6章 7話 少しの間、目を閉じてもらえませんか
ゴンドラに乗り込むと、係の人が笑顔でドアを閉めてくれた。
観覧車が静かに動き出す。
ゴンドラの中は夕日が差し込み、蜂蜜色で満たされている。
正面に座るリズは、順番待ちをしているときから、ずっと張り詰めた顔で俯いている。
ゴンドラが少しずつ上昇するにつれ、眼下に見えるものが次第に小さくなっていく。
世界に黄昏が垂れ込め、地上に立つものすべてが、ねっとりとした影を流している。
俺たちが乗っているゴンドラは頂上に向かう。
リズが顔を上げ、おもむろに呟いた。
「少しの間、目を閉じてもらえませんか」
俺はたぶん、その言葉を聞きたくなかった。
目を閉じる、ということは通過儀礼を行うということを意味している。
そのために今日はここに来たのだから、こうなることは分かっていた。
だから、ずっとどうするべきか考えていた。
リズが腰を上げて、俺の方に近寄ってくる。
俺は今、決断を迫られている。リズとキス。恋人でもないのに?
でもそうしないと、通過儀礼は失敗となる。
そうなればリズだけじゃなく、リズの両親や関係者たちも窮地に立たされる。
オリヴィアだって、その一人だ。
リズを居候させることを許可したとき、俺の主義に反したが、人助けだと割り切った。
ただ、同居することと、キスすることはやっぱり違う。
……どうするべきか、分からない。
もちろん、リズのことは嫌いじゃない。
それどころか、こんなに優しくて健気な子は、他にいないとさえ思っている。
つまり俺は――。
人を好きになるのが怖いんじゃないだろうな。
親父の声がフラッシュバックする。
違う!
俺は別に怖がってるわけじゃない。
仮に恋愛感情があったとしても、正式に付き合ってないうちに恋人の行為はするべきじゃないんだ。
ゴンドラは頂上に差し掛かる。
リズのエメラルドグリーンの瞳が閉じられ、可憐な唇が間近に接近する。
目を瞑るリズは苦しそうに眉を寄せ、きつく結ばれた唇が微かに震えている。
本当はすごく怖いのだろう。
幼い頃に植え付けられた恐怖心を取り除くことは、簡単ではないはずだ。
そっとリズの両肩を掴んだ。
小さな体が、大きく震える。
俺はリズに静かに語りかけた。
「無理しなくていい。本当はもっと早くいうべきだった。今日一日ずっと無理し続けてただろ。リズは今日、楽しかったか?」
リズの瞳が慎重に開かれる。
「私が楽しいかどうかは関係ないです。それよりも、恭平くんは楽しかったですか?」
「楽しかったよ。だけど、リズも楽しんでくれたら、もっと楽しかったと思うよ」
「それは、私のせいで……」
「そうじゃないよ。ただ、リズが辛そうにしてるのは、嫌なんだよ」
リズは眉宇に困惑を浮かべた。
「でも、私は通過儀礼を済ませないと」
「俺はリズの世界のこと知ってるわけじゃないけど、特定の誰かが犠牲にならなくちゃいけないなんて間違ってる。それに、リズが無理して悲しむ人もいるんじゃないかな。やっぱり、リズの人生はリズのものだよ」
リズの双眸からダムが決壊したように、涙が溢れてきた。
観覧車は一周し、俺たちはゴンドラの外に出る。
とりあえず、どこか落ち着ける場所を探そうとしたとき、
「お待ちいただけますか」
冷酷な声音で俺たちを呼び止めたのは、メラニーだった。
鋭い眼差しでリズをじっと見て、
「リズ様、通過儀礼はいかがされましたか」
俺はリズの前へ出た。
「リズの人生はリズだけのものだ。誰にも指図されるものじゃない」
メラニーは俺を睨みつける。
「私はリズ様にお伺いしているのです。あなたは協力者ではありますが、その立場以上の発言は控えていただけますか」
「リズとは短くても一緒に過ごしてきた。心配もしちゃいけないってことはないよな」
メラニーが大きく嘆息した。
「まだ事の重大さが理解できていないようですね。リズ様の人生と言いますが、では一体どれだけの同胞の人生がかかっているかおわかりですか? 今回の件が、同胞の人生に、王城の覇権争いに、夢魔の世界の趨勢に、どれほどの影響を及ぼすか。それらを理解した上で、あなたはまだ自分の発言に責任が持てますか」
「じゃあリズが犠牲になっても良いって言うのかよ」
「それが夢魔の社会のためになるなら」
俺たちは激しく睨み合う。
メラニーが先に視線を外し、
「話し合いでは解決しませんね。強硬手段に出ます」
そして、擬態化を解くと、角と翼、尻尾が生えてきた。
俺はリズを連れて逃げようとするが、
「あなたたちを拘束します。逃げようとしても無駄ですよ。ここには多くの仲間が待機していますから。強制的に通過儀礼を行っていただきます」
「こんな人が大勢いる場所で暴れるつもりかよ」
「すぐ済みます。それに、人間に多少危害が加わったところで、なんだと言うんです」
メラニー酷薄に言った。
こいつは国王の支持派じゃないのか?
人間に友好的なリズの両親に、賛同してるはずだろ。
いや、そんなことを考えてる場合じゃない。
逃げなければ、と思い至ったとき、
「待ってくれ」
聞き覚えのある声がした。
声の主はオリヴィアだった。
ラノベに真面目なテーマは、いつから必要なくなったのか。




