卯月 清明 サヨリ(前編)
四月。
僕は今回の客に試したいことが二つある。
一つは接客。
前回、店長からアドバイスも貰ったので、今回こそは接客で客を満足させたい。
人と接するのは苦手だけど、ここから出るためには頑張るしかない。
もう一つは連絡手段。
もし今回も店から出られなかったとしても、客が出られたなら僕の家族に伝言をお願いしようと考えた。
実はこの店から出られないと知った時、いろいろ試してはみた。
店の戸は客以外には開け閉めできないと知った。
だから前回、客が帰る時に僕も出てみようとしたけど、やっぱり出られなかった。
家のいろんなところでスマホの電波が入らないか試した。
圏外でも電話をかけてみたり、メールを送ったり、いろんなアプリも試した。
まだ試してないのは客に伝言を頼むことだけだ。
それも店長に提案してみた。
でも、「やめとけ」と言われた。
それでも僕は自分の無事を家族に知らせたいし、できれば家族が今どうしてるかも知りたい。
家の中から唯一外が見える場所。
天窓のあるサンルーム。
でも、天窓だから空しか見えない。
町並みは見えない。
「またここにおったんか」
店長が溜息を吐く。
「今日は雨ですね」
僕が呟くと、「うん」と店長は静かに頷いて天窓を見上げた。
激しくもなく弱くもなく、雨が天窓を叩く音だけがする。
「……朝飯ができたけぇ」
しばらく二人並んで窓を見つめていたが、店長のその一言で僕は一階に降りた。
朝食を食べ終え、片付けも終わると、僕は店内の掃除を始めた。
それもサッと終わらせ、料理の仕込みをする店長の隣に立った。
「僕もなんか手伝おうか?」
腕捲りをしてみせる。
今日の食材は魚だった。
「ほいじゃあ、酢飯作って貰おうか」
酢飯はここに来て何度か一緒にやったことがあったので、僕は手際良く準備をする。
料理は全くしたことがなかったけど、店長と一緒に暮らすようになって、まだ簡単な手伝い程度だけどするようになった。
「それ、なんていう魚なん?」
「これはサヨリ言うて、春を告げる魚じゃ。この銀色に輝く姿が綺麗じゃけぇ、麗人じゃったか貴婦人じゃったか、そんな風に呼ばれとるんよ」
「変な形しとるけど、美味しいん?」
ししゃもっぽいけど、口の部分が細長い針みたいになっている。
「淡白で上品な味じゃけぇ、今日はシンプルに寿司と刺身と天ぷらにしようかぁ思うとる」
店長は言いながら慣れた手つきでサヨリを捌く。
「見えるか? サヨリは見た目は綺麗じゃが、腹黒いんでも知られとる。この黒いんは洗い流しゃあ取れるんじゃが、これはサヨリでも少し大きい方じゃけど、丁寧に処理せんと崩れるけぇね。下処理にちょっとコツがいる魚でもあるな」
開いた中身は確かに真っ黒だった。
そして、刺身になった姿は見覚えがあった。
サヨリ、多分食べたことがある。
普段魚そのものより、刺身になった姿しか見る機会がない。
スーパーとかあんまり行かないし、食卓に出て来た姿しか見ないから分からなかった。
「……そういえば店長は客としてこの店に来たって言っとったけど、料理人とかじゃったん?」
鮮やかに魚を捌く手つきは明らかに素人じゃなかった。
「料理は全くしよらんかったけど、魚釣りが趣味じゃったけぇね。船持っとる友達がおったし。自分が釣った魚は自分で捌きよったけぇ、包丁の扱いは心得とったが……ここに来て料理せにゃいけんくなって、一から勉強したんよ」
「勉強したって……どうやって?」
「料理本を見ながら」
「え? 本はどうやって……?」
「この家は必需品は湧いて出るじゃろ。わしに料理本は必需品じゃったけぇ、朝起きたらこのカウンターに置いてあったわ」
それなら僕の場合は接客のハウツー本とかが出てきてもいい気がする。
「でも本だけでこんなに上手に作れるようになるもん?」
ここでのご飯は客に出す以外に自分達が食べる分も店長が作ってくれる。
毎日違う料理が出て来て、そのどれもが美味しい。
「なんでもやりゃあ、それなりに上手くなるもんよ。やらにゃあ、下手なまんまじゃが。じゃけぇ、あんたも精進しんさい。わしと話すみたいに客とも話しゃあええが。見ず知らずのわしと一緒に暮らせとるんじゃけぇ、あんたならできるよ」
確かに。
引きこもりで人と接するのが苦手だったし、家族さえ避けてた僕が初対面の年上の人と暮らしている。
それに今は普通に話せるようになった。
強制的に一緒に暮らすことになったけど、思い返せば僕は初日から部屋に籠らず、店長と一緒にいた。
一緒に食事をし、日中もカウンターで並んで、他愛ない雑談をした。
それはとても自然で、居心地も良くて、むしろ部屋で一人でいる方が落ち着かない感じがする。
この家が怖いからだろうか。
だから、一人でいるより店長といることを無意識に選んでいるのか。
いや、そんな感じでもない……ような。
「そろそろ客が来る頃じゃないかね? 今日は雨じゃけぇ、タオル持って来といた方がええんじゃないか?」
言われて僕は慌てて二階へ駆け上がる。
そして、再び一階に戻って来たのとほぼ同時に戸が開いた。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
店長とほぼ同時に声をかけた。
入って来たのはなんだかとてもこの店に不釣り合いな若い女性だった。
僕でも知ってるハイブランドのバッグを左腕に掛け、その手には畳んだ傘があった。
「傘はそこの壺が傘立てになっとるんで使うてください」
店長が視線で示す。
戸の脇に置いてある大きな壺は傘立てだったのか。
僕も初めて知る。
女性は無言で傘を壺に挿し、カウンターの真ん中の席に座った。
「に、荷物は隣の席にどうぞ。あと、良かったらタオルも……」
ちょっと噛んでしまったが、なんとか言えた。
「うちはメニューはなくて、今日はサヨリを使った料理になります」
これもちゃんと言えた。
前回と前々回、客に訊かれたので訊かれる前に言ってみた。
身に纏っている高そうなスーツっぽい服もだし、爪も自分でじゃなくて、きっとネイルサロンとかでやってもらってるような爪だった。
デパートの化粧品売り場みたいな匂いがするし。
東京のキャリアウーマンという雰囲気があって、とてもこの辺の人とは思えなかった。
ただ、靴だけは黒いスニーカーで、たくさん履いたような印象を受けた。
それから冷たそうな印象も。
頑張って喋ってみたけど、女性の反応は薄くて、一言も発せず、席に座るなりずっとスマホをいじっている。
僕はそっとお茶とおしぼり、それとお箸をカウンターに置いて、店長の隣に収まった。
まだ前回の怖い高校生の方が良かった。
またしても心が折れた僕は今回も早々に「駄目だ……」と心の中で崩れ落ちていた。




