2章 10話 ドライブ
リズが表情を曇らせ、
「姫ちゃんがこんなことするなんて」
「実はオリヴィアから、妙な動きをするやつらがいるって聞かされたんだ。リズには余計な心配をさせないために、秘密にするって言ってた」
「そうだったんですか。ごめんなさい。私のせいで、危険なことに巻き込んでしまって」
「気にするな。俺が自分で決めたことだ。それより今は、逃げきることを考えよう」
前方から怒声が飛んでくる。
「直ちに止まりなさい!」
藤堂が腰に手を当て、仁王立ちで目くじらを立てている。
「どいてくれ!」
「ふざけないで! 学校でドライブなんて許されるわけないでしょ!」
「これドライブって言わなくねーか!?」
スピードを緩めず、藤堂の横を通り過ぎる。
俺の後に、不知火も続いた。
「こら! 風紀委員である私の注意を無視するとは良い度胸ね。おとなしく降参しなさい」
藤堂も追ってくる。
状況がさらに悪化した。
廊下にいる生徒たちが、何事かと道を開ける。
「もうお昼休みも終わるわよ。今すぐ教室に戻りなさい!」
「止まるわけにはいかねぇ」
藤堂の怒声に叫び返すと、不知火が空気を読まずに、
「大丈夫優しくするから。目を閉じてたらすぐ終わるよ。だから今すぐ唇を差し出して」
藤堂が激昂する。
「あなたたち、何をしようとしているの? 私の前で破廉恥な行為に及ぶなんて、絶対に許さないわ!」
どんどん面倒なことになっていく。
「頼むから、もう諦めてくれ」
不知火の瞳が、あの虹彩を放った。
前方にいる男子生徒たちの様子がおかしい。
「その二人を捕まえて!」
不知火のその一言が合図となり、男子生徒たちが一斉に襲い掛かってきた。
夢魔の魅了の力を使ったようだ。
まるでゾンビのように向かってくる男たちを躱しながら、逃げ続ける。
玄関に差し掛かった。
「揺れるから、気をつけて」
声を掛けると、リズは台車を握る手に力を入れ直した。
上履きのまま、下駄箱を横切り、玄関から外に出る。
ひと気のない場所を求め、校舎裏の方へ向かう。
騒ぎを大きくしたくない。
どこかに隠れ、機を見て、オリヴィアを探そう。
藤堂も上履きで、下駄箱を通り抜けたようだ。
「あなたたち、この竹刀で、その悪い心を叩き直してあげるわ」
「さっきからうるさいわね」
不知火が眉をひそめ、掌を藤堂に向けた。
すると、掌に球状の火炎が発生した。
野球のボール大の炎球が、藤堂に向かって一直線に飛んでいく。
危ない! と叫ぼうとしたとき、藤堂が火炎の球を竹刀で叩き落とした。
「何者?」
不知火はそう漏らし、顔をしかめ、
「あいつを押さえなさい」
後ろから次々にやって来ていた男子生徒に命令する。
藤堂は飛びかかってくる男たちを薙ぎ払っていくが、走りながら応戦するのは難しく、男の一人に腕を取られてしまった。
振り払おうとするが、一度足止めをくらうと、次から次へと後続の追手に捉えられていった。
「ようやくうるさいのを黙らせたわ。後はリズを倒して、君のハートを撃ち抜くよ」
さっきの炎球を見たら、ハートっていうか、心臓を貫かれそうなんだが。
不知火が手をかざすと、俺たちの目の前に、巨大な炎の壁が立ちはだかった。
そびえ立つ炎の壁はゆうに十メートルはあり、横にも勢力を伸ばし、完全に行く手を遮られてしまった。
炎の壁に突っ込むわけにはいかない。
慌てて台車を左に曲げようとするが、急な方向転換によって倒れそうになる。
リズが「きゃっ」という声を上げる。
このままだとリズが投げ出されてしまう。
上履きのままの足を滑り止めにする。
足の裏に大きな摩擦が生じ、台車を水平に戻すことに成功した。
何とか横転は免れたが、不知火に追いつかれてしまった。
「もう逃さないから」
再び台車を押そうとしたが、左足首に強い痛みが走った。
滑り止めにしたとき、思ったより大きな負荷がかかっていたようだ。
さっき異常を感じなかったのは、無我夢中でアドレナリンでも出ていたからだろうか。
「どこか痛むんですか?」
顔をしかめる俺の異変に気づき、リズが心配そうに尋ねてきた。
「問題ねぇよ」
笑って見せるが、冷や汗が止まらない。
いざ左足に力を込めると、激痛が走る。
「やっぱりどこか痛むんですね」
リズの声に不安が滲む。
「覚悟しなさい」
不知火がリズに向かって火炎を撃った。
反射的にリズを守ろうと体が動いたが、やはり左足が痛み、膝をついてしまう。
ちくしょう。
炎球が飛来する。
リズが両手をかざす。
すると、俺たちの前で透明の壁が出来たように、炎球が爆ぜた。
不知火は続けて火炎の球を放ってくるが、リズが同じように防いだ。
その間俺は何もできず、リズに守られているだけ。
格好つけたことを言っても、結局俺は無力だ。
「しぶといわね。これでおわりよ」
不知火はそう言うと、炎球を生み出した。
それはみるみる膨張し、元の五倍ほどの大きさになった。
直径一メートルを超える炎球が、遂に放たれる。
「リズ!」
このまま地面に転がっているだけなんて、冗談じゃねぇ。
痛む足に鞭を打って、炎球とリズの間に体を滑り込ませる。
リズが不可視の壁で防御すると、炎球はリズに到達する前に爆ぜた。
しかし、完全に消滅せず、細かく砕け、四散した。
咄嗟に、リズに覆い被さる。
「ぐっ……!」
炎球の欠片が、右腕に被弾した。
尋常じゃない痛みが俺を襲う。
体がぐらりと傾き、そのまま地面に倒れた。




