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ゲンジュウ!  作者: ポンタロー
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第七章

第七章


「ただいまー」

 その日も無事に学校を終え、外道がマンションのドアを開けると、首輪という名のチョーカーを着けたルーンが、チョーカーに付いた鈴をチリリンと鳴らして、とことこと出迎えに来た。最近の当本家の平穏な日常である。

「おっ、ルーン。今日もいい子にしてたか?」

「ん、してた」

 最近恒例となった挨拶をすませた後、リビングへと向かおうとする外道。

 しかし、そんな外道の前にルーンが立ち塞がる。

「どした、ルーン?」

「…………」

「…………」

 ルーンはしばらく無言で外道を見つめた後、いきなり外道の手を取って、それを自分の頭に擦り付けた。どうやら頭を撫でてほしいようだ。

 そのことに気づいた外道は、そのまま優しくルーンの頭を撫でる。

「よしよし。今日もいい子にお留守番できて偉いぞ、ルーン」

「……んっ♪」

 ルーンは嬉しそうに目を細めて、大人しく頭を撫でられている。

「ちょーっと、お二人さん。ええ雰囲気のとこ悪いんやけど……」

 突然、二人の後ろから酷く不機嫌そうな声が響いた。

 声の方を見ると、天夏が目を吊り上げて外道を睨んでいる。

「ウチには何もないわけ?」

「えっ? 何も……とは?」

「ウチかて、毎日兄ちゃんの世話をしてるんやけど?」

「世話?」

 外道の脳裏に、フライパンで文字通り叩き起こされたり、新技の実験と称して、関節技、投げ、打撃を幾度となく喰らい、その度に一人寂しく手当てをしている時の光景が思い浮かんだ。

「絞め殺されたり、撲殺されかかった記憶ならあるが……」

「ほう」

 その言葉を聞いた天夏の目がキュピーンと光る。

「どうやら、ここにいる恩知らずには、少々お仕置きが必要みたいやな」

 そう言って、指をボキボキと鳴らし、外道に近づく天夏。

 それを見た外道は、慌てて天夏の頭をナデナデする。

「じょ、冗談だって。いつも(ボコってくれて)ありがとな、天夏」

 頭を撫でられた天夏は、先ほどまでの殺気はどこへやら、突然顔を赤くしてフニャフニャになった。

「わ、分かればええんや。分かれば」

 フニャフニャ顔の天夏を撫でていた外道だったが、ルーンが僅かにむくれたような顔をしているのに気づき、その手を止めた。

「ルーン? どうした?」

「……別に」

 ルーンは相変わらずの表情に乏しい顔で答える。

しかし、外道にはルーンが拗ねているように見えた。

 それとは対照的に、天夏はほっこりとした表情を浮かべている。

「よし、ウチ大満足! あっ、そうや! 今日はウチ、パパと一緒にディナーやから。晩御飯はもう作ってあるからね。言うとくけど、兄ちゃん、もしルーンとエッチィことしたら、アレもぎとるから。ウチの目は誤魔化せへんからな」

「も、もぎとるって、何を?」

「フフフッ。聞きたい?」

「いいえ、結構です」

「賢明な判断や。それじゃ行ってきまーす」

 そして、天夏はベランダに下げられていたロープを登り、自分の部屋へと戻っていった。

 そんな天夏を、しばしの間、呆然と見送っていた外道とルーン。

「……飯にするか」

「ん」

 しかし、やがて正気に返り、二人してリビングに向かった。

 

