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ゲンジュウ!  作者: ポンタロー
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回想二

回想二


豪傑の車に乗せられてやってきたのは、一〇階建ての高級マンションだった。広いエントランスに駐車場、プールにフロント付き。

 颯爽とフロントを通りすぎる豪傑に少年も続く。フロントにいた管理人らしき年配の男は、一瞬だけ少年に怪訝な表情を向けたが、豪傑が軽く手を上げるとすぐに元の表情に戻った。

 そして、エレベーターに乗り込む二人。

「随分と儲かるんだな。クチョウってのは」

 少年は、嫌味を含まぬ淡々とした口調で言った。

「まあ、そうだな。しかしその分、責任も重い」

「だろうな。だから、標的にもなる」

 少年の言葉に、豪傑は苦々しい表情を見せた。

「奴らか……。おそらく、私を殺して後釜に座ろうとする連中のよこした刺客だろうな」

「はは、大変だな。クチョウさんも」

「まあ、仕方あるまい。それより君の面倒を見る件だが、とりあえずしばらくは、ここの九階にある一室を使ってくれ。このマンションは私の持ち物でね。幸い、まだ九階には誰も住んでいないんだ」

「そうか、それは助かる。非常階段はあるよな?」

「もちろん」

「結構。しかし、このエレベーターは一〇階に向かっているようだが?」

「ああ、先に娘に会わせる。ここの一〇階に住んでいるんだ」

「ほう……」

 少年の脳裏に、豪傑と同じ熊みたいな顔をした女が、スカートを穿いて料理をしている光景が思い浮かんだ。

「……言っておくが、娘は母親似だ」

「そうか。よかったな、お前に似なくて」

「…………」

 豪傑、しばし沈黙。

「んっ? ということは、お前の妻もいるのか?」

「いや、妻は仕事で海外を飛び回っている」

「……そうか。お前の妻にも会ってみたかったがな」

「いずれ会えるさ。それより君に頼まれたIDの件だが、用意するのに少し時間がかかるぞ」

「構わんさ。しばらくはこの国にいるつもりだからな」

「……名前は本当にこれでいいのか?」

「ああ、問題ない」

「しかし、これはどちらかと言えば侮辱的な言葉だぞ」

「ああ、知ってるよ。だから読み方を変えただろ?」

「それはそうだが……。まあいいさ。ああ、それから……」

 豪傑が何か言おうとした矢先、チーンという音と共にエレベーターが一〇階に到着したことを知らせた。

「あっ! パパー!」

「おおっ、天夏! パパでちゅよー!」

 それまで厳格な表情を保ってきた豪傑が、開いたドアから響く声を聞いた途端に、赤ちゃん言葉でエレベーターを飛び出した。

 そのあまりの変化に、少年は一瞬目を見張る。

 二人を出迎えたのは、カスタードクリーム色のショートの金髪に真っ黒い瞳をした、少年より頭一つ分ほど背の低い小柄な少女だった。

 天夏と呼ばれたその少女は、気持ち悪いくらいに満面の笑みを浮かべて抱きつこうとしている豪傑に駆け寄り……

「うおりゃあああーー!」

 気合一番、ローリングソバットをその側頭部に叩き込む。

 ローリングソバットをモロに受けた豪傑は、笑顔のまま壁に激突した。

「どう? どう? これ、新技やねん! 名前は『天夏インパクト』にしようと思うんよ。どうかな? 効いた?」

 全く悪びれずに天使のような笑みを浮かべて尋ねる天夏に、豪傑は頭から血を流しながらも笑顔で答えた。

「う、うむ。見事なローリングソバットだ。また一段と腕を上げたようだな」

 その言葉を聞いた少年の目頭が、何故か急激に熱くなる。

「やろ? 他にもいくつか新技が……って、アンタ誰や?」

 ノリノリで他の技を披露しようとした天夏が、少年に気づき不審の目を向けた。

 その様子を見た豪傑は、何とか体を起こして、咳払いをしてから口を開く。

「天夏、こちらは私の知人の息子さんで、当本外道君だ。外道君、こちらは私の可愛い愛娘、天夏だ」

 それを聞いた外道が、天夏の平原(という名の胸)を見ながら言った。

「娘? 息子の間違いじゃナバッ!」

 しかし、外道は最後まで言葉を口にすることはできなかった。いつの間にか、天夏の神速の拳が、外道の体に突き刺さっている。

「気をつけたまえ、外道君。こう見えても、天夏は漫画やアニメに出てくる技を独学で組み合わせた新拳法『天夏神拳』の初代後継者なのだ。はっきり言って、私より遥かに強い」

