3章 6話 三日月
「おい、起きろ」
オリヴィアの声とともに、肩を揺さぶられた。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「悪い、寝ちまってた」
「やっと目を覚ましたか」
「相変わらず視界は真っ黒だがな」
「もう目隠し取ってもいいですよ」
今度はリズの声がする。
タオルを外すと、下着姿ではないリズとオリヴィアが立っていた。
服はしっかり乾いたらしい。
リズの足も問題なさそうだ。
雨音が消えていることに気づく。
「雨、止んだんだな。出発しようか」
登山道を登りきり、山の反対側に下っていけば、神社に到達するはずだ。
「リズ様、少しよろしいですか」
山小屋を出ようとしたとき、オリヴィアがリズに声をかけた。
「今日は私のせいで危険な目に遭わせてしまって、申し訳ありません。ですが、もう一度だけ、私を信じていただけませんか。護衛として、リズ様の盾となりたいのです」
リズはゆっくり首を横に振った。
「オリヴィアのせいだなんてことはありません。だって、私のために頑張ってくれたんでしょ。私はオリヴィアを信じています。あなたがいてくれれば、私はどこへだって、それこそ別の世界にだって行けますから」
リズがオリヴィアの手を取る。
「それに、盾だなんて言わないで。オリヴィアはもう護衛というだけではなく、最も仲の良い友人なのですから。だから、あまり無理はしないで」
「リズ様……はい!」
オリヴィアは泣き笑いの表情で、大きく頷いた。
オリヴィアが山小屋の扉を開ける。
強い光が差し込み、オリヴィアの体を包み込んだ。
それから俺たちは、ゆっくりと時間をかけて、一歩ずつ登っていった。
舗装されている道は進みやすかったが、それでも登山に適さない装備で歩くのは簡単ではなかった。
雨でひどく泥濘んだところは、より時間を要した。
頂上に差し掛かったが、ここが終着点ではない。
「綺麗ですね」
リズが眼下に広がる景色を眺めた。
山頂からはこの辺り一帯を一望できる。
整然と並ぶ田畑と、寄り添うように密集する集落が点在している。
遠くには山々の稜線が連なる。
決して風光明媚ではない。
例えば、テレビに出てくるような絶景ではないけど、何故か魅入ってしまう。
登頂が目的ではなかったが、こうして苦労の末登りきると、達成感に近い感情が沸き起こってくる。
思いがけなかったということが、インパクトをもたらしたのかも知れない。
「後は山を下っていくだけだ。がんばろう」
下山のルートに入る。
上りに比べ、下りは遥かに楽で、順調に歩を進めていく。
崖がそびえているのが見えた。
地肌が剥き出しで、傾斜が急だ。
前方に、何かが横たわっている。
天候も大きく崩れたし、倒木とかだろうか。
近づくと、それの正体が分かった。
「……人、か?」
横たわっているのは木ではなく、人だった。
人が二人、倒れているのだ。
「大丈夫ですか?」
慌てて、近くで横たわっている方を抱き起こすと、
「不知火?」
目は閉じられているが、息はしている。
「こっちは出雲だ。死んではいない」
倒れているもう一人の方の様子を見に行ったオリヴィアが、叫んだ。
リズが少し遅れて駆けてきた。
「姫ちゃん、なんで?」
不知火の目がゆっくり開いた。
「恭平? それに、リズも……そっか、私――」
自分の中で状況を整理しているようだ。
「一体どうしたんだよ」
「縁結び神社に行こうとしたら、途中で道に迷ったの。山の中を歩き回ったわ」
こいつらもかよ。
俺たちも迷った手前、何も言えない。
「そしたら雨が降ってきて、洞窟で雨宿りしたんだけど、その後、あいつが現れたの」
「あいつ?」
てっきり疲弊や空腹にあの大雨が重なって、行き倒れたのかと思った。
「あいつは強かった。私と彩羽は疲れてたのもあるけど、まったく歯が立たなかった。あいつは、この先にいるはずよ」
不知火はそう言って、神社への道の先を指差した。
「あいつって誰なんだよ」
「三日月に気をつけて」
三日月。そう言えば、藤堂もその単語を口にしていた。
「行こう」
オリヴィアが道の先を見つめながら言った。
「危ないんじゃないか」
「確かに今日の反省はある。だが、必要以上に恐れることはないだろう。敵の姿もまだ見ていないのに、ここで諦めてしまうのは勿体無い。これは浅慮でも慢心でもない。だが、私に戦う意志があっても、お前がリズ様の身に危険が及ぶと判断したときは、言ってくれ。私はそれに従う」
「分かった」
確かにここまで来て、おいそれとは帰れないか。
リズが俺を見て、
「姫ちゃんたちはどうしましょう。このまま置いていくのは……」
「心配なんてされたくないわ」
不知火が自力で起き上がった。
「でも、」
「敵に救われるほど、惨めなことはないわ。もう少し休めば、体力は回復するし。私たちのことは気にしないで」
リズは心配そうに不知火たちを見ていたが、
「そう。じゃあ、気をつけて下りてきてね」
「随分余裕ね。他人の心配じゃなくて、自分の心配をしたら?」
「そうだね」
そのとき、前方の茂みが激しく揺れ出した。
オリヴィアが山小屋の扉を開ける。
強い光が差し込み、オリヴィアの体を包み込んだ。
もしかすると、個人的にはこれがこの章のハイライトかも知れない。




