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付き合い始めて順調にデートも重ねているくせに、キスの一つもなければお互いの家に行くこともない。友也とあさみはしばらく、そんな付き合いを続けていた。最初は進展する関係なんて聞きたくもないと思っていたけど、ここまでくると何かがおかしいような気がしてくる。だからある日、あたしからあさみに、初めて友也に関する質問をぶつけてみた。
「だって、そういうムードにならないんだもん」
くちびるを尖らせながらそう答えたあさみの顔は、すごく不満そうだった。自分の机に頬杖をついて、あさみは物憂げな様子でため息を零す。
「どうして友也くんは何もしてくれないんだろう」
どうして友也はあさみに何もしようとしないのか。その答えを、あたしは知っているような気がする。だけど答えを出す前に思考を閉ざした。だって、もしそうなら本当にバカみたい。それにもう、妙な期待は抱きたくなかった。また違っていたら、その時こそ本当に立ち直れなくなってしまうから。
「私、そんなに魅力ないかなぁ」
「魅力なかったら付き合ってないんじゃないの?」
心にもないことを口にしながら、あたしは友也が言っていたことの意味を考えていた。あさみとあたしのことは別問題だと、あっさり言ってのけた友也の気持ちが分からない。だいたい、何がどう『別問題』なのよ。あたしがあさみの存在を気にする必要がないって、どういうこと?
幼馴染みっていう関係が、今はすごく重たい。今までは幼馴染みだからこそ一番近くにいられたけど、彼女ができた後までその関係を強要されるのは辛いよ。いっそ、友也があさみをあたしより大切に扱ってくれれば……。そんなことを考えてしまってから、自分のバカさ加減に嫌気がさした。心にもないことを言っているのは口だけじゃないみたいだ。
「あ、友也くん」
視界の外であさみの嬉しそうな声を聞いた途端、あたしは立ち上がってしまっていた。とっさの行動を悔いる暇も余裕もなく、たまたま目についた山口に向かって歩き出す。こっちを見ていた山口は、奇妙な表情を作ってあたしを迎えた。声をかける気もなかったし、心の準備も出来ていなかったけど、こうなったら何か言わないと。
「あのさ、話あるから今日ちょっといい?」
「あ? ああ……別に、いいけど」
山口への気まずさと、背後から感じる視線の板挟み状態がきつくて、あたしはさっさと話を切り上げてしまった。さすがにもう教室にはいられないので、自分の席からカバンをひったくって廊下に出る。そのまま逃げ去っても、追って来る人はいなかった。
……あーあ、やっちゃった。あんなことメールか電話で言えばいいのに、わざわざ友也の見てる前で言ってしまった。言及してくれと言ってるようなものだけど、それでも友也は何も言わないかもしれない。あさみからアヤシイって話は聞いているはずなのに、友也は山口の話題には触れないから。
全てが曖昧で、嫌な感じ。けれどハッキリしてしまうのも怖い。それでも、山口には言わなくちゃ。一応告白されたのに、まともな返事はまだしていないから。自分が似たような状況で苦しんでるっていうのに、山口にまで同じ思いをさせていたくはない。そんなことを考えながら歩いていたらケータイが鳴った。着信は山口で、彼も早々と学校を切り上げることにしたらしい。まあ、あんな状況で取り残されても授業どころじゃないよね。
待ち合わせ場所は駅から少し離れた住宅街の中にある公園。待ち合わせに便利な変なモニュメントの前で待っていると、山口はすぐに姿を現した。話をする距離で山口の顔を見ると、改めて思う。気まずい。
「お前なぁ……」
「ごめん」
山口が呆れた様子で何か言おうとしたのを遮って、頭を下げた。山口は言葉を切って、それきり反応がない。あまりにも反応が遅かったから黙って立ち去ったんじゃないかと、顔を上げてみた。だけど予想に反して山口はまだあたしの前にいて、じっとあたしのことを見てる。この無表情はどういう時の顔なんだろう。
「とりあえず、そこに座れ」
山口がベンチを指差したから、あたしは言われた通りにした。端の方に腰を下ろしたあたしから少し距離を置いて、山口も隣に腰を落ち着ける。
「で、その『ごめん』の意味は?」
「色々」
「色々、ね。まあ、お前らしいわ」
意外にも、山口は明るい調子で笑った。笑うしかない、っていうのが本当のところなのかもしれないけど。
「それよりお前、いきなり声かけてきていきなりいなくなるなよ。おかげで進藤からあれこれ尋問されただろ」
告白関係の話は『ごめん』の一言で済んでしまって、山口はさっさと別の話題を切り出した。そのあまりの淡白さに妙な感じを抱きながら、あたしは眉をひそめる。
「尋問って?」
「京子に何したんだーとか。色々」
