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栄光の昭和  作者: 原幌平晴
第三部
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第十五話 三人の去就

「生存者の救助を最優先に」

 重巡ボルチモアの艦橋。フレッチャー少将は思いつく限りの指示を矢継ぎ早に出し終えると、窓辺に歩み寄った。既に陽は沈み、熱帯の夕刻特有の見事なグラデーションが、右舷から左舷にかけてオレンジから群青へ、天空を染め上げている。

 人の世の戦いも、その勝利も敗北も関係なく、大自然はこうして日が沈み、また昇るのだろう。敵の攻撃隊が飛び去った方角を見ながら、少将の脳裏にそんな思いがよぎった。

 窓から乗り出し、右舷側を眺める。そちらを先ほどまで併走していた、空母ヨークタウンの巨体は、もうない。代わりに、浪間には無数の救命胴着を着た乗員が漂い、駆逐艦と内火艇を総動員しての救助活動が行なわれていた。

 日本の攻撃隊が猛襲し、対空砲火に気を取られている隙を突いた、海中からの数本の雷撃だった。新型駆逐艦の対魚雷爆雷でそのほとんどは破壊したものの、最後の一本で巨艦は沈んでしまった。あまりにもあっけなく。

 目を閉じれば、ありありとその光景が脳裏に再生される。全長二百七十メートルもの巨艦が、海中の爆発で突き上げられ、中央からへし折れて轟沈するさまが。甲板に並ぶ機体が、人が、弾き飛ばされ、海面に叩きつけられる。二つに折れた艦体は、その断面から一気に海水がなだれ込み、脱出する間もなく将兵を飲み込んでいく。

 こうして、艦長ジョーゼフ・J・クラーク大佐以下の乗員三千人が、一瞬で命を奪われたのだ。恐らく、この後何度も悪夢に見る光景だ。

 味方の攻撃隊は、敵の空母を二隻とも撃沈と伝えていた。数の上では一隻と二隻。こちらの勝利と言えなくもない。が、その攻撃隊の帰る先を失った、この喪失感はどうだ。

 たった一隻の潜水艦が、こうも戦局をひっくり返せるのか。これは果たして、人間の力なのか。日本は一体、どんな海の悪魔と契約したのか。

 暖かいはずの南国の風に、思わず身震いする。

 傍らの副官に尋ねる。

「燃料が持たないのは何機だった?」

 メモに目を落とし、副官は答えた。

「帰途に就いた五十一機のうち、F6F戦闘機の二十機とTBF攻撃機の十五機はハルゼー艦隊に向かいました。SBD爆撃機の十六機がそこまでの燃料が足りず、この海域に着水してます」

 パイロットだけでも助かれば良い。着水で機体は失っても、いくらでも作れる。

 そう自分に言い聞かせるフレッチャーだが、空母を沈められたのは痛かった。ハルゼーの艦隊も、あっという間に二隻を失ったと言う。四隻のエセックス級を受け取り、その三隻を失ったわけだ。

