表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

258/269

第256話  深淵球の崩壊

 右へ。

 左へ。前へ、後ろへ。


 光と闇が、まるで踊るように絡み合っていた。


 アスモルが放ってくる黒い刃は、空間そのものをえぐり取るような一撃だった。かすっただけで魂の奥まで腐り落ちそうな、おぞましい斬撃。でも——こわくない。


 わたしは星光の剣で、それをそっと弾いていく。力で打ち合うんじゃない。ただ、向こうから流れてくる力を受け止めて、やさしく流すだけ。剣がぶつかるたびに重い衝撃じゃなくて、澄んだ鐘の音みたいな響きがして、光の波紋が夜の広場に広がっていった。


「おいおいおいっ! なんだよあの魔将サマ、ぜんぜん当たってねえじゃねえか!」


 ヴァルの声が、炎の粒みたいに弾けた。幻影の姿なのに、すごく元気で、あたたかい火の粉を撒き散らしてる。ルークが深淵の門の向こうへ行ってしまったから、精霊たちだって本当は不安なはずで——でも、そんな素振りはちっとも見せないで、笑ってくれる。


「だっはは! ルークが置いてった命の力がパネェのもあるけどよ、エリーの動き、キレッキレだぜ!」


 アルクが肩のあたりで、バチバチと金色の雷火花を散らした。


「俺の加速もバッチリ乗ってっからな! どんな死角からの奇襲も、止まって見えるぜ!」


「当然です。風がすべての軌道を、あらかじめ彼女に伝えておりますゆえ」


 フィオの緑の羽根が、誇らしげにパタパタと揺れる。


「我が王の残した理が、彼女の器を通して完璧な最適化を行っているのです。あの男の焦燥すら、風のなかで手に取るようにわかりますな。哀れなほど、空回っておりますぞ」


「ええ……ほんとうに」


 ラグの声が、水滴みたいに静かに落ちた。


「どす黒く淀んでいた魔素が、彼女の剣がふれるたびに、澄んだ流れに還っていく。攻撃や防御という次元のお話ではありません——もはや、世界そのものを癒やすような、祈りの舞ですわ」


 わたしは、ただ呼吸を合わせるだけでよかった。ルークが置いていってくれた純度百パーセントの命の光が、からだの奥底であたたかく脈打ってる。無理してる感じは、ぜんぜんない。剣を振るうたびに、からだが羽みたいに軽くなっていく。これが、星の民の力。最初の民の、ほんとうの力。


「あの魔将の顔、見ものですわね」


 フロスが、くすっと笑った。冷たい笑い声。「じぶんの絶対的な深淵が、ことごとく無効化される現実。処理しきれずに、思考が完全に凍りついているようですわ。熱くなりすぎる心を、わたくしが適度に冷やしておきましょう」


「ふぉっふぉっ。そうじゃな。だが油断はいかんぞ」


 オルドおじいちゃんの重い声が、足元からずんっと響く。「どんなに舞が美しくても、すべては足元の安定あってこそじゃ。しっかり地を踏みしめて、重心を崩すでないぞ、お嬢ちゃん。この城の崩れかけた地盤は、儂ががっちり固めておるからな」


 みんな、幻影として、わたしを支えてくれてる。


 ひとりじゃないって、それだけでどれだけ勇気がわくか。


『ガウッ!』


 フェデが、横で低く吠えた。傷だらけの黄金の巨体。息はあがってるし、毛並みは赤く染まってる。でも、琥珀色の瞳はちっとも曇ってなかった。気絶して倒れているオスカー副団長のそばで、かばうように踏ん張って、いつでも飛び出せるように身構えてる。ルークが、「こいつを頼む」って、フェデに託したから。


 あの副団長のオスカーさん。訓練生のころからずっと不器用で、いっつも怒ってばかりで、いろんなものを抱え込んでた。それでもルークは、あの上官を見捨てられなくて——あのばかみたいに優しいルークが、身を挺して守りたかった人。だから、ここから先はわたしが守る。絶対に。