「こ、こいつが創ったんなら、後継者とは言わんだろ」

「そうなのだが、いくら言っても天夏が聞かなくてな。どうやら、『創始者』よりも『後継者』の響きの方が好きらしい」

「そんな無茶苦茶な「ウチを無視すんなあ!」」

 ヒソヒソと話していた外道と豪傑に業を煮やしたらしく、天夏が今度は強烈なアッパーを外道の顎に叩き込んだ。

「…………」

 漫画のように背景に効果音を付けて、豪快に吹っ飛ぶ外道。そんな外道をよそに、天夏が豪傑に向かって口を開いた。

「で、パパ。こいつ何者?」

「さっきも言ったが、私の知人の息子さんだ。ご両親が海外で留守の間、しばらく私が面倒を見ることになってな。天夏、お前も仲良くしてやってくれ」

「えー!」

 天夏が露骨に顔をしかめる。

「頼む、天夏。パパの一生のお願いだ」

 ゴツイ顔の前で両手を合わせて頼む豪傑に、天夏が渋々といった表情で頷いた。

「分かった。パパの頼みじゃしょうがないわ。アンタ、ソトミチやっけ? 今日からウチの子分にしたる。感謝しいや」

「コブン? 何だそれは?」

「はあ? 子分は子分やろ。舎弟でもええで」

「シャテイ? もう少し分かりやすい単語で……」

 何とか立ち上がった外道に、豪傑がそっと耳打ちする。

「子分というのは、分かりやすく言えば部下のことだ」

「部下だと! ふざけるな! 誰がこんなせんたくい「口答えすんなあああ!」」

 またも、外道が言い終えるより早く、天夏神拳奥義『天夏ストライク』が外道の腹に叩き込まれた。天夏ストライクの直撃を受けた外道は、声を発することもできずにクルクルと回転しながら床に転がる。

「ええか、今日からアンタはウチの子分。これは決定事項やから。分かったな!」

 床に倒れて完全に白目をむいている外道に、天夏は胸を張って言い切った。



 外道がこのマンションに住むようになって一〇日が過ぎた。

 彼にとって、この日本での生活は全てにおいて驚きの連続だった。

 文化、環境、治安。全ての物が全てにおいて、外道の生きてきた世界とは異なっていた。

 そんな見る物、聞く事が全て新鮮な中、外道は天夏と共に日々の生活を送っていた。

 天夏は一〇階。外道は九階にそれぞれ住んでいる。どういうわけかこの天夏嬢は、普通に玄関から入るという、一般人の九九、九パーセントがいとも容易くできることができないらしく、自分の真下にある外道の部屋に、いつもベランダからロープを伝ってやってきていた。どうやら、それがカッコいいと思っているらしい。

 実際、その日の朝も、天夏嬢はロープを伝ってベランダから入ってきた。

「飯や」

 短い言葉と共に天夏がテーブルに投げ出したのは一枚のピザ。その箱にはデカデカと『ピザスポット』と書かれている。ちなみに、昨日も一昨日も三食同じメニューであった。

「また、ピザかよ。お前には他に選択肢がねーのか?」

 さすがに七食連続ピザには耐えかねた外道が、その日初めて不満を口にした。

「ええやろ。おいしいし、頼めば持ってきてくれるんやから」

「でも、さすがに七食連続はきついだろ」

「嫌なら食うな!」

 ピザの箱を抱えてロープを登ろうとした天夏を、外道は慌てて制した。

「待て。食わないとは言ってない。ただ、もう少し他の物を用意できんのかと言ってるんだ」

「……商業エリアまで行けば色んなお店があるけど、この辺は開発途中でほとんどお店がないねん。あるのはこの前できた『ピザスポット』と、ちょっと離れた所にあるスーパーだけや」

