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速度を落とすにつれ、バイクの排気音は徐々に低くなっていく。
「啓悟くん家、ここ?」
「うん」
そう答えると、バイクは啓悟の住むマンションのロータリーに入って行き、エントランスの前で止まった。ガチッ、と音を立てて、一輝はバイクのスタンドを下ろした。エンジンが止まると、それまで全身に伝わっていた振動と耳の奥に響いていた音がふっと消え、夜の静けさがぐっと濃くなった。
いつの間にか日は落ちていた。エントランスの内側から漏れた光が、アスファルトを淡く照らし、さっきまで橙がかっていた空は、群青へと変わっていた。
「足元、気を付けてね」
「うん」
啓悟はヘルメットを外し、シートから降りた。地に足を着けたはずなのに、体はなんだかふわふわしている。走っている間はずっと風を浴びていたせいだろうか。じっとりとした空気が肌に張り付いた。
「乗せてくれてありがと」
「うん! 遠回りしたからバスで帰るのとあんまり変わらなかったかもしれないけど」
「そんなことないよ。バイクめっちゃ良い」
「気持ちいいよね」
確かにとても気持ち良かった。バスで帰ってくるのとあまり所要時間は変らなかったかもしれないが、乗っている間はずっと新鮮だった。よく知っている道でさえ、景色が普段とは違って見えた。何より、体一つで走っている時の肌感、あのひりつきがとても心地よかった。
一輝はヘルメットを外し、バイクを降りた。そしてスマホを取り出した。
「啓悟君インスタやってる?」
そう聞かれた瞬間、楽しかった気分が、啓悟の中ですっと冷めた。
「やってるけど」
「よかったらアカウント教えて」
啓悟はスマホを取り出して画面を見せた。
「これ」
「おけ。探す」
一輝がIDを打ち込んでいる間、啓悟の中に昼間の教室で感じたざわつきが、舞い戻ってきた。LINEは送らないけど、軽めのインスタは聞くらしい。啓悟の中で、一輝との掴み切れない距離感がなんだかもやもやとして、先程までバイクに乗りながら笑っていた感覚が無かったことになりそうだった。
その時、啓悟のスマホが震えた。フォロー通知が目に入り、タップした。そして、一輝に画面を見せた。
「今、フォロバした」
「ありがと」
そう言うと、一輝はバイクのシートを開け、啓悟が被っていたヘルメットを中へしまった。そして、バイクの側にしゃがみ込み、シートに腕を乗せてスマホをいじりだした。
「啓悟君のインスタ、なにも載ってない」
「うん」
「なんか、啓悟君っぽいわ」
「どういうこと?」
そう尋ねても一輝は何も答えず、ただへへっと笑った。そしてシートに腕を乗せたままパシャっと写真を撮った。
一輝は啓悟に画面を見せた。
「これ、載せていい?」
啓悟はスマホを覗き込んだが、夜の暗い背景にぶれまくっているバイクのライトが見えただけで、正直何が映っているかよく分からなかった。
「いいけど」
「うぃ~」と一輝は適当な返事をしながらスマホを触っていた。
少しすると、一輝はぱっと顔を上げた。
「あと、啓悟君……よかったらバイトしない?」
「なんの?」
「極彩浜の海の家なんだけど、夏休みシーズンだけバイト探してて」
海の家。さっきまでいた浜の景色が啓悟の頭に浮かんだ。
「時給千円ちょいぐらいで、交通費は……分からないけど、とりあえず、まかないは食べ放題だと思う」
「飯食えるのアツいな」
あの辺りは、夏がかき入れ時だ。そのため、コンビニから民宿まで関係なく、夏の間は時給が跳ね上がる。啓悟は、込み合う時期はあまりあのエリアには近づかないようにしていたが、期間限定でバイトをするなら、とてもいい場所なのかもしれないと思った。しかし、この一輝からの誘いも、どれくらい真剣に捉えて良いものなのか啓悟はわからなかった。
「いけたらやりたいかも」
「わかった!」
そう言うと一輝はバイクに跨り、エンジンをかけた。
「じゃぁ、いけそうならLINEして!」
「?!」
啓悟はその言葉に驚き過ぎて、声が出なかった。
──いや! LINE知らないって!
そう言おうとしたものの、一輝はバイクのスタンドを蹴って、既に方向転換をし始めていた。
「じゃ! またね!」
一輝は軽く手を上げ、エンジン音を響かせながら、あっという間にロータリーを出ていった。
啓悟はなにも言えないまま、一輝を見送ってしまった。
坂道を下っていくバイクの音が徐々に遠くなっていくにつれて、周りの静けさがより深くなっていく。
どこからか虫の声が聞こえた。結局、自分の連絡先の所在がよく分からないまま、一人取り残された啓悟は、エントランスの扉を開けて自宅へ帰った。