「色々、ね……。友也は、何か言ってた?」
「何も。あいつ、お前に用があったみたいだぞ」
「別に家が隣なんだから。用はいつでも聞けるよ」
「……お前さあ、わかりやすい性格してるよな」
「は?」
「川瀬がいきなり現れたからとっさに声かけただろ、俺に」
……返す言葉がない。そんなところまで見てなくてもいいのに。恨めしい気持ちで山口を見ると、山口は笑っていた。
「真鍋の気持ちなんて誰でも知ってるよ。あの時はつい口がすべったけど、俺のことは気にしなくていいから」
「……ごめん」
「それはさっき聞いた。ってか、ずっと前から知ってた」
「だったら言うなよ……」
「そうそう。そのくらいが真鍋らしい」
さっきからずっと笑っていたけど、その時の山口はとても爽やかにあたしの悪態を笑い飛ばした。だけどすぐ、山口は真顔に戻る。そのまま真剣な調子で、山口は言葉を重ねた。
「なあ、川瀬に告白しないのか?」
「それは……出来ないよ」
「だったら気をつけた方がいい」
「えっ?」
「言っただろ。真鍋の気持ちなんて誰でも知ってるって。進藤、あれ、たぶん気付いてるぜ」
そんなこと、山口に言われるまでもない。あれだけ露骨な反応をくり返していれば、あさみだって気付くだろう。現にあさみが友也の話をする時、たまに目が笑っていない。
「川瀬の態度がハッキリしないのも、問題だと思うけどな」
山口の言葉はすごく的確に何が一番の問題なのかを示していて、あたしは思わず何度も頷いてしまった。
友也の態度がハッキリしない。山口が言っていたように、あさみが一番不満に思っているのはそこだろう。誰がどう見ても『彼女』のあさみより『幼馴染み』のあたしの方が待遇が上だ。これであたしが友也の『彼女』なら、何の違和感もない。それに、すごく幸せだと思う。だけどあたしが仲をとりもって、あさみと友也は付き合いだしたのだ。いまさら友也のことが好きです、なんて、とても言えない。あさみの気持ちを踏みにじって、自分だけ良ければいいはずがないから。それに、どんな形であれ、友也はあさみを選んだのだ。
友也の彼女は、あたしじゃない。その時点で、あたしは友也への気持ちを忘れなくちゃいけない。それなのに友也は、彼女ができてもちっとも変わらない。今夜もまた、ヤツはあたしの部屋で堂々と読書に熱中してる。こうやって毎晩のように部屋に出入りしている男への想いを忘れろなんて、もう拷問みたいなものだよ。
「あ、京子」
あたしの恨めしい視線を感じたのか、友也がいきなり顔を上げた。ついに早退の理由を訊かれるのかと、あたしは身構える。
「な、何?」
「飲み物くれ」
……無神経なのか鈍感なのかバカなのか。近頃の友也はさっぱり読めない。一人で悩んでるあたしの方こそ、バカみたいだ。
「いつものね」
「そ。いつもの」
友也の『いつもの』は砂糖とミルクたっぷりの紅茶。本を読むときや映画を見るとき、友也はたいていこれを欲しがる。あたしはあんまり紅茶を飲まないけど、しょっちゅう来る友也のためなのか、うちにはティー・バックが常備されていた。
「最近友也くん、よく来るわね」
キッチンで紅茶を淹れていると、リビングの方からやって来た母親がそんなことを言った。その言い方が微妙な含みを持たせているような気がして、あたしは眉根を寄せる。
「別に、いつものことじゃん」
「前は週に三日くらいだったけど、このところ毎日来てるじゃない」
同意を求められたけどそんなこと、わざわざ覚えてないよ。でも言われてみれば確かに、少しは前よりもうちに来ることが多くなったかも。特に高校に入ってからしばらくは友達と遊ぶばかりで、友也の家を訪ねてもいないことの方が多かったのに……。そこまで考えて、やめた。そんなこと考えても何の意味もない。
「余計なことは言わなくていいから」
「はいはい」
余裕の笑みを浮かべる母親を睨みつけてから、リビングを後にする。紅茶を持って部屋に戻るとあろうことか、友也はあたしのベッドに陣取っていた。
「……あたしの居場所を奪わないでくれる?」
「悪い。床は尻が痛くなってきた」
あたしのベッドに寝転がったまま堂々とそんなことを言ってのける友也に退くような気配はない。あたしがこれだけ意識してるっていうのに、こいつは……。
「あんた……何も考えてないでしょ?」
「は? 何のこと?」
「だから! フツウは女の子のベッドに寝そべったりしないっての!」
「昔は一緒に昼寝した仲じゃん。何をいまさら」
「何年前の話してんのよ」
呆れてそう言い返しながらも、少し虚しかった。あたし達の関係って、一緒に昼寝してた時から止まったままなんだね。そんなこと、友也があさみを選んだ時から分かってた。でも本人に直接言われると、やっぱり痛い。
その後、友也が退こうとしないから結局ベッドには戻れなくて、あたしは友也が帰るまでの時間を硬い床の上で過ごした。