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悪役令嬢が攻略対象ではないオレに夢中なのだが?!  作者: naomikoryo


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第51話『影の派閥』【陰謀と策謀の王都編②】

 朝の会議鐘が三度、低く鳴った。

 職員棟の長い廊下にひやりとした空気が流れ込み、磨かれた床板に白い光が帯を作る。

 扉の向こうから、紙が擦れる音と湯気の立つ茶の香りが漂ってきた。


「おはようございます、カイ先生」

 受付机に座る若い書記が微笑んで会釈する。

 その笑みの奥に、測りかねるものが薄く揺れた。

(ええ笑顔やのに、体温が半度だけ低い感じや)


◆◇◆


 教員評議会室。

 半円の卓を囲み、十数名の教師が座っていた。

 窓は半ばまでしか開かれておらず、風は外の梢を揺らすばかりで、この部屋の空気は重いままだった。


「議題を始めましょう」

 議長役の老教師が咳払いをひとつ。

「夏期以降、学外での“行き過ぎた影響力行使”について、当学園の見解を定める必要がある」


 いかめしい言い回しが卓上で跳ねた。

 何人かの視線がカイに滑る。

「具体的に申せば、王都における“クロス焼き”なる屋台料理の流行ではないか」

「料理はええやろ」

「いや、象徴ということだ」

 別の教師が眼鏡の位置を直す。

「さらに、公爵領内での土木や農業への関与も話題を呼んでいる。

 学園の教員としては賞賛すべき実績だが、政治的に利用される懸念もある」


(利用する気なんかさらさらないんやけどな)

 カイは手元のチョークを親指で転がした。

 爪にひんやりした粉がつく。

 それだけが、この部屋で自分にとっての“正気”や。


「カイ先生」

 学園長が静かに口を開いた。

 眉間の皺は深いが、声はいつも通りの落ち着きを保っている。

「君の授業は学園の誇りだ。ただ同時に、君という存在が学園の外で“物語”にされ始めている。

 それを嫌う勢力がある。……その自覚だけはしてくれ」


「はい」

 短く答える。

(自覚はずっとしとる。でも、だからって授業の線が曲がるんは違う)


「では第二議題。

 王都教育監の視察が決まった。

 来週、魔導省の監察官が来る。

 “カイ先生の授業”を重点的に拝見したいとのことだ」


 ざわめきが走る。

「監察官か……」

「今の時期に?」

「珍しいことだ」


 珍しいが、偶然ではない。

 誰かが、風の向きを作っている。


 会合が散じ、廊下に出る。

 薄い茶色の光が壁に斜めの筋を作っていた。


◆◇◆


「カイ!」


 扉の影から、真紅のリボンが揺れる。

 ルーティアだ。

 肩のあたりで束ねられた金の髪が、廊下の光を一つずつ拾って煌めく。


「評議会、終わったのね」

「終わった。風向き、あんまり良うない」

「なら、私が風になればいいだけの話」

 平然と、剣呑なことを言う。

 その蒼い瞳に迷いはない。


「監察官が来る。ワイの授業が的や」

「なら、最高の的にして差し上げましょう。

 当たらない的ほど苛立つものはないわ」


 思わず笑いが漏れる。

(発想が剣士や)

「ところで、旦那様」

「呼び方のブレーキ壊れてるで」

「今日はちゃんとお水。

 眠り薬は入ってません」

 差し出された水筒は、指先が少しひんやりして心地よい。

 喉に落ちる清澄。

 胸の真ん中につかえていた小石が、一つだけ小さくなる。


◆◇◆


 授業は予定通り始まった。

 黒板の前。

 カイはいつもの調子で円を描き、直線を結ぶ。

「今日は“誤差と安全域”や。魔法は完璧には立たん。

 だからこそ、揺れ幅を見積もって、暴発せん枠を作る。

 生き方と同じや」


「先生、誤差が大きいときはどうしたらいいんですか」

「測り直す。怖かったら、いったん止まる。止まったら、他人に見てもらう。

 自分の目だけで正確になれるほど、人間は賢うない」


 教室の空気が、目に見えないところで整っていく。

 椅子の軋み、紙に走るペン先、誰かの小さな息。

 その全部が“学び”という一枚の布に縫い込まれていく感覚。

(せや。これや。この瞬間のためにワイはここにおる)


◆◇◆


 休み時間。

 教壇の上に、もう一通の封筒が置かれていた。

 先ほどと違い、封蝋は重厚な銀。

 紋章は古い。

 王都の北区、古家系のもの。


 開けば、流麗な筆致。

 ――「カイ先生」

 ――王都教育監に伴い、当家の者がご挨拶に伺います。

 ――“異邦人”の学びが王国の未来に資すること、興味深く拝見しております。


(“カイ先生”で始まって“異邦人”で刺してくる)

(言葉遣いは飴と鞭やな)


◆◇◆


 午後。

 中庭を横切ると、噴水の縁に一人の男が腰掛けていた。

 灰緑の上衣に、無地の仮面。

 涼しい顔で水面を眺めている。

「やあ、カイ先生」

 こちらに顔を向けず、声だけを投げる。

「王都北区の……いや、名乗るほどの者ではない。少しお話を」


「授業の合間や。手短に頼むわ」

 男は片手を上げ、空を切るように振った。

「公爵家と王家の均衡は、繊細な秤の上にある。そこに“異邦人”が乗った。重さが傾けば、砂は流れる。

 ……お分かりかな、カイ・クロス」


 名前を、冷たく呼ぶ。

 噴水の水音が急に遠のいた気がした。

「分かったような気にもなれへんけど。

 少なくとも、授業中に来て黒板をひっくり返すのは筋がちゃう」


 男は笑った。

 仮面越しの笑いは音だけで、表情は見えない。

「安心を。私は礼儀を弁えている。ただ、忠告だけ。“板書の内容”が王都の秤を動かす。

 それが嫌なら、数式を少し丸めることもできよう」


「丸め誤差で王国守るんやったら、最初から誤差だらけやろ」

 カイは肩をすくめた。

「黒板は嘘つかん。ワイも黒板には嘘つきたない」


 男は立ち上がる。

 風が仮面の紐を揺らした。

「では、見守ろう。“先生”の正しさと、“秤”の正しさ。どちらが重いか」

 足音は軽い。砂の上を歩くように、音もなく遠ざかった。


「カイ」

 噴水の向こうからルーティアが駆けてくる。

 スカートの裾が陽に透け、つま先が白い石を蹴った。

「誰と話してたの」

「顔の薄い人」

「仮面?」

「まあ、そんな感じ」

 ルーティアの瞳が細くなる。

「カイ、夕方は私が迎えに行くわ。一人で帰らないで」

「子ども扱いやな」

「あなたは大事な人扱いよ」

 言い切って、彼女は一歩だけ近寄る。

 声を落として囁く。


「旦那様」

 その一言に混ざる熱量は、刀身の温度に似ている。

 頼もしく、そして少し怖い。


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