イケメンに朝まで離してもらえません(2)
目を開けると薄暗がりだった。
朝なのか夕方なのかよくわからなかったけれど、窓の外から小鳥が鳴いている声が聴こえる。
朝かな。
まどろんでいた私はハッとして起きあがった。
早く朝ごはんを作らないと、夫の出勤時間に間に合わなくなってしまう。
だけど、自分の視界に入ってきた豪奢な寝台や部屋の調度品を見て、自分の置かれた状況を思い出す。
赤を基調に木製の彫刻や金銀、螺鈿などで飾られたこの部屋は、どことなく中華風だ。
実は昨日、昔の中国にタイムスリップでもしたのかと思って思いつく限りの中華王朝の名前を挙げてみたのだけれど、女官達は首をかしげるばかりだった。
「中華風乙女ゲーの世界に転生しました、みたいなやつかなこれ。すごい、ほんとにあるんだ」
とつぶやくと、イケメンはますます青ざめてしまい。
そして御医と呼ばれているイケおじの医者の診察を受けて、特に異常はないので一時的な記憶の混濁ではないか、みたいなことを言われ、そのままイケメンに無理やり寝かしつけられて。
そして気づいたら今、というわけだ。
視線を下ろすと、私のすぐ横で昨日の黒髪イケメンが寝ていた。
イケメンは寝顔まで美しい。
神々しいほど整った寝顔を見ながら、私は昨夜のやりとりを思い出した。
体調が急変した時に気付かないと大変だから、何がなんでも添い寝すると言われて押し切られてしまったのだ。
私は手を伸ばして、イケメンの前髪をかきあげた。
サラサラの髪だけれど、見た目よりも柔らかい。
そのまま、よしよしと頭を撫でてみる。
昨日の彼は、病気になったご主人様を心配する大型犬のようだった。
昔、実家で飼っていた犬を思い出して、ついほだされて添い寝を許してしまった。
もちろん、何もしていない。
ただ彼に抱きしめられて眠っただけだ。
私がイケメンの頭をなでていると、イケメンが寝ぼけた声で言った。
「……玉蘭様、お体が冷えます……どうぞこちらへ……」
イケメンはそう言うと、私の腕を引き、私の体を自分の懐に抱え込んで抱きしめた。
あったかい。
イケメンの懐はとても心地良かった。
彼の体は温かく、抱きしめられているとじんわりと熱がこちらに移ってくるのを感じた。
彼に抱きしめられていると、なぜだかとても安心できた。
この二年、夫とセックスレスになってから、誰かに抱きしめられたこともなかった。
人に抱きしめてもらえるのがこんなに幸せなことなのだと思い出す。
だけど、本当は夫にそうして欲しかった。
考えても仕方のないことを考えて、涙がこぼれる。
夫は私を抱かなくなった。そして他の女性と浮気をした。私はたぶんあの時に事故で死んでしまい、今はなぜかこんなところで女帝になっている。
「玉蘭様?」
声は出していなかったつもりだが、泣いた体の震えが伝わってしまったのか、イケメンが私の頬に手を添えてきた。
「泣いてらっしゃるのですか?」
イケメンはそう尋ねながら、私の目尻にキスをし、涙を拭ってくれた。
このイケメンはすごい。女性の慰め方まで完璧だ。本当に乙女ゲーの人みたいだなと私は考えた。
イケメンは私を慰めるように頬やおでこにキスをしてから、急に慌てて起き上がり、寝台の上で私に向かって頭を下げた。
「申し訳ございません。寝ぼけておりました。玉蘭様より遅くまで寝ているなど、あってはならぬこと。どうかお許しくださいませ」
「いや、いーよいーよ。私が三日も意識が戻らなかった間、ほとんど寝ないでずっと付き添っててくれたんでしょ?あの御医って人に聞いたよ。ありがとうね」
「そんな、私は何も…。もったいないお言葉です」
イケメンは頭を下げたまま言った。
「いや、もう顔上げてよ、ね?」
私が言うと、イケメンはおそるおそる顔を上げた。
うん、やっぱりすごいイケメンだ。
顔面偏差値が高すぎて顔の美しさの圧が強い。