 そこへ通信手が報告に来た。

「旗艦サラトガ被弾、離着艦不能。帰艦する機体はバンカーヒルへ向かえとのことです」

 ハルゼー中将の座乗艦がやられたか。沈まなかったのは何よりだが。

 敵の空母を二隻沈め、二隻を戦闘不能にした。日本の戦力は残り二隻の空母。こちらは三隻を沈められ、一隻が戦闘不能。残りは一隻のみ。

「いくら勇猛果敢なハルゼー閣下でも、これでは引くしかありませんね」

 傍らの副官の言葉に、フレッチャーも頷くしかなかった。

「しかし、まだ戦いは終わっちゃいないよ」

 夕闇と共に紺碧から漆黒へ色を変えた海面を見下ろしながら呟く。戦の舞台は空から海、いや海面下へと移っていた。


 愛用の火のついていないパイプを咥え、「くろしお」艦長の後藤綱吉は海図を睨んでいた。発令所は静まり返っており、機械の微かな音が囁くのみだった。

「推理ははかどりましたかね、ホームズ先生」

 沈黙を破った片平史郎副長の軽口に、艦長は答えた。

「初歩的な問題だよ、ワトソン君」

 海図の上の×印を中心とした円を指さす。

「夜光雲の電探が捕らえた敵艦が×印、そこから敵艦の巡航速度で移動できる距離がこの円」

 そこに、定規を当てて一本の直線を加える。

「これが、聴音手が捕らえた、その音紋の方角」

 脳裏で行っていた作業を、説明のために海図上に書き加えていく。

「なにか気づかないかね、ワトソン君」

 仇名の「うらなり」よりはましかな、と思う副長だった。

「直線が円の中心からずれてる、つまり移動していると」

「正解だ」

 次に艦長は、中心の×印から直線が円を横切る切片に向けて、二本の直線を引いた。

「そして、これが敵艦の予想進路の範囲だ」

 ふむ、と副長は頷いて言った。

「で、初歩的でない問題は?」

 パイプを口から離し、艦長は答えた。

「電探は、こちらが相手を見つける前に、相手に察知されてしまう。既に敵艦は夜光雲からの電波でこちらの攻撃を予測し、回避行動に入ったわけだ」

 再びパイプを咥える。次に火をつけてふかせるのは、帰港後だろう。いつになるやら。

 言葉を続ける。

「敵艦は『くしなだ』に痛手を与えた古株だと言う。これを沈めるには、間近にまで接近しての雷撃しかない」

 副長が答えた。

「つまり、方角だけでなく距離も分らないと、そこまで正確な会敵は困難だと言う事ですね」

「そうだ。しかも、『くろしお』一艦でそれをやらなければならない」

 僚艦の「わだつみ」は、別海域で行動中だ。つまり、前回のように連携しての三角測量は出来ない。

「やはり、あれを使うしかないのでは?」

 艦長の表情が渋くなった。

「それが最大の問題だ」

 今回、加わった新たな装備、音響機雷だ。これを放出してから自艦は移動し、離れた場所で探針音を出させる。敵艦で反射したその音を捕らえて位置と距離を測るわけだ。定期的に探針音を出すように設定すれば、敵艦の進路や速度も判る。逆に、こちらは泡沫遮音膜を張っておけば、その位置が相手にばれずに済む。

 しかし、電探と同様に、敵にこちらの存在がばれてしまうのが欠点だ。当然、敵は雷撃を警戒することになる。そうなれば魚雷を多数打ち込む飽和攻撃しかない。

「こうなると、『くしなだ』をやられたのが痛いな」

 敵空母ヨークタウンを撃沈した後、やろうと思えば旗艦らしい重巡も沈められた。それが出来なかったのは、魚雷を温存しなければならないからだ。

 海戦初頭、待ち伏せ潜水艦を沈めるのに四発。空母のために六発。既に搭載数の三分の一を消費している。「くしなだ」があればいつでも補給できるが、今は本国まで戻るしかない。

「パナマの『おやしお』も厳しそうですしね」

 米国は、まるで駆逐艦が沸きだす魔法の壺でも持っているかのごとくだった。毎日のようにパナマ運河を突破してくるので、「おやしお」の魚雷消費数がうなぎ登りだった。近日中に帰還して補給しなければならなくなる。その穴を埋めるには、こちらも魚雷を節約しなければならない。

