構うことなく言葉を続けた。
「私は、動物だって人間と同じだと考えています。だから、許されていいわけないと思うんです。ちゃんと罪を償うべきです」
「そ、そうですね。皆さんも猫又さんにしっかり協力してあげてください。よろしくお願いします」
会長さんと会員は、困った顔を浮かべていた。妙な空気は耐え難かったが、シロの痛みに比べればなんてことはない。私の意志は固かった。
「驚いたわよ兎美。叶えたいことって法改正だったの?」
私の紹介が終わると、今日の集まりはお開きとなった。帰ろうとするした時、山名さんが駆け寄ってきた。
「はい。シロが死んでから、ずっと考えていたことです」
「いやいや、ちょっと目標大きすぎない?私たちが叶えられると思う?」
「皆さんのお力があれば可能なのでは?」
「兎美……変わったよね」
「強くないといけないからだと思います。以前のままでは、すぐにダメになってしまう。シロのためにも、変わらないといけないって思ったので」
「そう。できる限りは協力するけれど、あまり期待した成果は得られないと思うわ」
「どうしてですか?」
「力ある団体ではないからよ。元々個人が始めた集まりなの。会員が増えて、今ではそれなりの活動もできるようになっただけ。だから、どこまでできるか……」
「でも、何かしたいので。それでは、私は帰りますので」
山名さんに一礼すると、家路を急いだ。彼女は終始、心配そうな表情をしていた。
次の日、仕事が終わると、動物を想う会の集まりに来ていた。今日から本格的に動いてくれるらしい。
「本日より、猫又さんの希望を叶えるために活動します。一応この会の決まりとして、1人の希望を叶えるために使える時間は1週間です。例外はありません。そこは猫又さんもご理解ください」
「わかりました」
短いなと思ったが、決まりなら仕方ない。
「では、これから1週間は、署名運動をみなさんで行っていただきます。法令の改正は簡単ではないので、多くの署名が必要です。協力して頑張りましょう」
テレビで見たことはあるが、まさか自分でやるとは思わなかった。しかしこれもシロのためだ。こんなにたくさんの人が一緒にやってくれるのだ。きっと、変わる。そう期待した。
だが、約束の1週間が経った。それなのに、
「はい、ありがとうございました。全員分の用紙を確認しましたが、署名がほとんどないため、提出は難しいです。猫又さん、力不足で申し訳ありません」
現実は塩辛かった。
私をはじめ、他の人も署名を集められなかった。たくさんの人が行き交っていたのに、誰も見向きもしてくれなかった。何やってるんだろう、みたいな視線がとても痛かった。私は悔しくて涙が溢れた。
「……ありがとうございました」
私はお礼だけ言うと、走って会を後にした。
結局、何をやってもダメだった。あそこでなら、1人でできないこともできると思った。でもどうにもならなかった。
「無力すぎる……」
「果たしてそうかな?」
「誰?ってここは……!?」
部屋で1人うなだれていると、誰もいないはずなのに話しかけられた。はっとして顔を上げると、見慣れた部屋から見知らぬ大きな図書館へと姿を変えた。そして目の前のカウンターには、長い黒髪を美しく切り揃えた少女が座っていた。彼女はフリルたっぷりの黒いドレスをまるで私服かのように着こなしていた。
「ようこそ、伝承者の館へ。私は伝承者、葉月史乃。歓迎するぞ、選ばれし者、猫又兎美よ」
「は、はじめまして……えっと、私、部屋にいたはずなんですが……?」
「ああ。だが、用があったので呼ばせてもらった」
「そう、ですか。それで、用事というのは?」
「君に、伝承を伝える役目を果たしてもらいたい。それだけだよ。しかしその前に、面白い話をしよう」
「なんですか?」
「ふむ。あまり驚かないのだな。まあいい。その椅子に座りたまえ。お茶を持ってくる」
「お構いなく……ってもういないし」
葉月さんは少し変わった感じがする人だった。だが、私は人にはあまり興味がないので、本当のことを言うとどうでもよかった。あーあ。せめてファンタジーなら、動物がしゃべるとかにしてくれればいいのに。そんなことを思いながら、用意された赤い椅子に腰掛けた。
しばらくすると、葉月さんがティーカップを2つおぼんにのせて帰ってきた。
「待たせたな。どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
