第1話 彼女は本当に遠慮しないらしい
本作は『ただの後輩だったはずなのに……彼女はもう遠慮しないらしい』の続編です。
https://ncode.syosetu.com/n1250mv/
前作を読んでいなくても楽しめるようにしていますので、初めての方もお気軽にお読みいただければ嬉しいです。
あの日、三枝美月は俺に言った。
『私、もう遠慮しませんから』
その宣言を聞いたとき、俺はもう少し積極的になるという意味だと思っていた。
翌日、俺は自分の認識が甘かったことを思い知った。
「先輩、お昼、一緒に行きませんか?」
昼休みになり、作業していた資料を保存したところで声をかけられた。
顔を上げると、三枝が俺の席の横に立っている。
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます! じゃあ、今日から私が誘いますね!」
「……今日から?」
「はい! 明日も、明後日も、その次も!」
「いや、俺にも予定があるんだけど」
「もちろん、先輩の予定がある日は我慢します。でも、空いてる日は私が先に誘います!」
「……そんなに俺と昼飯を食べたいのか?」
「はい! 好きな人と一緒にご飯を食べたいと思うのは、普通ですよね?」
……なるほど。
どうやら、昨日までの三枝とは違うらしい。
「三枝。会社でそういうことを堂々と言うのは、どうなんだ?」
「じゃあ、会社の外ならいいんですね?」
「そういう意味じゃない!」
「えー、先輩、今のはそう聞こえましたよ?」
「聞こえてないだろ」
「聞こえました!」
「……ちなみに、俺が何を言っても都合よく解釈するつもりか?」
「はい! ただし、先輩が本当に嫌がることはしません!」
「そこはちゃんとしてるんだな」
「もちろんです! 好きな人には嫌われたくありませんから!」
三枝は得意げに笑っている。
俺は思わず周囲を見回したが、幸い、近くの社員たちはそれぞれ昼休みの準備をしていて、こちらを気にしている様子はなかった。
「……とにかく、昼飯に行くぞ」
「はい! 先輩と二人っきりで! ですね!」
「いつも二人だろ」
「でも、今日は私から誘った記念日ですから!」
「そんな記念日があるのか?」
「今できました!」
三枝は満足そうに頷いたが、俺には一つ気になることがあった。
「……毎日誘うつもりなんだよな?」
「はい!」
「じゃあ、毎日記念日になるんじゃないか?」
「……あっ!」
三枝が目を見開いた。
まさか、そこまで考えていなかったのか。
「……先輩、天才ですか?」
「いや、普通に考えれば分かるだろ」
「じゃあ、明日は二日目記念日ですね!」
「待て。何でそうなる」
「三日目も、四日目もありますよ!」
「記念日の意味を考え直してくれ」
「大丈夫です! 先輩と一緒なら、毎日特別ですから!」
……駄目だ。
俺が何を言っても、三枝の方が一枚上手らしい。
この調子で毎日来られたら、俺の方が先に参ってしまうかもしれない。
けれど、三枝があまりにも楽しそうに笑うので、それ以上は何も言えなかった。
以前から、三枝と二人で昼食に行くことは珍しくなかった。
ただし、誘うのはいつも俺の方からで、三枝が自分から声をかけてきたことは一度もなかった。
休日に二人で出かけるときも同じで、俺が誘えば三枝は嬉しそうに応じてくれたが、彼女の方から誘ってくることはなかった。
それが、あの告白以来、変わった。
会社を出て駅前の定食屋へ向かう途中も、三枝は上機嫌だった。
「先輩、今日は何食べたいですか?」
「そうだな。昨日は麺だったし、今日は定食かな」
「じゃあ、駅前のお店にしません? 先輩、あそこの唐揚げ好きですよね」
「よく覚えてるな」
「当然です。先輩の好きなものですから!」
三枝は得意げに胸を張ったあと、俺の反応を確かめるように顔を覗き込んできた。
「……三枝、前より遠慮がなくなったな」
「言ったじゃないですか。もう遠慮しませんって」
「そうだったな」
「それとも、困ります?」
「いや、困るってほどじゃないけど」
「じゃあ、問題ありませんね!」
三枝は満足そうに頷き、軽い足取りで歩き始めた。
「……ちなみに、どこまで遠慮しないつもりなんだ?」
「それは、これからのお楽しみです!」
「先に教えてくれないのか?」
「先輩、楽しみは取っておく方がいいですよ?」
「……俺の場合、覚悟する時間が欲しいんだけど」
「大丈夫です! ちゃんと手加減しますから!」
手加減が必要な時点で、少しおかしい気がする。
店に入ると、案内されたのは四人掛けのテーブル席だった。
俺が奥の椅子へ向かおうとすると、三枝が反対側ではなく、隣の椅子を引いた。
