2章 7話 不知火 修羅姫(しらぬい しゅらひめ)
制服を着ているから、ここの生徒なのだろうが、俺には見覚えがない。
幼さの残る顔立ちだ。
無邪気な笑顔の真ん中で、大きな双眸が爛々と輝いている。
「初めまして。不知火 修羅姫だよ」
いきなり自己紹介され、そのハイテンションに腰が引ける。
「あぁ、どうも。えっと、いろいろ聞きたいんだが、とりあえず何で段ボールから?」
「インパクトだよ。出会いの瞬間に、一番大事なものでしょ?」
変わった子だな。
しかし、これはどういうことだ?
見知らぬ女の子と荷物を運んだら、その荷物から別の見知らぬ女の子が現れた。
まさかドッキリの企画で、誰かがモニタリングしているってことはないよな?
妙な疑心に捕らわれ、室内を見回すが、やはりカメラなど設置されていない。
「これって、何かの悪戯? それとも、俺に用があるのか?」
不知火は意気揚々と俺の前に立つと、自信満々に言い放った。
「君に会いに来たの。君のことが必要だから」
どういう意味だ? と聞こうとすると、不知火が俺の目をまっすぐに見つめた。
瞳の色は出雲さんと同じ琥珀色。
だが、透明度が高く、その透き通るような瞳に吸い込まれそうになる。
虹彩が一瞬、怪しく光った。
「本当に効かないのね」
しばらくして、不知火が小さく呟いた。
ふいに、不知火の体を強い光が包む。
それが弾けるように消滅すると、彼女の格好が変わっていた。
制服を着ていたのに、着物姿になっている。
淡い桜色の振り袖なのだが、裾が短く、膝上までしかない。
そして、驚くべきことに、頭から二本の角、背中と腰から、黒い翼と尾が生えている。
リズとオリヴィアと同じものだ。
それは夢魔本来の姿。
俺はこの現象を知っている。
――擬態化。
リズから教えてもらった。
夢魔は、彼らの身体的特徴を意識的に消すことができる。
人間に擬態し、自分たちの正体を隠すのだ。
つまり、偽りの姿で人間を欺き、精気を吸うための機能である。
リズたちはエナジードレインのためでなく、学校生活を円滑に送るために擬態化しているが、それは極めて稀なことのはずだ。
オリヴィアの言っていたことを思い出す。
敵は二人組。
そろそろ仕掛けてくるかも。
お前にも接触してくる恐れがある。
間違いない。
こいつらがリズを狙っている刺客だ。
不知火が不敵な微笑みを零し、
「作戦通り行くわよ。彩羽」
気がつくと、出雲さんが背後にぴったりとくっついていた。
手には縄があり、危険を察知し逃げようとした俺は、一瞬で体を縛られてしまった。
「何すんだよ!」
声を荒げる俺を他所に、不知火は椅子を適当に一脚取り、俺を座らせる。
俺は二人を睨み付け、
「リズを狙ってるってのは、お前たちだな。俺を人質にしようってのか?」
「人質? ちょっと違うかな。さっき言ったでしょ。私たちの目的は、」
不知火は俺の唇に、おもむろに指を当て、
「君自信だよ」
「内臓でも売り飛ばす気か?」
「そんなことしないよ。ただ、私の所有物になってもらうだけ」
目の前のサキュバスの瞳に、横暴なあどけなさが映っている。
「彩羽、見張っておいて」
不知火に命じられ、出雲さんが教室を出る。
「随分用心深いんだな。お前たちなら、人間なんて軽く懐柔できるんだろう?」
「魅了の力は、同性には効きないの。でも、力づくで黙らせられるけどね。念には念を押してね。だから、騒いでも無駄だよ」
制服のスラックスに入れているスマホが振動した。
不知火はスマホを抜き取り、着信を切る。
そして、何故かそのままスマホを俺に向け、シャッターを切った。
縄で縛られ、椅子に座らされている姿を撮影されてしまった。
「待ち受けにしとくね」
「は? やめなさいよ」
なんで拘束された自分の姿を待ち受けにされなきゃいけないんだよ。
スマホから俺の声で、「やめなさいよ」と聞こえる。
「動画も撮ったのかよ!」
「着信も変えてあげる」
深夜アニメでありそうな可愛い曲が流れる。
勝手にダウンロードしたらしい。
不知火はスマホの電源を切り、俺のポケットに押し込んだ。
「今は他の女に邪魔されたくないの」
その声の中に、酷薄な響きが混じっている。
ふざけていたかと思えば、急に捕食者の顔を覗かせる。
「リズ・リューネブルクと同居してるんでしょ。男性恐怖症の彼女の通過儀礼のために」
不知火は唇を滑らかに動かし、
「私の家は、かつては名家と言われていたわ。今は没落しかけで、一族は窮地に立たされているの。王女が通過儀礼の対象にしている君を、私が籠絡すれば、王女よりも私の方がサキュバスとして優れていると証明することができる。そうして、私たち一族は再興を果たすのよ。そのために私と彩羽は、この世界にやって来たの」
厳密に言うと、俺は「手段」なんだ。
こいつらの真の目的である一族再興のための手段。
「というわけで、私のことを好きになって」
「こんな目に遭わされて、好きになるわけないだろ!」
監禁した相手に恋愛感情なんて抱けない。
何考えてんだよ、メチャクチャだな。
不知火は科を作り、
「王女のことが気になってるの? 私が昔の女を忘れさせてあげるよ」
「うるせー」
頬をつついてくる。
「照れちゃって。可愛い」
「照れてねぇよ、やめろって」
「絶対後悔させないよ。私って可愛いでしょ?」
確かに美少女と言って差し支えない容姿だが、
「可愛いかどうかは知らん。ダメだ、ダメだ」
「顔真っ赤だよ、ホントに可愛いね。王女から君を奪ったことを知らしめるために、結婚式も挙げようと思ってるの」
「絶対嫌だからな」
「式は和装にするわ」
「勝手に話進めるな」
「引き出物は二人の顔をプリントしたTシャツね」
「全力でいらねえ!」
「二人のデュエットCDオリジナルアレンジヴァージョン付き」
「誰得だよ」
こいつと話してると異様に疲れる。
楽しそうに鼻歌を口遊んでいる不知火に、
「とにかく、解放してくれ。だいたい、誰かに言われて好きになるものじゃないだろ」
「強情だね。それじゃあ仕方ない」
不知火はとんでもないことを言い放った。
「既成事実を作ります」
体の自由を奪ったのは、そのためだったのか。
身動きが取れず、抵抗できない。
この状況の危険さを再認識する。
まさに俎上の鯉だ。
「手始めに、君の唇をいただくよ」
遠慮も躊躇もなく、顔を近づけてくる。
目蓋がゆっくりと伏せられる。
その上のまつ毛は蝶の触覚のように長い。
桜の花びらみたいな唇がわずかに開いている。
絶体絶命。
諦観の念に捕らわれ、目を瞑る。
大きな音が耳を劈いた。
目を開けると、窓ガラスが割れ――オリヴィアが立っていた。
「飲み物を買うのにどれだけ時間がかかるんだ。喉が渇いて死にそうなのだが」




