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7.(6)

 駅の改札には会社や学校に向かう人々が溢れていた。電車が到着したのだろう、ホームから一斉に改札へと人がなだれ込んでくる。その様子を音羽は少し背伸びをしながら見つめていた。すると、人混みの中から一人の少女が手を振りながら改札を抜けて走ってくる。

 音羽はホッと安堵して「おはよう、理亜」と目の前に立った彼女に笑顔を向けた。


「はよ。あー、通勤ラッシュって辛いわ」

「久々?」

「むしろ初めてかな。大人になってもこういうのには乗りたくない」


 苦笑いを浮かべる理亜の様子は元気そうだ。そしてどこかスッキリしたようにも見える。


「わたしも嫌だなぁ。毎日、こんな満員電車に乗るの」


 音羽は答えながら理亜の首元に視線を向けた。今日の服装はジャケットにTシャツ。その首元には赤い石がはめ込まれたペンダントが揺れていた。

 音羽は思わず微笑み、自分の首元に手をやる。その動きに気づいたのか理亜が「あれ?」と首を傾げた。そして自分のペンダントに視線を向けてからニヤリと笑う。


「お揃いかぁ。言ってくれたらよかったのに」

「うん……。理亜が嫌だったら外すけど」

「なんで? いいよ、そのままで」


 理亜は嬉しそうに笑うと、音羽の手を掴んで引っ張った。


「行こ。こっちだよ」


 まるで今からどこかへ遊びに行くかのような雰囲気で彼女は歩き出す。しかし、これから向かうのはカフェでもショップでもない。警察署だ。それでも理亜は楽しそうな様子で「そういえば、瑠衣は?」と話し始めた。


「まだ音羽のとこ泊まってんの?」

「あ、ううん。昨日は家に帰ったみたい。朝、出てくるときに連絡したんだ。理亜と警察に行くって」

「へえ。なんて言ってた?」

「両親には事情を話しておくって」

「そっか。まあ、しょうがないよね。下村にも言った?」


 駅舎から出てバスロータリーをぐるりと歩きながら音羽は「うん……」と頷いた。


「どうしようか迷ったんだけど、さっき廊下で会っちゃって」


 すると理亜は息を吐くようにして笑った。


「どうせあいつのことだから偉そうに、それでいいのよとか言ってたんじゃないの?」

「え、すごい。正解」


 音羽は目を丸くして彼女を見た。理亜は得意げに笑って「やっぱりなぁ」とロータリーを出発するバスに視線を向けた。そのバスの乗客は、どうやら高校生ばかりのようだ。


「あいつ、よく学校サボること見逃したね」


 バスを見つめながら理亜が言う。そういえば確かに何も言われなかったなと思う。

 音羽が寮を出たのは早朝。生徒たちはまだ食堂に集まっている時間帯だった。部屋から出たときに彼女と会ったので偶然だと思っていたのだが、そうではなかったのかもしれない。もしかすると彼女は音羽を食堂に誘いに来てくれていたのかもしれない。しかし音羽の言葉を聞いて送り出してくれた。今までなら、きっと引き留めていたはずなのに。


「たぶん、下村さんも理亜のこと心配してくれてるんだよ」


 遠くなっていくバスを見送りながら音羽は言う。すると理亜の「いや、違うんじゃないかなぁ」と笑いを含んだ声が聞こえた。視線を向けた先で彼女はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。


「え、なに?」

「いやー、こないだあいつの家で話してるときに思ったんだけど、下村って音羽のこと好きなんじゃないの?」


 それを聞いて音羽は思わず笑う。


「それ、瑠衣ちゃんも似たようなこと言ってたよ」

「え、そうなの? じゃあ、やっぱりそうなんじゃない?」

「んー」


 音羽は少し考えるように横目で理亜を見る。そして「そうかもね」と微笑んだ。


「いや、なにその反応。ちょっと、音羽?」


 理亜が妙に慌てた様子で目を見開く。音羽は「別に」と微笑んだまま、理亜と繋いだ手を軽く振った。


「それより、行こうよ」

「……うん」


 不服そうな表情で理亜は頷く。繋いだ彼女の手は柔らかくて、冷たかった。

 警察署までは駅から徒歩で十分ほど。目的地が近づくにつれて理亜の口数は減り、歩幅も小さくなっていく。繋いだ手にも力が入り、表情には余裕がなくなっていた。そして警察署の敷地に入る直前、ついに彼女は立ち止まってしまった。