「なんだ、スーパーがあるんじゃないか。だったら材料買ってきて作ればいいだろ」

「何でウチがわざわざスーパーまで行って、アンタにご飯作らなあかんねん」

 天夏は頬を膨らませて不機嫌そうに言った。外道がこのマンションを訪れたその日から、天夏の態度はずっとこんな感じである。まあ一五歳の多感な時期に、いきなり同年代の男子の面倒を見ろと言われれば、こういう態度も仕方ないのかもしれない。

「アンタこそ、ウチの子分なんやから、ウチのために何か作ってや」

「自慢じゃないが、料理などできん。せいぜい、野菜を切るか肉を焼くぐらいしかできんな」

「ほんまに自慢とちゃうな」

「お前が言うな」

 徐々に険悪な空気になりつつある二人だったが、両者の腹から響いた、空腹を訴えるギュルルーという音がその空気を霧散させた。

「まあいいや。とりあえず食おうぜ。腹減ったよ」

「……せやな」

 そして、二人は無言で椅子に座り、黙々とピザを口に運ぶ。

 空腹も手伝い、あっという間にピザは二人の胃袋へと収まった。

食事を終えた後、天夏が牛乳を飲みながら口を開く。

「ウチ、今日はちょっと出かけるから」

「ふーん。どこ行くんだ?」

「フッ、稽古や稽古。昨日見た映画に使えそうな技がいくつかあってな。ちょっと試してみよう思うねん」

「……そうか。まあ、頑張れ」

 外道は「自分も付いていく」と言わなかったことに、内心で安堵した。

 もし言っていたら、間違いなくその新技の実験台にされる。ここ何日かで、天夏の恐ろしさを身に染みて理解した外道だった。

「そんなわけで、ウチはすぐに出かけるから。使った食器くらいは洗っといてな」

「はいはい」


 結局することのなかった外道は、外を出歩くことにした。

 休日だけあって、出歩く人もちらほら見かける。

 こちらに来て一〇日。すでに豪傑からIDをもらい、外道は正式に『当本外道』となっていた。歳は実年齢と同じ一五歳。来月の四月からこの特区に新設される学園の高等部にも進学が決まっている。天夏も一緒だ。そんな天夏は今、春休みの真っ只中で、外道の面倒を見るには都合がいいと言えば都合がよかった。