「ありがとう、フェデ。だいじょうぶ、ここはわたしに任せて」


 微笑みかけると、フェデの尻尾がぶわんと揺れた。


 悲壮感なんて、ない。だって、ルークが信じてくれたんだから。「お前ならできる」って。だったら、応えなきゃ。わたしは、あいつの勇者なんだから。


「いいよいいよー! エリーちゃん、すっごくきれい!」


 セラちゃんが、頭のうえでくるくると飛び回る。ルークが残してくれた規格外の霊素に引っ張られるように、限界突破したわたしのまわりで、光の大精霊がこれ以上ないくらいにはしゃいでいた。


「ルッくんの光と、わたしの朝の光が、エリーちゃんのなかでぴっかぴかに光ってる! 闇なんて、もうちっとも怖くないよね! ぜーんぶ、あったかい朝にしちゃおう!」


「……ふん。あたりまえだ」


 エムくんが、血で汚れた黒いローブを翻して、鼻で笑った。「ヤツの使っている闇は、ただの停滞したゴミだ。私の『休息の夜』と、セラの『黎明』が混ざり合った星の理の前では、あんな腐った深淵など、ただの泥水にすぎん。もうヤツの理は破綻している。まったく、哀れなもんだ」


 破綻してる。——そう、わたしにもわかる。アスモルの攻撃が、だんだん雑になってきてた。冷静で、機械みたいに正確だった魔王軍の総司令官の冷徹な仮面が、いま、ボロボロに崩れ落ちようとしてる。


「おのれ、小娘が! 私を憐れむか!」


 耳をつんざくような怒声。狂気まじりの叫び。


「この私を! 深淵の摂政たるこの私を、憐れむか! ただの人間ふぜいが、理の外から私を見下ろすというのか!」


 ——憐れんでなんか、いない。ただ、あなたのやってることが、すごく悲しいだけ。終わりのない絶望を、無理やり世界に押しつけてる。それが、どうしようもなく歪んで見えるから。だから、もう終わりにしてあげなきゃ。


「舐めるな! 貴様のようなまがい物の光ごと、この世界を塗り潰してやる!」


 ゴオオオオオオッ!


 激昂したアスモルが全魔素を解き放って、世界を呑み込む巨大な深淵球を作り出した。


 空間が、ぐにゃりと歪む。息をするだけで肺の奥が真っ黒に焼け焦げそうで——周囲の魔素だけじゃない。王城の瓦礫にこびりついていた瘴気も、空気中のすべての淀みも、彼の手のひらのうえに凄まじい勢いで吸い込まれていく。ぎゅるぎゅると嫌な音を立てながら、それは真っ黒な球体になった。光も音もなにもかもを食い尽くす、夜空に開いた真っ黒な穴みたいに。


「うわぁ……なんだか、すごく気持ち悪いものが集まってるよ……っ!」


 セラちゃんが、ぶるっと小さな肩を震わせた。


「チッ、ヤケを起こしやがったな。星の理で書き換えられる前に、純粋な質量で押し潰す気か」


 エムくんが忌々しそうに舌打ちをした。


 深淵球。


 そう呼ぶしかなかった。光も音もすべての希望を呑み込む絶対的な破壊の塊。触れればすべてが消滅する。その理不尽の極みみたいな黒い太陽が、アスモルの頭上でみるみるうちに巨大化していく。空を覆い隠して、本当の夜を連れてくるみたいに——城の天井が吹き飛び、分厚い壁がミシミシと悲鳴を上げて吸い込まれていく。


「消え去れ! 貴様らのちっぽけな希望ごと、永遠の虚無に沈むがいい!」


 アスモルが、その腕を振り下ろした。


 ズゴオオオオオオオオッ!


