3章 7話 閃光斬撃波(シャイニングスラッシュ)
何かがいる。
結構な背の高さの茂みが、これだけ動くということは、その何かは相当な大きさのはずだ。
茂みの動きから、それがこちらに近づいてくることが分かる。
緊張が走る。
固唾を呑んで身構えていると、いよいよ音の正体が、草木をかき分けて姿を現した。
四足で歩行するそれは、大きな頭部と体に、太く短い四肢が付いている。
腰を折っている状態で、平均的な成人男性くらいよりも高さがありそうだ。
そして、その巨体は黒色の毛衣に覆われていて、胸部に三日月形の斑紋がある。
間違いない、藤堂と不知火たちが言っているのは、こいつのことだ。
――ツキノワグマ。
ツキノワグマは臆病な性格だし、縄張り意識もないはずなのが、のしのしとこちらに向かってくる。
野生の圧倒的な迫力に、戦慄し、足がすくむ。
ツキノワグマがのっそりと立ち上がった。
「……とんでもねぇな」
体長五メートルはあるだろうか。
二階建ての建物に届こうかという高さだ。
両手から鋭利な鉤爪が伸びている。
オリヴィアが剣を構えた。
「リズ様を連れて下がっていろ。こいつを倒して、縁結び神社へ行くぞ」
――私に戦う意志があっても、お前がリズ様の身に危険が及ぶと判断したときは、言ってくれ。
どうする? 戦々恐々としながらも、考えを巡らせる。
大丈夫なのだろうか。
敵は強大だ。
オリヴィアの横顔を一瞥する。
決然とした表情の中には、焦りも気負いもない。
――私はそれに従う。
オリヴィアが俺のことを信じてくれるなら、俺もオリヴィアのことを信じよう。
「すまん。あの熊のこと、頼んだ」
オリヴィアが夢魔の擬態化を解き、プレートアーマー姿になった。
俺とリズが熊から距離を取ったことを確認すると、オリヴィアは剣を構え直した。
ぐっと力を溜めたかと思うと、ツキノワグマに飛びかかる。
熊は剣を片腕で防いだ。
その丸太のような太さの腕に傷すら付けられない。
オリヴィアは斬撃を浴びせていくが、熊は巨体に似合わず動きが早く、全て鉤爪で弾いていく。
オリヴィアが剣の柄をきつく握り直す。
一つ大きな深呼吸をし、大剣を振り下ろす。
渾身の一撃だったが、熊は難なく両手で受け止めた。
力比べが始まった。
相互の力が拮抗し、大剣が微動する。
やがて、その均衡が崩れた。
オリヴィアの剣が跳ね返された。
力で押し負けたのだ。
後方に吹き飛ぶオリヴィア。
気がつくと、俺は駆け出していた。
体を強打し、顔をしかめるオリヴィアが吠える。
「何をしている。私のことなどいいから、お前はリズ様のお側にいろ」
「そういうわけにはいかないだろ」
「私は鍛えている。お前の方が危ない。自分の危険を考えないのか。まさか男は女を守るもの、とかくだらないことを言うんじゃないだろうな」
「悪い。何も考えてなかった。ただ、お前が危ないと思ったら、体が勝手に動いてた」
熊が間近に肉薄してくる。
「リズ様を連れて、先に逃げろ」
頑ななオリヴィアに、俺は手を差し伸べた。
「オリヴィアに一人で戦わせてるのだけでも後ろめたいのに、お前だけ置いてさっさと逃げるなんてできない」
「そんなこと気にするな。護衛することが、戦うことが、私の使命だ」
「お前はまだ分かってないことがある。リズが言ってただろ。リズにとってお前は、ただの護衛じゃない。それに、俺も」
俺はオリヴィアの腕を掴んだ。
「最初は乱暴なやつだと思ってたけど、お前の行動は全部リズを考えてのことだった。短い付き合いだけど、オリヴィアが責任感の強いやつなんだって分かったから。だから今は、お前のこと凄いやつだと思ってる」
ツキノワグマがいよいよ眼前に迫ったとき、崖から地響きが聞こえた。
視線を移すと、崖の上に大きな岩があり、それが僅かに動いている。
その岩が俺たちの方へ向かって転がってきた。
雨で土砂が緩んだのだろう。
角度の大きな傾斜を転がる岩は、幾何級数的に速度を増していく。
あんなものと正面衝突したらどうなるか、考えたくもないな。
突然、ツキノワグマが俺たちを庇うように、崖に臨んで立った。
どういうことだ?
まさか、あの猛進してくる岩を受け止めるつもりか?
ツキノワグマの巨体を以ってしても、只では済まないだろう。
オリヴィアが立ち上がった。
放つ魔力が先程までとは桁違いに強力だ。
岩はもうすぐそこまで来ている。
崖の上からここまで、本当にあっという間だった。
大剣を体の左側で低く構えるオリヴィア。
魔力が剣に瞬間的に収束していく。
転がってくる岩を見据え、思い切り剣を振り抜いた。
「――閃光斬撃波!」
ヨルムンガンドから漆黒の斬撃が放たれる。
そして、大きな質量と速度を持った大岩を切断した。
二つに割れた岩は、俺たちを避けるように進路を変え、山道の木々にぶつかった。
大きな音を立てて、破裂するように粉々に砕け散る。
驚愕の光景に絶句していると、ツキノワグマが去ろうとした。
オリヴィアの力を目の当たりにして、尻込みしたのか?
しかし、熊は岩石から俺たちを庇おうとしていたように見えた。
そう言えば、熊の方からは攻撃していなかった気がする。
リズがオリヴィアを労りながら、
「もしかして、この辺りは危険だから、私たちを近づけないようにしていたんじゃないでしょうか」
「でも、不知火たちはやられてたけどな」
そのとき、また茂みが揺れた。
体を強張らせ、じっと見ていると、子熊が出てきた。
ツキノワグマの足下に擦り寄る。
子熊の方にも三日月の模様がある。
親子だろうか。
親熊が太い腕の先端の鉤爪で、地面に器用に絵を描き始めた。
こいつ何者だよ。
しかも絵心あるし。
動物らしきものを描いていく。
これは……熊だな。
その横にもう一頭、小さい熊を描く。
大きい熊と小さい熊。
「この親子の熊のことか」
熊はさらに何か描き足す。
今度は人間だな。
人間の方も二人。
こっちも片方が小さく描かれている。
登場人物はこれで全てのようだ。
今描いた絵の隣に、別の絵を描き始めた。
子熊が悲しそうな表情で、縄のようなもので縛られている。
その後ろで、人間二人が楽しそうに笑っている。
何故か既視感を覚えた。
この絵の状況、どこかで……。
絵をよく見ると、人間の小さい方は短く切り揃えられた髪で、大きい方は服が肩まではだけている。
頭の中で、点と点が繋がり、線になる。
「これってもしかして、不知火たちじゃないか?」
熊が絵の続きを描く。
大きい熊が、子熊を虐めていた人間たちをやっつけた。
なるほど、この絵の意味がやっと分かった。
「子熊を人質にしようとした不知火たちが、親熊に返り討ちにあったのか」
俺の横でオリヴィアが肩を竦め、
「あいつらのやりそうなことだ」
リズが熊の親子に頭を下げる。
「私のお友達がごめんなさい」
刺客のために謝るとか、どれだけお人好しなんだよ。
ただの自業自得だろ。
親熊はかぶりを振り、子熊を連れて去っていった。
なんて物分りの良い熊なんだ。
熊たちを見送ったリズが声高らかに言う。
「縁結び神社に急ぎましょう」
技のネーミングセンスがほしい。