 そんなこんなで来たばかりの特区を散策する外道。開発途中の特区ゆえ、まだ移住者の数はそれほどでもないが、それでも今日はいつもより見かける人の数が多い。

 カジノが試験運営されているだけあって、建物も高級志向の物が多かった。

 現在、外道の住んでいるマンションは言うに及ばず、建設中のマンションや一軒家も、豪華な造りの物ばかりだ。

 物珍しそうに辺りを散策していた外道だったが、居住エリアの端に来たところで、ふと女の声が聞こえたような気がしてその足を止めた。

「ちょっとアンタら、何すんねん!」

 やはり気のせいではなかったらしい。しかもこの声、聞き覚えがある。これは……

 外道は急ぎ、声のした路地裏へと入り込んだ。

 壁越しに顔を覗かせる外道。そこには、以前に豪傑を助けた時に見たような、全身黒ずくめのスーツを着て、サングラスをかけた三人の男達と……

「やっぱり、天夏か」

 壁に退路を塞がれて、半泣きになっている天夏がいた。その表情には恐怖と怒り、そして嫌悪が入り混じっている。

「お嬢さん。大人しく我々に同行してくれるなら、手荒なことはしない」

 リーダーらしき、顔に十字傷のある黒服が、丁寧な口調で言った。

「嫌や。っていうか、アンタら、誰やねん?」

「君がそれを知る必要はない。ただ大人しく我々に付いてきてほしい」

「ふざけんな! アンタら、パパの仕事を邪魔してる悪い連中やろ!」

「…………」

「ウチは、アンタらになんて絶対付いていかへんからな!」

 震えを堪えつつ、気丈に声を搾り出す天夏。

 しかし、それを聞いた十字傷黒服の口調が突如豹変した。

「チッ! クソガキが。優しくしてりゃ調子に乗りやがって。おい、死なない程度にちょっと遊んでやれ」

 十字傷黒服の言葉に反応して、両隣にいた二人が前に出る。

 天夏は黒服のガタイに一瞬怯みながらも、天夏神拳の構えを取った。

「アッ、アンタらなんか全然怖ないわ。三人まとめてウチがやっつけたる。アチョー!」

 そう言って、得意のカンフーキックを放つ天夏だったが、あっさりと黒服に足を掴まれ、地面に叩きつけられた。

「キャッ!」

 悲鳴を上げて倒れる天夏。黒服は、そんな天夏の顔を革靴で踏みつける。

 足に込められる強さは徐々に増していき、天夏の目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

「は、はなせ」

 天夏が残った気力を何とか振り絞って、黒服を睨みつける。

 しかし、黒服は歪んだ笑みを浮かべ、さらに足に力を込めようと……

「よお、お楽しみだな」

 そこでようやく、外道は黒服達に声をかけた。


 突然聞こえた背後からの声に、黒服達はすぐさま振り返った。

「何者だ!」

 十字傷黒服が、そう叫びながら懐に手を伸ばす。

「いや別に。ただの通りすがりさ」

 外道は手をヒラヒラと振って、戦意がないことを示した。

 それを見た十字傷黒服が、ゆっくりと懐に伸ばした手を元に戻す。

「ふん、今は取り込み中だ。見逃してやるからとっとと消えろ!」

 威圧するように叫ぶ十字傷黒服。

 しかし、当の外道は全く動じなかった。

「まあそうカッカしなさんな。他人の誘拐現場なんて、滅多にお目にかかれないからな。ちょっと見学させてくれよ」

「何だと! 貴様、自分の置かれている状況が良く分かっていないようだな」

 十字傷黒服が、再び懐に手を伸ばす。

「いやいや、分かってないのはアンタの方だろ。こんな真昼間から銃を使うのはさすがにマズイんじゃないの。仮にサイレンサーを付けたとしても、死体の処理は面倒だよな」

「…………」

「心配すんなよ。ほんとにただの見学さ。あっ、そうだ。警察に通報される心配もしなくていいぞ。俺、スマホ持ってねえから」

 そう言って、今度は自分のズボンのポケットを引っ張って、何も持っていないことを示す。

 十字傷黒服は露骨に不審そうな顔を浮かべながらも、他の二人に向かって口を開いた。

「おい、もういいから、とっととそのガキを連れてくぞ」

 天夏を踏みつけていた黒服が、その言葉を聞いてすぐさま天夏を担ぎ上げる。

 そして、そのまま天夏を車に押し込もうとしたその時、必死に抵抗していた天夏が、大声で叫んだ。

「こらー、ボサッとしとらんと助けんかい! 子分やろ!」

 その言葉に、黒服達の動きがピタリと止まる。

 そして、助手席に乗ろうとしていた十字傷黒服が、開けようとしていたドアを元に戻した。

「貴様、このガキの知り合いか?」

 ゆっくりと近づいてくる十字傷黒服の言葉に、外道は小さく肩を竦める。

「ああ。まあ、知り合いといえば知り合いかな。でも、そんなに親しい間柄でもないから、アンタらがそいつをどこに連れて行こうが一向に構わんよ」

 しれっと答える外道を横目に、黒服達はヒソヒソと言葉を交わす。

「貴様にも一緒に来てもらおう。乗れ!」

「はあ? 何で俺が? 俺は何にも関係ないだろ?」

「それは我々が決めることだ。いいから乗れ! それとも、無理やり乗せられたいのか?」

 その言葉を聞いた外道が、突然笑い出した。

「ははははは! 無理やり? お前が? 俺を?」

「何がおかしい?」

「おかしいさ。自分達の方が強いと思ってるお前らの馬鹿さ加減がな!」

 そう言った直後、外道はすぐさま十字傷黒服との距離を詰め、相手の右膝の皿を蹴り砕く。そしてそのまま胸倉を掴み、顔に頭突きを入れて昏倒させ、運転席のドア付近にいた黒服に投げつけた。