「……三枝?」
「はい?」
「こっちに座るのか?」
「はい。先輩の隣がいいので」
「向かいの方が話しやすくないか?」
「先輩の顔を見るなら向かいですけど、隣に座れる機会も大事にしたいんです!」
堂々と言い切られてしまった。
俺が何も言えずにいると、三枝は少しだけ悪戯っぽく笑った。
「……嫌ですか?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ、決まりですね!」
三枝は嬉しそうに腰を下ろした。
店員が水を運んできたとき、俺たちは四人掛けのテーブルの同じ側に並んで座っていた。
店員は特に気にした様子もなく注文を尋ねてきたが、俺は何となく落ち着かなかった。
「先輩、何にします?」
「……唐揚げ定食かな」
「私もそれにします!」
「同じでいいのか?」
「はい。先輩と同じものを食べたいので」
「……本当に遠慮がなくなったな」
「まだまだですよ?」
その返事に、俺は思わず三枝の顔を見た。
……まだ上があるのか。
注文を終えると、三枝は隣の席で楽しそうにメニューを閉じた。
俺はテーブルの向かい側にある二つの空席を見てから、改めて彼女に尋ねた。
「……三枝、一つ聞いていいか?」
「何ですか?」
「向かいに座るのは、もう嫌なのか?」
「そんなことないですよ?」
「じゃあ、何で今日は隣なんだ?」
「昨日まで遠慮してた分を取り戻したいので!」
「……取り戻すって、何を?」
「先輩の隣に座れたはずの回数です!」
「そんなものを数えてたのか?」
「数えてませんけど、たぶん結構あります!」
三枝は真剣な顔で指を折り始めた。
「……計算が適当すぎないか?」
「じゃあ、これから数えますね!」
そう言って、三枝は鞄からスマートフォンを取り出しかけた。
「待て。本当に記録するつもりか?」
「えっ、駄目ですか?」
「……せめて食事中はやめてくれ」
「分かりました! じゃあ、帰ってからにします!」
どうやら、止め方を間違えたらしい。
もっとも、一緒に食事をすること自体は今までと変わらない。
仕事の話をしたり、休日に見た映画の話をしたり、どうでもいいことで笑ったりする。
だから俺も、三枝から誘われれば普通に応じていた。
ただし、三枝の言う「遠慮しない」は、俺が想像していたよりもずっと範囲が広かった。
その翌日には、三枝が俺の好きな銘柄の缶コーヒーを持ってきた。
「先輩、これどうぞ」
「お、ありがとう。いくらだった?」
「今日は私からの差し入れです!」
「いや、毎回もらうのも悪いだろ」
「じゃあ、今度お昼に何かおごってください」
「それならいいけど」
「約束ですよ?」
三枝はそう言って、満足そうに自分の席へ戻っていった。
その日の昼食は、約束どおり俺がおごった。
ただ、三枝が選んだのはいつもより少し安いランチで、理由を聞くと「先輩にあんまり負担をかけたくないので」と笑っていた。
「そこは遠慮するんだな」
「それとこれとは別です! 先輩のお財布には優しくしたいので」
「じゃあ、俺の心臓にも優しくしてくれないか?」
「えっ、私、何かしました?」
「……自覚なしか」
「先輩に言われたくありません!」
三枝が即座に言い返してきたので、俺は思わず笑ってしまった。
すると、三枝は箸を置き、少し考え込むように首を傾げた。
「……ちなみに、心臓に優しくするって、具体的にはどうすればいいんですか?」
「そうだな。もう少し控えめにするとか」
「……それ、遠慮するってことですよね?」
「まあ、そうなるな」
「却下です!」
「即答かよ」
「ほかの方法を考えてください!」
「俺が考えるのか?」
「はい! 二人の問題ですから!」
いつの間にか、俺まで対策会議に参加させられていた。
相変わらず、三枝の考えることは時々よく分からない。
けれど、そんなやり取りも含めて、俺たちの関係は以前と大きく変わらなかった。
告白の返事は、まだしていない。
俺は三枝のことが好きだ。
ただ、それが親しい後輩としての好意なのか、それとも恋人になりたいという気持ちなのか、自分でもはっきり分からなかった。
三枝は、そんな俺に答えを急がせることはなかった。
代わりに、昼食に誘う回数が増えた。
仕事帰りに少しだけ話していくことも増えたし、休日に何か面白そうなものを見つければ、写真を送ってくるようにもなった。
もちろん、いつでも一緒に過ごせるわけではない。
ある日の昼休み、三枝がいつものように声をかけてきたときは、俺の方に急ぎの仕事が残っていた。
「先輩、お昼どうします?」
「悪い。今日はこの資料を仕上げないといけないから、先に行っててくれ」
