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23.凍てつく予兆


 ――エーテル城、騎士団の地下室には広大な空間があるらしい。

 その噂は、城内で働く者なら誰しも一度は耳にしたことがある。

 ベルンハルトもまた、幼い頃に聞かされた覚えがあった。

 だが、当時の彼は歳の割には感情が希薄で、耳にした物事に対してあまり興味を持つことがなかった。

 幼い頃から父に厳しい訓練を課されてきた。

 ゆくゆくはエーテルで最も優秀な士官学校に入り、卒業後は守護部隊に所属し、エチルエーテル市を担う騎士団の一員になる。

 ――誰もがそう思って疑わなかった、彼が士官学校からエチルエーテル市に戻ってくるその瞬間までは。


 夜も深まる頃。

 ジョン・エチルエーテルは、蝋燭の細い灯りを頼りに執務室に残っていた。

 昼過ぎに報告が入った例の件が、頭から離れなかったのである。


「エーテルに異常を来す、か……。」


 静寂の中、ゆっくりと深呼吸をする。

 彼の呼吸音だけが、静かな部屋に小さく響いていた。

 だが、空気中にあるエーテルはびくともしない。

 目を閉じて意識を澄ませても、エーテルの揺らぎは何ひとつ感じ取れない。

 

 ――ジョン・エチルエーテルは、重度エーテル回路不全だと診断されている。


 ――――――


 湿った空気が、書庫の中を漂っていた。

 何十年と蓄積された不快な埃の匂いが、ヘイルの嗅覚を刺激している。

 年季の入った石造りの大きな机の上には、重厚感のある本が積み重なっていた。

 表紙の文字が掠れていたり、経年劣化したものがほとんどだった。


 ヘイルは、表情を一切変えずに座り続けていた。

 右手にはもうインクが切れて無くなりそうなペンが握られており、所狭しと文字が書かれた紙が散乱している。

 彼は、鋭い目つきで一枚一枚メモ書きを精査している。


「アーノルドの傷、第二十師団が遭遇した炎龍種。

 どう考えても、現代のエーテル理論では説明がつかない。」

 

「かといって、先史文明の資料はほとんど失われている。」

 

 くるくると、ペンが中指の上で軽快に回る。

 魔術の研究を1日たりとも欠かさない彼にとって、この現象は興味を持ちざるを得ないようだった。


「……まさかとは思うが。」


 何かを思いついたかのように、ペンが手から滑り落ちた。

 カランカラン、と石造の机を転がり落ちていく。


「いや、そんなはずはない。」


 空間のエーテルの動きが、ゆっくりと鈍くなる。


「……どうして、気づかなかったんだろうか。」


 地下室のジメジメとした空気が、冷えていく。

 やがて、ヘイルの周囲のエーテルが揺れることなく凍りついた。


「大魔女のエーテル……そんなわけがない。」


 転がるペンを急いで拾い上げる。

 まっさらな紙に、さらさらと仮説を張り巡らせる。

 みるみるうちに、一面文字で埋め尽くされた。


「生きているわけない、アイツらは――。」


 仮説を否定するように、紙へ文字を叩きつける。

 だが、どこまで書き連ねても結論は変わらない。

 

「――大魔女(アイツら)は、もう二百年も前に死んでいるだろう。」


 ――――――


「そういえば、ベルンハルト。」


「なんだ、フォンス。」


 まだ眠気の残る目を擦りながら、ベルンハルトが聞き返す。

 手にはよく焼かれた黒パンが握りしめられており、溶けたバターが今にもこぼれ落ちそうになっていた。


「なんかさ、オレがまだ城内で預かられてた時あったじゃん。

 あの時の噂なんだけどさ。」


「ああ、ずいぶん昔の話だな。」


「噂?フォンスって、エーテル城に住んでたことあったの?」


 カフカが、上機嫌でスープを掬いながら尋ねる。

 今日のスープには、彼女の嫌う薬草の匂いがしなかった。

 代わりに、クリーミィな甘い匂いが漂っていた。


「数年だけな。

 そう、その時に、エーテル城の地下には大きな空間があるって聞いたんだよ。

 オレ、ずっと気になってたんだよなぁ。」


「……そんなくだらない話もあったな。」


 ベルンハルトが、鼻で笑った。


「くだらないことは無いだろ!?あの話が怖くて、トイレ行くのだって大変だったんだぞ。

 ……だから、気になるんだよ!」


「ねえ、それって図書館じゃないの?」


エレーシャがポツリと呟いた。


「図書館……っすか?」


「そうそう、公的に解放されてる方のじゃないよ。

 もっと重要な本が収容されてんの。

 確かに、一般の兵士はまず行くことないもんねぇ……そりゃ変な噂にもなるか。」


「地下に図書館なんてあるんですね……。

 知りませんでした。

 人が入れるような場所なのでしょうか。」


 クルトが、薬草のサラダを口に運ぶ。

 あっさりとしたドレッシングが、少し渋い薬草によく絡んでいる。

 もちろん、カフカの分も食べさせられているため少し量が多い。


「んー……そうだな。

 いろんな意味で人が入れる場所じゃないと思うよ?

