22 『宗教と秩序』
第2部 『道化』
第4章 『教祖誕生』
第22話 『宗教と秩序』
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時は2024年4月。
これは第1部の『天凪祓 怨恨私記』を執筆する少し前の段階である。
≪祓ってやる・・・この私が。≫
祓ってやる、とは言ったものの、どうするべきか・・・?
金があるわけでもない。知名度があるわけでもない。人脈など、荒れ果てた直近数年のせいで、一人、また一人といなくなっていった。
顔がいいわけでもない。何か秀でた才があるわけでもない。学があるわけでもない。コネがあるわけでもない。
でも、なにかしたい・・・。
何かして復讐を果たしたい。もう怨みのある人物を数人殺す程度では、この怨念は晴れない・・・。
全てを諦めて死ぬなら、やってみた後でも遅くはない。
しかし、この世の仕組みを根本からぶっ壊して変えたいなどと思っているこの私の絵空事を、誰が聞いてくれるのか・・・?
聞いてくれたとして、支持してくれるのだろうか・・・?
そもそも、この世の中で、どれだけの人が理不尽を感じているのだ・・・?
私が神経質なだけで、大多数は・・・。あちら側なのか・・・?
もしくは、私がより良いと考えるようなものは、所詮素人の浅知恵なのだろうか・・・?
だが、少なくとも一つだけは言える。
従順に飼い慣らされることを「要領がいい」と呼び。
純粋さを欠き、正義感を失い、人を出し抜き、陥れ、騙す。
そういうものを「大人」であり「成功者」だと定義する社会よりは、私は正しい。
何をもって正しいというのか?
人に害をなすことなく生きている者へ、意図的な理不尽や不条理を押し付けないことだ。
少なくとも、それだけは間違っていない。
私はこの理不尽で不条理な社会が、根本的に気に入らない。
やってみるしかない・・・――。
まずは、どう惹きつける?いきなり『この世は理不尽だ』と嘆いてみせたところで、娯楽コンテンツにあふれる現代人の心に響くことはまずないだろう・・・。
そして下手なことをすれば、普通に物理的に殺されるだろう。
なら、どうする?
私の考え方は、やや哲学じみているふしがある。
日本で比較的安全な組織と言えば『宗教』だ。
宗教組織ということで、思想を広めよう。
理不尽や、不条理をなくしたいんだ。
理不尽で不条理な社会というのは、社会に道徳や倫理や秩序が欠けているということ。
神の信仰ではなく、道徳や倫理や秩序に対する哲学的な共通規範を教えることにしよう。
そもそも宗教とは『共通認識を作って、社会効率や社会結束を高めるもの』だ。
古代宗教の物語は、子供でも理解できるように、聞きやすいように色付けされているだけの話で、宗教の本質は道徳や倫理や秩序からなる社会形成管理のマニュアルだ。
※日本人が思い描く、変な意識高い系や自己啓発系の宗教は、『新興宗教』で、宗教という名を借りて本質をすり替えて金儲けに勤しむ、カルト集団に片足を突っ込んでいるようなものだ。
ただ、大元の既成宗教(キリスト教や仏教)だって悪用される。その最大の悪用が、黒人を人外の家畜だと教え、数百年間奴隷貿易をしたことだ。
東アジア諸国と違い『主食』という概念を持たない彼らにとって、家畜とはケーキと同じで、家畜を殺すことはケーキを切り分けるのとほとんど変わらない感覚なのだ。
そんな存在と同等だとされた黒人の扱いは、想像もつかない。
現代では多少違っているだろうが、熱心なクリスチャンは家畜がどういうものかを、しっかりと教えられているはずだ。
話を戻すが、なぜ悪用されたか?
それは教えの本質をしっかりと簡潔に開示していないからだ。物語で万人に理解できるようになった弊害で、本質が見えにくくなっている。
実際、最初にその規範を作った連中も、こんな二千年も経ってなお信じられているなど、夢にも思っていないだろう。
現代風に言えば、教育規範のバージョンが古すぎるのだ。
少なくとも、大陸間弾道弾を発射して一瞬で数十万人を地平線の彼方から文字通り消し飛ばすことのできる現代で、参考にするべき規範ではない。
そして、自然界、つまり『野生』で『暴力的』なものを『混沌』或いは『初期地点(0)』とし、『知性的』で『平和的』なものを『秩序』あるいは『到達地点(100)』だとする。
その場合、私が日本人だから自国文化の肩を持つというわけではないが・・・。
『道徳・倫理・秩序』の規範が最も『到達地点』に近いのは、おおよそ日本だと思う。
勿論、ただそこに『最も近いだろう。』というだけで、『到達しているわけではない。』
『平和や秩序というのなら、日本が最も到達地点に近い。』何故そう思うのか?
