Side:アンヌ
馬車に揺られながら、私は頭の中で昨日の出来事を何度も何度も反芻していた。
エクゼイヴィア・ペルシュフェリア。
貴族のお茶会の中でも話題に上がる、ペルシュフェリアの一人息子。
王国の宮廷魔道士団団長であり最高の血筋であるペルシュフェリア家に生まれたメリウェザー様。その人と結婚したのが、成績優秀者のレイチェル。
学生時代は、ライバルだった。彼女が私と相性問題のない風の魔法を使いこなした時、私はきっとこの子が最後の壁になると思っていた。
結果的にその予想は、半分当たり。
レイチェルは私にとって実技試験の壁であったが、同時に学生時代の一番の友人になっていた。
私が上に行くための練習を一番手伝ってくれたのが、彼女だったのだ。
……分かっていた。
元々のトライアンヌという存在は、冷静ぶっているが、決して要領のいい娘ではなかったのだ。
あのまま学生時代を過ごしていても、ずっとレイチェルの遙か後ろから追い続けるばかりで、勝つことなど出来はしなかっただろう。
でも、レイチェルは私に手を差し伸べて友人でいてくれた。
最後は僅差で勝てなかったけど、私は満足。
結局レイチェルは憧れのメリウェザー様を射止めて、ゼイヴィア君を産んでからというもの、私にとってはずっと遠い存在のまま。
仲のいい友人ではあるけど、それが子の代まで続くかなんて分からない。
ゼイヴィア君は、女の子の家には一度しか行かないという話を聞いていた。
気に入る子がいない。ならば、うちのティナとフィーネでは無理だろう。特にフィーネはわがままだ。
もしもゼイヴィア君がフィーネを苦手に思うのなら、私はもう、ゼイヴィア君のためにも会いに来るのは控えようと思っていた。
……つい昨日までは。
「奥様、着きました」
御者が扉を開けて、思考の氷河から抜け出す。
すっかり見慣れたペルシュフェリア家の屋敷に、約十日ぶりにやってきた。
ペルシュフェリア家の執事に扉を開けてもらい、サロンへと顔を出す。
「アンヌ、いらっしゃい。急に会いたいなんて言うものだから、驚いたわ」
「ごめんなさい、レイチェル。どうしても話しておきたいことが……あら?」
私がレイチェルの方を見ると、そこには昨日ぶりのゼイヴィア君の姿があった。
「ゼイヴィアったら、昨日帰ってきてからちょっとおかしいのよ」
「や、やめてよ母様」
「そんなこと言って、アンヌが来るって早馬で連絡が来たと思ったら、会いたいって言ったのあなたじゃない」
「うう……」
ゼイヴィア君は、既に涙目だ。
レイチェルは昨日のことを知らない。だから彼がどういう想いで私に会いに来ているか気付いていないようだ。
今日はその理由を含めて話をしなければ。
「いいのよ、レイチェル。ゼイヴィア君にも一応聞いてもらいたいことだから」
「アンヌがいいって言うのならいいけど……なんかあったの?」
「あったのよ」
私は、フィーネが突然変わった話をレイチェルにした。
急に帰りの挨拶もしてくれたり、料理を食べてくれたり。
これを相談するのも、信頼できるレイチェルだから。
「——つまり何だか分からないけど、件のフィーネちゃんの方が急に聞き分けよくなっちゃったってこと?」
「そう。しかも、料理の練習も魔法の練習もしてるみたいなの」
「……わがままで手を焼いているって話は?」
「今は上の姉の方が、むしろわがままなぐらいね……」
レイチェルはやはり驚いていた。再々私の子育ての苦労話を聞かせてしまっていたからだろう。
それに、話している私自身、未だに信じられない。
「その証明のためにも、ゼイヴィア君にいてもらったわけだけど……いい?」
「は、はい……」
「ふふっ、緊張しなくていいわよ。ゼイヴィア君から見て、フィーネはどうだった?」
私がその名前を出した途端……ゼイヴィア君は、テーブルに視線を落としながら、指先をつんつんと突き合わせだした。
顔は真っ赤である。
「……その……すごく、素敵でした……」
その反応に一番驚いたのは、レイチェルだった。
「あなた、他の女の子の家から帰ってくる度に『あの子は好きじゃない』って言ってたじゃないの」
「い、言わないでよ母様!」
ゼイヴィア君、話には聞いていたけど本当に女嫌いの危険性もあるぐらいの子だったのね……。
後継者問題は、私達にとっても最大の懸念事項だ。
その大事な一人息子が女嫌いの可能性でもあろうものなら、大問題である。
だが、その問題の解決の糸口が見えた。ゼイヴィア君は、女嫌いじゃない。好きな女の子の範囲が極端に狭かっただけなのだ。
そのことに気付いたのは、もちろんレイチェルも同じ。