 巨大な深淵球が、音を置き去りにして迫ってくる。周りの石畳が、ふれてもいないのにボロボロと砂みたいに崩れながら吸い込まれていく。


『グルルルゥゥゥッ!』


 フェデが歯を剥き出しにして前に出ようとした。オスカーさんをかばいながら、ボロボロのからだで、それでもわたしの盾になろうとして。


「フェデ、下がってて。オスカーさんを守ってあげて」


 すっと片手を伸ばして、制止する。


 こわくない。不思議なくらい、心が凪いでいた。


 だって、わかるから——あんなに大きくて、おどろおどろしいのに。その中身が、どれだけ空っぽで、悲しいものなのか。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた怒りと絶望。でも、その芯にあるのは、帰り道がわからなくなって泣いてる、ただの迷子。先代の闇の大精霊さんが、ずっと泣いてるのが聞こえる。もう、終わりにしたいって。


「エリーちゃん! わたしも、ぜんぶの光を出すから!」


「主の代行者よ、見極めろ。ヤツの虚無の、底の底を」


「ねーちゃん、ぶっ飛ばせ! あんなデカブツ、ただの的だぜ!」


「ルークの野郎の代わりに、派手にやってやれ! 灰も残すな!」


「ええ、あなたならだいじょうぶです。流れは、あなたと共にあります」


「さあ、星の理を示すのです。風は、あなたを推しております」


「思いきり、叩き込むんじゃ! 揺るがぬ意志でな!」


「冷静に、その熱を凍らせてやりなさい。わたくしたちがついています」


 みんなの声が、背中を押してくれる。ルークが置いていってくれた命の光が、みんなとわたしを繋いでくれてる。


 星光の剣を、静かに下段に構えた。


 目の前に迫る、真っ黒な絶望。わたしは、ゆっくりと瞬きをした。


 開いた瞳のなかに、無数の星がまたたくのがわかった。風の流れ、魔素の重さ、空間のゆらぎ——ぜんぶが、指先でふれるみたいに、はっきりと理解できる。じぶんのからだが、一本の巨大な樹になって、深く、深く、世界の理と繋がっていく感覚。


 古き民の力を覚醒させた彼女は、星空の瞳を見開いて——ただ一言、静かに告げた。


「……静まりなさい」


 声を荒げるでもなく、ぽつり、と。魔法の詠唱でもない。気合いの叫びでもない。ただ、おだやかに。——だだをこねる子どもを、しかりつけるように。


 その言葉は世界樹の理そのものとなり、深淵球は空中でピタリと停止した。そして、花びらのように、無害に散っていった。


 轟音も、風圧も、なにもかもが一瞬で消え去った。風も、音も、時間が止まっちゃったみたいに。


「なっ……!?」


 ヒュッと、間抜けな音が漏れた。アスモルの喉から、空気が抜けるような音がした。


「ば、ばかな……! なぜ止まる! 私の深淵が、なぜっ!」


 静止した黒い球体に、ぴしっ、と亀裂が入った。そこから、あたたかい光が漏れ出す。


 パチン。


 はじけるような音といっしょに、深淵球が崩壊した。爆発じゃない。春の風に吹かれた桜の花びらみたいに——黒かった魔素が、きらきらと光る無害な粒子に変わって、さらさらと空へ散っていく。ただの、きれいで無害な光の雨。冷たかった王城の空気が、あたたかい朝の温度に変わった。


「あははっ! さっすがエリーちゃん! 真っ黒なおっきいボールが、ぜーんぶキラキラのお花みたいになっちゃった!」


 セラちゃんが、降ってくる光の粒を手のひらで受け止めながら、くるくると宙返りしてはしゃぐ。


「……まったく。ルークのヤツが残した理とはいえ、ここまで完璧に書き換えるとはな。星の民の器、恐るべしだ」


 エムくんが、少しだけあきれたように——でも誇らしげに、息を吐いた。


 恐怖も、絶望も、ただのきれいな景色に上書きされちゃった。絶対的な攻撃が、ただの一言で、あっさりと。


 パラパラと降り注ぐ光の粒子の中で、アスモルは完全に硬直していた。腕を振り下ろした姿勢のまま、信じられないものを見るように両目を見開いて。


「ありえない……理が、書き換えられたというのか……私の、すべてが……」


 震える唇から、絶望の言葉がこぼれ落ちた。かつて世界を震え上がらせた魔王軍の総司令官。その威厳は、もうどこにもなかった。


 彼の胸元——分厚い漆黒の鎧の奥で、ドクン、と脈打つものがある。魔将の力の源。黒く濁った、闇核。


 それが今、完全に無防備になって、わたしの目の前にさらけ出されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