「本来なら、搭載数の多い『わだつみ』にお願いしたいんですがねぇ」

 片平副長がぼやく。『わだつみ』級の搭載数は、こちらの倍の六十発だ。

「三倍の魚雷をぶっ放していては、期待できないな」

 大先輩の草薙に向かって、辛辣な後藤だった。I端末によると、あの後さらに二隻目の母船を沈めたが、既に残弾数は半数に迫っていた。

「これ以上、敵潜の待ち伏せで被害を出すわけにはいかん。やるしかないな」

 既に連合艦隊は帰路についていたが、港に戻るまでが作戦行動だった。少なくとも珊瑚海を出るまでは、どこで待ち伏せを受けるか分らない。

 艦長は発令した。

「三番発射管、音響機雷を十分間隔に設定して放出。その後、泡沫遮音膜を展開し、方位フタハチマルに十ノットで向かう」

 右舷の最下部の魚雷発射管から、魚雷より短い円筒が投下された。「くろしお」が細かい泡に包まれて遠ざかったのち、音響機雷は探針音を定期的に発し始めた。

「来たな」

 機雷からの探針音の反射を、「くろしお」艦首の水中聴音器が捕らえた。

「よし、敵艦の回避方向に先回りする」

 探針音から逃れようと、敵艦は進路変更するはずだった。そこで待ち伏せが出来れば、魚雷を節約できる。

「敵艦を沈めるだけでは勝てない。厄介な戦になったものだ」

 パイプの吸い口を噛みしめながら、後藤艦長は呟いた。


 難しい顔なのはハルゼーも同じだった。艦橋から一段降りた露天の飛行指揮所で、夜風に吹かれながら左舷に見える南十字星を見上げる。既に艦隊は帰路に付き、西のオーストラリアへ向かっていた。

 見下ろすと飛行甲板の大穴が広がっている。薄暮攻撃で一発くらい、開いてしまったのだ。これのおかげで、帰投した攻撃隊も、沈んだヨークタウンの航空機も、残った唯一の無傷な空母、バンカーヒルに着艦するしかなかった。当然、いくら巨大なエセックス級でも乗り切るはずがなく、無傷の機体まで海に投棄する羽目になった。

「この戦い、どちらが勝ったのでしょうね」

 早速、虎の尾を踏みに来た副官だが、ハルゼーは渋面のまま答えた。

「敵は空母を二隻失い、二隻が大破。こちらは三隻失い、一隻大破。まぁ、数だけを見ればこちらの負けだな」

 猛将の誉れ高いハルゼーだが、状況分析は冷静だった。

「だが、空母は本国の東海岸で次々と建造中だ。太平洋側まで回航できさえすれば、問題ない。ナチスが潰れてくれたおかげでな」

 問題はパナマ運河だった。今回、空母三隻を沈めたシーゴーストが居座り、運河から出てくる船を片端から沈めているらしい。四月末に二十日間ほどいなくなったおかげで、今回のエセックス級四隻が届いた。再び奴を追い払うことが出来れば。

 とはいえ、そんなうまい方法があるのかどうか。

「ふん。これはやっぱり、スプルーアンスの仕事だな」

 そう呟くと、傍らの副官に言った。

「帰港したら、早速残りの新兵どもを絞り上げるぞ。訓練計画を明日中に出せ」

 復唱して敬礼する副官を残し、ハルゼーは艦内に引き上げた。


 仕事を押し付けられたとは知らないスプルーアンスだが、言われるまでもなく頭を悩ませていた。

 シーウルフ艦隊の旗艦、重巡ノーザンプトンは、ハルゼー艦体の後方、しんがりを守る位置についていた。しかし、もう長いことシーゴーストの音紋は捕らえていない。明らかに、あの海の悪魔のターゲットは変わっていた。

「潜水母船セーラムより入電」

 通信手の声に、またか、と心の中で呟く。傍らに立つソレンセン艦長を見ると、彼も頷いた。

 撤退していく敵艦隊を待ち伏せするべく配置された潜水艦母船が、次々と沈められていく。それは、かつてシーウルフ艦隊の精鋭だった艦だった。

 敵空母一隻を大破し、二隻の撃沈にも貢献するなど、既に戦果は十分に上げている。これ以上失うのは忍びない。

「艦長、どう思う?」

 問われて、ソレンセンは金髪を掻き上げると答えた。

「艦は仕方がありませんが、乗員は……家族みたいなものでしたから」

 足の遅い旧式艦だが、乗員の高い練度で何度もシーゴーストを追い詰めてきている。より高性能な新型艦に入れ替わったものの、新人ばかりではその性能を活かしきれていない。ベテランには別の活かし方があるはずだった。

「よし、潜水母船には撤退命令を出そう」

 スプルーアンスは決断した。その上で、セーラム以下の旧シーウルフ所属艦を加えて、パナマに向かう。シーゴーストを追い散らして、何とかしてパナマ運河を解放しなければ。


 翌朝の作戦会議で、山口多聞が発言を求めた。山本が許可すると、起立し、話し始めた。

「このたびの海戦で、わたくしは飛龍・蒼龍の二隻を失い、多数の将兵を死に至らしめました。よって、厳罰を持って処していただきますよう、お願いいたします」

 会議室は水を打った様な静けさとなった。

 しばらくして、山本が咳払いすると口を開いた。

「山口少将。責任云々の前に、まずは作戦の結果を確認するべきと思うが」

 居並ぶ指揮官と参謀がざわめき、頷く。山口は山本と目を合わせると、一礼して座った。

 そこで肇が挙手し、立ち上がると報告を開始した。

「これまで確認した戦果は次のようになります。敵空母、エセックス級三隻を撃沈。レキシントン級一隻を大破。潜水艦母船三隻撃沈、潜水艦十隻以上撃沈、防空駆逐艦、多数を中破・大破」

