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2017年7月
「瀬戸一輝って知ってる?」
そう聞かれた瞬間、啓悟の喉の奥がきゅっと狭くなった。
高校二年の終業式前日。夏休みを目前にした教室は、放課後の熱気で浮き立っていた。
帰るやつ。部活へ向かうやつ。委員会へ急ぐやつ。椅子を引く音や笑い声が教室と廊下を行き交う中、その賑わいが、奏斗からの質問によって自分の周りから遠くへ捌けていったように思えた。
「うん。知ってる」
啓悟は何でもない顔で答えると「まじ⁈」と、奏斗は目を輝かせた。名前を出され、彼を知っているかと聞かれただけだ。それなのに、啓悟は自分の内側で閉じていた引き出しに手を掛けられたような気がした。
「なに? どしたん?」
興味を持たないで欲しい。
そう思いながらも、続きを聞いてほしそうな雰囲気が奏斗から漏れ出ているのは分かっている。だから、興味を持っているように振舞うしかないのだ。しかし、啓悟の中で膨らんでいく何かは、嫌な予感が以外の何物でもなかった。
「俺、昨日その子とゲーセンでマリカー対戦したんだ!」
「そうなんだ」
その会話を聞きつけて、サナが机の横までやって来た。
「ねぇ! やっぱ知り合いなんじゃん!」
あぁ、これが一人で終わる話じゃなくなったということは、これ以上もあり得ると。啓悟は内側で少し構えた。
「啓悟さぁ、あんなイケメンが知り合いにいるのに、なんで教えてくれないの?!」
──うわ、ちゃんとだるいやつだ
「いや、何でって言われても」
奏斗の横に並ぶサナに、啓悟は冗談っぽく返事をして笑ってみたが、さっき手を掛けられた引き出しが、少しずつがたがたと揺らされ、それが徐々に開いていくようで、啓悟の背中には汗と焦燥感が張り付いた。
瀬戸一輝は小学校の同級生だ。
何度か同じクラスになって、一緒に遊んだこともある。でも卒業してからは一度も会っていない。中学も別だった。
別に絡みにくい奴ではない。普通に良い奴という印象しかない。だからこそ厄介だった。
そんな啓悟の心の内には誰も気づかないまま、奏斗たちの話はどんどん盛り上がっていった。
「一輝君、マリカー上手かったよね?! 俺一回も勝てんかったよ」
「奏斗が余裕で負けててめっちゃうけたんだけど」
「あと一回やったら絶対勝てたから」
「いや絶対無理でしょ。一輝君、ドリフトくっそ上手かったし」
「奏斗のロケットスタートが負けることとかあんの?」
話は啓悟の手を離れていた。なのに、気づけば口は話題に入りたがり、さらには話を広げていこうとまでしていた。
「いや、まじでそれな!? 俺はあれ一本でやってるから」
サナは啓悟の横にある机に腰掛け、手を叩いて笑った。それに重なって廊下の方からも誰かの笑い声が聞こえた。だから、啓悟もとりあえず笑ってみた。
このままゲームの話だけ盛り上がってくれ。そう思いながら、啓悟は教卓の方を見た。黒板の上にある時計は、先ほどからほとんど進んでいなかった。
「奏斗、こっちの方が得意じゃない?」
そう言って、啓悟が両手でバチを持って交互に手首を上下に動かすと、奏斗がまた話し始めた。
「確かに。俺、太鼓なら勝てる気がする」
「一輝君、リズム系もやるのかな?」
そのとき、背中にどん、と衝撃がきた。
「なになに? 俺も太鼓やりてぇ!」
振り向くと、廉が肩に腕を回してきていた。啓悟は振り向きざまに肩を少しだけ引いて、その腕をするりと外した。そして考えるより先に、啓悟の口は勝手に言葉を返していた。
「もう一回遊べるドン?!」
「前前前夜からのポプデビやるしかねぇわ」
「うぃ〜」
廉とグータッチを交わす。すると、奏斗とサナにも笑いが広がった。
教室内で流れる空気がいつもの雰囲気になってきた。これでいい。
こうやって話が流れてくれるなら、それでよかった。廉はそのまま奏斗とまた騒ぎ始めた。
啓悟はポケットからスマホを取り出し、意味もなく画面を開いた。
昨日はなんとなく遊びに行く気になれなくて、奏斗の誘いを断った。行かなくて正解だった。ちょっと知っているやつに会うくらいが、一番面倒だ。でもなんだか今は話の風向きが変わり、引き出しから皆の手が離れたような、そんな気がした。
サナはスマホを見ながら言った。
「この後、綾とプリ撮りに行くけど、今日も一輝君いるかな。啓悟、LINEで聞いてよ」
「俺、LINE知らないよ」
「大丈夫だよ!」
奏斗が顔を上げた。
「俺、昨日一輝君に教えといたから!」
「……は?」
啓悟は思わず奏斗を見た。奏斗はきょとんとした顔でこちらを見返す。
「一輝君も啓悟の連絡先、知らないって言ってて……」
「なんも来てねぇけど」
そのやり取りを聞いて、サナはため息をつき、前髪を櫛で整えていた。
啓悟は立ち上がり、鞄を肩に掛けた。
「俺、やっぱ帰るわ」
「え、ゲーセンは?」
ぽかんとした顔で廉は啓悟に問いかけた。
「夏休み入ったら、また行こう」
そう言うと、廉はあっさり「おっけ~」と言った。
「ごめんなー」
そう言って、啓悟は三人に手を振り、そのまま教室を出た。
扉を出たところで綾は啓悟とすれ違った。
「啓悟? あれっ?」
「うす」
そう言って、啓悟は足を止めずにそのまま廊下を歩いていった。
綾は少しだけ振り返ってから、教室へ入った。いつものメンバーがいた。
「啓悟帰ったん?」
そう言うと、奏斗がしょんぼりした顔で近寄ってきた。
「あやち……俺、やらかしたかも」
「どしたん?」
奏斗の横でサナが説明した。
「昨日ゲーセンで啓悟の知り合いの瀬戸一輝って子に会って、奏斗がその子に啓悟の連絡先を教えたの」
「あー、聞かずに?」
「そそ。んで、帰った」
「あいつそういうとこあるからな」
綾は項垂れる奏斗の肩を叩いて言った。
「奏斗、おつ」
「あやち……。昨日、瀬戸君が『千里高?! 針江啓悟君って知ってる?』って食い気味で聞いてきたんだよ……。だから俺……」
「わかるけどさ。まぁ、後で謝っときゃ大丈夫っしょ」
そう言って、綾は奏斗を励ました。それを見た廉は言った。
「え、啓悟とその瀬戸君は仲悪いの?」
「ちげぇよ、ばか」
サナの言葉に、状況を把握しきれていない廉はまた頭に?を浮かべた。
今もしょぼしょぼとしている奏斗を横目に、綾がサナに聞いた。
「てか、その瀬戸君って、誰なの? どこ高? 悟と何繋がりなの?」
「小学校が一緒だったらしい。で、今は東高。そしてイケメン」
「イケメン」
綾がすかさず復唱した。それを聞いてた廉が尋ねた。
「啓悟とどっちが格好いいよ?」
するとサナは少し悩んで言った。
「あれは異種格闘技よ」
「え、やばいじゃん」
「ガチやばいよ。てか、綾、プリ行こ」
そう言ってサナはスマホを見ながら前髪をまた直した。
そして二人はじゃぁね~と手を振って、教室から出て行った。
残された廉は奏斗の肩をばしっと叩いた。
「ラーメン食いに行こ!」




