第一章 ルナハン幼少期編
過労死店長と芋ジャージ女神の顔面キック
「……店長、また休日出勤ですか?」
パートのおばちゃんの心配そうな顔が、俺の脳裏に浮かんだ最後の記憶だった。
秋野幸人、三十歳。
商業高校から経済系の大学を経て、大手ホームセンターチェーンに入社。過酷な現場をドラッカーの『マネジメント』とカーネギーの『人を動かす』を片手に這い回り、ようやく手にした「店長」の座。さらに次はエリアマネージャー候補という、まさに社畜街道のド真ん中を猛ダッシュしていた。
だが、身体は限界だった。
深夜二時のバックヤード。発注作業とシフト作成、そしてクレーム対応の報告書を打っていた俺は、三本目のエナジードリンクを飲み干した瞬間に、強烈な胸の痛みと動悸に襲われた。
(あ、これヤバい……)
視界が暗転する中、最後に思ったのは「来週の特売のチラシ、まだ確認してないのに」という社畜極まる後悔と、「次は絶対に、ホワイトな環境で定時退社してやる……」という切実な願いだった。
「……ふぅ。やっぱり仕事終わりの一本は五臓六腑に染み渡るわねぇ」
どこからか、紫煙と共にメンソールの爽やかな香りが漂ってきた。
ゆっくりと目を開ける。
そこは、天国でも地獄でもなく、なぜか昭和の匂いがする「六畳一間の和室」だった。
部屋の中央にはコタツ。
そのコタツに入り、テレビの画面を食い入るように見つめている一人の女がいた。
頭には神々しい光輪が浮かび、背中には美しい純白の羽。
顔面偏差値はぶっちぎりで高く、誰もが息を呑むほどの絶世の美女……なのだが。
彼女はなぜか、色あせたピンク色の「芋ジャージ」を着込み、足元にはイボイボのついた「健康サンダル」を引っ掛けていた。
さらに右手にはピアニッシモ・メンソール。左手には開けたばかりの缶ビール。
完全に、休日のオッサンのそれである。
「……あの、ここは?」
俺が声をかけると、女神らしき女は面倒くさそうにこちらを振り返った。
「あ、起きた? あんた死んだわよ。死因は心不全。いわゆる過労死ってやつね。ご愁傷様」
「……は?」
「私は世界神ルチアナ。永遠の十七歳よ。よろしくね」
「十七歳がタバコ吸ってビール飲んでる時点で色々とツッコミ待ちですか? ていうか、世界神ってなんだよ。俺は死んだのか……?」
混乱する俺をよそに、ルチアナはプカァと煙を吐き出した。
「そう。で、あんたの魂は、私が管理する『アナスタシア世界』ってところに転生してもらうことになったから。神々が運営してる『ゴッドチューブ』って配信サイトのPV(視聴率)稼ぎのために、新しいイレギュラーな魂が必要なのよねぇ。予算減らされたら困るし」
「ちょっと待て! 転生? 配信? なんだそのブラック企業みたいなシステムは! 俺はもう死ぬほど働いたんだ! 次の人生は絶対にホワイトな環境で、有給休暇が完璧に消化できるスローライフを送るって決めてるんだよ!」
俺は『失敗の本質』を読んで誓ったのだ。気合と根性の精神論は二度とご免だと。
「あー、うるさいうるさい。社畜のクレームは受け付けてないの。えーっと、秋野幸人ね……前世の職業は『ホームセンター店長』か。ふーん」
ルチアナは手元のタブレット(エンジェルすまーとふぉん)を適当にスクロールしている。
「じゃあ、あんたのユニークスキルは【ホームセンター】でいっか」
「は?」
「だから、ホームセンターの概念を出せるスキルよ。100円ショップのスキルを持たせた奴(佐藤太郎)が昔いて、結構PV稼げたから、その二番煎じね。はい、決定」
適当すぎる。なんだそのスキルは。剣術とか魔法とか、もっとファンタジーっぽいやつはないのか。