 ここで一度言葉を切り、続ける。

「最後の方が不確定になって来るのは、航空機による攻撃や夜間の戦闘が入ったためです」

 肇は山本が頷くのを見て、さらに続けた。

「こちらの損害です。正規空母の飛龍、蒼龍、沈没。赤城、大破。加賀、中破。この二艦は自力航行可能なので、先に退避しています」

 山口が気になってちらりと見たが、頭を起こしたまま瞑目していた。

「さらに、航空機の損失です。これには未帰還に加えて、帰還後に海へ投棄された分も含まれます」

 四隻の空母が沈没や大破し、帰還機を着艦させられなくなった。そのため、残りの二隻に集中して着艦せざるを得ず、場所を開けるための処置であった。

 結局、連合艦隊は搭載機の六割を失ったことになる。特に、無敵を誇っていた零戦の損害の多さに、一同はどよめいた。

「ただし、」

 肇は少々声を高めて言った。

「実際に戦死した搭乗兵は、二割程度となります。また、飛龍と蒼龍の乗員も、その七割は救助されています」

 撃沈した米空母の三隻では、かなり事情が異なるだろう。泡沫衝撃での轟沈は、退避する暇のない一瞬の破局のはずだからだ。この点には肇は言及せず、席に座った。

 渡辺安次参謀が挙手した。

「今の報告から考えるに、今回の戦闘は我が方の辛勝となりますな」

 居並ぶ面々が頷く中で、肇は手を上げた。

 山本が頷くと、肇は立ち上がり言った。

「私見をお許しいただけるなら……」

 言いよどんだが、意を決して告げる。

「今回は日本の惨敗です」

 渡辺参謀が叫ぶ。

「馬鹿な! 空母の損失は三対二なのに!」

 肇は指摘した。

「大破した赤城の修復には、半年かかるでしょう。加賀ですら一か月以上。その間、日本の正規空母は翔鶴と瑞鶴の二隻だけです。つまり、米空母と同数」

 一同は息を飲んだ。さらに肇は口を開いた。

「米軍の暗号を解読した結果、東海岸では何十隻もの空母が建造中だと言う事が判明しました。その何隻かはほぼ完成し、パナマの封鎖が解ければ、すぐにでもこちらに出てくると考えられます」

 そこに、黒島参謀が。

「パナマ運河は海底艦隊が……」

 肇は黒島に頷いた。

「封鎖しています。が、限界があります」

 宇垣纒参謀長が問う。

「どのくらいまでですか?」

「魚雷が尽きるまでです。あと十発を切りました」

 一同、再びどよめく。

 山本が告げた。

「本日の午後には、連合艦隊は敵の勢力圏を出る。その後、海底艦隊はただちにパナマ海峡封鎖に向かっていただきたい」

「了解しました」

 肇は答え、頭を下げた。

 肇が席に着くと、再び山本が口を開いた。

「加えて、山口少将の去就についてだが」

 山口が目を開け、山本に向き直る。

「この件は軍法会議が決するべきものと考える。よって、山口少将はそれまでの蟄居を命ずる」

 山口は起立すると、山本に敬礼した。

 この日の会議は終わった。

 午後、まずは「わだつみ」が連合艦隊から離脱し、パナマに向かった。「くろしお」は連合艦隊がトラック泊地に到着して後、パナマに向かった。


 そのパナマでは、予想を超える激戦が待ち構えていたのだった。


登場人物紹介


実在する人物には【実在】としています。


ジョーゼフ・J・クラーク

【実在】空母ヨークタウン艦長。階級は大佐。

インディアン部族チェロキー出身で初めて海軍兵学校アナポリスを卒業した人物。


次回 第十六話 「五十二発の魚雷」


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