恐る恐る、彼女は私を見た。私はレイチェルに頷き、可愛いボーイフレンド候補を誘う。
「ねえ、ゼイヴィア君。ゼイヴィア君さえよければ、また遊びに来てもいいわよ」
「本当ですか?」
「ティナとフィーネの都合はもちろんあるけど、少なくとも嫌がっている様子はなかったから。私は歓迎するわ」
「あ、ありがとうございます……!」
ゼイヴィア君は立ち上がるとぺこぺこと頭を何度も下げ、顔を赤くしながら今にもにやつきそうな顔を抑えるように、口元をむずむずさせつつソファに沈む。
そんな自分の息子の珍しい姿に驚きながら、彼女は私の方を向く。
「……も、もしかして」
「ふふっ、もしかしちゃうかもしれないわね?」
レイチェルは大きく破顔すると、私に元気よく抱きついてきた。
「ああっ、夢みたいだわ! ゼイヴィアが気に入る女の子なんて一生現れないのかもって不安だったけど、まさかそれがアンヌの娘だなんて!」
「こらこら、はしたないわよレイチェル」
レイチェルに抱きつかれながら、視界の隅ではゼイヴィア君が気まずそうに目を逸らしている。
そうよね、好きな女の子の話を親の前でするとか、恥ずかしいわよね。
でも、レイチェルの……君の母様の気持ちも察してあげてね。
子供で苦労したママ友の私からのお願い。
一旦はしゃぎ終えると、レイチェルはふと冷静になりゼイヴィア君の方を向く。
「ところで、ゼイヴィア。あなたはフィーネちゃんのどこが気に入ったの? 他の子との違いは何?」
……それは、私も気になる。
何と言っても私ですら分からないのだ。
「うぅ……別にいいでしょ……」
「ねえゼイヴィア君? よかったら、私にも教えてほしいな」
「あ、アンヌ様……。……わ、わかりました」
なんだか、フィーネの母親であるということを特権にして聞いてるようで申し訳ない。
でも、これで話を聞けそうだ。
ただ、その話の内容は、かなり驚くレベルのものだった。
「王子の名前が、クレメンズと公表されているのは知ってますよね」
「ええ」
「殆どの場合、みんな彼のことをクレメンズと呼んでいます。でも僕は王子のことを、学校で『ソラっち』というあだ名で呼んでいるんです。王子の名前の正式名称は、クレメンソラスですから。耳聡い人以外は、あまり知られていない名です」
知らなかった、正式名はクレメンソラスというのがキングスフィア家の王子様の名前か。
なるほど、ゼイヴィア君は既に王子様とも仲がいいのね。
「ところがフィーネは……僕が『ソラっちの代わりの調査』と言った直後、当然のように『クレメンズ様の婚約者』って一瞬で言い返しました。もしかして、とクッションを入れることもなく」
……え?
フィーネが、あの子がそんな連想をした?
『ソラっち=クレメンソラス=クレメンズ』を正解と確信した上で会話した?
……まさかフィーネ、既に私より頭の回転速いなんてことないわよね?
「それからずっと見ていたんですけど、マナチャージも入学前から練習してるみたいで。僕は目がいい方なんですが、もしかしたらティナよりフィーネの方が、既に安定しているかもしれない。僕以上かも」
マナチャージをしているのは知っていたけど、その力も見抜けるなんて。
しかも、あのメリウェザー・ペルシュフェリアとレイチェル・ペルシュフェリアの胤という王国一の神童が『フィーネの方が上かもしれない』と言うって。
「むしろティナに宿題を教えている対面でフィーネが淡々と読んでいた本、ティナより上の学年の実技書ですよ?」
……え?
フィーネって、もうティナより勉強進んでる?
「あの子は、特別。他の子とは、全然違う」
そして彼は、最後に小さく呟いた。
「……王女も公爵令嬢も要らないけど……フィーネだけは、ソラっちには渡したくないなあ」
それは、自分の友人である王子様に、フィーネを紹介したくないという男の独占欲に他ならない。
無意識だった故に、彼の言葉は本心として強く響いた。
——そう。
この神童は、今、フィーネに王女以上の最高評価を下したのだ。
レイチェルが、驚いた顔を私に向ける。
「……アンヌ」
「ええ」
学生時代も、ずっと全ての分野で上を行っていたレイチェル。
旦那も、子供も、家柄も。何もかもが私より優れていたレイチェル。
今日この日まで、子育ての悩みをずっと聞いてもらってきた、頼りになる友人のレイチェル。
その彼女が、私に泣きついてきた。
「どーやったらフィーネちゃんみたいな子が育つのぉ〜!? 下の娘がまだ二つなのぉ! おしえてぇ〜!」
う〜ん……私もその秘密、知りたいわね……。