 まぁ、魔術の資料はすごい量だからボクはたまに行くんだけどね。」


「それって、どういう意味でしょうか……。」


「――あそこは、特大の魔術バカが棲みついてんの。

 めちゃくちゃ寒いよ?」


「はははは。

 確かに、図書館はいつ行っても寒いな。

 アイツに言っても、温度調整はしてくれないからな。」


「あーあ。

 焔魔術でも使えたらちょっとはあったかくなるかもしれないんだけどね!

 ていうか、オジサン。

 今日のスープ、薬草なし?」


「ああ、カフカちゃんが薬草のスープが苦手って言ってたからな。

 たまには違うものを出してみたんだ。

 黄金粒をエーテルポタージュにしてみたんだよ。」


「えー。

 ボク、薬草入ったスープ大好きなのにさ?新参ばっか優遇してずるいんだけど。」


「悪い悪い。

 明日から薬草のスープも持ってくる。

 ウケが良ければ、明日から食堂のメニューにしたいんだよ。」


「そうしてよね。

 ……でも、別にこれも悪くないよ。」


「はは、そりゃあ良かったよ。」


 ミザンがコーヒーカップを持ちながら笑った。


「そうだ、今日から合同訓練って言ってたな。

 軽食のパンも焼いて持ってきたから、しっかり持っていけよ。」


「わーい!!ミザンさんありがとうございます!」


 パン、という単語が聞こえた瞬間、カフカが声を上げた。


「アーノルド、今日はどこで訓練するの?

 ボクとクルトは、医務室に行ってから向かうことになるけど。」


「ああ。

 一週間、実戦訓練場を使う許可をとってある。

 朝食後、すぐに向かおうと思っている。」


「わかりました、今日からよろしくお願いします。」


「実戦訓練場、楽しそうだな!!」


 フォンスが目を輝かせている。


「あそこはしっかり結界が張ってあるからな。

 どれだけ暴れてもらっても構わないぞ。」


「結界を編んでるのはこのボクだからね。

 無闇矢鱈に結界を破ろうとしないでね?壊されたら、編み直しがめちゃくちゃ面倒なんだから。」


「もちろんっすよ!対人戦なんて久々だから、ワクワクするなぁ。」


 フォンスの装甲から、ほんの少しだけ電流が漏れ出している。

 久しぶりの戦闘で待ち切れないのだろう。

 ――炎龍種と戦闘した時から、もう三日は経っていた。

 フォンスの負傷は幸い軽く、いつでも任務に向かえそうなくらい元気だった。

 だが、一方。

 アーノルドの傷は、任務の期間から一向に良くならなかった。

 今朝、エレーシャに包帯を取り替えてもらっていたが、形も大きさも変わらないままだった。


「ごちそうさまでした!じゃ、ボクたちは医務室に行ってくるからね。

 アーノルドの傷の詳細がわからないと、医療部も毎日会議なんだから。

 あんまり無茶しないようにね!」


「はは、ありがとうな。

 なるべく気をつけるよ。」


「ああ、もう。

 アーノルドのなるべくは当てにならないんだよね!」


「ご馳走様でした、ミザンさん。

 それではまた後で、訓練場で会いましょう。」


 クルトが丁寧な所作で、口を拭った。

 エレーシャが立ち上がり、足元の大きな杖を拾い上げる。

 ――その杖は、カフカの持っていたものとは違った威圧感があった。


 長い杖は木で編まれているようで、細かな綻びや傷があちこちに見えた。

 桃色のリボンが全体に巻かれ、ところどころに蝶々結びが施されている。

 杖頭からは半透明のベールが垂れ、その奥には薔薇の形をした淡い水色の水晶があしらわれていた。

 桃色と水色で統一されたそれは、エレーシャの髪色にどこか似ている。

 小柄な彼女には少し大きすぎるようで、引きずるようにして歩いていった。

 

「私も気合い入れて魔術の練習をしないと!」


 食事を終えたカフカが、立ち上がった。


「今日でエーテルを感じれるようになったらいいなぁ。」


「カフカちゃんなら大丈夫だ!次の訓練までには使えるようになると思うぞ!!」


 フォンスが笑った。

 

 ――午前九時、晴天。

空になった食卓を横目に、ベルンハルト達は実践訓練場へ向かった。

 まだ、何も起きていない朝だった。

ここまで読んで頂き本当にありがとうございます!!

ついに次回はアーノルドとの特訓が開始します。

水曜19時/日曜11時更新予定ですので、また読みにきて頂けるととっても嬉しいです!

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