回想一
回想一
血と硝煙の臭いが立ち込める戦場。それが少年の生き抜いてきた世界だった。親の顔は知らない。物心ついた時からいなかったから。しかし、親代わりの者はいた。少年は幼い時、路頭に迷っていたところを一人の老婆に拾われた。
夫も子供もなく、他に家族のいなかった老婆は、その少年を大層可愛がった。
しかし、不幸にもその地は、民族問題で治安の安定しない土地だった。
状況は、いつ戦争に突入してもおかしくない緊張状態で、どんな小さな火種でも爆発しかねない状況だった。
そして、ついにその緊張は爆発を迎えた。少年が老婆に拾われてから五年後のことだった。
突如進入してきた男達によって、あまりにもあっさりと老婆は殺された。たった一発の銃弾によって。初めて直面する死という現実。少年は震えた。次は当然、自分の番だと思ったからだ。
そして案の定、次の銃口は少年へと向けられた。人は本当に恐怖すると、声が出なくなるらしい。救いの声も、恐怖による叫びも、少年は上げることができなかった。
自分の傍らで血を流して倒れる老婆。その老婆から流れる血が、少年の指先に触れる。まだ生温かい、赤黒く染まった血。少年は、次は自分がこうなるのだと思った。
しかし、そうはならなかった。
突然、進入時に蹴破られたドアから入ってきた、銃口を向けている男達の上官らしき男が、少年には分からぬ言語で、銃口を向けている男達に何かを喋った後、少年に向けられた銃口は下ろされた。少年はよく状況こそ飲み込めなかったが、どうやら自分が助かったことだけは理解できた。
少年が覚えているのはそこまでだった。ゆっくりと近づいてくる上官らしき男に殴られ、少年はそのまま意識を失った。
少年が目を覚ましたのは、牢の中に敷いてあった藁の上だった。
気絶させられた際に殴られた頭がまだ痛む。鉄格子のはまった窓から外を見てみると、そこでは自分と同い年くらいか、それよりも少し上の少年達が、軍服を着た男達に訓練を受けている最中だった。射撃訓練、格闘訓練、そして、実戦訓練。訓練を受けている少年達の顔には表情がなかった。
その顔には恐怖も怒りも悲しみもない。ただ黙々と機械のように訓練を受ける子供達。
しばらくその様子をじっと見ていた少年だったが、不意に背後から聞こえた音に反応して、そちらを振り向く。すると、牢の扉が開き、そこから軍服を着た男が入ってきた。
少年は薄々気づいていた。自分が何故、生きてここに連れてこられたのかを。
一二歳を迎える頃には、少年はすでに一流の兵士となっていた。あらゆる武器を使いこなし、あらゆる言語を操り、あらゆる乗り物を自由自在に操縦できる。まさしく最強と呼ぶに相応しい兵士となった。
そして、度々戦場へと送られる。これまで殺した人の数は、すでに覚えていない。覚える必要などないのだから。
ただ命じられるままに殺し、そしてまた別の戦場に行く。それが少年の日常だった。
転機が訪れたのは一四の時。少年のいた基地が、突如奇襲を受けて壊滅した。
あまりにもあっけなかった。最新型の戦闘機二機による空爆。こちらのレーダーには映らぬその戦闘機の攻撃に抗う術などあるはずもなく、基地はあっという間に壊滅した。
自分達のような人種はどこにでもいる。きっと、どこぞの敵対戦力による攻撃だろう。恨みをかう覚えなら腐るほどある組織だ。
そんな空爆の中、少年は運よく生き残った。幸い、基地から少し離れた場所で射撃訓練をしていたのだ。
轟音を聞きつけて帰ってきた時には、すでに基地は火の海だった。命令を受けるべき上官もすでにいない。仲間も皆、灰か死体になった。
不思議と少年には何の感慨もなかった。
少年はその場を去った。無表情のままその場を去った。
そしてそれから一年。少年は世界各地を転々とし、やがて日本に来た。
深夜、人気がなくなったのを確認して少年が船から降りた時、一発の銃声が鳴り響いた。少年はとっさに近くのコンテナに身を隠す。
少年は、その銃声が自分を狙ったものだと思ったが、すぐにそうではないことが分かった。
コンテナからそっと顔を出すと、一人の男が四人の黒服に囲まれているところだった。
囲まれていた男は、歳の頃四〇過ぎ。黒髪に、一九〇センチ以上あるガッシリとした体格、そして見事な顎鬚を蓄えた熊みたいな顔の男だった。
対する黒服は、全員がダークグレーのスーツに身を包み、サングラスをかけている。訓練されたその動きは、どう見ても一般人ではない。
そんな黒服達が、今、ゴツイ熊男を包囲して銃口を向けている。
熊男の方も素人ではなさそうだが、さすがに一対四では分が悪そうだった。
防弾チョッキを着ているようだが、そんなもの、至近距離で頭を撃ち抜かれたら何の意味もない。
「ミスター鳳龍院。あなたに私怨はありませんが、ここで死んでいただきます」
リーダーらしき黒服の一人が、熊男に銃口を向けながら言った。
「……誰の差し金だ?」
「これから死ぬあなたが、それを知る必要はありません」
「チッ」
熊男は懐のホルスターから銃を抜こうとした。
しかし、リーダー黒服が放った銃弾が、熊男の手を撃ち抜く。
「グアッ!」
熊男は手を押さえて蹲った。