 会話少なめの食事を終え、リビングでテレビを見ていた外道の隣に、食器を流し台に置いたルーンが座る。

 そして、またも外道の手を取り、自分の頭に擦り付け始めた。

「何だ、ルーン。今日はやけに甘えんぼだな」

 その言葉に、ルーンはフルフルと首を振る。

「甘えんぼ違う。ソトミチ、さっきアマカの頭撫でた。だから、私も撫でる」

「おいおい、その前にルーンも撫でただろ?」

「ダメ。私はソトミチのペット。でもアマカ、ペットじゃない。アマカと一緒のナデナデじゃダメ」

 少し拗ねたようにそう言って、外道の手で自分の頭を擦り続けるルーン。

 そんな様子を見て、外道は思わず笑った。

「分かったよ。よしよし」

「んっ♪」

 外道に撫でられたルーンは、気持ち良さそうに目を細めて満足そうな表情を浮かべている。

 そんな時、ルーンの体の一部が点滅した。

「おい、ルーン。何か光ってるぞ」

「……あっ、ほんとだ」

 ルーンは着ていたスカートのポケットをまさぐり、一つのクリスタルを取り出した。

「それは?」

「コールクリスタル。離れた相手とお話できる」

 どうやら、こちらの世界で言う携帯電話やスマホのような物らしい。

「まあいいや。とりあえず出てみろよ」

「ん」

 言われたルーンは、危なっかしい手付きでコールクリスタルを操作した。

 そして、そこから高圧的な子供っぽい少女の声が響く。

『ルーン、ようやく見つけたぞ』


 クリスタルから響く高圧的な声に、ルーンが身を固くする。

「……ライリン」

『ほう、よくわらわのことを覚えておったな。てっきり、わらわのことなどとうに忘れておったと思ったが……』

「何の用?」

 電話越しに嘲笑が響く。

『ククッ、わらわがお主に用といったら一つしかあるまい。ルーンよ、今度こそ確実にお前を殺す』

「…………」

 その言葉に反応したのは外道だった。どうやら、このライリンという女が、ルーンの言っていた刺客らしい。

「ライリン、言っとくけど、私はもうシルヴァリオンにはいない」

『ああ、もちろん分かっているとも。今は異世界にある、日本のカジノ特区とかいうところにおるんじゃろ?』

「…………」

 ルーンが凍りついた。

『フフフ。どこに逃げようとも、お前は決してわらわから逃れることはできぬ。たとえ、別世界に逃げたとしてもな。近々挨拶に出向く故、楽しみにしておけ』

 その一言を残して、声は途切れた。


 ライリンとの会話を終えたルーンは、傍から見てもはっきりと分かるくらいに怯えていた。

「そんな、どうしてここが……」

 体を震わせるルーン。

「そのライリンってのは誰なんだ?」

「ライリンは『アスカ』って国のお姫様。とっても強くて『殲滅王女』って言われてる新KKRのドン」

「せ、殲滅王女って……」

 外道の頭の中に、煌びやかなドレスに身を包んだ少女が、ガトリングガンを持って次々と敵を虐殺していく光景が浮かんだ。

「まあいい、ちなみにその新KKRっていうのは何なんだ?」

「新KKRは、私を狙っている組織の名前。『殺せ殺せルーンちゃん』の略で、メンバーは皆、女の子。とっても強い」

「……ほう、何かのファンクラブみたいだな」

「前はKKRっていう『可愛い可愛いルーンちゃん』を略した名前の組織で、人間の男達が私を見て、勝手に喜んでいるだけの集団だったけど、ライリンに潰されて今の組織になった」

 それきり黙りこむルーン。

 そんなルーンに外道は何と声をかけていいか分からず、しばらくの間、部屋には静寂が流れた。


「しっかし、何でルーンの居場所がバレたんだろうなー」

 ライリンとのコールの後からずっと元気のないルーンに、外道は努めて明るく言ってみた。

「……分かんない」

 しかし、ルーンはやはり俯いて、ポツリとそう零すだけ。外道は一つため息を吐いて、先ほどのコールクリスタルなるものを見てみることにした(もっとも、見たところで機能も使い方も分からないのだが)。