「理亜」


 彼女の名を呼びながら音羽は硬く握られた右手を軽く揺らす。彼女は引きつった表情を音羽に向けた。


「大丈夫だよ。わたしがいる」


 そう言って音羽が微笑むと、彼女もわずかに微笑んで頷いた。そしてゆっくりと足を進める。

 初めて入った警察署は思ったよりも一般人が多かった。どうやら一階は免許関係の受付を行っているらしい。制服を着た警察官たちはその対応に追われているようだ。


「タイミング悪かったかな……」


 呟きながら音羽は署内を見渡す。

 誰でもいいから手の空いている職員を見つけて坂口に取り次いでもらわなければ。

 そう思いながらキョロキョロしていると「どうかされましたか?」と若い男性の警察官が声をかけてきた。その瞬間、繋いでいた理亜の手がビクリと揺れた。

 音羽は安心させるように彼女の手をギュッと握りながら「坂口さんに取り次いでもらいたいんですけど」と警察官に言った。彼は不思議そうな表情で首を傾げる。


「坂口、ですか?」

「女の刑事さんで」

「ああ、坂口巡査部長ですね。お知り合いの方でしょうか?」

「はい。崎山と言います。名前を伝えてもらったらわかると思うので」

「わかりました。少々お待ちください」


 彼はにこやかに頷くとカウンターの奥へと入って行った。少し首を伸ばして彼の動きを眺めていると、どうやら内線で呼んでくれているらしい。


「いるかな、坂口さん」

「……さあね」


 答えた理亜の声は掠れていた。音羽が視線を向けると彼女はどこか緊張した面持ちで床を見つめている。


「理亜――」

「崎山さん?」


 音羽が口を開いた瞬間、女の声が聞こえた。そして階段を駆け下りてくる靴音。視線を向けると坂口が目を丸くして音羽を、いや、理亜のことを見ていた。


「崎山さん、彼女は――?」


 呆然とした表情で呟きながら彼女は理亜の前に立つと、その顔を覗き込む。


「宮守、さん……? え、どういうこと?」


 呟きながら坂口を音羽へ視線を向ける。


「どこかでお話できますか?」


 音羽の言葉に彼女は一瞬ぼんやりとしたが、すぐにハッとして「そ、そうね。とりあえず上へどうぞ」と音羽たちを二階へと促した。


 階段を上がった先は狭い廊下が続いていた。その左右にはいくつかドアが並んでいる。坂口はそのうちの一つを開けて中に入ると「ちょっと座って待っててくれる?」と、足早に部屋を出て行った。

 音羽は入り口に立ったまま部屋を見回す。そこは音羽が暮らす寮の部屋と同じくらいの広さだった。会議室なのだろう。長テーブルが組み合わせられて四角形を作っている。


「座ろっか」


 音羽は理亜の手を引いて近くのパイプ椅子に腰を下ろした。その隣に無言のまま理亜も座る。彼女の表情はどこか虚ろだった。

 音羽は理亜を見つめる。顔色が悪い。緊張しているのか、それとも恐怖か。


「大丈夫だよ、理亜」


 握ったままの手をギュッと握る。彼女はゆっくり音羽に視線を向けると「そうだね……」と微笑んだ。

 それから少しして、坂口は二人の男と共に戻って来た。一人は瑠衣と一緒に宮守家へ行った帰り、坂口と一緒にいた若い男。そしてもう一人は体格の良い初老の男だった。おそらくは坂口の上司なのだろう。

 三人は坂口を中央にして音羽たちの向かい側に並んで座る。


「すみません、お待たせして」


 少し緊張した面持ちで口を開いた坂口の隣で若い男がノートパソコンを開く。何をするのだろうと見ていると「それで」と坂口が続けた。


「もう一度確認させてください」


 視線を坂口に向けると、彼女は真剣な眼差しを理亜に向けていた。


「あなたは宮守理亜さん、ですか?」


 理亜は微かに頷く。握った手に力が込められた。坂口は「そうですか……」と理亜を見つめたまま言葉を続ける。


「しかし、宮守理亜さんは亡くなったはずです。我々の検死結果、そしてご家族の確認もあり、それは間違いようのない事実。それなのにあなたはここにいる。これは、どういうことでしょう?」


 坂口の言葉はゆっくりで柔らかい。しかし、その視線は鋭く理亜を捉えていた。彼女の両隣に座った二人は何も言わず、ただじっと理亜のことを見つめている。


「――あれは、わたしじゃない」


 掠れた声で理亜は言った。静かな部屋にカタカタとパソコンのキーを叩く音が響き渡る。


「じゃあ、あれは誰?」

「あれは香澄美琴、です」

「香澄、美琴……?」


 坂口が眉を寄せながら問い返す。理亜は頷いた。そして消え入りそうな声で話し始める。

 ポツリ、ポツリと自身が生まれてからのことを。

 自分が何をしたのかということを。

 そしてすべてを話し終わったとき理亜は繋いでいた手を放し、バックパックから美琴の遺書を取り出した。それを坂口に手渡した彼女の手は、そのまま自分の膝の上に置かれて拳を握る。