「あまり手間をかけさせないでいただきたい。こう見えても、我々は多忙でしてね」
そう言って、蹲る熊男の額に銃口を突きつけるリーダー黒服。
リーダー黒服が引き金を引こうとしたその瞬間、少年は隠れていたコンテナから飛び出し、一番後ろに控えていた黒服に接近。そのまま首の骨を折る。まずは一人。
異常に気づいた他の黒服が、少年に向かって発砲。リーダー黒服は、熊男から銃口を外すことができずに、体だけを少年に向けている。少年は、最初に仕留めた黒服の体を盾にして、発砲している黒服に近づき、弾切れになった隙に、拳を叩き込む。これで二人目。
続いて、もう一人の黒服が慌てて発砲しようとするが、その黒服が狙いを定めるより早く、少年が懐に潜り込み、そのまま黒服の腕を捻って銃を強奪。そして、そのまま引き金を引く。これで三人。
「な、何者だ?」
慌てて銃口を少年へと向けるリーダー黒服。あっという間に仲間を倒された恐怖からか、声が上擦っている。
返ってきたのは冷たい返答だった。
「これから死ぬお前が、それを知る必要はない」
その直後、少年は瞬時にリーダー黒服との距離を詰め、一瞬にしてリーダー黒服の側面へと回り込み、そのこめかみに銃口を押し付ける。
「た、たすけ……」
「断る」
そして、放たれる無慈悲の銃弾。一発の銃声の後、リーダー黒服はゆっくりとその場に崩れ落ちた。
四人を倒した少年は、無表情のまま熊男に声をかけた。
「どうした、立たないのか?」
少し外人訛りを含んだ日本語で話しかけられた熊男が、警戒の表情を浮かべたまま言葉を返す。
「君は誰だ?」
その言葉に、少年は少し考え込んだ後、答えた。
「名前か? 名前はない。認識番号は10184.コードネーム、ブルート(人でなし)」
それは少年の戦い方から生まれたコードネームだった。他の兵士に比べ、明らかに小柄な少年の体躯は、どうしても戦う上でのハンデとなった。故に少年は、それを克服するためにあらゆる手段を用いた。どんな卑怯な手も使った。
しかし、それを恥だと思ったことはない。戦場ではそんなことを言う奴から死んでいく。ただ、任務を全うするためだけに生きてきた少年にとって、恥などという言葉は何の意味も持たなかった。
「何故、私を助ける?」
「別に助けたつもりはない。ただこいつらの服と装備が欲しかっただけだ」
そう言うと、少年は最初に首の骨を折って殺した黒服の服を剥ぎ取って着始めた。
「実は先ほど着いたばかりでな。まさか、いきなり銃撃戦に遭遇するとは思わなかった。日本は治安が良いと聞いてたんだがな」
「…………」
「ちゃんと確認して日本行きの船に乗ったはずなんだが……。ここは日本だよな? ああ、俺の日本語はちゃんと通じてるか? 日本語はあまり使う機会がなかったから不安でね」
「密入国か?」
「そうだ」
全く悪びれずに少年は答えた。
「何故、日本に?」
「たまたまさ。色々流れていつの間にかここにきた。もちろん、治安レベルが安定しているというのもあるがね」
「軍人か?」
「その質問の答えはイエスであり、ノーだ。訓練は積んでいるが、俺は正規の軍人ではない。傭兵だ」
「傭兵? その歳でか?」
「おかしいか? 俺の生きてきた世界ではごく普通のことだが」
「…………」
「さて、次はこちらの質問だ。お前は権力を持っているか?」
「何? どういう意味だ?」
「そのままさ。もしお前がある一定の権力を持ち、一定の資産を保有しているなら、条件付きでお前を生かしてやる。しかし、お前がしがない一般人なら、口封じのためにここで殺す。生かしておいても、俺には何の得もないからな」
少年は無表情で淡々と語った。
熊男は、しばらく押し黙った後、ゆっくりと口を開く。
「私は鳳龍院豪傑。ここの区長だ」
「クチョウ? 何だ、それは? 階級か?」
「この辺で一番偉い人間だと思ってくれればいい」
「ほう……」
その言葉に、少年が唇の端を吊り上げた。
「では、俺の条件を呑むなら、お前を生かしておいてやろう」
「何だ、その条件とは?」
「簡単な話さ。俺はこの国に着いたばかりで右も左も分からない。もちろん、知人もいなければコネもない。そこで、お前が俺の面倒を見てくれるというならお前を生かしておいてやろう。ああ、先に言っておくが、裏切れば即殺す。お前の家族を殺した後に」
「…………」
「どうする? 呑むか? それとも死か?」
豪傑は大きく息を吐いて言った。
「一つだけ教えてくれ。君は、日本で何か騒ぎを起こす気があるのか?」
「まさか。傭兵だと言ったが、もう廃業した身でね。静かに暮らしたいだけだ。今殺した奴らも、服と装備が必要だったから殺しただけ。どう見ても一般人には見えないから、こいつらの雇い主もこの件でマスコミが騒ぐのを自分達で防ぐだろう。もっとも、お前が俺の面倒を見てくれるなら、もう誰かを殺す必要はないな」
「……分かった。要求を呑もう」
豪傑の答えに少年は笑った。
「賢明だな。とりあえず、セーフハウスをいくつか用意してくれ。それからIDと現金がいる」
「用意しよう。IDの名前に希望はあるか?」
少年は少し間、沈黙した。
そして、突然何かを思いついたように口を開く。
「この国ではブルートのことを何と呼ぶ?」