 コールクリスタルは手の平サイズの小さな物だった。

「なあ、ルーン。シルヴァリオンじゃ、皆これを持ってるのか?」

 外道の問いに、ルーンが力なく頷く。

「人間はほとんど持ってる。私はライリンにもらった」

「へー、何でお前の命を狙う奴がこんなもんくれたんだ?」

「分かんない。持ってると便利だからあげるって。ちなみに、これがあればいつでも自分のいる場所が分かるから迷子にならないって言ってた」

「そりゃ、GPSが付いてるってことだろうが!」

 外道は思わず叫んだ。シルヴァリオンにもGPSなんてものがあるのかと一瞬疑問に思ったが、どうせ異世界の技術なんて分かるわけないので考えるのをやめた。

 いきなりの大声にルーンはきょとんとしている。

「じーぴーえす?」

「はあーー。あのな、GPSっていうのは、衛星……って言っても分からんか、ある装置を使って、自分が今どこにいるのかが分かるシステムなんだよ」

「ふむふむ」

「ということは、そのある装置がお前を狙ってるライリンってお姫様の国の装置だった場合、向こうはその装置を使ってお前のいる位置が分かるわけだ」

「……おお!」

 ルーンがポンと手を叩く。

「それじゃ、居場所分かるね」

「ああ、分かるな」

「…………」

「…………」

 またもしばらくの間、沈黙が場を支配する。

「はあーー、まあいいや。とりあえず今日は寝ようぜ。そのライリンって奴も、今すぐ来るってわけじゃないんだろ?」

「……ん。多分」

「じゃ、とりあえず今日は寝て、明日ゆっくりどうするか考えよう」

「……ん、分かった」

 外道の言葉に、ルーンはまたも力なく頷いた。



 次の日、ピピピという音と共に、二度寝防止の転がる目覚まし君が起床するべき時間を知らせた。

 外道はすぐさまそれに反応し、目覚ましを止める。

「…………」

 そして、無言で隣を確認。いつもは、いつの間にやら潜り込んでいるはずのルーンがいない。

「まだ思い詰めてんのか」

 一抹の寂しさを感じながら、外道は体を起こした。

「おっはよーございまーす!」

 リビングに着いた途端に、思わず耳を塞ぎたくなるような大声で挨拶をしたのは天夏だ。

 学校がないのでテンションが高いのか、いつもより三割り増しにキラキラしたエンジェルスマイルで外道を迎えた。

「……おはよ。ルーンは?」

「ん~、まだ起きてへんよ」

 ご飯をお茶碗に盛りながら、天夏が言った。

「ついでだから起こしてきて。もうすぐご飯できるから」

「ああ」

 そう答えて、ルーンの部屋をノックする外道。

「おい、ルーン。もうすぐ飯だぞ」

 それから待つこと三〇秒。いい加減、中に入ろうかと思っていたその時、ゆっくりとドアが開いた。

「ん。おはよ、ソトミチ」

 そして、いつもの短い挨拶。しかし、いつもよりも声に張りがない。よく見ると、目の下に薄っすらとクマができている。

「ルーン、ひょっとして寝てないのか?」

「ん」

 ルーンがコクリと頷く。

「だ、大丈夫か? 何ならまだ寝てても……」

「ん、だいじょぶ。ご飯食べる」

 若干フラフラした足取りでルーンはテーブルに向かった。

 そんなルーンに、外道は不安を感じずにはいられなかった。


「ごちそうさま」

 短く告げてルーンがお茶碗をテーブルに置いた。その瞬間、天夏の背景にズガガーンと雷撃が降り注ぐ。

「ど、どうしたん、ルーン? おかわりは?」

「今日はいい。お腹いっぱい」

「な、何やてーー!」

 天夏が自分の持っていたお茶碗とお箸をテーブルに叩きつけて、いきなり外道の胸倉を掴む。

「兄ちゃん、どうしよう。ルーンが変や。いつもは軽く三杯は食べて、調子が良い時は五杯は食べるのに。今日は一杯やなんて。きっとどこか病気なんや。どうしよう。とりあえず病院に連れて行かんと!」

