記憶の宝
「……ふふ。現代の海って、本当に便利なのね」
放課後の自室。
海野ルナは、ノートパソコンの画面を眺めながら、小さく口元をほころばせた。
液晶モニターに映し出されているのは、世界各地の細密な地図と、無数の座標データだった。高解像度の衛星写真、地質データ、古地図、そして数百年の歳月のなかで変動した海岸線の変化を示す学術資料。
それらが一つの画面に美しく整理され、幾つもの赤いピンが地図上に点滅していた。
そのうちの一つを、ルナはしなやかな指先で軽やかにクリックする。
「ここは……確か、昔は荒々しい川が流れていたはずね。今ではすっかり埋め立てられて、どこにでもある住宅街になっているけれど」
彼女の口調は、十六歳の女子高校生とは思えないほど静かで、どこか浮世離れした落ち着きを払っていた。
海野ルナ。
学校での成績は常に上位。運動神経は平均的。友人もそれなりにいて、クラスの輪から浮くこともない。教師たちからの評価も「少し大人びているが、至極真面目で手のかからない普通の生徒」というものだった。
しかし、彼女には誰にも明かしていない、明かせるはずもない秘密があった。
彼女は、数百年前に実在し、世界中の海を揺るがした大海賊の生まれ変わりだったのだ。
もっとも、本人に言わせれば「生まれ変わり」という言葉は少々正確さに欠ける。
前世の記憶が、ある日突然、まるで眠っていた記憶の扉が開くかのように夢の中で蘇ったのである。
最初は、断片的な残像に過ぎなかった。
耳を裂く大砲の轟音。視界を覆う白い波飛沫。広大な帆を張った大型木造船。甲板を慌ただしく走る船員たちの叫び声。そして、重厚な鍵がかけられた木箱の中に敷き詰められた、眩い黄金の輝き。
やがて記憶は日を追うごとに鮮明となり、かつて自分が訪れたすべての港町、航海した荒々しい海域、そして各国の王族や大貴族から奪い取った無数の品々を、世界のどこに隠したかまで完璧に思い出せるようになった。
その海賊は、ただの野蛮な略奪者ではなかった。
天体観測と航海術に長け、複数の言語を自在に操り、ヨーロッパやアジアの複雑な政治情勢にも通じていた。何より彼女は、手に入れた品物を無造作に売却して金に換えるような真似をしなかった。
古代の航海記録。失われた王朝の秘密文書。現代の科学技術をもってしても再現不能な職人技の工芸品。さらには、歴史上その存在すら疑われている伝説の武具。
そうした歴史的価値を持つ品々を、彼女は権力者たちの手から保護し、後世に残すための『保管庫』として、世界各地の洞窟や海底、極秘の地中に分散して隠したのだ。
そして数百年後の現代。
その壮大な秘密を抱える唯一の人間が、制服を着た十六歳の女子高校生として生きていた。
「ただ、最大の問題は……」
ルナは、机の上に広げられた数学の問題集に目を落とした。
「現代の学校というものは、どうしてこうも膨大な時間を奪っていくのかしらね」
本日の宿題は、数学と英語。
前世で七つの海を支配した彼女にとって、この机の上のペーパーテストも、なかなかの難敵だった。
前世の知識があるからといって、現代の微積分や複素数平面を自動的に理解できるわけではない。ましてや、普通の高校生として社会に溶け込んで生きる以上、定期試験の赤点から逃げるわけにもいかないのだ。
「……まあいいわ。まずは、私の『現代での事業』を軌道に乗せることが先決ね」
ルナはシャープペンシルを置き、パソコンに向き直った。
画面の中央で起動しているのは、彼女が自作したオリジナルのプログラム――アプリだった。
『Treasure Radar』
世界地図上に、未発見の歴史的遺物や埋蔵品が存在する可能性の高い場所を表示する位置情報アプリである。
だが、これは単に前世の記憶をそのまま現代の地図に当てはめただけのものではない。
数百年の歳月は、地球の姿を大きく変えている。海岸線は後退あるいは隆起し、川は流路を変え、山は土砂崩れで形を変え、都市の拡大によって旧道はアスファルトの下に消えた。
そのためルナは、国土地理院や海外のデータベースから古地図と現代の地理情報を取得。記憶にある地形の特徴と、地殻変動の補正計算を自動で行う特殊なアルゴリズムを組み立てた。
もちろん、最終的な精度の担保は、彼女自身の記憶という唯一無二のデータベースにかかっている。
アプリの公開から四日が経過していた。
現在のダウンロード数は、わずか数千件。
レビュー欄には、現代人らしい冷ややかで辛辣な言葉が並んでいた。
『怪しい位置情報アプリ。個人情報抜かれてそう』
『無料で遊べる宝探しゲームかと思ったら、課金前提のUIじゃねえか』
『埋蔵金が見つかるとか、怪しすぎる。大方ただの詐欺アプリだろ』
ルナはそれらを一通りスクロールしながら読み進め、ふっと小さく溜め息をついた。
「目に見える証拠がなければ信じない。……ふふ、まあ当然の反応ね」
むしろ、彼女はこの冷ややかな反応を心から歓迎していた。
最初から大勢の人間に信じられてしまえば、目ざといメディアや政府関係者からの問い合わせが殺到し、現時点での自身の正体を隠し通すことが難しくなる。
彼女が考えているビジネスモデルは、極めて合理的かつ明快だった。
『最初の一地点の情報だけは、完全無料で公開する』
そして、実際に現地で発見され、それが本物であることが専門家によって確認された後、次の情報を有料で提供していく。
ただし、彼女が提供するのはあくまで「調査候補地点の精緻な情報(座標データ)」であり、土地の所有権や埋蔵品そのものの権利ではない。
発掘の可否は、現地の土地管理者の許可や、各国の文化財保護法に従って利用者が手続きを行う必要がある。その旨は、長文の利用規約に厳密に明記してあった。
「情報を売るだけの仲介者であれば、私が毎回わざわざ現地へ出向く必要もないものね」
ルナが画面の隅にあるリアルタイム通知を確認すると、一つの朗報が届いていた。
チャンネル登録者数100万人を超える人気配信者・リュウジが、自身の配信でアプリの紹介動画を公開するという。
ルナは椅子の背もたれにゆったりと身体を預けた。
「さて……リュウジ。あなたは、私のお膳立ての上でどこまで踊ってくれるのかしら」
しかしこの時、ルナ自身もまだ予期していなかった。
この何気ない配信者の気まぐれが、世界全体を巻き込む巨大な嵐の第一波になるということを。