 突然自分のところに向かってくる仲間の対処に慌てた黒服その2は、時間切れで十字傷黒服と共にその場に倒れこむ。

 その間に、外道は天夏を車に押し込んでいた黒服その3との距離を詰め、股間を蹴り上げた後、蹲ったところに膝蹴りを叩き込んで失神させた。

 そして最後に、十字傷黒服と共に倒れこんで身動きの取れない黒服その2の顔を蹴り飛ばして気絶させ、天夏を車から引っ張り出す。

 まさに、一瞬の出来事だった。

 あまりの早業に、天夏は口をポカンと開き、地面に座り込んだまま呆然としている。

「おい、いつまで呆けてんだ」

 いつまでも口を半開きにしていた天夏の頭を、外道が軽く叩いた。

「イッタ! 何すんねん!」

「おお、さっきまでピーピー泣き叫んでたくせに、随分と元気そうだな」

「うっ!」

「ちょっと待ってろ」

 外道はリーダー黒服のポケットをまさぐり、携帯電話を取り出した。

 そして、電話が通じた瞬間、突然オドオドとした口調で喋りだす。

「もしもし、警察ですか? 実は、黒いスーツを来た男の人達が喧嘩してるみたいなんです。あっ、そういえば銃を持ってたかも。怖いんですぐに来てもらえますか? 場所は……」

 ひとしきり話した後、外道は携帯電話を切って、近くにあったゴミ箱に投げ捨てた。

「これでよし。さっ、帰る……って、いつまで座ってんだよ」

「あ、あの……」

「あん? どうした?」

「腰が抜けて立てへん」

 座ったまま小さく呟く天夏に、外道は大きくため息を一つ吐き、その場にしゃがみ込んで背を向けた。


 天夏を背負いながらマンションへの帰途に就く外道。周囲の微笑ましそうな視線が若干気になるが、今は致し方なし。

「アンタ、ほんまは強かったんやな」

「……ああ」

 眠っているとばかり思っていた天夏にいきなり声をかけられ、少し遅れて外道は答えた。

「何で黙ってたん?」

「言う必要ねーからな」

 外道がどうでもよさそうな声で答える。

「何で? 強いとカッコええやんか」

「そりゃ、お前がそう思ってるだけだろ。俺はそんなことに興味はねーよ」

 それきりしばらくの間、無言の時間が流れる。

 やがて、外道の背中から天夏の小さな呟きが響いた。

「ウチな、小さい頃いじめられててん」

「…………」

「こう見えて、お金持ちのお嬢も結構大変なんよ。兄ちゃんでもいたら助けてもらえたかもしれへんけど、生憎ウチは一人っ子。だから自分のことは自分で守るしかなかってん。だからウチは、強さに憧れたんや」

「…………」

「あんな、これから兄ちゃんって呼んでもええ?」

「断る」

「ええ!」

 あっさりと却下された天夏が叫ぶ。

「ここは話の流れ的にええよって言うとこやろ?」

「お前のマイストーリーなど俺には到底理解できんが、とにかく俺は、お前みたいな料理一つできないおと……じゃなかった、妹はいらん」

「じゃ、じゃあ、料理ができたら兄ちゃんって呼んでもええの?」

「……できたらな」

 それきり二人は黙り込み、黙々と歩く一つの足音だけが辺りに響いた。



 一夜が明け次の日の朝、控えめなノック音で外道は目を開けた。

「起きとる?」

 ドア越しに、やはり控えめな天夏の声が響く。

「ああ」

 外道はゆっくりと体を起こした。元々眠りは浅い方だが今日は別だ。目こそ閉じていたが、本当は二時間ほど前から起きていた。何やらキッチンの方から、悲鳴や轟音がずっと響いていたため、眠ることができなかったのだ。

 敵襲かとも思ったが、どうやら天夏が一人で騒いでいるだけだったので放っておいた。

「……飯、できとるから」

「分かった」

 短く答えてドアへと向かう。その足取りはいつもより僅かに重い。

 天夏の声に元気がないのはすぐに分かった。外道が頭をわしゃわしゃとかき乱す。

(昨日のことがまだ尾を引いてるな。どうしたもんか)

 そうは思いながらも、今までこんな気まずい雰囲気を体験したことのない外道は、どうしたらいいのか分からなかった。そしてそれから五分ほどが経ち、結局……

「なるようにしかならないか」

 と呟き、外道は部屋を出た。


 ドアを開けた瞬間、外道は目の前に広がる惨状に思わず絶句した。

「な、何が起きたんだ、これは……」

 まず目に入ったのは、五〇インチの大型プラズマテレビに突き刺さった包丁だった。そして、冷蔵庫の扉は真っ赤に染まり(おそらくトマトか何かだと思われる)、極めつけは床全体に広がる食器の破片。足の踏み場もないとはまさにこのことで、裸足で歩けばテーブルに着く頃には自分の足が鮮血に染まっているのは確実だった。