 外道の体をグワングワン揺すりながら叫ぶ天夏に、外道は脳内をシェイクされながらも何とか口を開いた。

「お、落ち着け、天夏。誰にだって調子の悪い日はあばばばば!」

「何言うてんの! この子はルーンやで。体の八割りは胃袋で出来てる大食い幻獣やで。調子が悪かろうが何やろうが、お茶碗一杯で食べるのをやめるわけないやんか!」

「アマカ、失礼」

 それにはさすがにルーンもツッコミを入れる。

 外道は迷った。ライリンのことを話すべきかとも思ったが、自分もまだ状況をよく把握していないのだ。この状態では上手く説明するのは難しいだろう。故に……

「じ、実はな、ルーンはあの日なんだ」

 と、外道は答えた。

「あの日? あの日って何?」

「ほら、女の子の日だよ」

「ああ!」

 天夏が手をポンと叩く。

「じゃあ、そういうこともあるかもな」

 一人で頷いて納得する天夏。外道は心から「単純でよかった」と安堵した。

「でも、兄ちゃん。何で兄ちゃんがそんなこと知っとんの?」

「えっ?」

 安心しきっていた外道がピシリと固まる。

「何で、兄ちゃんが、そんなこと、知っとんのよ?」

「そ、それは……」

 ズゴゴゴというBGMと共に、体から真っ黒いオーラのようなものを噴出した天夏が、笑顔で外道に尋ねる。

「どうやらじっくりと話を聞かせてもらう必要がありそうやね」

「待て、待ってくれ。俺は無実だあああーー!」

 叫ぶ外道を片手で引き摺り、天夏は自室へと戻っていった。


 そしてそれから三〇分後、顔をサッカーボールぐらいに腫らせながら、外道は食器を洗っていた。

 天夏は今日、トーマス=クルーザー主演の新作アクション映画のプレミア試写会を見に、新宿まで出かけている。帰りは遅くなるそうだ。

 ルーンの方はといえば、朝からずっと元気のないまま、じっとテレビの前に座っている。

「やれやれ、どうしたもんかね」

 そう食器を拭きながら外道が思い悩んでいた時、部屋のインターフォンが鳴り響いた。

「おっ! 客とは珍しいな」

 外道はタオルで手を拭いてからモニターを見る。

 すると、モニターには長い黒髪をツーサイドアップにしたひょっとこが映っていた。いや、正確にはひょっとこの面を着けた人物が映っていた。

 外道は一瞬己の目を疑い、目を何度か擦ってから再度モニターを覗き込む。が、やはり間違いない。

「えっと、どちらさま?」

 驚きを隠せぬまま口を開く外道。自分には、ひょっとこの面を着けて人様の家を訪ねるはっちゃけた人物に知り合いはいないはずなのだが。

 外道の声に反応して、モニターから高圧的な子供っぽい声が響く。

「わらわはライリン=アスカ。約束通り挨拶にきたのじゃ」

「…………」

 来るのは分かっていたが、まさかひょっとこの面を着けての登場というのは予想外だった。外道は一瞬対応に迷う。

「案ずるでない。今日は本当に挨拶に来ただけじゃ。ちょっとお邪魔してもよいか?」

「その言葉を信じる根拠がどこにある!」と言いたい外道だったが、外道がベランダに下がっている、天夏専用移動ロープでルーンを逃げそうとするより早く、部屋のドアが開いた。 