「分かりました。じゃあ、何か買ってきましょうか?」
「いや、大丈夫。あとで適当に食べるよ」
「……ちゃんと食べてくださいね?」
「分かってるって」
「先輩、そう言って忙しいときはパン一個で済ませるじゃないですか」
「よく見てるな」
「見てますから!」
三枝はそう言ってから、少しだけ声を落とした。
「……じゃあ、明日は一緒に行きましょうね」
「ああ。明日は大丈夫だと思う」
「約束ですよ!」
翌日、俺が資料を片づけて時計を見ると、ちょうど昼休みになったところだった。
三枝の席へ向かおうとしたところで、向こうも立ち上がる。
「先輩!」
「今日は行けるぞ」
「……まだ何も言ってませんけど?」
「昨日、約束しただろ」
「覚えててくれたんですね!」
三枝は嬉しそうに笑い、机の上の財布を手に取った。
「……先輩、今日は私から誘う予定だったんですけど」
「じゃあ、誘われる前に来たのはまずかったか?」
「いえ! むしろ、すっごく嬉しいです!」
そう言ってから、三枝は少し考えるように首を傾げた。
「……でも、先輩から誘ってくれるなら、私が遠慮しない必要ってないんじゃ……?」
「いや、そこは好きにしてくれ」
「じゃあ、両方ですね!」
「両方?」
「私も誘いますし、先輩からも誘ってください!」
「……それ、結局今までより回数が増えるだけじゃないか?」
「はい!」
「……昼休みは一日に一回しかないぞ?」
「じゃあ、仕事帰りもありますね!」
「増やす方向で考えるな」
「休日もありますよ!」
「……もう好きにしてくれ」
「はい! 最初からそのつもりです!」
三枝は嬉しそうに笑うと、俺の隣へ並んだ。
どうやら、俺が何を言っても結論は変わらないらしい。
それから数日後、三枝は昼休みに俺の席へやってきた。
「先輩、今週の土曜日って空いてます?」
「土曜日? 今のところ予定はないけど」
「本当ですか!?」
「ああ。何かあるのか?」
「えっと……駅前の映画館で、ちょっと気になる作品が始まるんです」
「映画か。いいな」
「ですよね! それで、もしよかったら……」
三枝はそこで言葉を止め、俺の顔を見た。
「……一緒に行きませんか?」
「いいよ。俺もちょうど映画を見たいと思ってたし」
「やった! じゃあ、土曜日は――」
「あ、そうだ。映画のあと、昼飯も一緒に食べないか?」
「……え?」
「せっかく出かけるんだし、近くに新しい店もできたみたいだから」
「…………」
「三枝?」
三枝は両手で口元を押さえた。
「……先輩」
「ん?」
「私、今日こそは自分からデートに誘おうと思ってたんですけど……」
「……デート?」
「そ、そうです! でも、先輩からお昼まで誘われるなんて思ってなくて……!」
そこまで言ってから、三枝は慌てて首を振った。
「あっ、もちろん、嬉しいんですよ!? すっごく嬉しいです!」
「それならよかった」
「……先輩、私の心臓にも優しくしてください」
「この前、俺が言った台詞だろ」
「お返しです!」
「じゃあ、三枝も対策を考えないとな」
「えっ?」
「二人の問題なんだろ?」
「……先輩、そういうことだけ覚えてるの、ずるくないですか!?」
三枝は頬を赤くしながらも、嬉しそうに笑った。
「……でも、土曜日はよろしくお願いしますね!」
「ああ。楽しみにしてるよ」
「……っ! もう、先輩!」
何故か最後は怒られてしまった。
その週末、俺たちは予定どおり映画を見て、昼食を取った。
三枝は上映前からずいぶん楽しそうで、映画が終わってからも感想を話し続けていた。
食事中、三枝がふと尋ねてきた。
「先輩、今日ってデートだと思ってくれてます?」
「……そう言われると、どうなんだろうな」
「ええっ!?」
「いや、三枝がデートって言ってたのは覚えてるけど」
「覚えてるなら、もう少し意識してくださいよ!」
「……努力します」
「そこは即答してください!」
三枝は頬を膨らませたが、すぐに笑い出した。
俺もつられて笑いながら、目の前の彼女を見た。
「……先輩、ちなみに次もデートって呼んでいいですか?」
「次?」
「また一緒に出かけるときです!」
「ああ。三枝がそう呼びたいなら、いいんじゃないか?」
「……私がそう呼びたいなら、ですか」
「何か問題が?」
「問題しかありません!」
「……難しいな」
「先輩が難しくしてるんですっ!」
三枝はそう言って、グラスの水を一口飲んだ。
頬を赤くしたまま、それでも楽しそうに笑っている。
以前なら、こうしたやり取りをすることはなかった。
三枝が自分の気持ちを隠さなくなったことで、俺も彼女の言葉を以前より意識するようになっている。