湯気にのって、紅茶の香りが鼻を刺激した。とはいえ、紅茶を語れるほど詳しくないし、茶葉がわかるわけでもない。これがおいしのかも、正直わからないのである。
「よくわからないという顔だな。紅茶は普段飲まないのか?」
「え?あ、まあ。缶コーヒーなら飲みますけど、本格的なものはよくわからなくて」
「そうか。別に構わないが。さて、約束通り面白い話をしよう」
「はい……」
乗り気ではないが、彼女の話を聞かないことにはここを出ることも出来なさそうなので、とりあえず聞いてみることにした。
「昔、昔のことだ」
葉月さんは悪戯っぽく笑い、楽しそうに話し始めた。
「お盆というのは、死者の魂が現世に戻る期間と言われている。誰もが知っていることだろう」
「そうですね。それがどうかしましたか?」
「昔の人は、供養として、その期間に花火をあげていたそうだ。さらに驚きなのは、供養するのは人間だけとは限らない。動物も含まれていたらしい。今では考えられないだろうがな。村中が亡くなった人や動物を供養するんだ。誰の家だとか関係なくみんなでな」
私の理想そのものだ。どこの誰であれ、なんであれ、誰もが同じ尊い命なのだと理解した上で接することができる。時代は進歩したはずなのに、心はなぜか退化してしまったかのようだ。
「だが、事件が起きた。ある男が、犬を誤って殺してしまう。問題はこの後だ。男は、誰もが通る道に穴を開け、その中無造作に犬の死体を埋めたのだ。これは供養のためではなく、証拠隠滅のためだ。動物さえも大切な命と捉える村だと知っていたからな」
「なんなのよ!動物をわざと殺したんじゃなくても、ちゃんと供養するものでしょう?こんな奴らは昔からいたのね。腹立たしい」
「ふふ。ようやく興味を持ったようだな」
「当然です。動物のことですから。それ以外はあまり聞く価値を感じませんね」
「ならば話を続けよう。この年のお盆、実は花火が上がらなかったんだ。1回なら、偶然だと思うが、毎年お盆の期間だけ、大雨が降るようになった。もちろん花火はあげられない。その状況が何年も続いたため、風習は廃れていった。みんなに忘れられても、お盆に大雨が降るのは変わらなかったが。しかし、雨の影響で地面の土が柔らかくなった時、1人の人間が何かが道の真ん中に飛び出ているのを発見。近くで見ると、穴の白骨化した骨が見えていたのだ。その時ふとお盆の大雨を思い出す。花火を上げられないほどの大雨。もしかしたらと犬の骨をかき集め、墓を作り供養した。すると、お盆は見事晴れたと言う。命ある者、全て尊ぶべきなのかもしれないね」
葉月さんは一気話すと、紅茶を飲み干し、ほっと一息ついた。
「あの、昔の人はそれだけ思いやりがあったのに、どうして今は動物をものと見なしたり、知らない人が死んでも悲しいって思わなくなってしまったんですか?」
「さあな。その答えはわからない。もしかしたら、進化によって、人間が不要だと切り捨ててしまったのかもしれないね」
「おかしいです。できていたことができなくなるなら、それは進化じゃなくて退化です」
「でも、君は蚊や毒虫を殺して、悲しむのかい?」
「いえ。そいつらは、人に害をなすものです。殺したからといって何も思いません」
「ならば、害をなす人間や動物は死んでも仕方がないと?」
「どうでしょう。そういう場合もあるんじゃないですか?正当防衛って言葉もありますし。相手が害を加える気なら、こちらも相応に対処すべきでしょ」
「君は冷静で残酷だね。それとも、シロの死によってそうなってしまったのかな」
「そうかもしれません。俯いて泣いているだけでは、どうにもなりませんから。進むには、強くなるしかないんです」
「そうか。そういうものなのだな」
葉月さんは、腕を組んで黙り込んでしまった。何かおかしいことを言っただろうかと心配になったが、詮索は特にしなかった。
数分くらい経った頃だろうか。葉月さんは急に立ち上がると、奥の部屋へと消えていった。
「不思議な人ね」
そんなことを呟き、用意された紅茶を飲む。ほんのり湯気が立っていて、私にとっては適温だった。
「やあ、待たせたね」
さっきいなくなったと思ったのに、もう戻ってきていた。
「いえ。ところでそれはなんですか?」
戻ってくるなり、葉月さんは大きなボールのようなものと持ち手のついた箱を持っていた。
「これは祈りの尺玉というものでな。話に出ていた供養のための花火だよ。打ち上げられなくなったことで、生産もストップ。残っているのは、私が手に持っているものと、箱に入った2つの合計3つだけだ。これらを君に託すよ。好きなタイミングで打ち上げるといい」