なぜなら多くの国との決定的な差として、『思考の順番が違う』からだ。
多くの国では『自分という個から始まり、次第に親族、友人、限定社会、社会へと広がっていく』のに対し、日本は外枠の社会から始まり、内側に行くからである。
勿論、これが最適解だとは思ってはいないが、この話における到達地点へのアプローチは、日本の思考を基にする方が合理的だと思う。
事実、犯罪件数など、いくつかの傾向を見ても、秩序・平和という点では、日本はかなり高い位置にいるだろう。
日本には『実害を基にした差別』はあっても、それらはほとんどが『反日教育をしているような実質敵性国家』であり、基本的に歴史や肌の色による個人への差別は皆無である。
同性愛者に対しても、制度的な制約はあっても個人間では、とりわけ強い嫌悪があるわけではない人が多いだろう。
変に偽善心があるのではなく、『私には関係ないから、私に迷惑かけなければどうでもいい。』という無関心=中立なのだ。
勿論、人前でハグしたりキスしたりすることの少ない日本だから尚更の話なのかもしれないが・・・。
とは言え、某反日国家とて、実際に反日教育が露骨になる前の時点では、80年代の日本のアニメにはかなり多くの某反日大国文化へのリスペクトが見受けられる。
日本国旗をわざわざ燃やしてみたり、足ふきマットにしてみたり、証拠を捏造してまで第二次世界大戦における出来事を捏造・誇張してみたり、諸外国で悪いことをすれば日本人を名乗って『カタコト』の「スミマセン」を使い、日本人を悪者へ仕立て上げようとし、しまいには日本に来て犯罪ばかりを起こし、困ったら『ニホンゴワカリマセン』。
某反日大国への差別は、そういった実害ありきの話である。
が。これは差別ではなく区別である。
日本には人種差別ではなく、顔面偏差値という、容姿が素敵か醜いかという差別は立派にある。差別が全く無いわけではない。
ただ、海外のそれとは軸が全然違うだけだ。
そして、コミュニティー外の外国人は全て均一に排他的な側面もある。しかし、これに関しては上記の到達地点との差が大きすぎるため、という面もあると思う。
文化の違いによる排斥ではなく、日本人の予測する最悪と、外国人の予測する最悪の度合いが全然違う。結果として受け入れられないのである。
白人が去ってインフラが壊滅した南アフリカを見たら、その警戒心から来る排斥がどのようなものなのかわかるだろう。
日本には人種差別はなくとも、明確な顔面の良し悪しでの差別(顔面偏差値)はある。
そして何より、怨恨私記で書いた経験から理解したことだが、『日本は自分よりも劣っている者を馬鹿と言って蔑み、自分より優っている者を協調性がないと言って排除しようとする。』
これはまさに、この外堀から埋めていく+強い同調システムの弊害だと感じる。
なので、日本の考え方をベースに、その辺りの是正が必要だとは思っている。
また、日本のように外枠から埋めていこうとする思考を持つ国・地域としては、北欧、ドイツ、スイス、ルクセンブルク、オランダ、ブータン、シンガポールなどがある。
だが、これらの国には日本に比べて同調圧力が少ない。
道徳・倫理・秩序の同調圧力が少ないと、今度は排斥せずに受け入れ過ぎてしまう。
その結果がムスリムに侵食された北欧やドイツだ。
また、「外枠→内側」寄り思考で、真正面からの同調圧力が場面的に強いポーランドでは、移民による侵食が跳ね返されている。
同調圧力は強い方が良いと、現時点の私は思うが、その基準が間違っていると、今の日本のように全体がそろって間違うことになる。
或いは、その圧力自体が強すぎると、現在の中華人民共和国のような、一部は思考統制されたロボットのような人間集団になり、それについていけない人間はその輪から外れ、統制の無い人間となる。結果として『そもそも根本的にまとまっていない組織』となってしまう。
私はそのような思考を基に、日本の道徳・倫理・秩序をベースにするのが現状最も合理的であると判断し、それを発展させたものを世界に広めたいのだ。
最後に揚げ足を取られそうな点を押さえておく。『日本人の平和ボケ』は、これとは違うベクトルの話だ。あれは宗教的な感覚ではなく、自虐史やアメリカのGHQによる、長期的に戦意を削ぐための洗脳の賜物だからだ。
(もっとも、百年前に助けたチャイナに現在苦しめられ、抑え込むために洗脳した日本は洗脳が効き過ぎて、再軍備が上手くいかず、防壁として役立たずになって悩まされている、というのは実に滑稽である。)
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次回!第2部 第4章 第23話
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