ただ、それでもまだ、恋人として付き合うという答えには至っていなかった。
別の日の帰り道には、駅前に新しくできた店の話になった。
「先輩、あのお店、もう行きました?」
「いや、まだ。気にはなってるんだけどな」
「じゃあ、今度一緒に行きませんか?」
「いいよ。いつにする?」
「えっ、いいんですか?」
「三枝が誘ったんだろ?」
「そうですけど……えへへ」
自分から誘っておいて、了承すると驚くのだから不思議なものだ。
結局、その週末にも二人で出かけた。
以前から休日に一緒に出かけることはあったので、俺としては特に変わったつもりはなかった。
ただ、三枝は待ち合わせ場所で俺を見つけるなり、ずいぶん嬉しそうな顔をした。
「先輩、お待たせしました!」
「いや、俺も今来たところ」
「今日、すっごく楽しみにしてたんです」
「そんなに気になってたのか、あの店」
「……先輩と出かける方ですけど?」
そう言われると、さすがに少し照れくさい。
「先輩、またお店のことだと思ったんですか?」
「いや、まあ……」
「本当に、そういうところですよね」
「どういうところだよ」
「教えてあげません!」
三枝は楽しそうに笑い、俺の少し前を歩き始めた。
目的の店までは、ここから歩いて十分ほどだ。
俺はスマートフォンで場所を確認してから、三枝の隣へ追いついた。
「そういえば、三枝。今日は何時くらいまで大丈夫なんだ?」
「えっ? 特に予定はないですけど……」
「じゃあ、店を出たあとも少し付き合ってくれないか?」
「……はい?」
三枝が足を止めたので、俺も立ち止まった。
「この近くに、前に三枝が行きたいって言ってた雑貨屋があっただろ。せっかくこっちまで来たんだし、寄っていかないか?」
「……先輩、覚えてたんですか?」
「ああ。前に話してただろ。駅から少し歩くところにあるって」
「そうですけど……!」
三枝は目を丸くしたまま、俺を見つめている。
「……私、あのお店の話、一回しかしてませんよ?」
「そうだったか?」
「そうですよ! しかも、結構前です!」
「でも、行ってみたいって言ってたからな。まだ行ってないなら、ちょうどいいと思って」
「…………」
三枝はしばらく黙っていたが、やがて両手で頬を押さえた。
「……先輩、ずるいです」
「何が?」
「私が先輩の好きなものを覚えてるのは、好きだから当然なんです。でも、先輩まで私の話をそんなに覚えててくれるなんて……!」
「いや、普通に覚えてただけなんだけど」
「それが嬉しいんですっ!」
三枝はそう言って、満面の笑みを浮かべた。
「……ぜひ、行きたいです! 先輩と一緒に!」
その返事を聞いて、俺も自然と笑っていた。
別に、大したことをしたつもりはない。
三枝が前から行きたがっていた店を思い出したので、せっかくだから一緒に寄ろうと思っただけだ。
けれど、こんなに喜んでもらえるなら、誘ってよかった。
「じゃあ、まずは昼飯だな」
「はい! そのあと雑貨屋さんですね!」
「ああ。時間があれば、ほかにもどこか寄るか?」
「……先輩」
「ん?」
「今日、私が誘ったんですよね?」
「そうだけど?」
「なのに、先輩の方から次々に予定を増やしてくれるなんて……!」
「嫌だったか?」
「嫌なわけないじゃないですか!」
三枝は嬉しそうに笑うと、今度は俺の隣に並んだ。
「……先輩、今日はいっぱい付き合ってくださいね!」
「ああ。そのつもりだよ」
「……っ! もう、本当にそういうところです!」
また何か言われてしまったが、三枝が楽しそうなので、まあいいか。
俺たちは並んで歩き始めた。
最近は、こうして三枝と一緒に出かけることがすっかり当たり前になっている。
昼休みに顔を合わせれば一緒に食事をするし、休日に予定が合えば、こうして出かける。
今日だって、最初は昼食だけの予定だったのに、気づけば俺の方から行き先を増やしていた。
むしろ、三枝が次にどんな顔をするのか、少し楽しみだった。
「先輩、早く行きましょう!」
「ああ、今行くよ」
三枝が振り返り、俺を呼ぶ。
俺はその笑顔に応えながら、彼女の隣へ歩み寄った。
こんな日が、これからも続くのだろう。
そのときの俺は、何の疑問もなく、そう思っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
少しでも「面白かった」と思っていただけましたら、ブックマーク・★評価・リアクション・一言感想のどれか一つでもいただけると、とても励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします!