「待て! もっと詳細な仕様書を出せ! スキルの範囲は!? 召喚コストは!? アフターサービスはどうなってる!」
「あーもう、しつこい客ね! クレーマーはお断りよ!」
ルチアナが顔をしかめたその時、テレビの画面から黄色い歓声が響き渡った。
『みんなー! 今日も俺の歌、聴いてくれるかな!?』
テレビの中で、キラキラした衣装を着たイケメンアイドル、朝倉月人がウインクをした。
「キャアアアア! 月人くぅぅぅん!!」
ルチアナの顔つきが、怠惰なオッサンから一瞬で熱狂的な限界オタクへと変貌した。
「ヤバい! 今日は月人くんの生ライブ特番だったわ! ラスティアにも連絡しなきゃ! あんたみたいな過労死オジサン構ってる暇ないのよ! さっさと転生しなさい!」
「ふざけるな! 顧客満足度ゼロかお前は! 責任者を出せ!」
俺が抗議しようと立ち上がった瞬間。
「うるせぇ! 推しの邪魔をするなあああ!!」
ルチアナが勢いよく立ち上がり、回し蹴りを放ってきた。
彼女の足に装備された、イボイボの『健康サンダル』が、俺の顔面にジャストミートする。
「ぐふぉあっ!?」
ゴキッという鈍い音と共に、俺の視界は強烈な衝撃とイボイボの感触に包まれ、そのまま真っ暗になった――。
「……ふ、ぎゃあ……っ」
次に意識が浮上した時、俺は奇妙な声を出していた。
顔面には、あの芋ジャージ女神に蹴られた健康サンダルのイボイボの痛みが、幻影のように残っている。
「おお、泣いているぞ! マリア、見たか! 俺たちの元気な息子だ!」
「ええ、ゴルディ。とても元気な声ね。私の可愛いリアス……」
(……ん?)
目を開けると、俺の視界には知らない男女の巨大な顔があった。
金髪でガタイの良い、いかにも商人といった風体の男と、美しくもどこか只者ではないオーラを放つ女。
俺は自分の手を見た。
むちむちの、ちっぽけな赤ん坊の手だった。
口から出るのは「あー」とか「うー」という言葉にならない声だけ。
(マジで、転生……したのか……?)
しかも、頭の中には確かに、あのポンコツ女神から押し付けられた【ホームセンター】というスキルの概念が焼き付いている。
「ふははは! リアス・バレンタイン! このゴルド商会ルナハン支店長、ゴルディの跡取り息子だ! 将来は俺を超える大商人にしてやるぞ!」
「ふふ、冒険者になってもいいのよ? 私が直々に魔法を教えてあげるわ」
どうやら俺は、そこそこの金持ちの家に「リアス・バレンタイン」として生まれ変わったらしい。
両親の会話から察するに、ここは『アナスタシア世界』とやらの中の、ルナハンという街のようだ。
(……まあいい)
俺は心の中で、前世で培った『エッセンシャル思考』をフル回転させた。
大事なのは「今」と「これから」だ。
女神の態度は最悪だったし、スキルも謎だが、とりあえず裕福な商人の家の長男という初期ポジションは悪くない。
(今度こそ……今世こそ、俺は絶対に働きすぎない! この謎スキル【ホームセンター】を駆使して、安全で快適で、絶対に定時退社できる『究極のホワイトライフ』を築き上げてやる……!)
赤ん坊の小さな拳を力強く握りしめ、俺は心の中で固く決意した。
「あーうー!(見てろよ、ブラック女神!)」
こうして、過労死した元ホームセンター店長・秋野幸人の、異世界での第二の人生(スローライフ計画)が幕を開けたのだった。
しかし、この数時間後、俺は「赤ん坊」という存在の逃れられない圧倒的な屈辱(おもらしとおむつ替え)によって、前世のマネジメントプライドを粉々に打ち砕かれることになるのだが――それはまだ、少し先の話である。
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