 そしてそこから、着物の丈を短くしたような服に身を包んだ、ルーンと同じくらいの背丈の素晴らしいスタイルを持つひょっとこが入ってくる。

 外道は状況も忘れ、脳内カウンターで、上から八五・五八・八四と分析した。

「お邪魔するぞ」

「馬鹿な。どうやって……」

「何、ちょっと魔法を使っての」

「ま、魔法って言えば何でもアリか、お前らは……」

 外道は思わず呻いた。

「ライリン……」

 いつの間に来ていたのか、外道の横に青ざめた顔のルーンが立っている。その体ははっきりと分かるくらい震えていた。

「久しいの、ルーン。会いたかったぞ」

 ルーンの様子を見たライリンは、そう言って面の下から覗く目を僅かに細めた。


「で、結局何の用なんだ?」

 何とか気を取り直し、外道が口を開いた。

「さっきも言ったじゃろ。挨拶じゃよ。あ、そうじゃ。これはつまらぬ物じゃが……」

 ゴソゴソとライリンが取り出したのは、お中元にでも届きそうな大き目の紙箱。

「あっ、これはどうもご丁寧に」

 あまりに自然な動作に、外道は思わず礼を述べて箱を受け取っていた。

「あれ? でも、何でお土産?」

「何を言うておる。初めてのお宅にお邪魔する時は、菓子折りくらい持参するのが礼儀じゃろ」

 ライリンは腰に手を当てて言った。

「まあ、間違っちゃいないが……」

「なに、本当につまらぬ物じゃから安心して納めるがよい。中身はただの毒入りお菓子じゃ」

「どこが安心なんだよ!」

 外道は思わず叫ぶ。

「ホホホ。この世界の人間は面白いのう。安心せい。本当は毒など入っておらぬ。ただの菓子じゃ。何ならわらわが先に毒見してやってもよいぞ」

 ライリンが、愉快そうに目を細めて笑う。

 外道は頭がこんがらがってきた。自分の予想していた人物とは随分違う。

 隣では、ルーンがずっと黙ったまま顔を伏せていた。

 そんな状況に、結局外道はため息を一つ吐き……

「まあ、とりあえず上がってくれ」

 というしかなかった。


 自分の飼っているペットを殺しに来た人間? が挨拶に来て、それを自ら部屋に招き入れる、というあまりにも奇異な状況の中、外道は三つ並べたコップに黙々とオレンジジュースを注いでいた。ちなみに、外道が客にお茶を出すのは初めてである。その初めてがこの状況。つくづく人生とは分からないものだと思う外道であった。

 リビングでは、ルーンとライリンが向かい合って座っており、先ほどから一言も口を利いていない。

そんな重苦しい空気の中、外道はジュースを持って、その凍てついた空間へと赴いた。

「ほい」

 まずはライリンの前にオレンジジュース(ストロー付き)を置く。

 ライリンは小さく頭を下げた。

「すまぬの」

「気にするな。ただの毒入りだ」

「ホホ、それはおいしそうじゃ」

 その言葉を聞いたライリンが、笑って面の下からストローを差し入れた。

 なんとなくこいつとは気が合いそうな気がする。ふとそんなことを思う外道。

「ほら、ルーン」

「……ん」

 そして、ルーンの前にもジュースを置く。

 しかし、いつもならすぐに手を伸ばすはずのルーンは、その場にじっとしたまま動かない。

 外道は内心でため息を吐いて、ルーンの隣に腰を下ろした。

 無言のまま流れる重たい空気の中、先に口を開いたのはライリンだった。

「改めて自己紹介させてもらおう。わらわの名はライリン=アスカ。シルヴァリオンの一国、アスカの王女にして、ルーンを殺しに来た者じゃ」

 成熟した体とは裏腹に、まだ幼さの残る声でライリンが言った。

「はあ、それはどうもご丁寧に。俺は当本外道。ルーンの飼い主だ」

 外道の言葉を聞いたライリンが、面から除く瑠璃色の瞳を僅かに細め、口元に手を当ててさもおかしそうに笑った。

「ホホッ、これは愉快。あのルーンが主を作るとは。それだけでもこの世界に来たかいがあるわ」

「言ってることがよく分からんが。随分とこっちの言葉が堪能なんだな」

「ホホッ、いっぱい勉強したからの」

「ふーん。ところでアンタ、どうして面なんか着けてんだ?」

 その言葉が放たれた瞬間、ライリンの体がピキッと固まった。

 そして、氷の如く冷たい声で答えが返る。

「……これは我が誓いの証。ルーンを殺すその時まで、わらわはこの面を外さぬと心に決めたのじゃ」

 低く、底冷えしそうな冷たい声。どうやら地雷を踏んだようだ。

 ルーンはその迫力に怯え、さらに身を硬くしている。

 あまりにも重くなってしまった空気の中、当の地雷を踏んだ外道が、何とか状況を打破すべく口を開いた。

「えー、今日は挨拶だけなんだよな?」

「はっ! そうじゃそうじゃ。忘れておった」

 思い出したようなライリンの声と共に、重くなっていた室内の空気が少しだけ軽くなる。

 ライリンは、コホンと一つ咳払い。

「ソトミチと言ったか、不躾で申し訳ないが、わらわはお主に何の興味もない。わらわの目的はたった一つ。ルーンだけじゃ」

「……ほんとに不躾な上に申し訳ねえな」

 外道が渋面になって答える。

「いやいや、これは幸運なことじゃよ。素直にルーンを差し出すなら、お主は見逃してやると言っておるのじゃから」

 ライリンが完全に上から目線で言った。

「本当はルーンの目の前で、初めての主であるお主を八つ裂きにしてやろうとも思ったが、わらわもそこまで鬼ではない。お主が大人しくルーンとの誓約を破棄すれば、お主の命は助けてやろう」