 坂口たちは理亜の話を聞き終わると顔を見合わせ、小さく頷き合った。言葉はない。まるで視線で会話をしているようだ。

 しかし理亜の話を聞いている間も今も、彼女たちの表情は一切変わらない。警察官だから訓練でもされているのだろうか。それとも、こういう仕事をしていると自然とそうなるものなのか。

 彼女たちの表情を見ていても、理亜に対してどのような感情を持っているのかわからない。

 そのとき、ふいに初老の男が無言で立ち上がって部屋を出て行った。坂口はドアが閉まるのを待ってから「宮守さん」とテーブルの上で手を組む。


「今から宮守家と香澄家、双方のご両親に来てもらおうと思います。そこで今のお話をもう一度していただけますか?」


 坂口の視線は理亜に向いている。隣を見ると、彼女は青白い顔で小さく頷いた。そのとき「坂口、ちょっといいか」とノックもせずに先ほど出て行った男が顔を覗かせた。坂口は返事をして廊下に出て行く。

 残された若い男は、ひたすら無言でノートパソコンに何かを打ち込んでいる。キーの音がカタカタと軽快に響いていた。


「理亜」


 音羽の声に理亜はピクリと肩を震わせた。そしてその不安そうな瞳を音羽へと向ける。


「大丈夫だよ」


 音羽は彼女の膝の上で握られたままの拳に手を重ねた。彼女は苦しそうに眉を寄せて、ただ小さく頷いた。


「こちらへ」


 ドアが開くと共に坂口の声がして音羽はそちらへ視線を向ける。すると彼女の後ろには見覚えのある少女が立っていた。


「瑠衣……?」


 理亜が呟く。彼女は音羽と理亜を見ると「よう」と力なく微笑んだ。


「瑠衣、なんでここに」


 しかし彼女は答えずに少しだけ口を尖らせる。代わりに答えたのは坂口だった。


「彼女が宮守家のご両親を連れて来てくださいました」


 理亜が問うように瑠衣を見つめる。彼女は少し決まり悪そうな表情で「どうせ呼ばれるだろうと思ったから」と小さな声で答えた。


「そっか……」


 理亜は微笑む。そして瑠衣の後ろに視線を向けた。


「二人は廊下に?」

「いえ、今は別室に」


 坂口の答えに理亜は首を傾げる。


「なんで?」

「ご両親からも事情をお聞きしてからと思いまして。香澄家のご両親とも連絡はつきましたので、間もなく来られるはずです」

「そう」

 理亜は静かに頷く。坂口は無表情に彼女を見つめていたが、その視線をスッと音羽に向けた。

「崎山さん」

「はい……」

「大変申し訳ないのですが、本日のところはお引き取りいただけませんか?」

「え、でも」


 音羽は戸惑いながら理亜を見る。彼女がギュッと音羽の手を握ってくる。その柔らかな手は冷たく、震えていた。

 坂口もその様子に気づいたのだろう。申し訳なさそうな表情を浮かべながら「あなたが理亜さんから信頼されていることは重々承知しています」と続けた。


「ですが、ここから先はデリケートな話にもなりますし」

「デリケート……?」

「ええ。つまり、その、家族間のと言いますか」


 言いにくそうに坂口は言葉を濁す。音羽は「ああ……」と呟いて瑠衣に視線を向けた。彼女は困惑したような表情で音羽のことを見ている。


「わたしは部外者ですもんね」


 苦笑して音羽は頷く。


「そんなことないだろ。音羽は――」

「いいよ、瑠衣ちゃん」


 誰がどう見ても、自分は部外者だ。

 どんなに理亜のことを想っていても、他人であることに変わりはない。

 どんなに理亜のことを助けたいと願っても家族にはなれない。

 この場で自分にできることは何もない。


「あの、ここからはお話も長くなると思いますので」


 音羽は頷き、手を握り続けている理亜に視線を向ける。彼女は泣き出しそうな表情で音羽のことを見ていた。


「理亜」


 瑠衣が近づいて理亜の肩に手を置く。すると彼女は顔を俯かせ、何かを呑み込むように頷いて握っていた手を放した。


「音羽」


 理亜は顔を上げると静かに音羽の名を呼ぶ。


「うん。なに?」

「ありがとね」


ニッと彼女は笑った。

 いつものように。

 こんなこと、なんでもないとでも言うように。

 自分はもう大丈夫だ。そう言っているような笑顔に音羽は笑みを返す。


「どういたしまして」


 そして坂口に促されるまま部屋を出る。ドアが閉められる瞬間に振り向くと、理亜は笑顔のまま音羽を見ていた。

 まるで音羽を安心させるかのように。


「これじゃ逆でしょ……」


 閉められたドアに向かって呟く。本当は、音羽が理亜のことを安心させてあげなくてはいけなかったのに。


 ――助けられたかな。少しでも。


 階段を降りながら思う。軽くなった右手には、理亜の柔らかくも冷たい手の感触が残っていた。

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