「ええ!?で、でも私、花火なんか上げられないですよ」
「大丈夫だ。実演して見せることはできないが、この箱を開けるだけで花火が打ち上がるようになっている。さて、これも、この中に戻してと。よし、これを持って帰るといい」
手に持っていた尺玉も箱の中に入れると、持ち手が私に向くように渡してきた。
「君の望むような、法を変える力はない。しかし、君の願いを歪かもしれないが、叶えることができる。あ、それと、打ち上げるなら山の上がいいかもしれないな。巻き込まれないし」
「巻き込まれる?どう言う意味ですか?」
「気にすることではない。では、頼んだよ、猫又兎美」
葉月さんがそう言うと、扉が開き、風が私を強引に図書館から引きづり出そうとした。尺玉を持ったままではどこにも捕まることができず、呆気なく外に放り出されてしまったのである。
「あうっ!」
私はベッドから落ちた衝撃で目を覚ました。
「いたたた……いつの間にベッドに移動したんだろう?というか夢?さっきまで確かに葉月さんの図書館にいたはずじゃ……あ!尺玉!」
夢か現実かを確かめるなら、受け取った祈りの尺玉があるかどうかでわかる。答えはー
「あった……この木でできた箱、確かに葉月の持っていたものだ。これを見晴らしのいい山から打ち上げるように言われたっけ」
半信半疑ではあったが、手詰まりの今、試せることは全てやりたいと思った。
「今は夜の7時か……よし。行こう!」
私は箱を持って山に急いだ。シロのためにも私は立ち止まれなかった。
街灯だけが足元を照らす。あたりはすっかり真っ暗だった。
「はあはあ。早くしないと」
山だと葉月さんは言ったが、この時間から山に登る勇気はなかったので、展望台から打ち上げることにした。それでも暗くなる景色に怯えていないわけではなかった。
「はあ、はあ。着いた……」
息を切らしながら、町を見下ろす。建物の明かりなどがイルミネーションのようだった。
「これだけ景色がよければ……」
地面に尺玉の入った箱を置き、勢いよく蓋を開けた。すると、美しい花火が次々と上がった。
「綺麗……」
3つしかないのに、カラフルで派手な花火がたくさん上がった。しかし、数分経つともう花火は上がらなくなってしまった。
静かになると、救急車のサイレンやクラクションの音、炎が上がっているところもある。イルミネーションは、パレードに変わった。
花火の上がったあの日、ひと目見ようと路肩に車を停めて見る人もいたが、あまりの美しさに見惚れたまま運転して、単独事故や衝突事故をあちこちで起こったらしい。事故にあった車には、犬や猫、鳥などの動物のシルエットが刻まれていた。さらに、黒焦げになった車だったとしても、明確にその形がわかることから、動物を轢いてしまった呪いではないかと騒がれた。私は、いつ来たかは覚えていないが、気がついたら展望台にいて、状況はよく知らなかった。しかし家に帰ってテレビを見ると、町が大変なことになっていた。
「動物の呪いか!?」
次の日の朝、スーツに着替えると会社に出勤した。しかし、社内にはごくわずかの人しかおらず、山名さんの姿もなかった。
「部長、おはようございます。あの、これは一体?」
「連絡が届いてなかったか。すまんすまん。いや、昨日、あちこちで事故が起きただろ。その中にうちの会社の人間も多くいたんだ。ギリギリ仕事のできる人数は確保できているのが不幸中の幸いだな」
「山名さんは?」
「あいつも昨日単独事故を起こしてな。意識不明の重体らしい」
「そう、ですか」
「あいつがどうかしたか?」
「い、いえ。仕事に戻ります。失礼します」
あれ?どうして私は、山名さんが来ていないことを不思議に思ったのだろう。なぜ、山名さんは大丈夫なんて思ったのだろう。あれ?何かが……
「おい、何か落としたぞ」
部長に背を向け、自分の席に戻ろうとした時、声をかけられた。振り返ると、床に名刺サイズの紙が落ちていた。
「すみませ……」
紙の文字を見て、山名さんが大丈夫だと感じた理由がわかった。それと同時に、裏切られた気分になった。
だって、昨日起きた事故は、動物の呪いによるもの。だとしたら、山名さんは、動物なんて想っていなかったことになる。あの会の会員だってそうかもしれない。
「偽善者共め」
独り言を呟き、名刺をシュレッターにかけた。