 試すような視線が外道へと注がれる。外道はその提案にニッコリ笑って一言。

「断る」

 その言葉を聞いたライリンが、特に気分を害した様子もなく笑った。

「ククッ、じゃろうな。そう答えると思っとった」

「なあ、ライリンさん。今日は挨拶だけなんだろ? ここはギャンブルを生業とする街でね。どうかな、ここは一つ、俺と賭けでもしないか?」

「ほう、面白い。わらわはギャンブルに目がなくての。我が国でも、しばしばギャンブルに興じておる。しかし、わらわはこの世界のギャンブルに関する知識が皆無じゃ」

「心配するな。すごく簡単なゲームだ。こいつを使ったな」

 そう言って、外道がポケットから取り出したのは二つのダイスだった。

「これは……」

「これはダイスと言って、この世界のギャンブルじゃ結構よく使うシロモノだ。面の一つ一つに一から六の点があるだろ? あー、数字については大丈夫か?」

「うむ。問題ない」

「よし。ルールは簡単だ。この二つのダイスを投げて、出た目の大きい方の勝ち。ダラダラと続けてもつまらないから、勝負は一度きり。どうだ?」

「ふむ。確かに分かりやすいの」

 外道の説明に、ライリンはふむふむと頷いた。

「しかし、道具もルールもそちらの世界の物。これでは公平とは言えぬのではないか?」

「そう言うと思った。じゃあ、アンタが俺の分も投げればいい」

「何じゃと?」

「アンタが最初に投げて出た目が俺の数字。二度目にアンタが投げて出た目がアンタの数字。で、どうだい?」

「ふむ、よかろう。その勝負受けてたとう」

「そうこなくちゃ。ああ、そうだ。ちなみにアンタの国では、何も賭けずにギャンブルをするのか?」

「ホホッ、馬鹿なことを。何も賭けないギャンブルほどつまらぬものもあるまい」

 その言葉を聞いた外道がニヤリと笑う。

「だよな。じゃあどうだろう、ライリンさん。もし俺が勝ったら『ルーンに手を出さない』ってのは?」

「ほう……」

 ライリンの声の温度が僅かに下がる。

「それはつまり、わらわが勝てばルーンに手を出しても良いということか?」

「そうなるな」

 外道があっさりと答える。

 隣に座っていたルーンが驚愕の表情を浮かべて外道を見るが、外道は気づかないフリをした。

「ふむ……」

 考え込むような仕草を見せるライリン。外道は緊張を隠して、ライリンの答えを待った。

「よかろう。その条件を呑もう」

「よし!」

 外道は大きく頷いて、ライリンにダイスを手渡した。

「じゃあ、まずは俺の数字を決める一投目だ」

「うむ。では行くぞ」

 ライリンが、ガラスでできたテーブルの上にダイスを転がす。出た目は……二と三。

「出目は二と三だな。俺の数字は五だ」

 外道がテーブルに転がったダイスを拾い、再びライリンに手渡した。

「ホホッ。あまり良い数とは言えんのう。敗色濃厚ではないか?」

 嘲るような視線を向けながら、ダイスを受け取るライリン。

「まあ、確かに良い数とは言えないな。でも、まだ勝負は終わってないぜ」

「それもそうじゃの。では、わらわの数字を決める二投目じゃ」

 そして、ライリンが二度目のダイスを投げる。

 小気味いい音を立てながら転がったダイスは、外道、ライリン、そしてルーンが見つめる中、やがてゆっくりと静止した。出た目は……一と一.

「二……だな。俺の勝ちだ」

 外道は静かに自分の勝利を宣言した。

「……どうやらそのようじゃな」

 しばらく無言でダイスを見つめていたライリンが、やがてポツリとそう漏らす。

 ちなみに今の勝負はイカサマだった。二投目に投げたライリンのダイスは、特殊な細工が施されており、何度投げても一しか出ない。二度目にダイスを渡す際、外道が手の中ですり替えたのだ。