「えっと……蒼清……だよね?」
私が彼の名前を呼ぶと、イケメンは目を見開いた。
「思い出されたのですか?」
「ううん、昨日御医のおじさんに教えてもらったんだ」
「そう……ですか」
「なんか……私の側室、なんだってね」
「はい……」
蒼清はうなだれた。
悲しそうな顔もまた美しすぎて、まるでドラマを見ているような気持ちになってしまう。
御医のおじさんが教えてくれたことは三つ。
彼の名前は蒼清といい、私の側室であること。
正室はおらず、彼が一番私の寵愛を受けていたこと。
他にも側室がいるし、私の後宮には私に声をかけられるのを待つイケメンが約千人いること。
いやイケメン千人の後宮ってどんだけ。
玉蘭ってそんなに男好きだったんだろうか。
まだ玉蘭としての記憶ははっきりしない。
生活に関することなどはほんの少し部分的に思い出せたりするけれど、人間関係の記憶はさっぱりだ。
「玉蘭様」
蒼清が何か決意したように顔を上げた。
キリッとした顔もまたとんでもなく麗しい。
そりゃ玉蘭も寵愛するはずだ。
こんな超美形イケメンがいたら、寵愛しないはずがない。
国宝級イケメンをひとりじめできるなんて、さすが女帝様だ。
しかもまだ他にも後宮にイケメンを千人も侍らせているなんて、女帝すごいなー。
などと私がひとごとのように考えていると、蒼清は私に向かって手を伸ばした。
「玉蘭様、お体に触れてもよろしいでしょうか」
私が返事をする前に、蒼清は私を抱きしめた。
彼は物腰は丁寧で臣下としての振る舞いは身に付けているけれど、私の体に触れることに躊躇いがない。
そこは玉蘭に寵愛されていたという彼の自信によるものなのか、無意識に触れてしまえるほど玉蘭と彼は肌を重ねていたということなのか。きっと両方なのだろう。
「玉蘭様…」
蒼清は私にキスをして、私の目をのぞきこんだ。
彼の目は潤んでいた。黒目が黒曜石みたいに光っていて、長いまつ毛が何度も瞬く。
「玉蘭様……私のただ一人のお方。玉蘭様が記憶を取り戻すためのお手伝い、この蒼清がさせていただきます。そしてまたあの甘やかなお声で私の名前をお呼びくださいませ」
「……ありがと」
私はうなずいた。
でも、本当に記憶を取り戻したいなら、たくさんの人に会った方が良いはずだ。
「あと何人か側室の人がいるんだよね?その人達にも会って話を聞いてみてもいいかな?何か思い出せるかも」
私が言うと、蒼清は目を伏せた。
「……そうですね、明日こちらへ参るように皆に申し伝えておきます」
玉蘭のことを慕っているらしい蒼清には申し訳ないけれど、私にはまだ玉蘭の記憶がないから、蒼清がどんな人なのかよくわからない。
悪い人ではなさそうだけれど、皇帝の側室達といえばやはり富と権力を巡って争いがちなものだし、玉蘭がどんな人達を側室にしていたのか把握しておく必要はある。
私が考えを巡らせていると、蒼清は私をぎゅっと抱きしめた。
「ですが、今日は一日この寝台からお出ししませんから。食事もここで摂っていただきます。まだお体も心配ですし、それに……」
と言って、蒼清は微笑んだ。
「私をあれだけ心配させたのですから、玉蘭様には責任をとっていただきます」
そう言って、私の胸に顔を埋めてぐりぐりと擦り付けてくる。
大型犬みたいに甘えてくるイケメン、かわいいね。
うん、かわいい。
かわいいけども。
寵愛されている自信をみなぎらせたイケメン、怖い。
玉蘭の記憶のない私は彼と愛し合っているわけではないのに、なんだか彼の押しに負けそうで怖い。
「玉蘭様、心よりお慕い申し上げております」
蒼清はキラキラのイケメンキラースマイルでそう言うと、私の首筋に唇を落とし、慣れた様子で私の体に唇を滑らせた。
「あっ」
気持ちよくて思わず声が出てしまう。
私の声を聞いて、蒼清はにこっと笑った。
「玉蘭様の良いところは、この蒼清、誰よりも心得ておりますので」