「……おはよ」

 部屋の惨状に気を取られすぎていた外道の前に、いつの間にか天夏が立っている。

「あ、ああ」

 いつもとは違う態度の天夏に、外道は一瞬戸惑った。

「座って、今持ってくるから」

 昨日、誘拐されかけたことが尾を引いているのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。少し顔を赤らめて、絆創膏だらけの手でお盆を持つ天夏には、別に気落ちしているような様子はなかった。

 状況のよく分からない外道は、とりあえず床に散らばった食器の破片を踏まないように気を付けながら椅子に座る。そして、座った外道に天夏が恥ずかしそうに差し出したのは……

「…………」

 水の量を間違えてベチョベチョになったご飯。ちゃんと切ったつもりが実は繋がったままのねぎ入り味噌汁。卵焼きのつもりが、おそらくちゃんと返せずに半分スクランブルエッグとなった卵焼き。そして……

「これは何だ?」

 見事なまでに真っ黒に焦げた炭らしき物体だった。

「……しゃけ」

 ポツリと零す天夏に、外道の背中から冷たい汗がダラダラと流れ落ちる。

「そ、そうか」

「ピ、ピザ飽きたって言うてたやろ? だから作ってみた」

「ほ、ほう……」

 正直なところ、これを食べるくらいなら、飽きている点を加味してもピザの方が遥かにいい外道だったが、天夏の絆創膏だらけの手を前にしてさすがにそれを言うことはできなかった。

「食べへんの?」

 天夏が、上目遣いに外道が食べるのを待っている。外道は意を決して箸に手を伸ばした。

 まずはご飯。見ただけで水の量を間違えたと分かる半お粥状態。だが、どう考えてもこれが一番セーフティーと考えた外道は、恐る恐るご飯を一口、口に含んだ。

 予想通り、味付けなしのお粥の味。実は水の代わりにスポーツドリンクでご飯を炊きました、とかいうオチがないだけまだありがたい。

 天夏の方に視線を向けると、天夏は無言のまま視線を他の皿へと移した。どうやら他のも食えと言うことらしい。熟考の末、次は味噌汁にすることにした。繋がったねぎに目を瞑れば、まあ見た目は普通だ。味は……少し薄いがまあ飲める。

 またも天夏は、無言で視線を他の皿へ。

 そして、次はスクランブルエッグ。これも少し焦げたところに目を瞑れば、見た目は普通だ。卵焼きなら(よほど分量を間違えない限り)塩と砂糖を間違えても食べられるので、特に問題はなし。殻さえ入っていなければだが。

 そして、いざ毒見。殻が入っている可能性を考慮して、まずは一口サイズに切り分ける。

そして中を確認。どうやら問題はないようだ。続いて口に。

 この卵焼きは甘い方だった。どちらかと言えばしょっぱい方が好きな外道だったが、今この場では倒れないだけ幸運だと思うしかない。

 そして、ついに戦い? は最終局面へ。そう、ラスボスは、どうやら焼く前までは鮭だったらしい黒い物体である。

 どう見ても死亡フラグ確実のこの場面で、パスを選択したい外道だったが、期待に目を輝かせる天夏を前に、その選択肢は空しく消滅した。

 ゴクリと喉を鳴らし、炭へと箸を伸ばす外道。まずはザックリ箸を挿入。

「おや?」

 意外なことに、箸はあっさりと炭の中に入っていった。どうやら中まで炭というわけではないらしい。外道はペリペリと表面の焦げた部分を剥がして、その身を口に含んだ。

「おっ、うまい」

 と、思わず外道が呟く

「……あは♪」

 その言葉を聞いた天夏が、安心したような、それでいて嬉しそうな顔を浮かべて声を漏らした。しかし、すぐに照れくさそうな顔になり……

「と、当然や。このウチが作ったんやから」

 と言って、顔を背ける。

「いや、ほんとうまい」

 先ほどまでとは打って変わり、黙々と箸を動かす外道を見ながら、天夏も安心したように自分の箸に手を伸ばした。


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