「さて、俺が勝ったら、ルーンに手を出さないってことだったよな?」

 無言のまま佇むライリンに、外道は問いかけた。

「約束は守る。というか、最初からルーンをどうこうしようとは思ってなかったからの。今日のところは」

「何? どういうことだ?」

「そのままの意味じゃ。言ったじゃろ、今日はたたの挨拶。だから今日のところは『ルーンに手を出さぬ』」

「おいおい、それじゃ約束が……」

「違わぬよ。お主の出した条件は『お主が勝ったらルーンに手を出さない』だったじゃろ? だから、その約束を守ろう。『今日のところは』ルーンに手を出さぬ」

「…………」

 渋面で押し黙る外道を愉快そうに眺めながら、ライリンが続ける。

「ククッ。それにの、もし仮に『今後一切ルーンに手を出さない』という条件を呑んでいたとして、わらわがその条件を守る必要がどこにある?」

「…………」

「のう、ソトミチよ。お主は圧倒的強者の状況で、弱者の出した提案を呑む必要があると思うか?」

「……いや、ないな」

「ホホッ。見かけによらず聡明じゃの。では、わらわはこれで失礼する。中々に面白い余興じゃった。おっ、そうじゃ! これを返しておこう」

 ライリンが思い出したかのように、一つのクリスタルを取り出しテーブルに置いた。

 それはルーンの持っていたコールクリスタルだった。GPS機能を停止しようと思ったが操作が分からず、壊そうとしても無理だったので、昨日の夜に外道が海へ捨ててきたのだ。

「それは捨てたはずだ。どうしてここに……」

「ホホッ。企業秘密じゃ」

 驚愕に染まる外道とルーンを、満足そうに眺めるライリン。

「次にそのコールクリスタルが鳴った時が最後じゃ。それが、わらわがルーンを殺しに来る合図となる」

 ライリンは右手から別のクリスタルを取り出した。

「その時に大人しくルーンを差し出すならそれでよし。さもなくば……分かっておるな?」

「…………」

「ルーンよ。次は本当に殺しに来るからの。それまでせいぜい、最初で最後の主との時間を楽しむがよい」

 そう言って、ライリンはクリスタルの放つ光に包まれ消えていった。


「たっだいまー!」

 天夏が帰ってきたのは、それから数時間ほど後のことだった。

 大満足とでも書かれたようなホクホク顔で、外道の部屋へと入ってくる。

 ちょうどトイレから出てきた外道が、天夏に尋ねた。

「おおっ、天夏。お帰り。映画はどうだった?」

「ん~、もうさいっこう! やっぱトーマス様、素敵すぎや……!」

 しかし、そこで天夏が、どんよりしているルーンを発見し、真顔に戻る。

「ちょ、ルーン、どないしたん!」

 急いでルーンに問いかけるが返答はない。まるで何かに怯えたように、ギュッと体育座りして顔を膝に埋めている。

 それを見た天夏が、キュピーンと目を光らせ、阿修羅のような顔になった。

 そして、視線を外道にロックオン。

「ど、どうしたんだ、天夏。そんな怖い顔してって……ぎゃあああーー!」

 外道をロックオンした天夏は、無言で近寄り、問答無用で天夏神拳奥義『天夏万裂脚』をぶちかました。完全に無防備の状態で食らった外道は、受身も取れずに五メートルほど吹き飛び、玄関のドアに激突する。

「な、何すんだよ……。ただいまの挨拶にしちゃ強烈すぎんだろ……」

「やかましい!」

 抗議の声を絞り出す外道を、天夏が一蹴。

「ルーンに何したんや!」

「へっ? 別に何もしてねーけど」

「嘘吐き! ルーン、朝より元気ないやん。何かエッチィことしたんやろ!」

「してねーよ! お前は、俺を何だと思ってんだ!」

「ドスケベの変態」

「…………」

 真顔で突っ込まれた外道が言葉に詰まる。しかし、何度か首を振った後、口を開いた。

「とにかく、俺は何もしてない。ルーンに聞いてみればいいだろ」

「だってあの子、うんともすんとも言わへんねんもん」

「…………。まあ、あれだ。女の子の日ってのは、皆、ナーバスになるんじゃねえの?」

「そんなことないて。ウチなんか全然軽い方やもん」

「そりゃお前は男ダボオ!」

 外道が言い終えるより早く、天夏の右フックが外道の顔面に直撃。

「兄ちゃん。ちょっとは成長せなアカンで」

「お、お前に言われたくない……ガクッ」

 蹲りながら言い返す外道だったが、言い様のない不安が襲ってくるのを感じずにはいられなかった。


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